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2015-02-23

海豹の56 永遠への通過

  永遠への通過

 マリ子が火焔の中から救出したために、線香の火ほども火傷してゐない棄児の百合子を託かった産婆さんの小泉文子が傍に坐ってゐたが、ハンカチを出して。マリ子の両眼から涙を拭ひ取った。父の中将はマリ子の言葉が終るや、
『マリ子よ、弱いこといはないで元気を出してくれよ。元気を出して! 元気出して!』
 と激励した。小泉文子の注意で、勇はまたスプーンで、マリ子の口の中へ水を少し注ぎ込んだ。マリ子はそれを舌鼓して飲んだ。そして、小さい声で勇にいうた。
『讃美歌、うたって頂戴』
 それで、勇はマリ子がよくお炊事しながら歌ってゐた、愛吟の讃美歌五百五十番を、ゆっくり、そこにゐた青年達と一締に歌った。
   『うき世の嘆きも
   こゝろにとめじ
   とこ世の楽しみ
   身にこそみつれ
   みそらにきこゆる
   たへなるうたに
   あはせてわれらも
   うたはざらめや』
 みんなが歌ってゐる間も、勇は、マリ子の脈が気になったので、左手で讃美歌を持ち、右手でマリ子の脈をとってゐた。西川中将も、やはり脈が気になったと見えて、両手で娘の腕を握ってゐた。
   『うき世の栄は
   きえなば消えね
   まことのさかえは
   主にこそあれや
   やみよにあふとも
   主ともにまして
   みうたをたまへば
   うたはざらめや』
 二節を歌ふと、今まで消えてゐた脈が力強く盛返して来た。そして、マリ子は両眼を大きく開いていうた。
『あゝ、いゝ歌ね、天国へ行ってこの歌をうたはう!』
 さういうて彼女はまた眼を閉ぢだ。それで勇と彼女にいつも讃美歌を教へてもらってゐた斯波や青木や仁田、土肥、伊東などの青年は、静かに三節を歌うた。
  『御空を仰げば
   浮世の雲は
   日に日にきえゆき
   きりはたはれぬ
   ゆくてにかゞやく
   とこ世の光
   みとめしわれらは
   うたはざらめや』
 歌が済むと、今まで強かった脈が急に三秒も四秒も結滞した。そして、また三つ四つ搏つといふやうな乱れたものになってしまった。勇は、心の中で一生懸命に神に祈ってゐた。マリ子の父は瞬きもせず娘の顔を見つめてゐた。やがてマリ子は、またぱっちり、澄み切った彼女の両眼を開き、父の顔を見つめていうた。
『お父様、長らくお世話になりました。私はこれからお母様の処へ行ってきます』
 さういってまた彼女の視線を勇の方に向けて、銀鈴のやうな美しい小さい声で勇にいうた。
『勇さん、ありがたう、また天国でお会ひしませうね』
 さういうて彼女は静かに両眼を閉ぢたが、それから脈は全く触れなくなった。然し、呼吸はまだ続いてゐた。それで、勇は、医者さへ来ればまだ大丈夫だと一縷の望を繋いでゐた。
『医者はまだ来ませんか?』
 斯波を顧みて勇は尋ねた。
『まだなんですよ……ほんとに遅いなア。こんな時に医者が村にゐないっていふことはほんとに困るなア』
 さう斯波が答へて間もなく、マリ子は大きな息を自然と吹き出して、頸の骨ががくりと下に落ちた。勇は、あまりマリ子の振動が激しかったのでびっくりした。
 その時、小泉文子はひとり言のやうにいうた。
『あゝあ、医者が間に合はなかった……然し、立派な往生ですね』
 といひながらハンカチでそっと、頬を流れる涙を拭いた。

  陸地に用事のない男

 天も悲しんだか、マリ子の告別式の日には、前日から降り出した雨がなほ降り続いた。父は告別式東京の青山斎場でするといったけれども、村長はそれをきかなかった。
『どうか我々の手で村葬にさして下さい』
 と、棺を小学校の講堂に運び、そこで告別式を行ふことにした。そして、三島から浮田牧師を招いて、告別説教をして貰った。式が終った。雨の晴れた間に棺は高台に運ばれた。そこは富士を正面に見上げ、駿河湾を真下に見下した景色のいゝ所であった。村の青年は勿論のこと、老いたるも幼きもみんな白木綿で作った棺綱をとって、棺をそこまで運ぶのであった。その中で特に目をひいたのは、いつもマリ子の世話になってゐた、十六人の保育所の子供が、棺綱を引く先頭を承ってゐたことであった。
 埋葬が済んで、再び勇や西田中将が、斯波勝三の宅に引上げた時、中将は勇の手を握って太い声でいうた。
『勇君! 娘は死んではゐないですよ。マリ子の霊は永遠に生きてゐますよ。我々も彼女が一生懸命にやらうとしてゐたことを、一つ力を協せてやらうぢゃありませんか!・ ねえ。私もこれから若返って大いにやりますから』
 さういった老提督の二つの眼には涙が光り二つの頬には微笑が漂ってゐた。それで村上勇も軽く微笑んで老提督にいうた。
『私もマリ子が死んでゐるとは思ひません。マリ子の霊は、永久に我々の進路を守ってくれると思ひます。然し、私は彼女と別れた以上、もう陸地には用事はありませんですし、幸ひ、家も焼けてしまひ、坊やも天国に送ってしまひましたから私はまた心おきなく海に帰ります!』

  海流のまにまに

 それから二目目に、マリ子と愛児海南の髪の毛を、メーン・マストの下に船玉として入れた海南丸は、村上勇を船長としで、南洋に向って駿河湾富ノ浦の海浜を離れた。乗組員は、勇と一緒に刑務所に這入った七人の他になお五名を加へて合計十二名であった。彼等に小笠原列島から南に南に下って、マーシャル群島から更にポナペ島までつき貫き、貿易風を利用して、次の年の春の四月頃日本に一旦帰った。彼等はその航海によって、一人あたり約千円づつの分配をすることが出来た。それは彼等が主として風力を利用して、南洋漁業に従事したからであった。彼等はまた第二回目の遠洋航海に出かけた。
 その時も村上勇は巧みに逆貿易風を利用して大いに成功した。然し、今年の秋、彼等が第三次の壮図について間もなく、突然起った颱風にやられたらしく、最近の新聞にはこんなことが三面記事として掲載されてゐた――

   海南丸の救助筒に
      綴られた悲壮な文字
         気遣はれる十二名

館山発)十月二十二日午後六時銚子沖に出漁中の宮城県発動機漁船松島丸から館山水産試験場にあて左記急転があった。
 本日午後二時半東経百五十三度三十分、北緯三十六度二十分(銚子市八百マイル)の海区で漂流してゐた救助筒を拾得したが、それには『本船は駿河湾富ノ浦の海南丸(十九トン・九)にして十月十四日下田港東四百六十マイル附近にて鮪漁に従事中暴風に遭ひ、マスト二木折れ機関に故障を生じ、本日(十九日)まで六日間死力を尽して修理につとめたるも遂に修理不能にて効果なく、本日この救助筒二個を流す、何人にかこの救助筒を拾はるゝことあらは我等の運命は未だ尽きざるなり。至急救助を待つ。この位置は東経百五十三度四十分、北緯三十八度(金華山東八百マイル)時に午前九時、海流の方向は南々東に一昼夜二十五マイル流れ居る模様。だゞ今の天候は西北西の風八メートル内外、曇天』
 と悲壮なる文面が認めてあった。救助のため直ちに漂流地点に向け急航してゐる。
 駿河湾の富ノ浦では村民がみな心配してゐるけれども、未だに、海南丸が救助せられた消息に接してゐない。

海豹の55 海女の子等

  海女の子等

   海に生れて    海に逝く
   海女の子供は   今日もまた
   ひねもす舟の   ゆりかごに
   ゆられゆられて  なみの上
 勇と六人の同志は、毎日こんな歌をうたひながら少し波のある口にも斯波はてんぐさ採りに出掛けた。六日目の昼飯時であった。
『村上さん、もう飽きましたか、てんぐさ採りは?』と、船の上から山上が尋ねた。
『飽くどころか、海の底が好きになったよ。潜ることは実に愉快だね、僕は大いに教へられたね、魚の心理が解ったやうな気がするよ』
『さうですか、そりゃ面白いですなア』
 青木は、アルミの弁当箱を船板の上に置いてさういった。
『僕は鯨か海豹になりたくなったね』
 さういったことがきっかけになって、山上は、『捕鯨事業は有望か?』といふことを村上に質問した。
 それで村上勇は、海の利用のうちで、鯨を飼育することが、食糧問題を解決する上に最も早道だといふことを話した。彼は詳細に紀州勝浦で聞いた潮岬捕鯨事業をみんなに話し、黒潮の打寄せる波に揺られながら話をつどけた。六人の青年は勇の顔を覗き込んだ。
『君等も知ってるだらうが、鯨とりは先づ子どもを射って、それから母親を捕へ、最後に父親をとるんだよ。鯨っていふ奴は、実に愛情の深い奴で、雌雄が交尾すると、一年後に同じ雄と雌が、ある場所に集り、子どもを生む湾を見付けて、雌がその中に入り、雄が入江の口を守って、鯱(しゃち)の来るのを防ぐんださうな。さうして子が生れると夫婦が揃うて、子供を間に挾んで泳ぐ稽古をさせ、三十日位経ってやっと子鯨が泳げるやうになると、雌雄が離ればなれになるのださうな。明治四十年頃までノールウェー人が潮岬銚子あたりにやって来て、どんどん一日に何十頭って掴へたんだってね。かうした濫獲の結果、もう鯨は日本人に珍しい動物になってしまったやうだね、実に残念なことだが、これはどうしても国際的に保護しなければならぬと思ふよ』
 それから勇はトロール船が支那海を荒した話を続けて青年に物詔った。
『全く、宇宙に対する冒涜だね、食ひもしない魚をどんどん取殺して。あとを絶滅するやうなことをトロール船がするんだからね、あれは全くどうかしなくちゃいかんね。機船底引の問題も全く同一だよ。僕が見て廻った全国の漁業地で、機船底引網で困ってゐない村といへば、それを禁止してゐる神奈川県位のものだらうね。殊に日本海の沿岸はもう機船底引網で荒し尽して、露領に行かなければ魚は居らんらしいな。然し、露領に行くとまたとても、うじょうじょする程居るらしいぜ。殊に底魚などは曾て人間に掴った経験がないものだから、馬鹿に肥って味も劣るさうだよ。しかし、そこまでゆくと漁師も罪が深いね……今に見てゐ給へ、鮪がだんだん少くなるから! 鰹がもう余程少くなって、焼津の漁師などは五百哩、千哩と沖へ出て、鰹をとってゐるだらう。もう鰹がだんだん日本の海岸線を見棄ててしまったらしいな。僕は鮪もおっつけさうなると思ふよ。
 それから青年達は、朝鮮近海の漁業の話、九州各地の網の話、また鯛の養殖愛媛県、平城湾あたりで、大規模に出来る可能性のあることなどを勇に聞いた。
 秋の太陽は船の真上からぽかぽか照らし付け、暖かい潮が安山岩でできた奇怪な岸辺をなめた。あまり気持がいゝので、勇は笑ひながら話を続けた。
『……潮の干満の差の最も甚だしいのは朝鮮の西部海岸と、九州西海岸だらうね、九州島原から有明湾にかけて、干満の差が平均十八尺あるといふから凄いよ。あしこは、地球を東へ流れる潮を朝鮮九州が堰(せ)くらしいね。だから、有明湾から島原へかけて、「すくひ」といふ面白い漁業法があるよ。それはね、海岸に大きな石で突堤を――何町も何十町も四段なり五段なり仕切って作って置くのさ。潮に添うてやってきた鯔や、ちぬのやうなものが、突堤の内側に来て遊んでゐるうちに、潮の引いてゐるのを忘れて、潮が全部干いた時には突堤のために逃げられなくなり、時によると三万尾、四万尾と、鯔が一つのすくひに引懸かることがあるさうな』
 大勢の者はそれを聞いてどっと笑った。
『然し、あんまり魚のことを笑へんぜ。人間もみんな悪魔のすくひ(ヽヽヽ)に引懸かるんだからね』
 勇がさう附け加へると六人の青年はドッとふき出した。
 雨と暴風雨の日のほかは、毎日かうした愉快な『てんぐさ』採りが続いた。然し。こゝに困ったことが出来た。それはてんぐさで製造した寒天を最も多く買ふ支那が、日本に対してボイコットを断行したために、てんぐさの値段が暴落したことであった。それで、折角苦心して、一月ほどのうちに四百円ばかりの金を作り、その金で南洋まで行きたいと思ってゐた目算が、がらりと引繰返ってしまった。

  急がれる砂路

『おい、火事だ!』
 表をさういって誰かが南へ走った。
『また火事かね』
 といひながら豆腐屋のおぢいさんは、ゆっくり切った豆腐を味噌漉に入れてマリ子に渡した。マリ子が表に出た時には。村の大勢の者が南へく走ってゐた。見ると、どうも、また釣り道具を売ってゐる仁田商店が燃えてゐるらしかつたので、マリ子は、慌てて、浜から自分の家に飛んで帰った。そんな時に限って、いつも近いと思ふ四、五町の道がとても長かった。砂地に足駄が食ひ込み、後退りばかりして早く走れなかった。その日は月の十五日で保育所は休みであったが、たゞ奥の間に寝かしてあった赤ん坊の百合子が気になった。やっと自分の家に近付くと、近所の者は夢中になって自分の家の荷物ばかり運び出してゐた。みんな血眼になって人のことなど考へる者は誰もなかった。焔はどっと空中に舞上った。喚声が上った。隣に延焼したらしい。マリ子が自分の家にはいった時には裏は全く火の海であった。そして赤ん坊の寝てゐる部屋の障子がぼんく燃えてゐた。
『赤ん坊を援けて下さい!』
 さう呼びながら、マリ子は奥座敷に飛込んで行った。火は天井裏に廻り、畳が黒焦げになって、赤ん坊の布団に燃え移ってゐた。然し、幸ひにも赤ん坊の頭の方は空気が澄んでゐた。今延焼したばかりだったのだ。そこヘマリ子は飛込んだ。そして布団をひきまくり、赤ん坊を抱きとって逃出さうとした。然し、拍子悪く、赤ん坊を巻いて居ったねんねこ絆纏の周囲にあった兵古帯をみづから踏んで、立上った瞬間にまた倒れてしまった。
『あゝ、しまったわ! これで、私も黒焦げになる!』
 さうマリ子の思った瞬間に、焼け落ちた障子の桟が、マリ子の袂の上に落ちかゝって来た。
『なに!』
 と思って赤ん坊を抱いたまゝ、黒煙の中を潜って、マリ子は表の間に逼ひ出したが着物がぼんぼん燃えるので。赤ん坊を表に投げ出し、慌しく着物を脱ぎ所々焼けた襦袢一枚になり、泣き叫ぶ赤ん坊をまた拾って浜に出た。そこへ青年団の斯波が駆けっけた。
『おや! 奥さん、あなたの髪の毛が燃えてゐる!』
 さういって彼は、すばしこくマリ子の髪の毛の火を、消し止めてくれた。然し、その時マリ子は、下半身全体に火傷してゐた。斯波はすぐ自分の着てゐた着物をマリ子に着せ、五町ばかり離れた自分の家に彼女を担ぎ込んだ。
 火事はとうとうマリ子の家の他六戸を全焼してしまった。そして、午前十一時半やっと鎮火した。その日朝早く、田子まで『てんぐさ』を採りに行った勇に至急知らせようと、山上が快速力の発動機船を仕立って飛んで行った。また斯波勝三の計らひで、青木は自動車に乗って、沼津から医者を呼んで来ることにした。斯波の表座敷に寝かされたマリ子は、
『身体がぴりぴりして痛い』
 と訴へたほかは、別にどこといふ異状はなかった。いつも世話してゐる子供の母親達が集ってきて、からだに醤油を塗ってくれたり、メンソレータムを塗ってくれたりしたけれども、呼吸は益々困難になるばかりであった。約四十分位して、沼津から医学博士の赤木関三が自動車で飛んできた。そして様子を見て、頭を一方に傾け乍ら、硼酸軟膏を手といはず足といはず、下腹部から頭の周囲にまで塗りつけた。そして、ついてきた看護婦が、殆どマリ子の身体全体を繃帯してしまった。
 赤木博士は、斯波を表に呼び出して小声にいうた。
『君、あの患者、危いよ! 今夜もう持たんかも知れないよ。皮膚といふものはね。身体全体の三分の一焼くと駄目なものだよ、あの人は二分の一焼いてゐるからね、残念ながら助からないね』
 さういはれた時に、斯波はぽろぽろと大きな涙を雫を両眼からこぼした。
『だからね、あの人の親類の人には、皆電報を打って呼寄せるやうにし給ヘ! 急激な変化があるかも知れないから』
 青木はまた電信局へ走って、逗子にゐるマリ子の父に報らせた。

