Hatena::ブログ(Diary)

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2015-05-26

神の国運動とその著作

1927年神の国運動を始めた賀川豊彦は出版社の協力を得て、その講演録を次々と安価な著作として世に送った。
「神による開放」
「尽きざる油壺」
「魂の彫刻」
「残されたる棘」
「イエスの宗教とその心理」
「イエスと人類愛の内容」
「人類への宣言」新約聖書を一貫してその精神だけを抜き取った
「神による新生」
「人類への宣言」
「神と聖愛の福音」
「神についての瞑想
「十字架についての瞑想
「神と苦難の克復」
聖霊に就ての瞑想
「農村更生と精神更生」

農民福音学校が1927年2月開講

今度私の家で農民福音学校と云ふのが開かれる。之は農民伝道の中核を為すものであって、農村の青年であって、宗教的に農村を改造せんとする者に開かれるものである。一ケ月間私共と一緒に寝起きして宗教的に社会的に訓練を受けるのである。校長は杉山元次郎氏、教務主任は吉田源次郎氏、私は毎朝一時間位づゝ授業を受持ちたいと思ってゐる。課目はキリスト教の一般と、農村社会学農業科学に関するものである。即ち旧約の精神、新約の精神、キリスト伝、教会歴史、農村社会学、農村通論、農家経営法、農村社会事業等に就いてゞある。今の処では食費を半分だけ学校の力で持つことにしてゐる。併し、定員があって十人以上採れない。純農村に於て農業に従事しつゝ農村の伝道、農村の改造に志すものゝみ入学の資格を持ってゐる。開校は二月十一日で、閉校三月十日である。間合は兵庫県武庫郡瓦木村宇高木、賀川豊彦方農民福音学校宛にせられたい。(雲の柱から)

△二月になって、私は一晩も休まずに働いた。紀元節の日に農民福音学校を開いてから、約十名許りの兄弟が、全国から集って来られて家は急に賑やかになった。杉山元治郎兄、吉田源治郎兄、村島帰之兄などが専門に掛られて今日まで実に有益なコースが与えられた。生徒十人に先生三十人と云ふ面白い学校だものだから、非常に愉快な日を送った。満一ケ月の間ではあるけれども、非常に意味の深い一ケ月であることを思はないでは居れない。少し金はかゝるけれども、このメソードが農村伝道に最も適してゐるやうに、私は思へてならない。

 △兵庫県武庫川のほとりに建てられた農民福音学校寄宿舎「一麦寮」が出来上りました。これは私の北米に於ける講演旅行の時貰った謝礼金を基礎にし、その上に米国の青年達が拠金してくれた約七百弗の金を入れて作ったものです。諸君が利用して下さるなら幸ひです。三十人位は泊まれるやうにしておきます。関西学院及び神戸女学院に行く西宮北口の傍にあるのですから非常に便利です。裏にはすぐ大きな森があります。瞑想に適します。(昭和七年一月号「放浪の旅より」)

 △最近最も嬉しかったことの一つは、武蔵野で農民福音学校の卵が生れたことである。それも徳富蘆花氏の住んでゐた千歳村の上祖師ヶ谷で、三十人位の農民諸君が、お宮の下に集まって、八畳敷の小さい部屋を教室にして、藤崎氏と私の講義を聴いたことであった。これから一箇月に何回か、かうした研究会の様式のものを続けたいと考へてゐる。上祖師ヶ谷は窮乏のどん底にあって、まだ活路を開いてゐない。それで、私達は、力を入れて、この人達に農民福音学校を作ってあげたいと思ってゐる。幸ひ、三月中頃には松沢幼稚園の本校舎も出来上るので、その校舎を使って小さい農民福音学校をも続けてゆくことが出来ると思ってゐる。(昭和七年三月号「武庫川のほとりより」)

2015-03-24

壁の声きく時(随筆集『地殻を破って』から)