  海を護るもの

 やっとのことでその日の午後四時頃、田子に行ってゐたマリ子の夫、村上勇が帰ってきた。彼は斯波の家に着くなり座敷の上に飛上って行った。そして、マリ子の両手をを握り〆めて、彼女の頬ぺたに接吻した。さうしてゐる処へ、マリ子の父の西田海軍中将海軍服を着て這人ってきた。勇は敬々しく畳の上に両手をついて彼に最敬礼をした。すると、西田洵軍中将も今日は非常に叮嚀な挨拶をした。
『もう少し早く来なくちゃならなかったのですが、つい外出して居りまして、遅れて済みませんでした。容態はどうなんですかね?』
 それで斯波は、
『お医者様は少し心配になるといはれるのです』
 とはっきりいうた。皆に挨拶を済ませた後、西田中将は自分の娘の方に向き直って。彼女の右手を両于で握り、
『マリ子! 困ったことになったね。然し、早く治したいね』
 と冷静にいうた。その時、マリ子は非常に呼吸が困難らしかったが、
『水、ください! お水、下さい!』
 と小さい声でいうた。そして、勇がスプーンで水を飲ますと、うまさうに飲んだ後、
『お父さん、許して下さいね』
 と父の手を頬ぺたに持って行って、二つの眼をうるませた。
『泣かぬでもいゝ、泣かぬでもいゝ。あまり心配しないで早く健康を回復して。皆様のために働いてあげなさい』
 さういってゐる時にも、父の中将はもう半分泣いてゐた。斯波勝三は詳かにその日の火事の光景を中将に物語った。それに加へて、山上がマリ子が如何に貧しい漁村のために尽したかをくはしく報告した。
『赤ん坊を救はうと飛込んで行かれなかったなら、こんなことにならなかったんですがね……いや、近頃は怪しい火が度々起るのですか
ら、奥槍も注意はしていらしったんですのに、何というていゝかわかりませんですよ』
 さういうて山上は言葉を結んだ。斯波は西田中将に奥に来て貰ひ、赤木博士が勝三にいうたことを、もう一度繰返した。
『あゝさうですか……さうですか』
 と中将は重々しく頭を上下に振った。娘のマリ子がもう助からぬと聞いた中将は、ハンカチで鼻汁を拭きとって、またマリ子の部屋に帰って来た。そしてマリ子に向き直っていうた。
『マリ子よ、私は今までお前を誤解してゐた。私はお前が、かほどまでに海の日本を心配してゐるとは知らなかったんだ――ゆるしておくれ、私も昔は、海で働いて海の生活があまりに苦しかったので、年をとってから海から逃げよう、逃げようと思ってゐたんだ。それでつい陸上の安逸を貪らうと思って、お前があれだけ海の人と結婚したいといっても、私は賛成が出来なかったんだ。然し、ここに来て見て、お前のしてゐたことがよく解ったよ。お父さんが悪かったんだから、凡てを許しておくれ!』
 さういって西田中将は傍に坐ってゐる村上に向っていうた。
『村上君、あなたに対しても私はお詫びしなければならない。私はあなたが一生懸命になって、日本の漁民の救済に従事していらっしやる実情を少しも知らなかったんです。いや此処に来て初めて知ったんです。で今日はあなた方二人の結婚を承諾いたします』
 さういって、マリ子の父の西川則光は、左手にマリ子の手をとり、右手に勇の手をとって、二人に握手させ、
『私がもう少しあなた達の真意を早く知ってゐたら、もう少し幸福な家庭を作らせるのだったんですか、私の臆病と海を怖れる気持のために、あなた達の正式の結婚を遅らしたことをお許し下さい。私が年が若かったら、あなた達のあとについて、海国日本を護るための運動に専念するのですが、私ももう七十を越えてゐますので、それが出来ないことを残念に思ひます。しかしマリ子……(父はマリ子の方に向き直っていうた)お前が海の日本を救はうとしてゐる精神はわしにはよくわかった。わしもひとつ若返って、村上さんのあ
とについて、命の続く限り大いにやるよ、(老提督はまた村上の方に向き直っていった)今日から私は改めてあなたに弟子入りをして、海国日本を救ふために一生懸命やります。実はこの間、岡本農林大臣に会った時、あなたの話が出ましてね、その時から私はあなたにお詑びに来ようと思ってゐたんです。いやもう、耄碌すると日本が海で囲まれてゐることさへ忘れてしまふやうになるのです。私達は偶々海に関係した職業を選んだものですから、あなた達のやうに
海に使命を感じてゐる人の心理が充分解らなかったのです』
 さう父がいった時に、マリ子はぱっちり両眼を開いた。
『お父様、ありがたう、これで勇さんも安心して沖へ出ることが出来るでせう、お父様、私の唯一つの願は日本が諸外国の真似をして、狭い土地の問題で争ひをせずに、広いく海の方に発展して、海が諸大陸を結び付けてゐるやうに、世界平和の楔(くさび)になって貰ひたいことなのです。然し、そのためには、どうしても日本の漁村を救はなければならないんです……』
 そこまでいうた時に、マリ子の呼吸はもう続かなくなって、彼女は沈黙してしまった。肩先が波打ってゐた。
 然し、不思議に、彼女は元気であった。そして、この勢なら、あるひは治りはしまいかとみんなに思はせた位であった。然し、夜中から四十度近い熱が出て、彼女は非常に苦しみ始めた。勇と斯波とは徹夜して介抱してゐたが、マリ子は熱に浮かされて、海南を呼び続けてゐるのを聞いた勇は涙を絞った。父の中将は一行奥座敷の床の中に入ったが、マリ子のうなされる声を聞いてまた起きてきた。そして、とうとう、日の出るまで皆でマリ子の傍で徹夜した。
 日が出て暫くして、産婆の小泉文子が親切に繃帯を換へに来てくれた。繃帯を換へてみると、下半身は殆ど水膨れになり、繃帯について上皮がつるりと剥けてくるやうな悲惨な状態であった。それで勇は、
小泉さん、もうこの儘にしておきませう、あまり可哀さうですから』
 さういって、繃帯交換を途中で止してしまった。もうその時、勇は、マリ子が助からないことを覚悟した。
 勇は脈を心配して、マリ子の右手を収上げ、人差指と中指とを動脈にあてて計ってみた。それはあまりに微かで、殆ど消えかゝってゐた。
『さては医者のいった通り、これが最期であるか』
 と彼の胸は少し騒いだ。涙がせき上げて、彼は顔をようあげなかった。それで俯向いた儘、西田中将にいうた。
『お父さん、もう一度医者を呼びませうかね。少し心配になるやうですから』
 マリ子の父も腕を伸ばして脈をとった。そして視線をマリ子の顔に注いだ。マリ子は真青な顔をして、如何にも疲れたやうな表情を示して両限を閉ぢてゐた。
『やはりさう願ひませうね』
 それでまた山上は、自動車に乗って走った。山上と入違ひに表から這入ってきた斯波勝三の妹は、
『兄さん、釣り道具を売ってゐた店のをぢさんが、巡査に縛られて警察へ引張られて行ったよ』
 と、勝三にいひに来た。
『怪しいと思ったが、やはり放火だったんだなア、困ったことだな』
 さういうて、勝三は両腕を組んだ。
 それから五十分位、医者を待ってゐたけれども、医者はなかなか来なかった。マリ子は微かな声でいった。
聖書を読んで下さい、ヨハネ伝二十一章を読んで下さい』
 勇は静かに聖書を開いて、ヨハネ伝二十一章を一節から読み始めた。
『この後、イエス復(また)テベリヤの海辺にて己を弟子たちに現し給ふ。 その現れ給ひしこと左のごとし。シモン、ペテロ、デドモと称ふるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子ら及びほかの弟子二人もともに居りしに、シモン、ペテロ「われ漁猟にゆく」と言へば、彼ら「われらも共に往かん」と言ひ、皆いでて舟に乗りしが、その夜は何をも得ざりき。夜明の頃イエス岸に立ち給ふに、弟子たち其のイエスなるを知らず。イエス言ひ給ふ「子どもよ、獲物ありしか」彼ら「なし」と答ふ。イエス言ひたまふ「舟の右のかたに網をおろせ、然らば獲物あらん」乃ち網を下し たるに、魚夥多しくして、網を曳き上ぐること能はざりしかば、イエスの愛し給ひし弟子、ペテロに言ふ「主なり」シモン、ペテロ「主なり」と聞きて、裸なりしを上衣をまとひて海に飛いれり。他の弟子たちは陸を離るゝこと遠からず、僅に五十間ばかりなりしかば、魚の入りたる網を小舟にて曳き来り、陸に上りて見れば、炭火ありてその上に肴あり、又パソあり、イエス言ひ給ふ「なんぢらの今とりたる肴を少し持ちきたれ」シモン、ペテロ舟に往きて網を陸に曳き上げしに百五十三尾の大なる魚満ちたり。斯く多かりしが網は裂けざりき』
 勇は、読んでゐるうちに、一言一句が胸にこたへて、涙がつまって続けて読み切ることが出来なかった。十二節まで読んできた時に、マリ子は目を閉ぢた儘、勇にいうた。
『勇さん、キリストは今も食へない漁師のお友達ですから、日本の漁師にこのキリストを紹介して下さい……私は、もう少し永く生きてゐて、テベリヤの湖の漁師のお友達であったキリストを、日本の漁師にも紹介したかったのですけれど……もう私はキリストに召されて坊やの処ヘ一足お先に参ります……』
 さういって、マリ子は閉ぢだ両眼に涙の雫を滲ませた。

海豹の54 天使の喪失

  天使の喪失

 それから一週間目に一回づつ、静岡の未決監の窓口にマリ子は赤ん坊を覗かせた。それが勇にとっては、どれだけの慰めであったか知れなかった。然し、裁判所の方は、なかなか取調べが進まなかった。刑務所の梅は散り、桜が咲く頃になったけれども、まだ取調べが済まなかった。
 備後灘の魚島の辺で彼の父が倒れた四年忌を、今年は監房で迎へた。父の遺言を守り、一生、海に行かうとした彼が海に行けないで、今暗礁に乗り揚げてゐることを悲しく思った。そして、なほ淋しかったのは、その日、静岡の未決監宛に送られた堀江卯之助の娘かめ子の手紙が来て、勇を非常に慕うてゐた万龍は、その後また眼病が重くなり、とうとう両眼ともに潰れて、眼病院に入院してゐるうちに、脳梅毒のために発狂し、僅か四週間足らずの患ひで死んでしまったといふことを報じた。刑務所でその手紙を読んだせゐもあったが、勇は特別に人生の薄倖を悲しく思った。
 そのうちに梅雨が来て、陰影な雨が、毎日獄舎の窓硝子を濡らした。勇は、クロポトキンの獄中記などによって、監房の生活は規則的でなければならぬと読んでゐたので、独房の生活も、つとめて規則的に送った。朝早く起きて聖書を読み、暇があると遠洋漁業のために使用する器具の改良や機械の発明について、いろいろ思を練った。それで、決して一日が長いとは思はなかった。
 然し、たゞ一つ気になったのは、梅雨に入ってから妻と赤ん坊の顔が、面会室の窓に現れて来ないことであった。そして、差入れる金も切れたと見えて、六月一目から刑務所の飯を食ふやうにと、看守が知らせてくれた。
 あまり心配になるので、はがきを出した処が、斯波勝三の父が面会に来てくれた。そして、マリ子も赤ん坊も二人とも病気で倒れてゐるといふことであった。
 幸にも、七月十日の日にやっと保釈の許可が出た。彼の胸は躍った。道々、赤ん坊がどれくらゐ大きくなってゐるかを想像しながら富ノ浦まで歩いた。マリ子に会ひたいことは勿諭であったが、実いふと、彼が『父』になったといふ不思議な因縁に就ての回想と、赤ん坊に対する珍しさ、懐しさが、マリ子以上に彼を惹き付けた。きりりと結んだ赤ん坊の口許、天国をまどろんでゐるやうな初々しい瞳、絹のやうに柔い頬ぺた、紅葉のやうな小さい掌――それが目の前に浮かんで、絶えず獄中でも彼を神秘の世界に導いてくれた。それが今、目のあたりに見ることが出来、その初々しい皮膚に接吻し、その小さい身体を抱きしめることが出来ると思ふと、耐へ切れない程、家に帰ることが急(せ)かれた。
 然し、彼の目算はすっかり外れた。世帯に疲れたマリ子は、百合子を背中に、痩せ衰へた赤ん坊の介抱を一生懸命してゐた。
『緑便が続きましてね、お医者様はもう助からねといはれるんですよ』
 さういって、いつも元気なマリ子が、浴衣の袖でそっと両眼を拭いた。その言葉を聞いて勇もがっかりしてしまった。
 そして可哀さうに。マリ子は一銭の金さへ持ってゐなかった。
『どうして生きてゐたんだね?』
 ときくと、
『毎日山羊の乳ばかり飲んでゐました』
 と笑ひ泣きしながら軽く答へた。それで勇は沼津まで飛んで行き、また下駄履を始めてゐた姉の夫、佐藤邦次郎から五円の金を借りてきてマリ子に渡し、その晩すぐ漁に出た。
 翌朝七時、浜に帰ってみると、斯波勝三が浜まで降りてきて、
『坊やは、ほんとに可哀さうだったな!』
 と、おくやみをいうてくれた。それで坊やが死んだといふことを勇は初めて知った。家に帰ってみると、いつも元気なマリ子が、坊やの死骸の傍で泣き倒れてゐた。勇もその傍に寄って、赤ん坊の顔をみつめたが、死んでゐるとはどうしても思へなかった。然し、皮膚にさはってみると、石のやうに冷たかった

  船底を焼く藁火

 船底を残らず藁の焔が、真紅に燃え上った。斯波と山上は長い竹の棹で、藁がよく燃えるやうに灰の中に穴をあけた。村上勇は、ペンキで表を塗ってゐた。船大工の真似の出来る青木は水槽を広くしてゐた。そこへ土肥と伊東と仁田の三人が発動機を荷車に稲んで勢よく浜に下りてきた。それを見た勇は、
『御苦労、御苦労! これで安心した』
 と嬉しさうにいうた。
 機械を見るために。十六人の漁村保育所の子供を連れて、マリ子が浜に降りてきた。船底を焼くことの終った斯波は、艫の方から勇に大声でいうた。
『村上さん、エンヂンはどういふ風にして船に据ゑ付けるんですか! 船の中へ持ち込むのが大変ぢゃなア』
 すると勇は簡単に答へた。
『なに! 僕がうまいこと据ゑ付けてやる』
 勇は簡単な起重機を船の帆檣(マスト)を利用して作った。そして、その日の午後二時頃、無事にエンヂンを、打瀬船の中に据ゑ付けることが出来た。傍で見てゐたマリ子はまづ第一感心した。
『なかなか手際がいゝのね。あなたは!』
 と褒めた。
『商売ぢゃからなア、これは』
 と勇がデッキの上から笑った。
 彼等は去年の十月の初めに決議した通り、遠洋漁業に出ようとしてゐるのであった。今日まで駿河湾の多くの漁民は、恵まれた近海漁業に馴れてゐて、逮洋漁業の方式を少しも知らなかった。それで勇に手引きして貰って漸く日本の海岸線を離れようと決心がっいたのであった。然し、貧乏者の彼等に、高価な快速力の機械船が買へる理由がなかった。それで勇は、中古の打瀬船を買はうといひ出した。
『打瀬船で充分南洋まで行けるから安心しろ』
 と皆にいうてきかせた。それでもまだ皆が彼の言葉を信用しなかったので、彼が最初南洋まで乗って行った白洋丸の話をしてやった。それでやっと、斯波も青木も、その他の青年も打瀬船に補助機関をつけさへすれば、充分南洋まで行けるといふ自信がっいた。然し、困ったことには、その打瀬船を買ふ金が無かった。
 その時、斯波は、
『中古でよければ、御前崎の親類の者が打瀬船を一艘遊ばしてゐるから、その船を借りて来ようぢゃないか』
 といひ出した。それに勇も賛成して、御前崎まで飛んで行った。そして、儲かった場合に五百円払ふ約束でその船を借りて来た。エンヂンの金がなかった。それに対しては、村中の年寄り、若い者、おかみさん、娘達の臍繰金を集めて、一種の産業組合を作り、利益があった場合に少しづつ、鞍分比例によって利子として御礼をするといふ約束で、四百円を作った。
 かうして出来たのが、みんなで修繕してゐた海南丸であった。然し、船は出来ても機械器具が揃はなかった。鮪の延繩だけでも、四十か五十の籠を準備しなければならなかった。それだけの金が無かった。それに南洋までやって行く重油を買ふ金は勿論のこと、餌を買ふ準備金が無かった。それで皆一致して、四、五百円の金を稼ぐことにした。ある者は蚕をやらうというた。またある者は鰻を飼はうといひ出した。然し、それにもまた資本金が要るので。結局みんなで揃って、『てんぐさ』を採りに行くのが一番いゝといふことにきめた。それで彼等は、毎日数時間海の底に潜って、『てんぐさ』を採ることにした。
 夏の海に入ることは何でもないけれども、冬に近い太平洋の海を潜って、海底に生えてゐる『てんぐさ』を採ることは容易ぢゃなかった。

  海豹の如く

 伊豆の西部海岸は、地震と陥没が作った物凄い数百尺の巌壁が、あちらにも此方にも、日本の他の処ではちょっと見られない絶景をつくってゐた。地層からいへば、富士火山脈の新しいものではあるが、水蝕作用によって大きな岩に多くの穴が穿たれ、その一々に海に住む幾干の動物が、よき住家を与へられてゐた。南から寄せた暖流は、一旦その海岸を洗って北に屈折し。駿河湾を東から西へと一巡するので、南の海でなければ成長しない『てんぐさ』が、岸近い海底に、多く密生してゐた。その採集は秋の初めに、志摩国から大勢の海女が雇はれてきて。海底に潜ってそれを刈り取るのであったが、金の欲しい富ノ浦の青年達は、海女の代りに自ら海の中に入って、南洋行きの資金を作らうといひ出した。
 今日まで海の上ばかりを走ってゐた村上勇には、海の下に沈むこともまたいゝ経験だと思ったので、喜んでそれに参加した。日の出る前に小さい船を三艘準備して。六人の青年と村上勇の七人が、元気よく櫓を漕いで、大瀬崎を南に廻った。そこは太古から駿河湾の幾干の漁師が、必ず年に一度は礼拝に来る漁師の霊場であっただけに、物凄い感じがした。大瀬崎を南に廻ると濤は高くなり、海の水
は黒さを増した。最初彼等は、戸田湾の入口でまづ錨を入れた。
『てんぐさ』採りに経験のある山上が、まづ裸体になって海の中に飛込んだ。次の船から斯波が水の中へ潜り込んだ。それで、その後から勇が笑ひながら踊り込んだ。思ったより水温は高かった。沈んで行くにつれて、銀色に見えた太陽の光線がだんだん青く見え、紫に見えそして紺色に見えた。船の底あたりに縞鯛が游いで行く。ちぬの群が走る。鯔(ぼら)が急ぐ。勇は『てんぐさ』を採るよりか、海の底の美しさに驚嘆して、たゞぼんやり海の神秘を瞑想する方に心を奪はれた。提灯のやうな恰好をした鰒(ふぐ)が目をくるくる廻しながら彼の方に近づいて来る。そして抵抗せずにぢっとしてゐると、彼の皮膚をこつこつと嘗める。小さい『べら』が群をなして彼の周囲にやって来た。人間を魚の一種類と思ってゐるらしい。彼を取巻いて、面白さうに遊ぶ。『てんぐさ』を採ることを忘れて、海底にうづくま
りながら遠くの方を見ると、奥は紫紺色に染まって、底知れぬ奈落の底に、つづいてゐるやうに思はれた。小さい『龍のおとし子』が藻の間を、中風にかゝった病人のやうに、ひょっくりひょっくり身体を振動させて動いて行く。
 大きな極彩色のランプのほや(ヽヽ)のやうな恰好をして海月(くらげ)が流れて行く。この次は何が出て来るだらうと、勇は『てんぐさ』を採ることを忘れて、奇怪な動物の姿に目を注ぐ。全く怖ろしくなってしまっ
た。そのあたりに沈没して死んだ漁師の骸骨ではないかしら? さう思ふと、ずるずる足にさはる藻草の肌触りが、水死人の顔の上を踏んでゐるやうに思はれた。
『おヽ、怖ろしい!』
 海の底で恐怖観念に襲はれると、もうぢっと海底に停って居れなくなる。毛孔が一度に立って、粟粒のやうなものが身体一面に出来、ぞっとして、『てんぐさ』を採る気も何もなくなってしまふ。急に呼吸が苦しくなってくる。空気が吸ひたくなる。ちょっと間違って水を吸ふ、さあ苦しい。海底を一蹴してはずみを付け、もがくやうに海面に踊上って行く。周囲に泡が立つ、一種の幻覚が伴ふ。海の底から鱶が大きな口を開いて、追っかけてくるやうに思はれる。もう一秒の間が待てない。
『そら! 鱶が来た! 足を食はれるなよ、縮めろ! とうとう食はれたかな!』
 さう思った瞬間に漸く海面に達してゐた。そらには太陽が輝いてゐる。空気がる。山がある、木が生えてゐる、急いで呼吸をする。
『やはり人間は空中に住む動物なんだなア!』
 とひとりで考へながら彼は大声に笑った。
『どうです! 採れましたか?』
 と、沢山の藻を下から運んで来た斯波が、冷笑するやうに村上に尋ねた。然し、勇は恐怖観念に襲はれて少しも採らなかったとはよう告白をしなかった。少しの間、舷側にくっ付いてゐたが、また沈んで、こんどは少し刈ることか出来た。然し、彼は、海底で労働してゐる間に、志摩の海女の人々に心よりの同情をすることが出来た。こんなにして一日僅かの賃銀を得てゐる気の毒な人々こそ、ほんとのどん底に喘ぐ人だと思うた。
 然し、彼はまた、海の底にもぐってみて、初めて、海は恐怖すべきものでないといふことを悟ることが出来た。
 十回、二十回、三十回と、海底に潜る度数を重ねる毎に、海が彼の故郷であるやうに思はれてならなかった。
『さうだ、こゝが俺の住居なのだ! 俺は海の仙人なのだ……』
 そんなことを考へながら、彼は急いで藻を刈って。また呼吸をするために海面に踊上って行った。
 彼はだんだん大胆になった。そして空中より海中の方が、彼に適してゐるのぢゃないかと考へ出した。彼は魚のやうに、鰭(ひれ)と尾が欲しくなった。
 度々海面に踊上る代りに鰓(えら)をくっつけて長時間海に沈んで居りたかった。彼は鯨になりたかった。鯨になれば、船をもって苦労する心配もなく、北氷洋南氷洋まで、思ったやうに回游が出来ると考へた。
『いや、鯨のやうに大きくならなくとも、せめて海豹の如く、自由自在に海を深く潜って、波濤も、海流も、鱶も、暴風雨も恐るることなき強いものになりたい』
 さう思ふと、もう彼は海豹になってゐた。二つの足が一つにくっ付き、両手が水かきに変り、顎が前方に伸び、白い口髭が頬の周囲に生えてきたやうに思はれた。
 さう思ふと海の恐怖は全くあとに消えてしまった。波が愉快になった。飛沫が頬にかゝっても何とも思はなくなった。水の中にもぐるのが愉快になった。大きな鱶でも両手で掴めるやうに考へられた……。
 かうして勇は、海の人になりきって、その日の海の労働を愉快に
続けた。
 長く係争中であった製紙会社の悪水路破壊事件も、村上勇一人が懲役一年半の有罪に決定し、それも三年間の執行猶予となった。他の六名は全部無罪で、裁判長も漁村問題に少からざる同情を示してくれた。
 会社側も、新聞が大きく書き立てたものだから、少し反省するものがあったと見えて、硫酸の濾過装置を作ったり、溜池を拡大したりして改悛の情を表した。それでまた、そろそろ富ノ浦川が澄んできた。富ノ浦の漁民は漸く安堵した。川の入口に鰻の養魚池を作らうといひ出した。

海豹の53 赤ん坊の頬ぺた

  赤ん坊の頬ぺた

 三日の間、沼津署に留め置かれた七人は、その儘、静岡市の未決監に送られることとなった。村民は皆心配して、斯波勝三の父と、仁田祐男の二人に頼んで、僅かばかりの差入物をした。然し、可哀さうなのはマリ子であった。マリ子はもう出産が近かった。それで勇に会ふために静岡へ行きたいのは山々であったけれども、腹の子供を心配して、さうすることを控へた。然し、村に居ても、彼女はぢっとしてはゐなかった。朝はいつもの通り早く起きて、掃除万端を済ませ、八時から午後三時まで、相変らず村の子供を託り、午後三時からひとりで、囚はれてゐる者の家庭を一軒々々訪問して、その家の用事を何に限らず、どしどし手伝ってあげるのが彼女の日課であった。
 それで村の人は皆、マリ子を信頼して、弁天様の生れ変りだといひ出した。
 マリ子の出産したのは、勇が静岡の未決監に移されて、恰度一週間目の十二月四日の朝早くだった。静岡の未決監に電報を打って、無事出産したことを報じてやると。勇は、満二年前の今頃、支那海南島のほとりで、海賊に撃ち殺された卯之助のことを思ってゐたが、村上海南といふ名を獄中から送って来た。
 マリ子が、お産した時は彼女に一文の金さへなかった。持ってゐた四十円足らずの金は全部、刑務所に入った七人の差入物のために費してしまってゐた。
 勇が海から帰って来た時には四百円の金があったが、それは村に副業を指導するために、山羊の種を買入れたり、いたぼがきの種を求めるために二百円以上を使ひ、また農林大臣に陳情に行ったり、禁酒運動の宣伝書や規則書を印刷するために少なからざる金を費したからであった。
 それに折々は少しづつでも資金を融通してくれた井原俊子も、七月の騒動があってからずっと村に現れて来なかった。しかし、マリ子はそんな事では屈しなかった。辛うじて赤ん坊の産着だけは作ってゐたので出産には差支へなかったが、次の日から食ふものが無かった。然し、それと知った村の人々は、マリ子の家の縁側に、一升の米を新聞紙に包んで黙って置いて行ったり、大根二本を裏口から抛り込んでそっと逃げて帰ったり、予言者エリヤを鳥が養うたやうに、決してマリ子と赤ん坊の二人を餓ゑ死にさせなかった。
 マリ子が寝てゐる間、彼女に世話になってゐる子供等の母親が、代るがわる見舞ひに来て、あれこれと世話をやいてくれた。そして、マリ子のなほ感謝したのは、村の産婆さんの小泉文子が、親切にも、やっと匍ひ出した百合子を自分の家に連れて帰って、彼女がまた健康になるまで託ってくれたことであった。正月の三日間を産褥で送ったマリ子は、一月五日にはもう起上ってゐた。彼女は産婆さんから金を借り、赤ん坊の海南を連れて未決監を訪問した。
 未決監の面会室で窓を隔てて勇と会ったマリ子は、涙一滴だに出さなかった。
『ねえ。喜んで下さいよ、こんないゝ子が生れたんですよ、重さも八百八十匁あるんですよ。みんな西田のお父さんによく似てゐるといって噂してゐるんです。この子もセーラーにしませうね。おほほほゝ』
 と、至極陽気に夫を慰めようと努力した。傍にゐた看守もその陽気なのに面くらったらしかった。
『まあ、一遍抱いてごらんなさいよ』
 さういって、マリ子は赤ん坊を受付口のやうに開いた窓の台の上に置いた。然し、勇の両手には大きな手錠が入ってゐた。それを勇は台の下に隠してゐた。勇の手に手錠があるとは気付かないマリ子は、
『ねえ、勇さん、ちよっと抱いてごらんなさいましよ』
 と再び繰返した。然し、勇はまだ妻に大きな手錠を見せる勇気はな
かった。マリ子が、それを見て悲しむと思ったからであろた。台の下で勇は両手をもぢもぢさせながら、上眼瞼を下に伏せて赤ん坊の顔だけを見つめてゐた。
『ねえ、海ちゃん。早くお父さんに此処から出て来て貰って抱いて貰ひませうね』
 マリ子は、あまり勇の手が出るのが遅いので督促した。それで彼
は大胆に、隠す必要はないと思ったので、手錠の入った両腕をぽんと台の上に置いた。
『おや、お父さんのお手々には手錠が付いてゐたんだわ。これぢゃ、抱いて貰へませんわね、海ちゃん、抱いて貰ふのはまたこんどにしませうか?』
 マリ子が、さういふと手錠の入った儘、勇は身体を斜にして、右手で赤ん坊の頬ぺたを撫でてやった。それを見るに見かねた表の看守は、『内側にゐる看守にいへば解いてくれますよ』
 と注意してくれた。
 子供を抱きたかった勇は、看守に懇願して、その手錠を解いてもらふことにした。
『看守さん。お願ひですが、これを少しの間はづして下さらんでせうか?』
 看守は沈黙したまゝ大きな鍵を鉄の手錠の穴にさし入れて、それをはづしてくれた。
 それで勇も怖るおそる手を伸ばして、赤ん坊を取上げようとした。その時内側にゐた看守が、
『おい。赤ん坊を抱くのはいゝが、未決の方へ入れてはいかんぞ!』
 と慌てていった。そのいひ振りがをかしかったので、マリ子も勇も、表側の看守もどっと吹き出した。
『ぢゃあ、看守さん、未決監の方へ赤ん坊の胴体を入れないやうにして、敷居から向ふで抱くやうにすればいゝのですね』
 さう勇がいふと、
 『うム、ふふゝゝゝ』
 とうとう内側にゐた看守も笑ひ出した。浅黄色の未決の筒袖を着せられた勇は、身体をかゞめて両手を伸ばし、赤ん坊を抱いて頬ずりをした。去年の一月三日の朝、三島の天幕で拾った棄児の百合子とは違ひ、まるく肥った美しい子であった。黒い髪の毛が。長く伸び、頬ぺたが丸くふくらんで、小さい顎が団子のやうにくっついてゐた。
 生れて初めて自分の子といふものを見る勇には、何ともいへない或る感激を覚えた。
『目許はあなたにそっくりよ』
 マリ子は拇指と人分指で、二つの頬ぺたを、撫で上げながらさういうた。勇は瞬きもしないで、赤ん坊の顔を眺めた。ある時は頬ぺたを、ある時は引締った二つの唇を、ある時は小さい鼻を、或時は大きく開いた二重瞼の目を、そして耳を、そして顎を、
『可愛いもんだね……然し不思議だなア、こんな赤ん坊が生れて来るといふのか、全く不思議だなア』
 勇が抱上げようとしたけれども、窓口が狭いので、赤ん坊を内側に入れなければ抱上げることが出来なかった。一分間以上も、勇はぢっと赤ん坊を台の上に置いたまゝ、左手を赤ん坊の頸の下に廻して、一生懸命にみつめてゐた。が、もう辛抱しきれなかったと見え、そっと両手を伸ばして赤ん坊を未決監の方に引き入れ、ぐっと抱〆めて頬ぺたに接吻した。すると、内側の椅子に腰かけてゐた看守が、サーベルをがたつかせながら、つと立上り、
『そんなことをしちゃいけない!』
 さういって、無理にも赤ん坊を母親の手に返させた。看守があまり大きな声を出したので。赤ん坊はびっくりして泣き出した。それで母親のマリ子は胸を拡げて、赤ん坊に乳房を与へた。すぐ赤ん坊は泣き止んだ。勇は、マリ子の白い皮膚と、やゝあから味をおびた赤ん坊の顔の色と、乳房のふくらみと、赤ん坊の頬ぺたのまるみが、何ともいへぬ諧調をなして小さい窓の向ふに見えるのが、この上もなく嬉しかった。その時まで、未決監が悲しいとは思はなかったが、妻の乳房と赤ん坊の顔を見た時に、急に悲しくなった。そして、早く自由な身になりたいと思ふ一念で胸は一杯になった。
『何も困ることはないたらうね?』
 勇が、さうマリ子に尋ねると、マリ子は快活に答へた。
『いゝえ、少しも』
百合子はどうしてゐるの?』
 勇が尋ね返すと、
『村の産婆さんが、親切に少しの間世話してゐてくれるんです』
 さういった時に、内側の看守は窓口を閉めてしまった。窓口は閉められたけれど、マリ子はなほ表でいうた。
『未決に入って居られる同志達はみな達者ですから御安心下さい。皆に一冊づつ聖書を入れて瞰きました』
 さう早口でいうた時に、勇はまた手錠をはめられて、奥の方へ引張られて行ってしまった。

海豹の52 大臣室と漁夫

  大臣室と漁夫

 彼が兵庫県から帰ってきた日の朝、富ノ浦の人々は。また三吉の店先に集って皆昂奮したゐた。それは豆駿製糸の悪水のために昨夜から今朝にかけて。また生簀の魚が死んだためであった。
『ど畜生! 井原の野郎、県会議員を買収しやがって! 我々がいくら県会に運動をしても駄目になる事を知ってゐやがるものだから、駿河湾の漁民を馬鹿にしやがって、相変らず悪水を流しやがる!』
 歌舞伎に出てくる石川五右衛門のやうな髪の刈り方をした山上忠次といふ男が、ひとりで憤慨してゐる。
『井原の野郎、ぶん殴ってやれ!』
 顔の大きな青木睦男が、三吉の店から巻煙草を手にして、大声で怒鳴りながら忠次の方へ歩み寄ってきた。大勢の者は勇の姿を見るなり、
『村上さん、いゝ智慧をかして下さいよ。こんなに生簀の魚を殺されちゃあ、もう食へなくなってしまひますよ。会社へ行っても駄目、県庁へ行っても駄目、県会へ行っても駄目っていふんですからね、どうしたらいゝでせうか?』
 そこにしゃがんでゐた四十恰好の三吉が、酒飲みによく見られる赤ら顔をしてさう訊ねた。
『仕方がないなア、ぢゃあ。東京へ行って農林大臣にでも話を聞いて貰ふかな』
『大臣はこんな小さい村のことを聞いてくれますかね?』
 睦男がきゝ直した。
『何も小さい村のことぢゃないぢゃないか。駿河湾全体に関することぢゃないか!』
 勇が答へると、皆のものはそれに力を入れた。
『ぢゃあ、村上さんにお願ひして、農林大臣に陳情書を出すことにしようぢゃないか』
 青年団長の斯波勝三がさういふことを大勢の者に謀った。一同の者は沈黙して、賛同を表した。それでその日すぐ、勇と斯波勝三と青木睦男と、仁田三吉と山上忠次の五人が、陳情委員として東京に行くことになった。
 東京丸の内東京ステーションに着いたのは、真昼の十二時五分前であった。それからとぼとぼ五人の者は、大手町に近い農林省まで歩いた。大臣が居る処だから、どんなに立派な恐ろしい処かと思ってゐると、予想に反したバラック建てなので勇はまづ安心した。受付できくと、岡本農林大臣は、いまし方大臣官邸に帰って行った、といふことであった。それで五人の者はすぐタクシーに乗って、永田町の農林大臣官邸へ押しかけた。
 こゝはまたバラック建ての農林省とはちがひ堂々たる官舎で、五人の田舎者は一種の威圧を感じた。まづ第一門に立ってゐた巡査が、コール天服を着た五人の者の風体があまり変ってゐるので、一々身分を聞くのには五人も閉口してしまった。然し、思ったよりはたやすく農林大臣は会ってくれることになった。応接の間で待ってゐた斯波勝三が、
普通選挙になってから。かういふ処は便利になったなア。これが三十年も昔だったら、大臣が会ふといふ事は大変だったらうなア、我々のやうな田舎者でも大臣がすぐに会ってくれるから有難い事だよ』
 さういうてゐる処へまた大臣秘書官が五枚の名刺を持って入ってきた。
『大臣は今日午後二時から閣議があって非常に忙しいのだから、諸君はそのつもりで五分間だけ会ってくれ給へ。どうか次の間へ』
 さういうて秘言官自ら、次の間に通る扉を開いてくれた。大きな鏡が正面にか々ってゐる。その前にぴかぴか光った三間もあらうと思はれる大きな一枚板のテーブルが据ゑられてある。テーブルの上には、美しい銀色の川草の灰皿が、いくつか並べられてあった。テーブルの周囲には。紺色に染めた皮張りの椅子が二十位並んでゐた。その中央に、身休の大きな、人の好ささうなやさしい眼をした岡本農林大臣が坐ってゐた。五人の者は緊張して、直立不動の姿勢をとった。秘書官が、大臣に、勇以下五名の者を叮嚀に紹介してくれた。そして秘書官は次の間に消えた。勇はこんな処にあんまり出たことがないので、どういふ言葉から始めていゝのか見当かつかなかった。たゞぼーっとしてどんな絵が壁にかゝってゐるか、窓の前にどんな木が植はってゐるか、それさへ見分けることが出来なかった。たゞ堅くなってそこに立ってゐた。
『まあ、おかけなさい!』
 大臣は優しく五人に声をかけてくれた。それで五人の者は沈黙したまゝ勇を中心にして五脚の椅子に腰をおろした。勇は一旦腰を下したがまた立上って大臣にいうた。
『農林大臣閣下、私どもは静岡県出方郡富ノ浦の漁民でありますが、是非大臣閣下にお願ひしたいことかあって参りました』
 すると大臣は温厚な目付を五枚の名刺に注いで、
静岡県田方郡といふと伊豆ですね?』
『はあ、左様でございます。実は私たちの村は疲弊のどん底になげこまれまして困ってゐるのでございます。漁獲物はどんどん減るし、それに最近の不景気が影響して、魚価は著しく暴落いたしまして、一戸当り年収入が、百円にならない位なんです』
『百円? それだけしがないかね?』
『実際それ位しかないのです。それで漸く娘のある者は娘を遊廓に売飛ばし、田地のある者は借りるだけ借りてやっとこの二、三年生活を続けてきたのでありますが、こゝに困ったことは附近の工場が、紙を漂白するために硫酸をどんどんヘ海へ流すものですから、たださへ機船底引網の乱獲によって魚が減って居ります際に、ますます魚が岸に寄せなくなってしまったんであります。殊に最近二回満潮時に生簀の魚が工場の流す悪水のためにみな死んでしまひました。それで、これまで度々、工場にも交渉し、県庁にも県会にもお願ひしたのでありますけれども、地方では少しも我々のいふことを相手にしてくれないのであります』
『ふム、そんなこともあるかね、困ったことぢゃなア、その悪水の出る口といふのは、直接海に注ぐやうになってゐますか?』
 大臣は、静かな口調で勇にきゝ直した。
『いゝえ、一旦川に落ちるやうにはなってゐるのですけれども、完全な溜池を作ってないものですから、どんどんヘ川から海へ流れまして、駿河湾一体の魚はみな死んでしまふのです』
『ふム、さういふものかね、それは僕も気かつかなかった。なほよく話して注意しておかう』
『大臣閣下、もう一つお願ひしたいのは、漁民の税金であります。我々は今日、辛じて一戸あたり百円位しか収入かないに拘らず、船には税金がかゝり、魚獲物にも税金を課せられ、市場に出ると、市場の課賦金をとられ、専用漁業権税金を納め、定置漁業権税金を出すといふ、実に哀れな状態であります。その上我々のやうな貧乏人が、命懸けで沖へ出て、遠洋漁業に出かけましても、魚を売りに行く所は、あるひは銚子であるとか、釜石であるとか、清水だとか、油津だとか、また三崎でありますが、これらは皆他府県の漁港であるために、その県の漁民の二倍も二倍半も課賦金を取上げられるといふ状態であります。この様な状態では、日本の漁民はもう自滅するよりほかはないのであります。それで大臣閣下の御配慮を得まして、税金を出す方法を簡単にして頂きたいのです。その上最近は漁民が貧乏して網さへ買へない者が大勢ゐますから、是非金融を円滑につけて頂き、日本全体の漁民のために一億円か一億五千円の低利資金を貸して頂きたいのであります。我々漁民が海の苦しみを忘れ、喜んで業務に従事するやう御配慮に預りたいのであります』
 さういってゐる所へ、大臣の後の扉を開いて入ってきた人相の悪い男があった。平気な顔をして大臣の傍に腰を下し、彼の前に置かれた名刺を眺めながら早口に大臣にいうた。
『君、この人達は伊豆の漁師諸君かね、例の工場の問題で来られたんと違ふのかね、あれだったら小さい問題だぜ。あれは君、静岡県の知事でさへ問題にしない、生簀の魚が死んだとか、なんとかいってるやうだが、会社の方にもなかなかいひ分があるやうだぞ』
 その無礼な言葉を聞いた勇は、大臣の前ではあったが、躊躇せずにいうた。
『小さい問題って、何ですか! 駿河湾の漁民数万の者が困ってゐるのに、あなたは何をいふんですか!』
 勇がさういうてつっ込むと、フロック・コートを着た男は、瞼の周囲をほんのり赤くして、伏目勝ちにいうた。
『いや、君の方が少ししつこいよ。工場は何も違法なことをしてやしないぢゃないかね。悪水の流れ込む貯水池も作ってゐるし、県庁から取調べにきても、少しも欠点のないやうにやってゐるっていふぢゃないかね』
『あなた実状をお知りになってさういはれるれですか?』
 勇は昂奮していうた。
『現在、今朝も悪水の為に五千貫以上の鯛、ちぬ等の魚がみんな死んでしまったんです。この不景気のどん底に。五千貫の魚といへば大したものなのです。これは一つの村の問題ですが、他の村の被害も相当にあらうと思はれます。我々はそれを代表して陳情に来たのです』
 勇の右側に坐ってゐた、斯波勝三は次のやうな文句を書いた紙片を勇に渡した。
『あの男は静岡市選出の杉本代議士で、井原の顧問弁護士だ。悪い奴だ。東京の魚市場の顧問もしてゐる』
 その時また給仕が、新しい名刺を持って部屋に入ってきた。
『次の部屋に待つやうにいうてくれ』
 大臣は、しとやかにさういうて。また左手で上唇を撫でながら、葉の落ちた欅の梢を硝子越しにみつめた。
『君等、悪水、悪水といふが、生簀の魚の死ぬのは悪水によるとのみ決ってゐないだらう』
 人相の悪い杉本代議士は、なほも毒舌を振るうた。それにかっとした斯波勝三は、
『それは悪水だけで死ぬとはきまってゐませんがね、私の家などは、これで何十代といって駿河湾で漁師をしてゐるのですが、いまだ曾て生簀の魚が何千貫みんな死んでしまったといふことなど聞いたことが、ありませんがね』
 さう斯波がいった時に、大臣はっと立上って、両手をテーブルの上にもたせ、
『いや、事情は解りました。よく取調べまして、漁民諸君が一日も早く安堵して、その日が送れるやうにつとめませう』
 さう叮嚀にいうてすぐ後の部屋に入って行ってしまった。すると、背の高い、ひょっとこのやうな顔をした杉本六弥も、大臣の後から次の間に入って行った。
『あいつ、失敬な奴だなア、憲友会の代議士って、みんなあんな奴か!』
 斯波は聞えよがしに、やゝ大きな声でいうた。