 壁の声きく時

 石の叫ぶ日に私は壁の声をきく.私の孤独は凡ての無生物の友人によつて慰められる。私は何一つとしてその声をきかぬものはない。
 ステーシヨンの、ベンチに汽車を待つ時、病気の時、無為で困つて居る時、裁判所で検事の出て来るのを待つて居る時、私は凡て無生物の声をきく。
 天井も、セメントの敷石も、扉も、レールも、礫も、無意味に並んだ棚も、私には凡て歓喜の源であり、悦びの種である。私は五時間でも六時間でも二週間でも五週間でもそれを凝視して居れるのである。
 私を縛らうと云ふ人がある。然し、何と云ふ無策なことであらう。
私の身体は捕へられても、私は自由に無生物の心の裡へ這人つて行つて、仙人の様に凡てのものと一緒に遊ぶ通力を持つて居る。私は壁と物語る。
 壁は私に親切でゐる。監獄の壁でも、紡紙会社の練瓦の高壁でも、紐育の摩天楼の五百尺のセメントの壁でも、また貧民窟の所々落ちかゝた泥土の壁でも、私には慰めであり、希望であり、そして又親切であつた。
 私は嘗てその凡てに向つて反抗したことがない。私は二ケ月間金持の銀皿磨きにカナダ側のナイヤガラで地下室の生活をして居つた時にも、私には壁が親切であった。私は壁の前に坐つて五年でも十年でも辛抱が出来る。実在の不可思議に溶かされて、私はそれが壁であらうが、美人であらうが、また桜の花であらうが、区別がつかない。神の与へてくれる凡ての実在は私に取つては凡て声であり、叫びであり、音楽であり、管絃楽である。
 何と云ふ物凄い管絃楽であらう。壁の中から微かに清らかに冴えた音楽が聞こえてくる。或時には高くマーチの様に、或時にはセレナーデの様に、或時には讃美歌の様に、或時には"Te Deum"が聞こえる。大きな讃美歌だ。無生の生の進行歌だ。私は全くその心に溶け入る。
 そして私は実在の驚異に溶け入るのである。そして私は眠に襲はれたものゝ如くに眼を閉ぢる。然し、また、バツと眼を開いて今の音楽が実在の実在であつたかと壁を見詰めると、今度は壁の上の斑点と、色調と、色々な屈線と、曲線がまた私の眼の前に跳り出してくる。何と云ふ乱雑な踊りでらう。クロン坊も、歌劇の女優も、日本人の車夫も、西洋の紳士も、林檎も、砂糖蜜もみな堕から抜け出して来て私の眼の前で舞踏するのである。
「まアお前達は何ぜそんなに踊るのだ」と声を出して尋ねると、すぐ平面の上に吸ひつけられた様に元の通りに屈線と、曲線と、斑点と、風色の壁に帰つて了ふ。然し、また私が声を出すことなしに、無声の無声で、実在のするが儘に任せて置けば、凡て壁の上に括りつけられた平面の精は、自らを解放して時間と空間との上に踊り出してくる。何と云ふ不可思談な壁であらう、あれあれ、今度はオーケストラのシンフオニーまでがついて居る。そして最高音のヴヰオリンが耳朶を劈ざく程喧びすしく奏でる。私はもう堪え切れない。私は壁の精等に威圧させられて了ふ。あれ、私は失神せねばならぬ。米倉から出て来た小鼠の群のように、壁から抜け出た凡ての精――土の精、セメントの精、有機物の精、表面に画かれた林檎の精――それも水に滲みた形として現れたもの――砂糖蜜、車夫……歌劇の女優、是等のものゝ精が這ひ出て来て、私の為めに踊つてくれるのである。
 そうかと思ふとまた静かに、静かに無声の精が禅学の話をしてくれる。「君は少しも禅学を知らないだらう。知らないのを禅学とも云ひ、知ることをも禅学と云ふのだ! 「また君の様に無為の壁の前に坐って居ることをも禅学と云ひ、立ち上つて労働者の前に獅子吼することをも禅学と云ふのだ。要するに、無声の声のその有声の無声が禅の禅だ、解つたか? 解らんだろう。判ったら判らんので、判らなんだら判つたのだ。要する所は、禅とは実在の驚異と云ふことだ。その実在の驚異が時間の上に転げて行けば善いのだ。つまり生命と云ふことだ。言葉はどうでも善い。生命の上に飛躍して"Elan vital の中に呼吸すればその人が最も真に近いのだ。禅とは真と云ふことだ!」とも教へてくれる。
「有難たう!」と感謝すると無声の声の持主は、静かに壁の中へ引込んで了ふ。
 また或時に、私は壁の前に坐つて居て預言者エゼキエルの引越の音を、壁の向ふから聞く。コトンゴトンとこちらの方へ掘つてくる音がある。そしてそれは幾十年幾百年掘つても、まだこちらの方へ穴を貫いたことがない。預言者の引越の霊は一寸の壁の間に住んで居る。そして、一寸の厚さの壁を鑿つに千年かゝつても、まだあかない。然し、その努力はまだ中止されたことはない。だが死骨が甦る日、石が生命を回復する日、凡ての無生物が人間の蹂躙より解放せられる日に、一寸の壁を鑿つに千年かゝつた壁の人は、その平面の生活から抜け出て。天地の間に飛躍するのである。
 そうだ、壁の声を聞け、壁の声を! その上に投げつけられたマルチン・ルーテルのインキの跡と、ザー・ニコライの血痕が精となつて叫ぶ計りでは無い。智者達磨が残した視線の跡が、また壁の中から復活してくる計りでない。今日では壁自身すら飛躍して居るのだ。壁も解放の日を待つて居る。それで如何なる解放者でもそれに近づいて行けば、壁はその永く待つたその沈黙と、その忍従と、その縛られた過去の日の話を面白く物語つてくれるのである。
 万物は凡て解放の日を待つて居る。凡ての物質も飛び上る日を待つて居る。それで外殻と思索の迷路に囚れないものは、いつでも壁と凡ての無生物との同情を受けることが出来る。
 私は常にこんな心で壁の前に坐る。私が黙祷する時に壁も沈黙する。私が冥想する日に壁も冥想する。平面に立つた壁は私が実在と神に接する妨害には少しもならない。凡ての壁は私には透明である。実在である。生物である、壁は私には良き友人である。特に孤独の日の良き友である。  (一九二〇・四・一五)