  闇夜の反抗者

 また木枯しが箱根の山を吹き下して。駿河湾の波の色が、黒くなった。鴨も北から帰って来た。然し、富ノ浦川の水はだんだん茶褐色に濁った。最近まで住んでゐた『むつごらう』と呼ばれる魚を最後として、つひに凡ての魚介類がその附近から影を没した。昔、美しく岸辺を彩ってゐた薄の花までが、もう今年は咲かなくなってしまった。沈み切った富ノ浦の漁民たちは、漸く伊豆の南方から魚を買入れて、女房達にそれを沼津や三島に行商させることによって、その日その日の生活を続けた村には、こそ泥棒が急に殖えた。小火(ぼや)が頻発した。
 産業組合のことに就て相談に来てゐた、青年団長の斯波勝三は大声でいうた。
火災保険に入って居らなければ、この頃のやうに小火は起らんでせうなア。三吉さんの隣の家など、もう二度小火を出しよったが、保険金を千五百円も貰って、今年の暮は懐具合もいゝやうですなア。火災保険に入るのも、あゝいふ具合になると、まるで犯罪者を作るやうなものですなア』
 そんな話をして間もなく、勇の入ってゐる家の裏にあたる釣り道具を売ってゐる仁田商店も小火を出した。そして保険金を五百円貰った。
『いやなことが流行(はや)りますね、ほんとに恥かしいことですが、あゝでもしなければ食へないから仕方がないですね』
 マリ子は、裏の家が小火を出してから二、三日経って、そんなことをいひながら表から帰って来た。そして勇の顔を見るなり、なほ言葉を続けた。
『勇さん、こんなことをしてゐちゃあ。この村は全滅ですよ、もう少し精神運動をさかんにして。禁酒運動もやるし、聖書研究会もしてあげようぢゃありませんか』
 それで勇は、斯波、青木、山上の賛同を得て、禁酒会を作ることにした。然し、三吉は自分の家に置いてある酒の売れないことを心配して、禁酒会には反対した。そして今勇の借りてゐる家に対しても立退きを命じた。しかしやっと斯波の調停によって二円の家賃を五円払ふ約束で、同じ家に停ることが出来た。それと同時にまた、マリ子が中心になって、少数の者が聖書の研究会を毎日曜日の晩開くことになった。
 十一月の最後の日曜日の晩のことであった。聖書研究が済んで、斯波、青木。山上、仁田、土肥。伊東などの六人の青年が、勇とマリ子を中心に雑談に移ったが、仁田はその日の朝、また例の豆駿製紙の悪水のために、冨ノ浦の北潟の人々が損害を受けたことを報告した。その時、勇は腹の底で決心をしてゐるかのやうな表情を眉間に表して。六人の青年にいうた。
『おい、君ら、俺が責任を持ってやるから、あの劇薬の流れてくる暗渠をぶちこはして、ロを塞いでしまはうぢゃないか! それには六人ぢゃ足らぬから、もう十四、五人、人を集めて来ないか!』
 勇がさういったので、斯波も青木も山上も賛成した。
『あなたがそんな決心なら、私たちも覚悟しますよ、どうせこんなことをしてゐちゃあ、村は全滅するよりほか道がないんですから』
 その時、鼻の高い、目のぱっちりした美少年土肥がいうた。
『村上さん、やるならいっそ、村の者が皆押しかけて行って、今夜の中にあの硫酸の出てくる暗渠も溝も全部を埋めてしまはうぢゃないですか。我々少数の者が行った処で、あの大きな排水路をぶちこはすことが出来ないんだから、どうせ堰止めるなら、村の者全部が行って堰止めようぢゃありませんか。すべての方法が尽きてゐる以上、さうでもするよりほか、今ぢゃ、道がないと思ひますね!』
 それで話はきまった。七人のものは手分して、村中をふれて廻った。
 百四、五十人の漁師が忽ち、村上勇の家の前の浜辺に集った。彼等に対して、勇は、もう一度自分の家に帰って、ふご、もっこ、何でもよい、硫酸が出てくる溝を埋める、土と石を運ぶ道具を持って来いと命令した。十分も経たない中に、十四、五人の娘までが。ふごや、もっこをかついで浜に集った。
 勇は彼等を一ケ処に集めて、一、作業は一切無言の儘やること。二、警官がきても暴漢が来ても、一切無抵抗主義をとること。三、取調べをうけたときには、皆村上勇の雇人であるといひ張ること。以上三ケ条をよくいゝ聞かせた上だけ、『最後の一人が縛り上げられるまで土運びを止めるな。村の者が全部刑務所へ行く気なら、世間は必ず目覚めるから』と附け加へた。
 勇は彼等を約二十人づつ七つの団体に分け、半里ばかり離れた富ノ浦川に接してゐる豆駿製紙の裏へ連れて行った。そして、闇の中で八町ばかりある硫酸が出て来る排水路全部を埋め立て始めた。それは十一月二十六日の午後九時頃であった。十時過ぎまで工場は気が付かなかった。然し、それと気の付いた工場は、早速交番所に訴へ出た。然し、闇の中で村民は、幽霊のやうに黙々と川岸から土砂を運んで溝を埋めた。
 一時問程して、巡査四人と警部一人が自動車に乗ってやってきた。その後から巡査二十名が警部二名に引率されて飛んできた。警部の一人は大声をあげて怒鳴った。
『みな、溝を埋めることを止めろ!』
 さういったけれども、一人としてその警部の言葉を聞く者はなかった。他の警部はまた大声で怒鳴った。
『この責任者は誰ぢゃ!』
 さうきかれたので、村上勇は、担いでゐたふごを其処に捨てて、警部の前に現れた。
『責任者は、私でございます』
『貴様は何といふのか?』
『村上勇と申します』
『お前も漁師か?』
『はい。さうでございます』
『もう一度、みんなにいうで、溝の中に入れた土砂を取りのけろ! 人の造営物の中に濫りに立入って、これを破壊するとは何ぢゃ!』
 その時、勇は謙遜に、畑の中に坐って両手をつき、警部を拝むやうにしていうた。
『警部さん、どうか村を助けると思って、私どものしてゐることを大目に見て下さい。あなたも、お聞きでせうが、富ノ浦の漁師はこの悪水のためにほんとに困って居るのでございます。この会社から出てくる硫酸の入った悪水のために、生簀の魚はみな死んでしまふ、地引網には、一尾も魚が入らなくなり、ほんとに村が、もう立行かなくなったことは、あなたもお聞きになったでせう。いろいろ会社にも交渉したり、県庁にもお願ひしたり、最近は農林大臣にまで陳情に行ったのですか……何等効果がないので仕方なしに自分等の手で、この溝を埋め立ててしまふことに決心したのでございます』
 さういってゐる間も、百数十人の者は薄気味の悪いほど黙々と、川から土砂を運んで溝を埋め立てた。
 警部は勇の言葉を俯向いて聞いてゐたが、勇が頭をあげて、仄暗い警察の提灯の光で警部の顔を熟視すると、鬼のやうな警官の二つの目に涙が滲んでゐた。それで勇は、
『――この警官はなかなか解った奴だわい』
 と思ったが、どんな返事をするかと、敬々しく其処に上下座してゐた。すると警部は、
『然し、法はまげられんからなア……』
 といひながら気をきかして、一町ばかり離れた川岸に立ってゐた警官の方へ歩いて行った。そのうちにまた二台のトラックが会社の裏門の前にとまった。彼等は手に手に混棒や日本刀の抜身を持ち、頭に鉢巻をして、土運びをしてゐる群衆の中に飛込んできた。
『こら! 貴様ら、何をしてるか!』
『ぶち殺すぞ!』
 その権幕に、村の者は怖れをなして橋の方へ引上げた。それが恰度午後十一時半頃であった。百数十人の村民が、暴漢に追ひ立てられて、橋の方に引上げたのを見届けた勇他六人の同志は、静かに一塊になって、そこを立去らうとした。すると、川岸に立ってゐた警部が、
『そいつらをみな縛っちまヘー』
 と命令した。それで、二十数人の警官は。寄ってたかって。小羊のやうにおとなしい七人の者を麻繩で後手に縛り上げてしまった。勇は勿諭覚悟してゐたことでもあるから。何とも思はなかったが、斯波も仁田も泣いてゐる様子だった。
 その晩七人の者は、暴漢を乗せてきた二台のトラック一つに運ばれて、沼津の警察署まで運ばれて行った。そして、木枯しの吹く寒い夜を、豚箱の中で送った。

海豹の51 飲み残したる苦杯

  飲み残したる苦杯

 その日の最後の歌がうたはれて、子供等は家に帰った。そのあとから、井原俊子も淋しさうに帰って行った。家の中が静かになったので、叔母はマリ子が思ってゐた通り、父の家に帰るやうにと、すかしたり、なだめたりして、繰返し繰返し同じことを話込んだ。然し、叔母の話のなかには、最近、逗子に起った重大な変化をも報告した。
 それは十五銀行が潰れた為に、マリ子の父も非常に苦しい立場になり、逗子の別荘も銀行に渡さなければならないやうになったといふことであった。それは或人の判をついてゐたために、その責任が父にかゝって来たとのことであった。
『……然しね、マリ子さん、あなたが田中茂雄さんを好かないのであったら、他にも二、三よい口がかゝってゐるから再考してくれたらどう?………その中には華族さんの家からもいって来てゐるのよ。そら、あなた知ってゐるでせう、葉山に別荘を持っていらっしゃる御園男爵を。あそこからも、海軍大将の池辺さんを通して、この間、お話があったのよ。……あなたもずゐぶん変ってゐるのね、わざわざこんな荒壁の家に入って、苦労しようっていふのは、私達には解りませんね』
『そら、叔母さんにはお解りにならないでせうね。私はね、叔母さん、名誉とか財産とか、身分とか権勢とかいふものに少しも憧れを持ってゐないんです。たゞね、漁師があまり可哀さうですから、その人達を少しでもお助けしたいと思ってゐるんです。私は、お父様には私の心が通じてゐると思ってゐるんです。いつかも私が、叔母さんに申上げた通り、日本の人はあまりに海を忘れ過ぎてゐるんです。それで私は一生の使命として海の人を慰めて行きたいと思ってゐるんですの』
 叔母の中川せい子は。いくらいうてもマリ子が、海、海、海を繰返して、陸のことを少しも考へないといふものだから、マリ子を冷笑しながらいうた。
『お前は海女に生れて来ればよかったね、西田家に生れてきたのは間違ひだったんだね、ふふゝゝゝ』
『さうなのよ、叔母さん、私、海女に生れたらよかったと思ってゐるんですわ』
 然し、どう答へても叔母はマリ子の気持を理解しなかった。で、マリ子は隠しても仕方がないと思ったので。はっきりいうてしまった。
『叔母さん、私ね、もう妊娠してゐるんですの』
 叔母はそれを聞いて吃驚してゐる様子だった。
『妊娠? 誰の子を?』
 叔母はやゝ前半身を後にひいて、二つの眉毛を上に吊上げながら。さう尋ねた。
『村上さんの胤(たね)をですよ』
 マリ子は平気な顔をして答へた。叔母は一尺ばかり前に摺り寄って、瞳を据ゑてマリ子を睨みつけた。
『マリ子さん、あなたは西田家では唯一人の娘であることを知ってゐますね?』
『はい、よく存じてゐます』
『それを知ってゐて、あなたはわざわざ不義な関係を、素姓のわからぬ破戸漢(ならずもの)のやうな海員と続けてもいゝと思ってゐるんですか?』
 その言葉にむっとしたマリ子は、余程反抗しようかと思ったけれども、またぐっと感情を押へて赤ん坊を揺すぶりながら沈黙して坐ってゐた。
『お父さんは、あなたが妊娠してると聞いたら、お怒りになるだらうね』
『だって、叔母さん、私は満二十五歳過ぎてゐるんですよ。日本の民法にだって自由結婚してもいゝことになってゐるぢゃありませんか。二十五歳以上は!』
『まあ、そんなことがよくいへるね、マリちゃん、あなたはこんなに私達が心配してゐることを少しも顧てくれないんだね。あなたは西田家が潰れても何とも思ってゐないんだね』
 叔母のせい子は、頭を上下に振りながら、指先をぴりぴり震はせてゐた。
『叔母さん、全くさうなのですよ。私は日本を救はうとこそ思ってゐますが、一西田の家を救はうとは思ってゐないのです』
 さういった時、叔母はマリ子に飛付いて来た。そして、マリ子の左の頬ぺたを彼女の右手で捩(ねじり)上げた。
『もう一度いってごらん! マリ子。あなたは、私がこれだけ心配してゐる西田の家が、潰れてもいいといふんですか?』
 叔母が激しく口許をひねるので、頬ぺたの筋肉がぴりぴり痛む。然し、マリ子は、少しも冷静を破らないで、視線を遥か彼方に見える水平線にそらしてゐた。叔母は一人で怒ってゐる。
『淫売婦の様な生活をしてる女が、日本を救ふなんて、生意気なことをいふものぢゃありませんよ』
 マリ子があまり無抵抗主義で押し通すものだから、なほ癪にさはったと見えて、こんどは左手でマリ子の右の口許を掴み、両手でそこが死にいるまで爪切った。叔母かあまり残酷なことをするので、マリ子は両目を閉ぢた儘静かに心の中で神に祈った。
『神さま、どうかこの罪を叔母さんに負はさないで下さいまし……』
 彼女はその時ほど、クリスチャンであった母が生きてゐてくれたら善いにと思ったことはなかった。
 然し、宗教のことなど知らない叔母は、マリ子が心の中で祈ってゐるとは気付かないで、
『かういふ親不孝者は、獣(けだもの)より下等な動物だからかうしてもまだ感じないと見えるね』
 と口ぎたなくいうた。
 赤ん坊が泣き出した。それで、マリ子は死にいるばかり口許を捩ぢられてゐても、泣きながらまだ辛抱して、そっと赤ん坊を床の上に置き、両手を組合せて祈り続けた。叔母は余程マリ子の態度が、はがいたらしかったと見え、
『わたしはお前のやうな者の叔母だといはれるのが恥かしいよ……』
 マリ子は涙の雫のたまった両眼を開いて、そっと叔母の顔を見た。すると叔母は鬼の面のやうな恐ろしい顔をして、鬢の毛を真直に立ててゐた。
『親不孝者が! かうしてやって恰度いゝんです』
 さういって叔母は、またこんどはマリ子の髪のたぶさを掴んで前方に引倒した。それでマリ子は俯伏せになったまゝ叔母にいうた。
『叔母さん、誤解しないで下さい。私はお父さんのことを思へばこそ、村上と一緒になったんです。お父さんが海軍の人でなければ、海の人を可愛がりゃしないんです』
『まあ、そんな生意気なことがいへたものだね、お前は! お前は十一の時にお母さんが死んで、誰が育てたと思ってゐるんだね。私がみんな世話したんぢゃないの』
 その時、マリ子は大胆にいうた。
『何も私はあなたに世話になりゃしませんよ。私は寄宿舎で大きくなったんです』
 さういふと。叔母はなほ癩にさはったと見えて、二つの眼から涙を流しながら、マリ子の頬ぺたを右手の掌で続けざまに四つ五つ叩いた。あまり物音が大きいので。近所の子供が裏口から見物に出てきた。赤ん坊が火の付くやうに泣き叫ぶ。裏表に子供の見物人が大勢立つと、近所の漁師のおかみさんまでが出て来た。そこへ、どうした理由だったか、突然船に帰った筈の村上勇が入って来た。
郵便局で電話をかけたら、大丈夫だといふのでまた帰って来ましたよ』
 そこへ中川せい子は、つかつかと出て来た。
『あなたはよくまあ、うちの娘を誘惑しましたね!』
 さういったけれども。勇は沈黙した儘、にたにた笑ってゐた。
『何がをかしいんですか!』
 さういふなり、ヒステリーのせい子は、勇に飛びかゝってきた。そして彼の胸倉を捉へて激しく振った。あっけにとられた勇は、たゞびっくりして開いたロが塞がらなかった。それで彼女の両手を捉へ、柔道の手でその手を放させ、両手を上に捩上げると、
『痛い! 痛い!』
 といひながら、中川せい子はそこに泣倒れてしまった。
 叔母があまり昂奮してゐるので、マリ子も勇も家に居らないのがいゝと思って、傘をさして二人は海岸に出た。そして、夕暮まで二人は静かに散歩した。帰ってみると、もう叔母はそこにゐなかった。その晩遅くまで、二人はゆっくり衰頽した漁村を救ふために、あゝもしよう、かうもしようと、理想を語った。夜遅く寝る段になって、勇が床の上に横になると、マリ子は、
『按摩さして下さいね』
 さういって、勇の傍に静かに坐った。勇が、
『勿体ない!』
 といって断ったけれども、
『年中荒波に揉まれていらっしゃるのだから、妻位には揉ましてもいゝぢゃないですか!』
 さう歯切れのいゝ口調でいうたので、勇は床の上に坐り直して改めていうた。
『マリ子さん! 日本の若き女性がみんなあなたのやうな気持で居ってくれるなら、日本の海員の一人だって堕落するものはありませんよ。ほんとに有難う!』
 さういって勇は、マリ子の両手の甲に一つひとつ接吻した。

  漁村更生の曙光

 千島列島から半円型を描いて、北氷洋の真中へ東に並んだ、島々は、アリューシャン列島と呼ばれてゐる。その附近が世界の最も良い漁場の一つであることを見付けたのは、欧洲大戦後のことである。今でこそ北洋漁業として日本の誰もが知るやうになったが、大正四年頃そこを開拓した日本の漁師の言葉を聞くと、実に悲壮なものであったらしい。然し、北洋漁業は漁期が短いだけに非常に無理があり、あるひは蟹工船の問題として。あるひは鱒、鱈の工船の問題として夏になるといつも新聞紙を賑はした。
 第十一福徳丸に乗ってから、勇はしばくカナダ近くのアリューシャン列島へ、その小さい船で魚の積込みに出かけたが、今年も夏になって、アリューシャン列島まで二往復した。そして、日本人が積極的に大きな水産中心の産業組合連合会をつくり、みづから工船を仕立てて北氷洋に出かけさへすれば、決して漁民に行詰りがないといふことを痛感して帰って来た。
 勇が、東京に帰って、魚市場の書記にその話をすると、書記はげらげら笑って、
『そりゃ君空想だよ。第一、憲友会の代議士が賛成しやしないよ。あの人達は、日本の水産業が産業組合化に成功すれば、自分の選挙運動費の出所がなくなってしまふから、あくまで漁業組合の産業組合化には反対するよ。第一、君の船の持ち主である森田弥兵衛が憲友会の金穴(きんけつ)のばりばりぢゃないか!』
 さういって苦笑した。然し、勇には魚をとって来る漁師が、乞食のやうな生活をしてゐて、両腕を組んで、問屋の店先に坐ってゐる且那衆が、電話の受話機を一つ持っただけで、何十万の金を懐に入れる理由が少しも呑み込めなかった。それで彼は、北氷洋の工船が終りを告げる九月の末に、アリューシャン列島から東京に帰った。
彼の理想は日本全国の漁村に、間屋の手を経ないで、直接に漁師の手から魚獲物を消費者へ売り渡し得る、産業組合式漁業組合を起したいといふことであった。それで彼は、マリ子との約束もあったので、第十一福徳丸の一等運転士を円満に辞職した。そして、東京から真直に、伊豆の富ノ浦に帰った。
 そこにはマリ子と、拾った小さい赤ん坊の百合子との二人が、彼の帰るのを待ってゐた。
 富ノ浦に帰った晩、勇はその村の青年団の幹部の来訪を受けた。それはマリ子が予め、その青年団の幹部にいうておいたからであった。幹部達は、そろひも揃うて漁民の窮乏を訴へた。それで勇は、北氷洋で考へたことをみんなにいうてきかせた。みんなはそれに賛成した。で勇は直ちに、富ノ浦の漁民を一団とする産業組合を作り、利用、販売、信用、購買の事務をやるのみでなく、その他に、鯛やちぬの養殖事業も計画し産業組合から上ってくる利益で医者をも雇ひ、船舶の保険も、生命保険火災保険まで組合で扱ふやうにしたいものだと提議した。それに対して反対する者は誰もなかった。殊に、この前、勇が七夕の日に富ノ浦へ初めてきた時、海岸で村の漁民大会を開いてゐた際、その司会をしてゐた斯波(しば)勝三といふ青年は最も呑込みがよく、勇のいふことに凡て賛成した。
『僕は、あなたのいふことに賛成だがなア、然し、結局かういふ組織をしても魚が居ない時はどうするね?』
 とぶっきら棒に彼はいひ出した。
『いやね、組織が完全になっても、魚が居らんやうになれば何も役に立たぬからな、わしはそれを心配してゐるんぢゃ。七月の初めにはみんな大分熱心になって、県庁へ押しかけるというて相談してゐたに拘らず、いざ行く時になると、わしも忙しい、わしも忙しいといって尻込みする者ばかりぢゃったぢゃないか。あれだから漁民はいつまで経っても救はれないんだよ』
 その時、縞の単衣を着た、顔の大きな青木睦男といふ青年がどす太い声で答へた。
『実際さうだよ。もう少しみな本気にならぬといかんよ。然し、みな本気になれぬといふのは、その日その日の糧に困ってゐるから元気が出ないので、沖が荒れて何もとれなくとも、一ケ月やニケ月は生活に困らぬ工夫を考へておいて、一つ漁民救済の大運動を起さうぢゃないか……何でも、山羊を飼ふと非常にいゝっていふから、沖に出ない女や子供に、裏の山で山羊を飼はして。困る時には、その乳を飲むやうにしたらどうだね?』
 それを聞いてマリ子は、女学生時代によく行った軽井沢に近い、長野県小県郡の農家の副業としてやってゐる山羊のことを思ひ出して、すぐ賛成した。
『さうね、この村の裏山か広いんだから、一軒平均に二頭位づつ山羊を飼うて、その乳を飲むやうにすれば、山羊は笹でも何でも食べてくれるから、漁民が餓ゑ死にするといふことはないわね、さうしませうよ』
 その時勇は、鰯の燻製が簡単に出来ることを話した。
『あれも軒先に小さいトタン張りの部屋を作って、鰯のとれた時に、少し燻製貯蔵法を研究すれば、腐らかさなくっていゝと思ふなア』
 すると、ある青年は、いたぼ牡蛎養殖がいゝといひ出した。男もそれに賛成した。そしてまた海岸に栗、胡桃の魚付林を作って、魚を岸へよせ、不漁の時にはその実を食はうと皆で決議した。かうして勇は、マリ子が村の青年に尊敬をうけてゐる関係上、富ノ浦にかへった第一夜から、青年達の信任をうけた。
 翌日直ちに青年団長の斯波勝三は、農事試験場に山羊の種をもらひに行った。その晩もまた研究会が開かれた。そして、青年団の幹部はみな一致して、遠洋漁業に出る船を産業組合で作らうと約束した。
 十月の初めに村上勇は、みんなの希望によって、兵庫県別府にある国立水産試験場へ、いたぼ牡蛎の種をもらひに行った。

海豹の50 荒壁御殿

  荒壁御殿

 希望の朝が明けた。昨日の雨はからりと晴れて、富士山の頂きには一点の雲さへ無かった。赤ん坊をまだ寝かしておいて、マリ子は新しく借りた家を掃除に行った。家賃二円の家でも住む気になれば、逗子の父の家より懐しく感ぜられた。四間に三間半の納屋のやうな不恰好な家には荒壁がついてゐた。流し場も便所も外にあった。長く掃除しないと見えて、台所の竃の上にも蜘蛛の巣が張りつめてゐた。然し、貧民窟を多く見てゐるマリ子は、そんなことには少しも吃驚しなかった。
 村の荒物屋から、箒とバケツと雑巾を買ひ求めてきて、一時間位のうちに兎に角住めるやうに、ざっと掃除をした。元吉の家で朝飯をよばれ、土鍋、七輪、バケツ、茶碗、お皿、箸、庖丁等を買ひ求めて、家に帰ったのは九時頃であったが、障子がないので家らしい気は少しもしなかった。あまりをかしいのでひとり笑ったが、障子を買ふ金がなかった。心配になるのは布団であった。元吉に余程布団を貸してくれといひたかったが、恥かしくて、その言葉が口に出なかった。それで彼女は、裏口に出て跪いて静かに神に祈った。
 裏口から再び家に入る時、三島の牧師の処に行って頼めば、布団と蚊帳が借りられるといふことに気がついた。それで彼女は早速三島に行くことにした。親切な三島教会の牧師夫人は少しも悪い顔をしないで、心持よく布団と蚊帳とを貸してくれた。沼津に帰ってきたマリ子は、大きな布

2015-02-22

海豹の48 海上の奴隷

  海上の奴隷

 案内してくれたマリ子の父の家といふのは、頗る堂々たる別荘風の邸宅だった。海岸から少し離れてゐるのが難点ではあったが、庭の植込みは、冬でも家が見えないほど立籠り、文化風に建てられた洋館は、狭くはあったが手をこめて造られてあった。マリ子が赤ん坊を背負って、玄関から黙って奥に入ると、年寄った女の声で、
『まあ、どうしたの? マリちゃん』
 といふのが聞えた。さういひながらマリ子と二人で出て来た婦人は、明治時代によく貴婦人が結うた揚げ捲きの髪を結ひ、お召しの着物に、黒朱子の丸帯を締めてゐた。
 勇が叮嚀にお辞儀をすると、マリ子は、
『わたしの叔母でございます、どうかよろしく』
 と紹介した。応接間に通されると。そこにはマリ子の父、西田海軍中将と、大蔵省事務官だといふまだ年の若いこざっぱりした洋服姿の青年が二人椅子に腰をかけてゐた。マリ子の叔母は、その青年に村上勇を紹介してくれた。それで勇が、彼の名刺を差出すと、彼も、上衣のポケットの中から名刺入れを取出して、大蔵事務官田中茂雄と印刷した大型の名刺を彼にくれた。
 話はまづ、マリ子が貧弱な赤ん坊を拾ひ上げたことから始まった。マリ子の父はしきって、赤ん坊を可哀さうだと繰返す。マリ子の叔母は、棄児をするやうな女親の気持がわからぬと、母親の薄情を攻撃する。大蔵事務官の田中茂雄は、
『マリちやんにはよい経験ですよ』
 と笑ふ。それに対してマリ子は。
『何といはれても、他に育てる人がゐないのだから仕方がないわ』
 と見得をきる。それからマリ子は引続いて富ノ浦の漁師に虐待せられてゐた少年を世話してゐることを父に話した。そのあたりの事情に精しいマリ子の父は若い大蔵事務官に漁村の悪習を物語った。
『実際、あれは何とかしなくちやいけませんなア、あのあたりには、昔からあゝした悪い習慣があるやうですが、体裁のいゝ奴隷制度ですね』
 田中はそれを聞いてびっくりしてゐる様子だった。
『今時にそんなことがありますかね……成程、海を恐れる者には、さういふやうな傾向かありませうなア、昔から、板一枚下は地獄だと船乗はいってゐますからね』
 さういって田中はシガレットの灰を軽く指先で払ひ落した。
『いや、海上生活は実に不自然ですね、今日のやうに一万噸二万噸の大きな汽船や軍艦が出来てゐてさへ、少し長い航海に出ると、四ケ月も五ヶ月も妻子の顔が見られないんですからね。ましてあの小っぽけな和船を漕いで沖へ出る漁師が、海を怖れるのはあたり前でさあ』
 西田海軍中将は、白くなった口髯を左手で撫で下しながら伏目勝ちにさういった。マリ子は赤ん坊の乳を溶くために。台所の方に立去った。叔母の中川せい子も、マリ子について応接間を出た。勇は、海軍中将と大蔵事務官の会話を黙って聞いてゐた。
 太陽はまばゆいほど南側のガラス窓から射し込んでくる。雀が、軒の樋を伝って、『チ、チ、チ』と嗚いてゐる。煙草に燐寸で火をつけ直した田中は、西田中将と話を合はした。
『この間、国際汽船の大福丸が沈没した話を聞かされたが、あんなことは有り得るものでせうかね?』
『いや、私もあれにはびっくりしてゐるんですがね、小麦を下手に積むとあゝなるんです。船艙の中に板で仕切りをして小麦を詰めれば、あんな結果にならなかったでせうが。僅か二、三千円の金を始末して板で仕切りするところを節約した結果、あゝなったんでせうね、小麦などは一旦波で舷側に片寄ると、なかなかもとに復帰しないものでしてね、暴風雨に遭ふと、あんなことになるんですよ。全く船長の不注意でせうなア』
 海軍中将は技術家らしいことをいふ。
『成程! そんなもんですかね、この間も船舶保険の関係で難船の統計を見ましたが、一昨年に三千百九十七件ありましたよ。その中、確か動力なき漁船の遭難にあったものが二千五百七十八件だと記憶してゐますが、ずゐぷん海難っていふものも多いものですね。その中、長崎県漁船が最も多く遭難してゐますが、あれはどういふわけですか?』
 田中があまり精しい統計をよく知ってゐるので、西田将軍も話に気乗りしてきたらしかった。
『あなたはなかなか委しいことまで注憲していらっしゃいますなア。私も今、水難救済会の理事をしてゐる関係上、そのことに就て心配してゐるんですがな……長崎県に海難の多いのは、あれは全く島の関係ですね。(西田中将は村上勇の方を顧て。尋ねるやうにいうた)さうでせう、君、長崎県は島が最も多いから漁船には都合がいいけれども、島を廻る時に風にやられるんでせうなア、あれで』
 海軍中将にきかれて多少面目をほどこした勇は、去年の春第十一福徳丸を五島列島に回航した時、あちらで聞いた話を思出していうた。
『実際、長崎県は不思議な処で、一年中、漁のある処ですってね。島蔭を応用して、ぐるぐる風を避けて漁をして居れば、毎日出漁出来るんですが、島蔭を廻る時にやられるらしいですな、そして、また長崎県には小さい漁船が多いですな。日本であしこが一番多いでせう、漁師は』
 田中はそれを聞いてすぐ西田中将に問ひ返した。
大蔵省でもある一部の者は、早く小さい漁船のために船舶保険をつけてやれといふ意見もありますが、どうも私の考では出来さうもないですね、あまり危険が多いです方今ね。まあ、今の処ぢゃあ。毎年、漁船百隻に対して一隻位難破してゐる率になってゐますがね、そんな高い率に対して、貧乏な漁民はよう保険金を払はないと思ふんですが、あなたはどんなにお考へですか?』
『さあ困ったことだね、私には保険制度のことは全くわがらぬが、どうにかしてやりたいが、金持ちにいうても汽船の方であれば、海上保険なども大分乗り気になってくれるけれども、漁船の方は誰も相手になってくれんから、私も全く見当がっかんですなア』
 海軍中将がさういふので、勇は余程意見があったけれども、新参者として黙って謹しんでゐた。田中はまた巻煙草の灰を皿に捨てる。西田中将は、ヨット税金の話から、漁民が税金に困ってゐる話を始める。
『ありゃ、田中君。少しはどうにかならんのかね。漁民はみんな重税に苦しんでゐるやうだが、もう少し税則を簡単にしてやるわけにいかんのかね? 伊豆あたりの漁民なども、税金が四重五重にかゝってくるものだから弱ってゐるらしいね』
 それを聞いた若い事務官は、話が専門のことに立入ったので、
『そんな事はないと思ひますがね』
 と、相手の瞳を見直した。
『然し、君、漁民は定置漁業権税金をとられ、専用漁業権税金をとられ、船でとられ、市場でとられ、所得税でとられ、魚々のちがった綱の漁業に対して税金をとられてゐるらしいね。ありゃ、僕の考へでは、所得税一つにして済むやうに思ふがなア。あんなに四重五重にとらなくてもよいのぢゃないかね』
 さういはれたけれども、テーブルの上で財政学ばかり研究してゐる田中には、ちょっとその話が呑み込めなかった。それで、西田海軍中将は、村上勇に説明してあげてくれと要求した。話をきいて田中は解ったらしく、
『成程! 聞いてみると気の毒ですなア。それはどうにかした方がいかさねやおうに思ひますね』
 さういっただけで別に名論も持ってゐなかった。それで勇は、
『最近のやうに不漁の年が続くと、税金のために貧乏するものが沢山あるんですよ。あれが所得税であれば払はなくて済むものを、船の税金とか、専用漁業とか定置漁業権といふものは、たとひ一文も収入がなくても、税金を払はなければならんですからね。漁民はその課税に耐へ切れないといふ訳ですね、例へば、最近、鳥取県島根県の如きは、鰯が少しもとれないですからね。鰯をとる船や網を遊ばしてありますが、税金だけはかゝってきますからね、全く可哀さうですよ。所得税で払ふのであれば、都会の労働者のやうに何百円も収入があっても、一文も税金を払はなくて済むですが、年僅か一戸あたり百円位しか収入のない漁師でも、税金だけは八円も九円も出してゐるといふ始末ですからね。全く可哀さうですよ』
 さう聞かされて、大蔵事務官も多少驚いてゐる様子だった。
 叔母のせい子が、ココアを運んできた。マリ子がまた子供を抱いて入って来た。赤ん坊が可愛い目を開けて外を見てゐる。海軍中将は冷かし半分に、
『その子をまた漁師の村にやればいゝぢゃないか、マリちゃん」
『お父さん、この子は男ぢゃなくて、女ですの。男だったら貰ひ手もありませうが、女だから棄てられたんですよ』
『あ、さうか、頭を剃ってゐるからわからないなア。ハヽヽヽヽヽ』
 一時間位、西田海軍中将の応接間に腰かけてゐた勇は、中将と田中の二人があまり相手になってくれないので、日の暮れないうちに帰ることにした。勇が玄関に立った時、送り出して来てくれたのは、マリ子一人であった。勇が玄関の石段を下りた時、マリ子は、
『村上さん、私も、停車場まで行きますから、ちょっと待って下さいな』
 さういって。子供を勇に抱かしておいて、奥へねんねこ絆纏と、兵古帯を取りに戻ったが、再び出て来たマリ子は、不機嫌な顔をして沈黙したまゝ赤ん坊を取返しにきた。
『叔母さんが用事かあるといひますから、もうこゝで失礼しますわ』
 さういって、赤ん坊を抱き取って叮嚀なお辞儀をした。その態度があまり変ってゐるので、勇はすぐ、マリ子の叔母が二人の交際をあまり喜んでゐない、といふことを直感した。表に出ると、変り易い冬の空が、真昼の輝かしい太陽を隠して、どんよりした曇り日になってゐた。街路には羽子板を持って面白さうに遊んでゐる娘達もあった。別れる間際にあまりに打萎れてゐるマリ子の姿を見てきた勇には、その光景ばかりが目の前にちらついて、どこをどうして逗子停車場まで辿りついたか、それさへ見当がつかない位だった。