エレミヤ連載中断

預言者エレミヤの連載は中断します。

2015-03-12

預言者エレミヤ9

  八 『新しい門』で

 埃及王ネク二世はユダヤ人に堪へ切れぬ程の重税を負せて帰って終ひましたが、エホヤキム王は悦んで之を毎年毎年支払ひました。それを、エレミヤは黙って居りませんでした。
 エレミヤは先づ第一、ネクニ世が近い中にアッシリア軍に大敗すると頂言いたしました。またその通りメクニ世はエホヤキム王の治世の四年、シリアのカルケミシの大合戦に脆くも大敗北を取ってエジプトの方へ惶てゝすっ込んでしまゐました。そして、その後二十年と云ふものはユダヤの方に見向きも致しませんでした。
 エレミヤの預言は之だけ確かで力がありました。それでも人々は信じてくれませんでした。それかと云ってエレミヤはそれで、預言を止める様な男ではありません。
 ホルダの預言を信ずれば、申命記に約末せられた刑罰は此王様位から始まると云ふのでした。エレミヤはぐずぐずしては居られません。凡ての人が悔改めるか? それで無ければ、国が亡びるか? こんな悲しい時に立って居るのであります。調度その時、神様からのお言葉がござりました。
 それでエレミヤはいつもの通りエルサレム神殿に参りまして、預言を始めました。
『みなさん、よくきゝなさい。もし汝等が改心なさるならば、神様は災をお下しなさらうとお考へになったこともお控へになるそうです。然し、改心が出来ないとあれば、神様は此宮をシロの如く、此都を世界の呪の的として滅ぼしなさるのだが、どうです』
 ところで今度はヨシア王の時とは大分時勢が違って居ります。こんなことを聞かされてぢっとして居る人は誰れも居りません。
『こん畜生! 生意気なことを吐(ぬか)す』と民も祭司も預言者も、凡そ自分は善い人間だと思って居る人間は誰れもかれもどやどやとエレミヤの身辺に駆け集り、
 甲『何を云った、も一度云ってみい!』
 乙「此宮がシロと同じやうに亡びる? 糞生意気な!」
 丙『何だって? エルサレムが狐の巣になる?』
群衆『やツつけてしまへ! やツつけツちまヘー』
群衆『生かして置くな!』
 と今にもエレミヤは殺されそうになりました。
 さあ大変だ! 神殿に大騒動が持ち上ったと王の御殿に注進が二人も三人も走ります。大臣方は『そらたゞごとではない』と袖を打ち連ねて神殿に御出ましになりまして『新しき門』で、直に事の次第を御取調べになると云ふことになりました。
 そこヘエレミヤは大勢に腕を捻じ廻されたり、頚筋を掴へられたりして出て参りました。群衆は唯理由もわからず、ワイワイとはやし立てました。然し、心あるものは皆眉を顰(ひそ)めて居りました。
 エレミヤは至極平気なもので大臣の前に出て身体が自由になったものですから、また群衆と大臣に向いて大演説を始めました。
『みなさん、私は神様から送られて、神様のお言葉を諸君にお伝へしてゐるだけであります。神様は諸君がもし今から悔い改めなさるならば此街をお罰しにならないで、お許しになると仰せられるのです。だからみなさんは神様のお言葉通りなさい。御覧の通り、私は諸君のなさるが儘になって居ります、此上も御随意にして下さい。然し、そこで御注意申上げたいのは諸君がもし誤って私を殺しなさると云ふやうなことがあっては無辜(つみなきもの)の血の報が諸君の身の上と此都とその住民の頭の上に来ますからそれを考へて置いて下さい。と云ふのは外でもありません。私は神の使としてこゝに立って居るのでありますから』
 此演説には群衆も大臣も力抜けが致しました。大勢の中には預言者祭司に聞こえよがしに、
『何だつまらぬ 此人は預言者じやないか?』と申す人もありました。
 そうして居る中に群衆の中から年老が二三人出て参りまして、静かに、半分は大臣に、半分は群衆に申訳するやうでもあり、辯護でもする様な句調で、
『昔ヘゼキア王の時にもミカと申します預言者がございまして、矢張この人と同じく今にも此都が亡びる様に申しましたが、ヘゼキア王は、みなさまも御存知の至って信心深いお方でおありなされたから、とうとう影にもそんな不吉なことを見ずにすみました。……だから、あんまり軽々しくこのやうな人を待遇(あしらは)ないのがほんとでございますな』
 と挨拶のやうなことを申して引下りました。然し、今度のことはこんな挨拶で済みそうもありませんでした。
 と云ふのはつい先頃ユダヤ、キリアテヤリム(一名ヘブロンと申しますユダヤでも名高い町)のウリヤと云ふ預言者が既に此流儀で一命を落して居るのであります。
 ウリヤは、エレミヤと同じくエルサレムの滅亡を預言したのでありましたが、それが非常にエホヤキム王の怒に触れ、ウリヤがエジプトまで逃げ延びたものを後から追手までやって、エルサレムに送り返させ、自ら斬罪に処せられて、屍を非人の墓に捨させなされたと云ふことがあるのです。今度とても、エホヤキム王に聞えるならば、それこそエレミヤも首が飛ぶにきまって居るのであります。
 ですから、この辺のことをよく呑み込んで居る宮中の高官でエレミヤの知人のシャパンの子アヒカムは、祭司預言者の怒をなだめ、まづまづ其場を静めてエレミヤひゐきの人々にエレミヤを渡し、エレミヤの一命を救ひました。(エレミヤ二六章)