  日向の油津

 南に向いた宮崎県油津の陽気な馬蹄型の港湾には、築港せられたばかりの突堤に、幾百艘の遠洋漁業船が、舳先を並べて着いてゐた。港の人口には大きな島が三つ四つ斜に沖の方へ並んでゐた。その中最も大きな大島は、明津の浜の方へ片寄って半分しか形を現してゐなかった。七つばえ、おぶし鼻の斧で削りとったやうな日向独特の景色が美しく、日本で有名なこの漁港を飾ってゐた。ふしぎなほど海は滑かで、太陽は風のない港の青い海面を、水銀でも塗ったかのやうに照らし付けてゐた。遠洋漁業船のあるものは、真紅に染めた昭和四年度の漁獲物最高の優勝旗を掲げてゐた。水産組合の波止場はV型に港を二つに分けて中央に飛出してゐたが、勇は油津に入る度毎に三浦半島三崎の港と日向の油津の漁港が少し似てゐる処があるやうに思はれてならなかった。水産組合の市場とそれに連続する倉庫は、東に向いた港湾の方に立ってゐた。その関係上、第十一福徳丸も東の港に錨を下してゐた。
 日向へ勇が来るのはこれで七回目であった。その度毎に勇は、油津の漁港が好きになって、そろそろ日向弁が使へるやうになってゐた。然し、勇が油津が好きになった理由がもう一つあった。それは、船が油津に入る度毎に、必ず水産組合から、組合気付で送られた西田マリ子の手紙を、受取ることが出来たからであった。マリ子は大抵毎日、彼に宛てた手紙を書くと見えて、時によると。四通位一度にくることがあった。そんな時には、勇も昂奮して受取ったが最後、すぐ読まなくては気がせけて辛抱が出来なかった。それで鮪の荷役をしてゐる時などでも、便所に行くことに、かこ付けて、そこで四通とも読んでしまふのが習慣であった。
 手紙の内容は、満足なものばかりであった。その冒頭はいつも
『愛する勇様』といふ文字で始まってゐた。その「愛する」といふ文字が勇にはとても気に入った。水産組合の事務員がにやにや笑ひながら、
『村上さん、えらいこんどの手紙は重いですね』
 と冷かすと、
『そりゃ当りまへだよ。女房からの手紙だからなア』
 と平気で答へた。
『だけど、あなたの姓と変ってゐるのはどうしたんです?』
 とつっ込まれると、
内縁の妻だからなア、姓は違ってゐるさ』
 と答へるのがいっものことであった。実際勇は、自分の部屋に彼女の写真をフレームに入れて正面に掲げ、誰に尋ねられても、
『これは僕の女房です』
 と答へるのがいつものことになってしまった。それ位、勇はマリ子を信じきってゐた。陸と海と数百哩離れてゐても、勇もマリ子も距離を超越してゐた。それで、船長の永松五郎を初めとして、殆ど乗組員の全部が油津に着くとすぐ女を買ひに行くことがあっても、勇は三島の天幕幼稚園に保姆として働いてゐるマリ子に手紙を書くことによって。勇敢に海員の陥る誘惑から免れることが出来た。然し、第七回目の航海が終って、第十一福徳丸が油津に着いた時には、マリ子の手紙が勇を失望せしめた。それは、こんな文句で綴られてゐた。
『………勇さん、三月末にこの天幕保育所は一旦閉鎖することになるのです。北村さんもまた小石川の保姆伝習所に帰られるさうです。それで私も逗子の父の家に帰らうと思ったりしてゐるんです。たゞ困ったことは、叔母がどうしても夏にならない前に結婚した方がいゝと勧めることなんです。その後も田中茂雄さんが度々逗子へいらっしゃいまして、父との了解はよほど進んだらしいのです。叔母の言葉によると、田中さんは西田家に養子に来てもよいといって居られるのださうです。父はそれを非常に嬉しがって、田中さんを養子に貰ふ気でゐるらしいのです。つい一週間程前も中川の叔母が三島までやって来まして、父のいふ通り早く身を固めて三月二十一目の彼岸中日に日比谷の大神宮で結婚式をしてはどうかといひに来たんですが、私ははっきりいったんで
す。お父さんに孝行はしたいんだけれども、恋愛のことだけはお父様に従へないから、まだ結婚する意志はないと答へたんです。その時、叔母は、あなたとの関係をきいたものですから、私ははっきり叔母に答へました。「私がもしも結婚することがあれば、村上さんと結婚します」って。すると叔母は非常に腹立てて、海員なんか品行の正しい者は一人もないから、海員に娘はやれないとお父様がいっていらっしゃるといはれたので、私は叔母にいうてやったんです。「そのやうな気の毒な海員であればこそ、私は慰めてあげたいと思ってゐるんです」って。すると叔母は、冷かし半分に月給はいくらかと尋ねますので。「六十円しか貰っていらっしゃらないんです」と答へますと、「それぢゃ食っていけんぢゃないか」といはれましたので、「いゝえ、それで充分です」と答へて
やったんです。私はその叔母の態度に憤慨してゐるのです。
 父も叔母もあなたの身分があまり低いことを気にして、やれ海員がいけないの、やれ月給が少いの、やれ教育が足らぬの、と煩さいことをいふのです。しかし私はもう腹の中で、あなたの他に一生夫を持たないと決心してゐますから、父があまり喧しくいふなら、家に帰らないで、伊豆のどこかの漁村に入って、哀れな漁民のために一生奉仕しようと思ってゐるんです。今の処大丈夫ですけれど。どれだけ私が愛のために生き得るか、私はそればかり考へてゐます……』
   二月二十八日
                     清き抱擁もて
                        マ リ 子
     愛する勇様

 この手紙を読んだのは、三月三日の節句の日であった。勇は誰もゐない操舵室の左舷のレールの傍でこの手紙を読んだ。
 その時、魚市場の前で大勢の漁師がよって、何かしら異様な『鬨の声をあげてゐた。それで勇は、半泣きになった彼の顔を水で冷やして、人に見られても恥かしくないやうにもう一度操舵室に帰ってきた。すると水兵服を着たクォーター・マスター(四部交代の舵取り)の増田弥吉がやってきた。
『チーフメート、(汽船では一等運転士のことをさういふ)魚市場の前で騒いでゐるのをお聞きになりましたか? 鹿児島県串木野の連中が、魚問屋の分引が高いといって反対してゐるんです。実際可哀さうですなア。県内の者は優遇されてゐるのに、県外の者は一割からとられるんですからね、不公平といへば不公平ですよ』
 『あゝ、例の問題が爆発しちゃったんだな。ありゃ、増田君、やはり国家で市場を経営してやらぬといかんなア、油津のやうな日本的な魚類市場は、土地の人間が魚を売りに来るのぢゃなくて他府県の者が此処に売りに来るのだから、県の内外を問はず、取扱は平等にして、国家が完全な市場を経営するのがほんとだと思ふなア。僕は、鹿児島の漁民の連中が怒るのはあたり前だと思ふな』
 さう勇が答へると、
 『串木野の連中は、もう来年から明津の方へ別に市場を建てるといってゐますよ。土佐の清水港では大分県の連中が同じ問題で騒いでゐるし、釜石でも、銚子でも、三崎でもみんなぼつぼつ他府県の漁船がいってゐるんだから、こりゃ思ひ切って国家が漁政庁でも設けて国営市場でも建設してやりますかな』
 操舵室の上から見てゐると、魚市場の前の騒ぎを気にもとめないで海岸の白砂の上で薪を割ってゐる漁師もあれば、小さい網を繕ってゐる者もあった。そちらの方を眺めながら村上勇はいうた。
『それぢゃあ、今日は荷役は出来んのかな。弱ったなア。然し、増田君、一番可哀さうなのは漁師ぢゃなア。免に角俺達が積んで帰る鮪を一生懸命沖で漁って、仲買人に叩かれ、問屋に絞られて、東京に俺達が持って帰ると、価格が油津で買ふ三倍から五倍になるんだからなア。儲けてゐるのは問屋だなア。国家としちゃあ、可哀さうな漁民を救ってやらなくちゃいかんなア、君は、どう思ふか?』
 増田はすぐ答へた。
『私もさう思ひますね。免に角、問屋がうんと絞らなければ、漁民は充分養って行けますね。これは一日も早く全国の水産市場を国営にして、問屋には賠償金を支払ひ、漁民の救済をしてやらなかったらば、日本の漁民の浮かぶ瀬はありませんよ』
 増田の意見に感心した村上は、
『君は誰からそんな議論を聞いてきたんぢゃ。なかなかうまいこといふぢゃないか』
 と冷かすと。
神戸の海員組合で聞いて来たんです。あしこにはなかなか解った人が居りますからなア。漁師が困ってゐるといったらば、「そりゃお前魚市場を国営にしたらいゝぢゃないか」と、うまいことを教えてくれたんです。然し、鹿児島県の漁民たちで、そこまで徹底して考へてゐる者はないやうですな』
 さういってゐる処へ、船長の永松五郎が葡萄酒の壜を一本ひっさげて操舵室に上ってきた。
『村上君、一杯飲まうぜ、今日魚市場の前で鹿児島の漁民が騒動やってゐるので荷役が出来ぬって』
 さういってまた下に降りて行った。船長の持ってゐた葡萄酒の壜に目のついた舵取り(クオーター・マスター)の増田も、すぐ船長の後を追っかけた。それで、村上勇も操舵室を下りて自分の部屋に帰り。頼信紙に、
『三ガ ツハヒシバ ウラニツクアヒタシイサム』
 と電文を綴って、すぐ部屋を飛び出し、上陸してひとりで電報を打ちに行った。郵便局から帰り途に漁師の生活を見ようと裏通りを歩いてみたが、どの漁村にも見られる同じ悲惨が、この輝かしい太陽の光る日向の油津にも見受けられた。で、勇は淋しい気持で船には帰らず、物思ひに沈みながら梅ケ浜まで散歩した。人生の悲惨に反して、そこには自然の壮観な戯曲が見られた、そこいらは、世界に珍しい砂岩層が畑の畝のやうに規則正しく並んで、地球の寿命を物語ってゐた。それを見た勇は、急に元気を取返して、また日の入らぬ中にと船に帰った。

海豹の47 雀のお宿

  雀のお宿

 それからマリ子は一たん天幕にもどったが、町ヘレター・ペーパーを買ひに行くといひ残して天幕を出ようとした。それで村上勇も彼女と一緒に散歩しようと彼女の出たあとを追っかけて外に出た。街路の上に彼女の影を見つけた勇は、あとから飛んで行って、彼女の傍を歩いた。そのあたりは一面焼野原であったので、夜になると人通りは全くなかった。で勇は彼女の右腕をとり、彼自らの過去を告白しておく必要があったので、かつては彼が養子に貰はれて行ってゐたことを詳さに物語った。それに対して、明るいマリ子は、
『さう、そんなこともあったんですか。海の人に理解のない女の人は困ったものですねえ』
 といって別に彼の悲しい過去に気を留めなかった。勇はよほどその時もう少しつっ込んだ話がしたかった。けれども会った早々でもあり、そんな進んだ話をよう口に出さなかった。文房具屋から天幕に帰って、マリ子は施米の切符を百枚つくった。そして明日はバラックの人にわけるのだといって、切符の上に印制する謄写版の手伝を勇にさせた。そのうち十時になったので、三人ともみんな寝ることにした。
 勇は先にねかされたが、キヤムヴァス・ベッドから細い目をして、マリ子がどんな風をして寝るかと見てゐると、先づ洋髪を全部ほどいてお下げにたらせ、ベッドの裾で、長い西洋風の寝衣にきかへてゐた。そのあたりの所作が今迄かつ子や万龍のやうな木ノ江芸者の就寝の様子とよほど違ふのが、面白く感じられた。そして、ベッドにはいる前に、跪いてしばらくの間祈ってゐた。その様子が如何にもしほらしく、かうした姿は新しき時代を指導する女性の半面であらうと、勇はつくづく感心した。愛子もマリ子と同じそうな様子をし、又同じやうに跪いて祈って、勇とマリ子の間におかれた『畳みベッド』の毛布の中にはいった。
 翌朝であった。愛子は早く起きて、天幕の外で炊事の手配をしてゐた。マリ子は天幕の中を片付けてゐた。そんな事には気がつかず、久振りに陸上で寝た村上勇は、天幕の東側が太陽の光線に黄色く輝く迄、目がさめなかった。もう起してもよいと思ったか、マリ子は彼のベッドに近付き、彼の頬っぺたを柔く撫でた。
『村上さん、御飯が出来ましたよ』
 彼女はさういひながらも、右手で勇の左の頬っぺたを撫でまはした。びっくりした勇は、その手を握って唇にあてた。すると、マリ子は左手で勇の片一方の頬っぺたを撫でまはした。起上った勇は、朝飯はもう食ひたくなかった。極度に昂奮して、愛子にどういった風に朝の挨拶をしてよいか、それさへ考へ出せなかったほど、とまどうた。しかし、彼は今日船に帰らねばならなかった。食事がすむ頃には早やバラックの子供が十四、五人、天幕保育所に詰めかけてゐた。そしてマリ子はまたすぐバラックをまはって、施米の札百枚を、配布しなければならなかった。
 で勇は男らしくマリ子に別れを告げることにした。街路迄送って来てくれたマリ子は、
『私ね、まだあなたに話したいことがたくさんあるんですよ。だけど今いへないから、お手紙書きますわ。あなたもお手紙下さいな』
 さういって、あっさり握手してわかれた。勇は、東京行きの八時の列車にやっと間に合ったが、列車の中まで天幕で送った一夜の昂奮が続いた。
 その日の午前十時過に、彼は芝浦の埠頭に帰った。ところが船長の永松五郎は、『東京で正月が出来るやうになったから、来年の一月四日まで故郷に帰って来てもよい』と、彼に猶一週間の休暇をくれた。彼はそれを小踊りしてよろこんだ。
 早速、彼はまたその晩、西田マリ子の義勇的に働いてゐる、静岡県三島の天幕にとって返した。彼が暗い街路を歩いて、天幕の入口に姿を現すと、マリ子はびっくりしてゐた。
『まあ、どうしたの? あなた東京へ帰っていらしったの?』
 といぶかって尋ねた。
『一月四日迄休暇が出たんですよ。それで又御手伝に帰って来たんです』
『さう。それはよかったわ。男の人がゐないと重いものを持っていたゞくことが出来ませんからね。今朝もお米を配給する時、随分困りましたのよ。恰度いゝわねえ。愛子さん。牧師さんも一人男の人を頼んであげませうといっていらっした時ですから、村上さんに義勇的に働いていたゞけば、それに越したことはないのねえ』
 勇はその次の朝から、一生懸命働いた。朝は二人の娘より早く起き、天幕の周囲を掃ききよめ、七輪に火をおこし、娘が顔を洗ふ前に、土鍋の御飯がもう出来てゐるやうに、準備した。それから天幕の中を片付ける時にも、隣のピラミッド型の天幕の中を整理する時でも、コツコツ狭い船の中を片付けるやうに、機敏に立廻って、ちょっと天幕の中にはいって来た人が見ても、感じのよいやうに凡てを整頓させた。
 愛子はそれを見て、勇をほめた。
『船の人は。しょっちゅう、片付ける習慣がっいてゐるから、片付けるのが上手ねえ』
 マリ子もそれに賛同した。勇はそれが嬉しかった。保育所の日課が始ると、勇はとぼとぼ焼けてゐない市街地迄、大工道具と木材を買ひに行き、子供の喜びさうな辷(すべ)り台を、米のはいってゐる天幕の中で造り始めた。大工の仕事は商船学校で教へこまれてゐたから、さう困難ではなかった。
 昼すぎには、買へば二、三十円する辷り台が、ハウス天幕の裏側に据ゑつけられた。子供の喜びはたとへやうもなかった。
『村上さん、あなた随分、器用ねえ。びっくりしてしまひましたよ。ついでにシーソーと、船型の揺台と、出来れば、ちっさいブランコも造って下さいよ。材料費はこちらが出しますから』
 西田マリ子が、勇の大工の手際のよいのに、つけ込んで、さういふと、勇もよろこんでそれに応じた。次の日一日かゝって、勇はマリ子の要求した三つのものを皆造ってしまった。
『これぢゃほんとの幼稚園に劣りやしませんよ』
 愛子はうれしさうに勇にさういうた。遊び道具が出来てから、天幕の周囲は急に賑かになった。小学校の生徒までがやって来て、朝から晩まで、ブランコを奪ひ合ひした。
 十二月三十一日の日も、勇は箒と、かんなと金槌とを離さなかった。朝早く箒で天幕の周囲を掃除した後は、叉うちらにはいって、いつもの通り整理を始めた。整理がすむと、鋸とかんなと金槌とをもって、天幕保育所に必要な積木をつくったり、書棚をつくったり、下駄箱をつくったり、仲々急がしかった。そして精力の旺盛な勇は正月の一日から、ハウス天幕の横にちっさい三畳敷の小屋を建て始めた。それは天幕の中が余り冷えて、マリ子と愛子が病気になることを恐れたからであった。勿論僅か一日のうちに建てようとする小屋であるだけに、それはまるでおもちゃのやうなものであった。
 しかし、正月の休を利用して、愛子が横浜の両親の所へ帰って来る間に、クレオソートを塗ったちっさい家はもう出来上ってゐた。それは三畳敷のおもちやのやうな家であったが、南側にはガラスがはいり、北側には三尺に一間の押入れがついた、至極便利な家であった。マリ子は初めからしまひまで、この家を建築をする助手をした。そしてそれが出来上った時、自ら『雀のお宿』といふ名をつけた。
『勇さん。私達の家はこんな家でいゝのねえ――これで上等だわ。結構これで住めるのよ』
 マリ子は意味あり気な口調で、勇にさういうた。夕方その家に茣蓙を敷き、テーブルを並べて、火鉢を囲んで落付いた時は、勇はその家の主人であり、マリ子がその家の主婦であり、愛子がその家の娘であるやうな気がした。
『まあいゝ家だこと、千万円出したって、こんな立派な御殿に住まれやしないわ』
 マリ子は丸々肥った頬っぺたを林檎のやうに赤くしてさういうた。
『この家にポーチをつけたらいゝなア。明日はさうしてやらう』
 勇は独言のやうに。戸口の方を見つめてさういうた。