預言者エレミヤ8

  七 ヨシア王の戦死

 その後十三年間、エレミヤは何をしたかは充分知れません。然し、祭司ハバクックや名望家のゼパニアなどと協力一致してヨシア王の宗教改革に奔走したことは確実であります。
 けれども埃及アッシリアの大戦争は益々迫って参りました。ヨシア王はアッシリア方でありますからエジプト王ネクニ世(聖書ではネコと出て居ります)のアッシリアに出掛やうと北の方へ進んでまゐりますのを途中で止めようと『神様が今度は行ってはならぬ』とお報らせなさるも聞かず、一合戦に花を咲かせやうと出陣いたしましたのが最後、哀れメギドの一戦に矢に射られて大痍を受け、エルサレムに還御まします道すがら、御崩御遊ばれたのであります。
 ユダヤ王朝ヨシア王まで十六代、人手にかゝって亡せられた方々も六人迄ありますが、ヨシア王の様に戦死遊ばされたのは唯一人でいらっしゃいます。
 そのためですか、また何の為めですか、もう国内はとりとめもつかぬ程の混雑で、人民の愁嘆と出せば言葉にもつくせぬ程でございました。迷信な人々はすぐ偶像をいぢり初めました。『どうやら、ヨシア王はアシタロテやバアルの罰があたったのだ』と申しまして。
 それに、ヨシア王も女に弱い処がおありなされたと見え、皇后とお妃の間に皇太子の位の争ひが有ったらしいのであります。で、どう云ふ理由かそこははっきり致しませぬが、兎に角、当時二十五におなりなさるエホヤキム王子は王様になれなくって、二歳下のエホヤハズ王子が位におつきなさると云ふことになったのであります。
 またそのエホヤハズと云はれる方が、信心の無いお方なものですから、エレミヤ初め信心深い人達の悲しみと云へばそれはそれは大したことでした。
 どう考へても、ヨシア王の死は惜しい。国運衰滅の兆だとしか考へられませぬ。涙脆い同情の厚いエレミヤはすぐ『哀歌』を作って、王の死を悼みました。そして国民もエレミヤと同感でございました。それで、此悲しい歌はすぐエルサレムに流行ました。
 処が、此悲しい哀歌のまだ失せない記憶の三月もたゝない中に、またパロ・ネクニ世がエルサレムにやって参りまして、エルサレムを目茶目茶にして王様を虜にし、年々エジプト税金二十万円近く納めよと(金で三万二千円即一タラント、銀で百タラント即十五万六千円、今日で申せば僅かの様ですが、当時ではなかなか大金でした)命令し、エホヤハズ王の変りにエホヤキム王子を立てゝ王様にして置いて、さっさと埃及へ引上げてしまゐました。
 之にはエルサレムの人々も泣くにも泣かれぬ程辛うござりました。
『ヨシア王が生きてゐて下されば』と云ふことは思はず皆の口から出ました。そこでエレミヤの哀歌は長年エルサレムに唱はれ、百何十年間流行った相であります。然し、之は唯今聖書に残って居ります、エルサレムの陥落を歌った哀歌とは違って居ります。然し、何れ、エレミヤのことですから腸を抉ぐる様な歌をつくったことでござりましやう。(歴代下三五章、列王下三三章)

予言者エレミヤ7

  六 ひとりぽっち

 一人でもお友達於欲しいと思つで居るこの淋しい迫害の時に、神
様はまた
『エレミヤよ、お前は、こゝで妻を娶ってはならない』と仰せられ
ました。
 勿論エレミヤは信仰の厚い青年でありましたから、之がつらい悲
しいとは申しませんでした。
 然しエレミヤも、もう血の湧き立つ三十近い青年です。それでな
いにしても預言者だとて妻を娶はれぬことはないのです。エレミヤの前の豪い預言者だとて皆妻を娶って居りました。イザyだってホゼヤだって、妻がありました。同じエレミヤの預言者名かなd¥にだって大抵は妻があります。
 で、エレミヤは、神様のお言葉には何か理由があるに違ゐないと思ったのであります。それで、之れを神様に御伺ひいたしました。
 神様はすぐお答へになりました。
『もう審判の日が近い。その時には親とか子とか新郎とか新婦とか云って居れない。皆、亡ぼされてしまうのだから』と。
 かうおきゝ申したエレミヤは、お尋ねがお祈に変り
「あゝその時の恃み、また逃れ場」と祈り出したのであります。
 そう祈って居る中にも、その恐ろしい終末の日の光景が眼の前に見えます。
『人の罪と云ふ罪はみんな見透され、神様が人の心の奥の底まで御覧なさる。そして調度漁師や猟人が鉱物を取る様に人間が漁ら
れ猟られて亡び失せる」』
 神様に此光景のおしめしを受けるとエレミヤはまた預言に出かけました。
 すると祭司のハパクックも王の血統をひいて居るゼパニアも自分がおしめしを受けたことゝ同じ様なことを預言して居るのであります。(ハバクック一・一五、ゼバニア三・八)
 それでエレミヤは益々己れに神様、がお黙示なされたことは真違が無いと信じました。

2015-03-11

予言者エレミヤ6

  五 中命記の発見

 エレミヤが預言を初めてから六年目にヨシア王の治世の一大事件が起りました。それは宮の中で、祭司の長ヒルギアが、神様からモーセが授かりました申命記と申します書物を宮の修繕をいたして居ります時に見付け出したことでござります。
 此本は実に世界でも一番古い民法でありまして、それはそれは尊ひまた面白い珍らしい本でござります。個条から中しますと五十条計りのことを書いてありますが、神様にお仕へ申す方法から、喧嘩の仲裁のことまで書いてあると云ふ妙な本であります。
 然し此本の尊い本だと申しますのは此本の通りユダヤ国で実行されて居りますれば、今日の浮目は見無かったと云ふ事であります。然し悪が勝てば善が隠れる。この誠に善い法律の本も、ユダヤの国民が堕落いたしますと共にいつとはなし神殿の奥の反古箱にねじこまれてしまったのであります。それが今度の大工事に見付かった。調度七百年もねじこまれていたのであります。信心深いヨシア王の驚きはどうでしたらう。
 王はすぐ御命令をお出しになりました。『国民は此通り直に実行せよ』と。それ計りじゃありません。猶委しい深い意味が此本にあるのではあるまいかと、当時エルサレムで評判の女預言者、実はエレミヤの義理の叔母にあたるホルダと中します者の所へ神様にお尋ねしてくれと使をたてゝ問はせにやりました。
 と申しますのは、中命記のところどころ、国民がもし此法律を守らないならば、神様が罰をおあてなさると云ふ様なことを書いてあるのであります。処がユダヤでは殆ど何百年と云ふものは此法律を一つも守って居らないのでありますからそれがどうも心配になってならないのであります。
 さて ホルダは神様にお伺ひ申した結果どう答へましたか、
『申命記に言いてある通り罰がある。然し、ヨシア王は此法律を見て心より悔ゐて居るから、その治めて居る世だけは災厄を見ずにすむ』
と預言いたしました。
 之を聴いて王様は一安心いたしました。然しすぐ、ユダヤエルサレムの役人達を皆神殿にお集めになりまして、此法律を読みきかせ猶改めて之を准守る様にお誓せになりました。エレミヤもその集会に出席いたして居りました。すると神様からお言葉がかゝりました。
『エレミヤよ、この契約はわれが汝等の先祖をエジプトから救ひ出した時に命令(いいつけ)たものだ、その時、我は汝らの先祖に此通り守るならば、汝らに乳と蜜の流るヽ地を与へ汝らは我民となり我は汝等の神となると約束したものだ。そして現在汝等は、その約束の土地に居る……』
 かう神様が仰せられた時、エレミヤは『アーメン』(その通りで御座ります)と申しました。
『……それで、エレミヤよエルサレムの住民に云へ。汝等は皆此契約の言に言かれてある通り実行するが善い。然し今日迄何百年此契約を守れと云ってきかせたが、未だに守ったことが無い。で、もう罰をあてるより仕方がない。が、そうなると。たとへ町に一つづゝの偶像があってもその災厄を喰止ることは出来ない』と。
 エレミヤは、かうお聞き申しますとすぐおきゝ申した通り街に出て預言いたしました。
 処が之を聴いた人々。悔改めるどころか反って怒り出しました。殊に郷里アナトテ村の人々の怒ったことゝ云ったら話になりませぬ。『エレミヤを殺してしまへ、あれや村の耻だ、村の屑だ』とエレミヤを追ひ廻しました。エレミヤは余りの悲しさに神様にお祈いたしました。
『神様、どうぞ私の仇を打って下さい』
 神様はすぐお答へになりました。
『よし。よし、アナトテの人々はおまへにエホバの名で預言してはならぬと云ふから、我はあの村を今に罰する。壮丁は剣で、子女は飢饉で、残る者は一人も無い様に亡ぼしてしまう』と