  雪の朝の棄児

『まあ! 棄児してあるわ!』
 ピラミッド天幕から雪を踏んで帰ってきた北村愛子は、訝るやうな口調で、ハウス天幕の中を片付けてゐた村上勇にさういった。生れて初めて棄児といふものを実際に見る勇は、殆ど信じられないことだと考へながら、彼が毎日、仕事場に使ってゐたピラミッド天幕の方へ歩いて行った。斜になった天幕の入口を二、三歩中に入ると、北村愛子が報らせてきた通り、汚れたモスリンの冬着に包まれた赤ん訪が、すやすや眠った儘、箱の蔭に寝かされてあった。生れてまだ百日とは経たぬと見えて、顔の形は猿に似てゐた。その上栄養が悪いと見え、顔には光沢がなく、額には皺さへよってゐた。
『おや、ほんとに! 赤ん坊が天から降ってきたな!』
 滑稽混りに勇は独言のやうにいうた。そこへ、西田マリ子も愛子と二人でやって来た。マリ子は、ながくひかれた美しい眉毛を釣上げて、心持ち微笑しながら天幕に入った。
『なぜ、こんな可愛い子を棄てる気になるのでせうね、生活難に困ったんでせうか? ……然し、交番所に早く知らさなくちゃならんでせうね。村上さん、あなたちょっと、交番所へ走って行って頂戴よ。棄児があったといって』
 さういはれて勇はすぐ巡査を呼びに飛出した。
 愛子は、マリ子が抱へ上げた赤ん坊を覗き込みながら、小さい声でいうた。
『枕許にちゃんと吸口のついた牛乳壜まで置いてあるのを見ると、乳が出なくて困ってゐた人かも知れないのね』
『然し、棄児する人も余程考へたんですよ。こゝは保育所だから、保育所に棄てて置けば餓死にはさせやしないと思つたんでせうね。……しかし棄てられてもこんな無邪気に眠ってゐられる赤ん坊は幸福ね。ねえ、愛子さん、この赤ん坊を巡査に渡さないで二人で育てませうよ。ずゐぶん手数がかゝるかも知れないけれど、私は馬鹿にこの子が好きになっちゃったわ』
 それに対して愛子は別に返事をしなかった。それは手数がかゝることを恐れたからであった。巡査はすぐ飛んで来た。そして一々北村愛子が最初棄児を見付けた時の事情を手帖に書付けて帰って行った。
『なんだ、頼りない巡査だなア。赤ん坊をどうするともいはずにかへって行ってしまったぢゃないですか』
 村上勇が笑ひながらマリ子にいふと、マリ子も微笑みながら答へた。
『あれはね、私達が世話することだと思ってゐるから。安心して帰って行ったんでせう。巡査も赤ん坊を引取ると煩さいものだから逃げるやうにして帰って行きましたね』
 バラックの小屋に寝かしてあった赤ん坊が火のつくやうに泣き出した。
『おやおや、赤ん坊が泣き出したわ、きっとおむつが濡れてゐるのよ』
 愛子がさういふと、
『さあ、大変! おむつの布片がない。さうそ。牧師さんの処にはきっとおむつの古いのがあるに違ひない、あしこへ行って貰ってきませうよ』
 さういひながら泣きわめく赤ん坊を背中に負はせて貰って、マリ子は数町離れた教会まで飛んで行った。牧師の妻君は早速、古い行李の中からおむつを数十枚取出して、笑ひながらマリ子にいうた。
『西田さん、あなたもまだお若いのにお母さんになって御苦労様ですねえ』
『ほんとにいゝ経験ですわ、今から稽古してをれば、自分の子を生んだ時に困りませんからね。おほほゝゝ』
『西田さん、あなたがもしお困りでしたら私がお世話してもいゝですよ。いえ、ほんとに、大勢子供を預っていらしって、赤ん坊を世話するのは大変ですからね』
 牧師の妻君は、ほつれた鬢の毛を撫で上げながらさういった。然し、気の立ってゐたマリ子は、ついでに牧師の妻君から子供を背負ふねんねこ絆纏と、兵古帯を借りて、おむつを換へた赤ん坊を兵古帯で本式に背負ひなほした。それから薬屋に寄って牛乳壜を掃除する器具を買ひ求め。牛乳屋に立寄って、朝晩二合づつ牛乳を配達するやうに依頼して来た。然し、帰ってみると、これはまたどうしたことだらう、十二、三歳の襤褸(ぼろ)を着た少年が、ぼんやりハウス天幕の入口に立ってゐるではないか――
『ちょっとあなた! 何か用事ですか?』
 さうマリ子が尋ねると、少年は俯向いてしまった。そしてその少年は、マリ子と愛子と勇の三人が朝食を済ます間もそこに立ってゐた。それをあまり不思議に思った勇は、やはり震災に関係のある少年だと思ったので、叮嚀に事情をきいてやった。するとその少年は、沼津からあまり遠くない富ノ浦(仮名)といふ漁村から逃げてきたとぽつりぽつり話し出した。それを傍で聞いてゐたマリ子は、すぐ気が付いたらしく、
『ぢゃあ、あなたは今の家に貰はれてきたんでせう、ね? 今のお父さんは、あなたのほんとのお父さんぢゃないんでせう?』
 さういふと、その少年は涙を拭きながら俯向いたまゝ頭を上下に振った。
『解りましたよ、村上さん、あのあたりはね、とてもひどいんですよ。自分の子は沖に出さないで、私生児を貰ったりして。その子だけは漁師に仕立てて、沖に出すんですよ。きっとこの子も貰はれてきて、今まで虐待されてゐた子供に違ひないですよ』
『ふむ、さうですかね』
 勇は、今更の如く漁師の間に悪い風習の行はれてゐることをマリ子から教へられて驚いた。マリ子は、その少年の名を尋ねた。すると少年は、笠間幸次郎であると答へた。
『お父さんが、あなたをぶつの?』
 マリ子が人をぶつ真似をして少年に尋ねると、少年は黙って頷いた。それで、その子供か保護してくれと、富ノ浦から逃げて来たことが解った。マリ子はまた、幸次郎少年を雀のお宿に連れて行って朝食を与へた。食事が済むと、少年は馬鹿に元気づいて、
『赤ん坊を負うてやらうか?』
 とマリ子に奉仕を申し出た。背負ふ癖のついてゐる赤ん坊と見えて、下すとすぐ大声で泣き叫ぶ悪い癖があったものだから、引続き赤ん坊を背負ってゐたマリ子は、救上げた少年が早やもう役に立つとわかったので、何が幸福になるかわからないと、微笑を禁じ得なかった。恰度その日は、勇が船に帰る日だったので、別れを惜しんだマリ子は、村上勇を父に会はすといって、昼から、赤ん坊を背負ったまゝ勇と一緒に汽車に乗って、逗子の父の家まで彼を案内した。

海豹の46 海にあこがるゝ娘

  海にあこがるゝ娘

「おや、おや……こんな所に置いてくれると出入するのに困るのねえ』
 天幕の戸口に立った西田の助手が呟く。それを聞いた勇が、それを傍に寄せる。マリ子は感謝して、二、三遍お辞儀をした。そして天幕の中からナイフを取出して来て、古着を包んだ菰と繩とを取去らうと努力した。それを見た付上勇は、すぐ彼女の手からナイフを奪って彼女を応援した。西田マリ子はその間に子供を天幕に誘ひ入れ、子供に一つ歌を歌はせて、オヤツをたべさせた。
 さうしてゐる所へ、また天幕の前に米俵を積んだ馬力車が一つ止った。馬子が天幕の入口にやって来て、
静岡から米を積んで来ました。受取ってくれませんか』
 さういひすてて、また馬力車の所に帰って行った。
『困ったわねえ。あんなにたくさんなお米を何処へいれるんだらうか? 一寸愛子さんI』
 マリ子は若い娘のことをさう呼んだ――。
 そして、つゞけていうた。
『一寸、あなた浮田先生の所へとんで行って、何処へ静岡から来たお米を置きませうかといって尋ねて来て頂戴』
 助手の愛子はすぐ走り出した。馬力曳は、霜解けで少し泥濘(ぬかるみ)になってゐる道路の上をもかまはず、二十俵に近い米俵を荷車からおろし始めた。そして愛子が再び天幕に帰って来た時には、馬力曳はも
う、荷を凡ておろして、静岡の方へ帰ったあとであった。
 早足で帰って来た愛子は、
『あんな所に、お米を積み上げてしまっちゃ、困るわねえ。先生は馬力曳さんに教会の方に積んで来るやうにいひつけてくれといはれたんですが、どうしませうねえ? もう帰って行ってしまったんでせう?』
 さういってゐる所へ、丸顔の背の高い牧師が天慕にやって来た。
『困つたなア、あんな所へ置いて行っちゃ始末におへんなア。天幕をもう一張りはって、天幕の中へでも入れておくかなア。男手は少いし、天幕を張るのにも困ったなア』
 その言葉を聞いた村上勇は、すぐ彼が応援することを申出た。勇は日の暮れるのも忘れて、托児所に使ってゐるハウス型の天幕のとなりに、ピラミッド型の天幕を張り、二十俵のお米をその中に運びいれた。
『このお米は半分、明日から配給して、残りを托児所に来る子供に食ってもらふのです』
 勇が全部お米を天幕にいれた時、マリ子はさういうた。そして是非夕飯を一緒に食うてゆけと勧めてくれた。東京に帰ることを急いでゐたけれど、勇にはそれを断る勇気はなかった。彼はまた一列車のばして、マリ子がちっさい土鍋で自ら炊いた飯を、茶碗に盛って貰って、うまく食った。
『私はねえ、海に働いてゐる方が、とても好きなんですよ、私は男に生れてゐたら、きっと航海者になってゐたらうと思ひますわ』
 そんなうまいことを快活なマリ子は、村上勇の茶碗に二杯目の飯をつぎながらいうた。
『西田さんはねえ、とてもヨットを操縦するのがお上手なんですよ』
 助手の北村愛子が、味噌汁をつぎながら、傍から口を添へた。
『さうですか、それは驚きましたねえ。何処でヨットを操縦するのを習はれたのですか?』
 不審がって勇はマリ子に尋ね返した。
三崎にねえ、父の別荘がありまして、そこにヨットをつないだり、三浦半島の油壷にヨットをつないだりしてゐるのです。父はもう母が死んで、一人で淋しいものですから、夏になると私を助手にして、遠く小田原あたりまで出て来るんですよ。もう女学校の一年生頃から乗ってゐるものですから、一人前とはいけませんが、半人前位はやっと出来るやうになりましたの』
 マリ子は少し得意になって、両手で飯を盛った茶碗を勇に差出しながら、さういうた。
『この夏は随分面白かったのねえ。マリ子さん……もう一度あんな愉快な海の旅行がしたいわ……』
 愛子は持ってゐた茶碗をテーブルの上に置いて、さういうた。
『どんな旅行せられたのです?』
『いゝえねえ、父が私と愛子さんを助手にしましてね。東京湾を一周したんです』
『それは羨しいですねえ』
 ヨットの好きな勇は羨しがってさういうた。外には凩が吹きすさんでゐた。
『今夜これからお帰りですか、出帆はいつなんです?』
 マリ子はいかにも名残り惜しさうに勇に尋ねた。
『今夜泊っていって下さるといゝのにねえ。ねえ愛ちゃん、泊っていらしたらいゝのにねえ』
『布団がないでせう?』
『布団はないけれど、毛布がたくさんありますよ。別にお帰りを急かなければ、泊っていらっしゃいよ。そしたらあの古着を今夜のうちに仕分けしておいて、明日配給してしまひますわ。そんなにお帰りをお急ぎになるんですか?』
『いや別に定期航路をとってゐる訳ぢゃないですから、急ぐ訳でもないのですかねえ。船にどんな用事があるか解らないものですから、今夜中に船迄帰らうと思ってゐたんです。船は明後日位、台湾の方に行くことになってゐるんですかねえ。どうしようかなア』
 村上勇がにぶった口調でさういふと、マリ子は元気のいゝ冴え切った調子でいうた。
『海の話をして下さいなア、今晩、私はとても海が好きなんだから』
 まさかこんなあたゝかい歓迎を陸上で受けるとは思はなかった勇は、海の好きな二人の娘に引留められて、とうとうその晩は天幕のキヤンヴァス・ベッドの上に寝ることになった。

  遊星と黄道

 天幕の中は、丸本をならべた上に床板がはられ、その上にアンペラと茣蓙(ござ)とが敷かれてあった。古着がその茣蓙の上に並べられた。マリ子と愛子とは、それを男女別と年齢別に、又冬着とさうでないものとに分類した。その分類が続いてゐる間にも、マリ子はヨットの話にtゞいて、静岡県の漁村の悲惨な話を始めた。
『全く震災地以上ですよ、その悲惨なことは、殊に近頃は工場がみんな、悪水を海に流すでせう。だんだん魚がとれなくなりましてね。大きな工場のある沿岸の漁民は皆苦しんでゐますよ。あれはどうかして救ってやりたいですね』
 マリ子が房総半島三浦半島や又伊豆半島の漁民の生活に明るいのに、勇はびっくりしてしまった。
『随分あなたは漁民の事情に通じていらっしやいますねえ』
 さうマリ子にいふと、マリ子は、真面目な顔をして勇に答へた。
『少しも知りゃしませんよ。唯、父が漁民が可哀さうだといって、いつも漁民救済のことに心を砕いてゐるものですから、ヨットを港にいれる毎に、よく事情をきくんですの、ヨットで遊んでまはる所だけは、少し詳しく知ってゐるだけなんです』
 そんな話から、勇は一年半程前迄漁船に乗って太平洋沿岸をうろついてゐたことをマリ子に話した。するとマリ子は遠洋漁業の話をしろと、そこに坐り込んでしまった。それで彼が支那海の海賊と戦うた話をきかせた。すると、
『そんなに支那海には海賊が多いですかねえ』
 とびっくりしてゐた。古着の仕分けもすっかりすんだので、三人は角火鉢の脇に三つの椅子を置いて、又海の話を始めた。そして話は海の話から、航海者に必要な天文の話になった。すると西田マリ子は、父に教へられたといって、面白く星座の話をし出した。
『夏の夜など、ヨットの中に寝ころんで星を見てゐると、星といふものはほんとに美しいものですねえ……。あゝ、今夜あたりは土星がとてもよく見える所に来てゐますねえ』
 マリ子がさういふと天文のことを余り知らない愛子は、マリ子の顔をのぞき込んだ。
『さう。土星には写真に出てゐるやうなリングがほんとにありますか?』
『見えますとも、おもちゃの望遠鏡でも見えてよ』
『私まだ一度も見たことがないのよ。私は遊星がどこからどこを通ってゆくかも知らないんですの』
『ぢゃ見せてあげませうか。あなた寒いこと辛抱する? 外套をかぶっていらっしやいよ。風邪ひかんやうにして。今夜はとてもよく澄んでゐるから、はっきり見えてよ』
 マリ子は毛布を頭からかぶって天幕の外に出た。愛子はマントの中に首をすくめてマリ子の後を追うた。それで村上勇も二人の後について天幕を出た。勇が彼のきてゐる外套のほかに、毛布もマントも持ってゐないことを見たマリ子は、
『まああなたお寒いでせう』
 さういって又彼女は天幕の中にとってかへし、寝具として使用する茶褐色の毛布を一枚持出して来た。
『頭からおかぶりなさいよ。さうしないと風邪をひくから』
 さういって、勇にその毛布を手渡した。肌をさすやうな冷い風が、富士の裾野を吹きまくってゐた。空は紺紫に澄み、星は銀砂を撒いたやうに美しく光ってゐた。マリ子は愛子の肩に手をかけて、遊星の通る黄道を詳しく説明してゐた。
『まあ美しいのねえ。こんな美しいお星さまがあるのに、何故みんな心を汚くするのでせうねえ。星のことを思ふと神の存在を疑へないのねえ』
 愛子が大声で、マリ子にさういってゐることが聞えた。しかし薄着してゐた愛子はよほど寒かったと見えて、
『まあ寒いこと、私はもう天幕の中にはいりますわ』
 さういってさっさと天幕の中にはいっていってしまった。あとに残ったマリ子は、北斗星の右側の星座を指して、勇に質問を始めた。しかし、勇にはマリ子がどの星を指さしてゐるのか、その見当がっかなかった。
『どの星ですか?』
 と勇は彼女の傍により添うて行った。すると彼女は、右手をさしのばして、紫紺の天空の一角を指さした。しかし、それでもはっきりした方向が解らなかった。それで勇は彼女のうしろにまはって、彼女の首に手をかけ、彼女の指さしてゐる方向を見詰めた。やっと彼女の指さしてゐる星の方向だけがわかった。しかし勇には星のことよりか、彼女の肉体に触れたことの衝激の方が強かった。電流を通じたやうに、彼の筋肉が硬直した。心臓の鼓動が早くなった。唇が硬ばって、数秒間言葉が出なかった。やっとのこと元気を出して。彼は小声にいうた。
『あの星を私は知りませんよ』
 さういうてしまったが、彼はその左手を彼女の肩から離さうとはしなかった。その時、思ひがけなく、彼女の右手が動き、勇の左手をとってくれた。その時の勇のうれしさは、譬へやうもなかった。彼は夢心地になって、沈黙したまゝ彼女の首を抱き締めた。しかし、マリ子は決してそれを拒絶しなかった。たゞ沈黙したまゝ星を見上げてゐた。