予言者エレミヤ5

  四 門前の説教

 サイシャンの襲来のあった後、間もなく或年の秋のことであります。エレミヤはまた罪と偶像に充ち充ちた国の前途を思ふて、神殿の門に立ちました。そして神様に教へられた通り預言しました。
ユダヤの凡ての人よ、行を改め偶像を捨てそして全能の神に帰れ審判の日が近いから』と。エレミヤはまた神殿を指さして申しました。
『お前等は此宮にもバアルの宮にも両方参り、それでも神様が聞いて下さると思ひ、仕たい放題のことをしてゐて、まだ神様がきいて下さると思ふて居る。だから、神様が仰せられる。
 われ此宮をシロ(初めてユダヤ人が神様の御殿をたてたところ)の如く亡ぼし、あのベンヒノムの谷の崇邱(バマ)で子女を火に焚いてモロックに捧げ、恐ろしい偶像礼拝をして、少しも恥ない人だもの屍は、空の烏と地の獣に食はしてしまはう。その時には此エルサレムは荒地になるのよ』と。
 エレミヤは神様のおことばをつゞけて申しました。
『空の鶴は、その定期を知り、斑鳩と燕と雁はその定めの時を知ってゐる。それに神の民と云はれるユダヤ人は神様の法律を知らない。預言者はいつはりを預言し祭司は人々を欺き、罪の中に安心があらう筈も無いに、安心、安心と人を騙(だま)かす、だからわれ(神様)は騙のきかない。審判を北から近づけよう』と。
 エレミヤはかう預言はいたしましたものゝ実はつらう御座ります。だって、エレミヤもユダヤ人のひとり、エルサレムに住む一人なのですから、然しまた自分と云ふことを離れ神様の御声に耳を傾けますと、神様はやはり『審判! 審判!』と仰せられます。
 で、エレミヤは猶つゞけて預言いたしました。
『汝等よく考へて哭き婦を呼べ、彼等は上手に泣いて、すぐ汝等の足る程泣かしてくれる。それで無ければ、女に泣くお稽古をさせるか、お隣に哀歌を教へるがよい。死は家の窓から這入って殿舎に忍び入り、外にある諸子みお、壮年も皆殺され誰一人息している者がないまでも滅されてしまうのだ……その日が北の方から来る』と。
 こんな気味の悪い預言が勿論受けられる筈がありませぬ、エレミヤはすごすご家に帰ってまゐりました。
 エレミヤは家に帰ったが最後もう悲しくて悲しくて仕方がありません。ありったけの涙を絞り出して泣いたのであります。たとひ頭はすっくり涙の嚢となり、眼が涙の泉となってもまだ足らぬと思ひました。眼の前に国の亡びる最後の光景がありあり見えます。

  嗚吁われ憂ふ

  いかにして慰籍を得んや
  我衷の心悩む

  みよ遠き国より我民の女の声ありて云ふ
  エホバはシオンにいまさざるか?
  その王は、その中に在さざるかと……

  (エホバ云ひ給ふ
  彼等は何故にその偶像と
  異邦の虚き物をもて我を怒らせしや?)

  収穫の時は過ぎ、夏も早や畢りぬ。
  されど、我等はいまだ救はれず我民の女の傷によりて
  我も傷み且悲しむ、恐懼我に迫れり

  ギレアデに乳香あるにあらずや
  彼処に医者あるにあらずや
  いかにして我民の女は癒されざるや

 かうエレミヤは歌つてみてもまだ足りませんでした。エレミヤはもう神様に背いて預言者もやめ、山の中へでも這入らうかと思ふ位ゐまで考へ詰めました。それからまた考はもつれもつれて、社会の不人情から自分のつまらぬことなど、遣る瀬なく殆ど日も足らず泣きつゞけたのであります。(エレミヤ七、八、九、十章)

予言者エレミヤ4

  三 匈奴(サイシャン)来る!

 それでも反響はありました。と云ふのは王はどしどし世の評判などにおかまいなく、偶偶を破壊する。国民も悪いと感付いたのです。それで続々悔ひ改めるものも起ってまいりました。それらの人々は之れまでの習慣に従ふて、山の頂で懺悔祈祷会を開きました。その祈の声がよくエルサレムに聞える。之では神様もイスラエルをお赦しなさるとエレミヤは思ったでありましょう。又神様も此時エレミヤに
『われは村より一人宛、支派より二人づゝを撰んでシオン(神の宮の立って居る山)につれて行って善い牧者をつける。国は昔の如く盛え法律も無用な黄金時代を来させ、其時エルサレムは世界の中心となって、悪人などは一人も住まぬ都が出来る。其時には百二十年前にアッシリア捕虜となって行った北王国のイスラエル人も皆帰ってきて一諸に住むのだ』とこうお告げになったのであります。
 然し、突然こゝに神様からお告げがありました。
ユダヤ王国の罪はどうも罰なしにはすまされないで、北から、嘗(いまま)でシリアの人々が言某も聞いたことの無い匈奴(サイシャン)と云ふ民族を呼びよせて暫時の間此国を罰する』と。
 エレミヤはそうお聞き申しただけで震ひ上りました。あの匈奴! 支那から印度、それからヨーロッパまでかけて。唯もう荒れに荒れる匈奴
 之にはエレミヤも神様が無理だと考へました。それで国民になり代って、一生懸命に神様にお祈しました。
『どうぞ神様お許し下さい』と、
 然し、神様はなかなかお聞き下さらない、マナセ、ヨシアの二代前の王様の犯した罪の為めに許すことは出来ないと仰せられる。
『それでは神様は嘘付きだ、先にあれだけエルサレムを幸福にすると云はれて』
 とエレミヤは畏れ多くも神様をとっかまへて腕まくりしましたが駄目です。
 けれどもエレミヤはこうして、神様と度重ねてお交りする中に、だんだん目を開いてきました。矢張り神様にごむりは無い。貴人も、預言者も、祭司もまだ少しも心から改心して居らない。女は女で妙なハイカラ振りを見せて、眼を大きく見せよう、瞼毛の長いのを自慢しようと墨で眼瞼にヘリを取って町をねり歩く。それを男が追っかける。そうかと思ふと一方では高利貸が貧乏人を追ひ立てゝいる。学問のあるものは無神諭を唱へて、エホバの宮の立っている此エルサレムで、エホバなんかそんな眼に見えぬものがあるものかと威張って云ふ。エレミヤは之では矢張り神様のお審判を受けるより外は無いと思ひました。それ、でもこの立派な己の国の都が匈奴の如き野蛮な民族に踏み躙られるとは、如何にも嘆かはしい。そうかと云って、国民はエレミヤの預言を聞いて改心してくれるじゃなし。廿歳過ぎの涙の多いエレミヤは今神と国民の間に狭まって腸を沸へかやして号泣(ない)たのであります。

  アヽ腸(はらわた)よ、我腸よ。
  痛苦心の底に及び、わが胸轟く
  われ黙しがたし、我魂よ
  汝、ラッパの声と軍の鬨(とき)をきくなり。

  敗滅に敗滅のしらせあり
  この地は皆荒され
  わが幕屋は頃刻(しばらくのま)に破られ
  わが幕は忽ち破られたり。

  それ我民は愚かにして、我を識らず
  ●(てへんに畠)き子等にして暁ることなし
  彼等は、悪を行ふに智けれども
  善を行ふ事を知らず。
  われ地を見るに形なくして空しく
  天を仰ぐに、そこに光なし
  われ山を見るに皆震へ
  また諸の丘も動けり

  われ見るに人あることなし空の烏も皆とびされり
  われ見るに肥美なる地は沙漠となり
  かつその諸の邑は、エホバの前に
  その烈しき怒の前に毀れたり。

 こう彼は歌って唯陰鬱になって一人物思ひに沈んだのであります。その時に、神様は仰せられました。
『エレミヤよ、おまへが、そんなにエルサレムのことを思ふなら一人の聖人を此大きい市中で探し出しておいで、そうすればわれは此都を赦すから』と仰せられました。
 エルサレムにはたった一人の聖人が探しあたりませんでした。エレミヤはその次第を申し上げました。そこで神様は仰せられました。
『それだから、我は我言を火とし、此民を薪として、焚つくしてしもうのだ』と、
 今は、エルサレムも神様に見はなされてしまいました。エルサレムの敵は神様と云ふことになったのであります。蒼惶(そうくわう)している中に匈奴はやってまゐりました。
『そらどこそこまで来たぞ』『明日はどこを焚くのだそうな』など云ふ噂も市場できくのであります。エレミヤはもう一生懸命です。{これでもエルサレムに一人の善人があったら、神様がこらへて下さるのだ、大人は聞いてくれない。子供をつかまへてでも説教しよう』と云ふ気になりました。
 それでエレミヤは唯一人物笑ひになって町の鼻紙小僧の群に説教いたしました。
 然し、それも効能がありませんでした。エルサレムはとうとう無惨にもサイシャンに掠奪されました。(エレミヤ三・六―四、五、六章)

2015-03-10

予言者エレミヤ3

  二 春の雨が降らない

 降るはづの春の雨がひでりつゞきで、こまりあぐんだあと(ユダヤでは一年に十一月頃と二三月頃に二度雨季がありまして、十一月頃のを前の雨と申し、二三月頃のを春の雨或は後の雨と申します)
 神様がおほせられますには、
『エレミヤよ、村から出て、都エルサレムに行き、町の人々に告げよ。エホバはかく仰せられたと』
 エレミヤはすぐ市にまゐりました。そして街の人通りの多い処で辻説教をいたしました。
 エレミヤは先づ、神様は決して、ユダヤ国を忘れて居らしやらぬと云ふことから、それにひきかへ、イスラエルユダヤ人のこと)が神様の御恩になれて、真の神エホバをそっちのけにし、バアル(お日様を本尊にした偶像)を拝み、つまらない真似をすると国民の罪をせめ、それから……
『………だから、神様はどこまでも人間と是非曲直をお争ひにならうと仰せられるのだ。馬鹿なことだ、どこか世界に自分の拝んでゐる神様と、普通の品物と取り換へッこした国民があるであらうか、あの偶像国のギリシヤに行ったって、そんなことはありやしない。――あゝ、そんなことはない。天も驚け、地も慄へ、こんなつまらぬ国民がまたとどこにあらう?』
 かう、エレミヤが張りつめたうら若い悲しそうな声で叫んでゐた時に、大勢の人々はどう聴いたでありましょう。皆へんな眼付をしたでしょう。『此小僧何を云ふんだい』と或者は呟いたでしょう。或人は『往来を妨害する!』と怒ったでしょう。或人は『乞食預言者の子供が食ひはづして一儲けしようとしているのだな』位い思ふたでしょう。
 然し、エレミヤは、ちっとも聴衆を恐れませんでした。耻しそうなその眼なざしに、赤心こめた生血をほとばしらせ、輝いたその頬ぺたに、林檎の様な色を含ませ思ひに導かるゝまゝつゞけました。
 乾魃から聯想(おもひつい)て、
『此国民は二つの悪いことをして居る。一方では神様と云ふ活ける水の源を捨て、他方では水持ちもしない水溜を堀る。これでは困るのはあたりまへだ。
 あゝ罰だ罰だ。国民は捕虜になり地は獅子に荒され、諸邑は焼かれ、住む人とては一人も無い様になるのだ。そんな恐ろしい罰を神様がおあてなさると云ふに此民はまだ改心しようとも云はず、うろうろして、アッシリヤにつかうか、エジプトにつかうかと人間の力を借りること計り心配してゐる。こんな民はたとひ、ソーダに灰汁をまぜて心の洗濯したって穢は取られやしない。
 それでいて、まだ偶像には仕へぬ積で居るのだからおかしい。あのヒンノムの谷は何だ。モロックに捧た赤坊の死骸でざらざらしているじゃないか。
 しかし、可哀想なものだ。まるで沙原に迷た牝駱駝だ。欲にまかして、風の吹いて行くようにあっちこっちと漂泊ふてゆく。またそうかと思ふときりきり舞ひをして、一月もすれば帰ってくる。苦労せぬ中に用心して居れと云ってもきかない。いや矢張り外国の拝んでいる偶像がよいと云ふ。
 然し、罰は必度うけねばならぬ。泥棒が掴った時にうける様な辱をイスラエルはうけるのだ。王も、大名も、祭司も、預言者も、皆そうだ。
 その時になって、村々にある鎮守へ行って、頼むかどうだらう? いやそうじゃ無い。そんな時には、またエホバに泣きついてくる。やれ、父なる神よとか、何だとかかんだとか、困った時に偶像にたのめばよいじゃ無いか? 偶像の方が数が多いのだから。ほんとに仕方が無い。だから神様は、此国民を之れまで度々とお懲らせになったのだが、きかない』――エレミヤは益々激してまゐりました。
『吁、此世の人よ、神は、汝等の曠野であらうか、暗であらうか、何故もう神に帰らぬと汝等は云ふか? 乙女は自分の飾物を忘れることがあらうか? 花嫁は帯を忘れようか? そんなことはないよ。しかし、汝等の神を忘れた日数はかぞへきれない』
 若い預言者はまた句調をかへ
『女の為めなら汝等は随分犠牲を払ふが、汝等は、神様の為めに、どれだけの犠牲を払ふたか? 汝等は知って居られるか。汝等の裾に血がついて居るのを? 泥棒の忍び込んだ穴にだってそんな血はついてはゐない。それは教へてあげよう、貧乏人の血だ、これでもまだ、汝等は「己たちには罪がない」と云ふね。だから。神様が仰せられるのだ。「どこまでも争はう]と』
 エレミヤの眼は急に柔和になりました。その声はまた沈んで参りました。そして如何にも神様が、我々を愛して下さっていらしゃると云ふ様な句調で
『世の中に「逃げた妻を呼び返へすな、その地が穢れる」と昔から云ふ、イスラエルは偶像と姦淫して真の神様を捨てた。しかし、それでも神様は帰れとおゝせられるのだ』
 然し、エレミヤは最後にもう堪え切れぬと云ふ身振をして、ぐるりの山々を見廻し、
『汝等、目を見張ってぐるりの童山を見よ、どこに偶像のない処があるか? 之だから、神様は春の雨をお降らしなさらなくって、罰をおあてなすったのだ。それにも懲りず、穢はしい女にうつゝをぬかす。あゝ此民は仕方が無い』と叫んで説教をやめました。
 之が預言の初陣。繰返しも幾度となくいたしました、人にはわかり兼ねる様な感嘆詞も多く入れました。
 然し、一つ! 人の面は少しも恐れず神様の教へて下さった通り述べました。
 之が人々の耳に這入ましたらうか? 実はこんな青二才から、こんなことを聞かされてびっくりしたでありましょう。この頃よりざっと百二十年前アッシリア王シヤルマネセルが北隣のイスラエル王国を亡ぼしてからと云ふものは、ユダヤ国はたゞもうエジプトアッシリアの二強国に挿さまれて朝晩の二国の衝突にもうもう暉が来て、出る王様も出る王様も天地の創造主など忘れてしまい、それは恐ろしい政治をしたものです。それに今度の若王様が先代と引換へて、第一、宗教から取り締ると云ふ具合な処へ、珍らしい若預言者が出たものですから人々は唯目を丸くして、これはまたどうなることかと見て居たでありましょう。(エレミヤニ章――三・六)