海豹の45 海の失業者

  海の失業者

 きたないバラックまがひの貧民長屋が並ぶ。狭い路次に、おしめが干してある。鼻垂れ小僧が、竹や木片を持って、泥棒ごっこをして遊んでゐる。飴屋が通る。チンドン屋が行く。紙芝居の前に悪太郎が群がる。よくもこれだけ人間の屑が寄ったものだと思はれる程、東京の貧民窟の印象は、勇の海で鍛へた胸を圧迫した。
 勇は、大都会の細民街の社会事業を見るにつけて、与へんとする社会事業が、かへって依頼心を起させ、協同組合による自力更生の組織運動が、貪しい人々を力強く解放しつゝあることを、本所の約十日間の生活によって、学び得て嬉しかった。彼は産業青年会の傍に立ってゐる質庫信用組合や、労働者消費組合、また盛んに宣伝されつゝあった医療利用組合のやり方を覚えたので、これをその儘、漁村に応用すればいゝといふことを知り得て喜んだ。
 それで彼はすぐ、紀州勝浦に帰って行った。然し、四ケ月の留守の間に、伊賀兵太郎の考は全く変ってゐた。勇は、彼が甲種運転士の資格をとってきたことを喜んでくれると思ったに拘らず、尋ねて行っても座敷に上れともいってくれないのにびっくりした。
 様子を聞いてみると、釧路から帰ってきた松原敬之助か、また兵太郎にとり入って、白洋丸に乗ってゐるらしかった。松原が船に乗ってから儲けがあるかときくと、損ばかりしてゐると兵太郎は答へた。
『そりゃ、松原は不正直だから、いくら獲れても持って来ないですよ』
 といふと。兵太郎は、
『松原にいはすと、君もなかくうまいことをしたさうぢゃないかね』
 と、何だか、勇自身に不正行為でもあったかの如き口吻を洩らした。それには勇も憤慨して、弁明する勇気さへ持たなかった。然し、勇は、その時ほんとに教へられた。正直な人間が必ずしも勝利を得るのではなく、上手におべっかをいって、口上手に立廻る人間が、却って人に信用を受けるといふことを。
 で、勇は半泣きになって、大阪行きの汽船に乗込み、やっと神戸に着くと、十銭だけ金が残るやうな淋しい懐具合であった。
 青い顔をして神戸海員ホームの玄関先に立つと、元気のいゝ薄田が、奥から出てきて、大声で怒鳴った。
『青瓢箪、なぜ元気のない顔をして居るんぢゃ? 失業したんか?・  へこたれるな』
 と、例の調子で元気をつけてくれた。
 その翌日であった。薄田の女房の家から、魚類運送船の運転士が一人欲しいと、薄田の処に通信があった。薄田はすぐ勇に『行かないか』と勧めてくれた。何処から何処へ通うてゐる船だといふことさえよくきかなかったが、彼はすぐ承諾した。

  トラムプ船

 船は八百噸級の魚獲物運送船であった。持主は東京築地の魚問屋で、相当に水産界に知れてゐた、森田弥兵衛であった。船名は第十一福徳丸と呼ばれた。魚類運送船としては、全くの新型でアムモニヤ瓦斯を利用した冷蔵室までついてゐた。紹介してくれた薄田が、何処通ひの船か知らないのも道理で、船は定期航路といふのはなく、露領沿海州ニコリスクから、南はボルネオスールー海迄、所を定めずトラムプ船としてグルグル廻ってゐる、面白い船であった。村上勇はその船の一等運転士として傭ひいれられたが、月給は僅か六十円で実に安かった。しかし遊んでゐるよりましだと思ったので、彼はよろこんで就任した。船長は永松五郎といって、富山県滑川水産講習所の出身だった。もう二十数年間も一つ会社の船に乗ってゐるとかで、律儀な人のよささうな男であった。
『何分よろしく願ひます。この種類の船にのるのは初めてですから、少しも様子が解りませんので、へま(ヽヽ)をするか解りませんが、一生懸命やってみますから、どうか足らん所は一々注意して下さい。
労力は決してぃとひませんから、まあぼつぼつ気長くお導き下さい』
 勇が叮嚀にさう挨拶すると、背の低い細目の船長は、馬鹿叮嚀に帽子までとって、
『いやあ、こんな船に甲種運転士のお方をお迎へするのは勿体ないですけれど、まあ時勢が時勢ですから、辛抱して下さい』
 さういった船長は、乙種船長の資格は持ってゐたけれど、甲種運転士の免状は持ってゐなかった。
 海の好きな勇には、アジヤ大陸の沿岸を、北氷洋から南洋にかけてまで、くるくるかけ廻ることが愉快でたまらなかった。北では鯨を積込み、南では鮪や鰹を搭載して、阪神地方や、京浜地方に運ぶのが、大体のコースであった。
 そして勇が運送船に乗込んで約一年間は、早くも過去ってしまった。世間は益々不景気になった。青い海ばかり眺めてゐる村上勇にも、自分の身辺に起って来る出来ごとだけで、日本の経済的危機を予知しないわけに行かなかった。福山に下駄屋を開いてゐた義理の兄は、とうとう破産して静岡県沼津でそばやを開業してゐる弟を頼って移住したといふ通知を受取った。また瀬戸内海の弓削島の商船学校で勉強をつゞけてゐた、勇の弟も卒業はしたけれど、就職口がないので義理の兄に伴はれて、静岡県へ引越したといふことを報じて来た。
 姉の手紙によると、足掛三年前に離別して飛出した御手洗のかつ子は、再縁して、もう男の子を生んだといふことだった。
『――世の中といふものはをかしな所だなア――』
 デッキの上で姉の手紙をよんだ勇は、再縁したかつ子が子を生んだと聞いて、微笑を禁じ得なかった。

  天幕(テント)保育所

『おいえらいこっちゃぞ、静岡県の三島では又大地震があったぞ。町は全滅らしいなア』
 第十一福徳丸が釜石の鮪をつんで、マストに出帆フラグをかゝげ、もう一時間もすれば東京に向けて出航せんとしてゐた時に、機関長の原貞蔵は新聞の号外を手にしながら。ハッチの蓋の上にカヴァーをしっかりゆはひっけてゐた村上勇の所に来て、さう出しぬけにいうた。
『え? またか、よく地震が揺るなア、こんなにやられちゃたまらんぢゃないか。沼津は、君、大丈夫か? 俺の姉も弟も今沼津にやって来てゐるんだが、今度東京へ着いたら、見舞に行ってやらんといかんだらうなア』
 さういってゐる所へ、船長も、水夫も、火夫もみんな集って来た。そしてデッキは又大正十二年九月一日の大地震の話で、花が咲いた。船長はその時、第三福徳丸の一等運転士として横浜に入港してゐた経験を、面白い口調でみんなに物語って、そこになみゐる者を笑はせた。
『――市が倒れるといふ言葉は大きいやうだけれど、実際わしは恰度その時、操舵室の上にゐたので、横浜市が西南の方から将棋倒しに倒れて行った様子をはっきり見たなア。地震といふものは、大波と少しも変らぬものぢゃなア。それは大きな物音がしたぞ。ゴオーというて陸地に大波が立つと、家がばたばたと倒れる。後からく砂煙がたつ、それが天に舞ひあがる。忽ち横浜の空は真黒になって、お日さんの光が見えなくなったからなア』
『そんなものですかなア』
 村上勇は感心して聞いてゐた。
 東京芝浦に船がついてから、勇はすぐに船長の許可を得て、沼津に姉を訪問した。そして幸にも彼女の一家族が安全なことを知ってよろこんだ。しかし、参考にもなるだらうと思ったので、震災地帯を見学にまはった。山くづれ、陥没、火災、崩壊、圧死、焼死、到る所に地殼の変動から起る残骸が目にとまった。たゞ東京地方の大震災と異って、農村に起ったものは、損失の少いことに就て比較にならない程だった。その時、村上勇の考へたことであったが、東京ももう少しちっさい都市であったなら、大正十二年の大損害は起らないであったらうと。
 韮山附近迄見てまはって、火災の最も激しかった、旧三島市街にはいると、そこに一個の天幕が目に付いた。表に看板をかけてなかったが『子供預ります』といふ広告が、ちっさい木片の上に書かれてあった。厚志な人もあったものだと、勇は天幕の中をのぞいてみた。それは午後二時過だったが、天幕の中では、二十人ばかりの子供がおとなしく、一人の女の先生に指導せられて、色紙を折ってゐた。その女の先生は、まがひもなく一年前のクリスマスに、東京深川富川町の貧しい人々を招いた祝賀会に、中心となって働いてゐた元気のいゝ洋装の婦人であった。
 勇はよくおぼえてゐたが、先方は忘れてゐたらしい。一寸お辞儀をしたまゝ相変らず熱心に、ちっさい子供の手をとって色紙を折りつゞけてゐた。村上勇は彼女の姓名を思出さうと思ったが、どうしても思出すことが出来なかった。しかし、どうしてこんなに勇敢に、震災地まで迅速にとび出して来て、人の余り顧みない保育事業が出来るか、その理由が聞きたかった。金儲を目的にしてゐる漁業者でさへ、こんなに敏活に手が出せないものを、いつも東京にゐる筈の彼女が、どうしてこんなに早くやって来たかを、聞きたゞしたかった。それで彼は少しの間、天幕の入口に立って、課業のすむのを待ってゐた。
 表から白のエプロンをかけた年の頃十七、八のやさしさうな顔をした娘が、風呂敷包を持ってはいって来た。それを見た女先生は、すぐ子供達に折紙の始末をさせ。少しの間、表に行って遊ぶやうにと子供等にいうてきかせた。すぐ子供は表にとび出した。机の上にはアルミニュームのお皿が並べられ、若い娘の持って帰って来た風呂敷包がとかれて、オヤツが皿の上に分配せられた。その機会をとらへて、村上勇はしっかりした洋装の女の先生に挨拶をした。
『私はこの前あなたを富川町クリスマスの時、お見かけしましたが、こゝで偶然お目にかゝって、あなたの熱心さに感激してゐるんです』
 さういって彼の名刺を差出した。彼女はそれを見て、
『あなたは船に関係のある方でいらっしやいますか? わたしのお父さんも海軍にをりましたの、ですから海員の方にお目にかゝると何だか懐しい気がしますわ』
 さういって彼の顔を見詰めた二つの瞳は、眩ゆいほど澄んでゐた。彼女の顔は叡智にあふれ、眉間には慈愛が光ってゐた。それから二人は少しの間話をした。そして彼女が東京キリスト教聯盟から震災救護に派遣せられたこと、彼女の父が海軍中将であること彼女が父のひとり子であること。しかし父がキリスト教理解をもって、貧民窟の社会事業によろこんでいつも出してくれることなどを、つゞけざまにつっこんだ質問をすることによって、勇は知ることが出来た。勇が本所の産業青年会を応援して、去年のクリスマスを非常に愉快に送ったことを話すると、彼女も漸く彼の顔を思出したらしく、
『あゝ、あの時荷車曳いていらっしやいましたわねえ。あなたでしたか? あの時は顔色がお悪いやうでしたが、今は随分血色がおよろしいですね。あの時は御病気でしたか?』
『いや病気といふのではなかったんですけれど、少し試験勉強をしてゐたものですからね、よわってゐたのでせう』
 さういってゐる所へ、表から菰(こも)巻の古着らしいものが三個届いた。子供らがその荷物の周囲に群る。海軍中将の娘の西田マリ子が、その荷物を受取るために天幕を出た。

海豹の44 男に飽いた女

  男に飽いた女

『若、お父さんが、あんな最期を遂げましたので、せめて私でも、あなたのお側に置いて頂いて、何かの御用に使って頂くといゝんですかね。何か、あなたの脇に私のする用事はありませんか? 飯炊きでも。お女中さんの代りでも何でもいゝんです』
 かめ子は二重瞼の大きな眼を見張って、勇の顔をみつめながらさういった。
『だって。あなたは結婚しなくちゃならないぢゃないの』
『若、もう私は男には飽きましたよ。私の一生の願ひは、お父さんの代りに、あなたの側で使って頂ければいゝのです。沖にまでついて来いとおっしやれば、ついて行きますよ、そして飯炊き位はいたしますよ』
 真面目に。かめ子はさういった。栄子は、長火鉢の上にかゝった鉄瓶を外してきて、勇に茶を汲んでゐた。
『ありがたいけれどね、私は。今、甲種運転士の試験を受けようと思って、一生懸命になってゐるんだよ。試験に落第ばかりしてゐるから、金がかゝってて弱ってゐるんだよ。誰か、わしの学費を貢いでくれる人はないかなア』
 勇は、正直に打明けてさういった。かめ子は驚いたやうな顔をして、
『若、あなたのやうな学者がまだ勉強する必要があるんですか? そして甲種船長などになって何をせられるんです?』
『そりゃ、君、これからの日本の漁師は甲種運転士の免状位持って居らんと駄目だよ。わしはメキシコへ行って鮪釣りをしようと思ってゐるんだよ、それで甲種船長の資格がとりたいのだよ』
『その学資がお要り用なんですか?』
 かめ子は折返し尋ねた。
『うム、兄貴がこの間少し送ってくれたんだけれど、お母さんが死んでなア、その葬式代に使っちゃったんだよ』
『え? お母さんが。お亡くなりになった?』
 かめ子は驚いたやうな口調で尋ねた。
『うム、とうとう悪かったよ』
『少しも知りませんでね、おくやみも申しませんで、ほんとに済みませんでした。然し。あなたの学費を、私が拵へませうか?』
 かめ子は、勇の顔を覗き込んでさういった。
『いや、君には気の毒で、よう頼まん』
 勇はきっぱりいった。
『なに、云ってらっしゃるの。私はあなたのためなら、二度の勤めでもしますよ。ほんとにお金がお入用ですか?』
『いや。君に二度の勤めをさしちゃあ可哀さうだから頼まないよ。僕は、君等が娼妓に出ることには大反対なんだから』
『ぢゃあ。二度の勤めに出ることなど止しませう。然し若、私一人で、毎月二十円位は出来ますよ。その位のお金なら、いつも御用立てしますよ。……(かめ子は栄子の方に振向いて)……ねえ、お栄ちゃん、あなたも、二十円位出来るわね』
 勇は、この貧しい女達が。こんなにまで思ってくれてゐるかと思った時に、ほんとに嬉しかった。
『もうよく解った。ありがたう』
 さういって勇は、両眼に涙を湛へてゐた。これらの二人の女が、長い間娼妓勤めをしてゐたに拘らず、少しも悪びれてゐないで、どこまでも、人のために尽さうといふ気持のあることを嬉しく思った勇は、人間っていふものは、なかなかどん底まで悪くなりきれないといふことを考へさせられた。
 かめ子は、勇に、芝居に行かないかと誘うた。然し、勇は、そんな気にはなれなかった。勇は、昨夜三等でよく眠れなかったから、風呂へ入ってきて寝たいというた。
『ぢゃあ、さうなさい』
 かめ子は、石鹸と手拭と湯札まで揃へて、表の銭湯へ案内してくれた。その途中で、かめ子は、万龍が、不思議に失明しなかったこと、まだ残ってゐた五百円ばかりの借金を月十円づつ払って行けばよいといふ条件で、廃業させてくれたこと等を、細かに勇に報告した。そして、かめ子は、紀州勝浦で暮したやうに、もう一度勇と一緒に世帯を持ちたいと、幾度も繰返した。
 その、晩夜行で、勇は神戸まで帰りたかったが、二人の女はどうしても勇が帰ることを許さなかった。とうとう勇を真ン中に枕を並べて、寝ることになった。寝床に就いてからかめ子は、父が海賊に殺された様子を、ぼつぼつ聞き出した。勇が、卯之助の最期の光景をくはしく話しすると、かめ子はしくしく泣き出した。それで、勇もまた貰ひ泣きをした。あまりかめ子が激しく泣くので、栄子は、寝床から起上って、かめ子の枕許にゆき、彼女の頬ぺたを片手で撫でながら、小さい声でいうた。
『かめ子さん、あまり泣くとからだに悪いから、もう愁嘆することを止しませうね』
 さうぃはれて、かめ子は、つと立上り、便所に行き、炊事場に下りて顔を洗ひ、また寝床に帰ってきた。その光景はあまりに厳粛で、性的衝動を三人に与へる余裕がなかった。そしてまた、不思議に、二人の女も勇に対しては性に関する問題を少しも持ち出さなかった。また勇としても、栄子と関係をつけたいといふ感じは少しも起らなかった。彼女等の感激的な態度に感謝はしても、その一人を一生の伴とするには、勇の理性が働き過ぎた。勇は、かめ子も梅毒のために婦人科の手術を受け、栄子も梅毒のために片眼が潰れたことを忘れることが出来なかった。それで、いくら万龍が、勇の手を握っても、それは小さい妹が彼に接近してゐる位にしか考へなかった。
 勇には、高く上らうといふ堅き野心がありすぎた。彼はどうしても、甲種運転士の試験に成功し、太平洋に乗出るまで、如何なる女とも関係はしないといふ祈があった。

  荷車挽いたサンタクロース

 三人が仲好く並んで眠った次の日の朝、寝床で、かめ子は謎をかけるやうに訊いた。
『若! あなたは、いつお嫁さんを貰ふんですか? おほゝゝゝ』
 それに対して勇は、
『俺は、一生嫁さんを貰はないんだよ』
 と、軽く答へた。すると、栄子は、
『若の奥さんになる人はほんとに仕合せね』
 と、恨めしさうにいうた。
『ねえ。あなたがお嫁さんを貰って、赤ちゃんが出来たら、私は子守に行きますわね』
 かめ子は、正直な処を告白した。
 寝床の中でこんな会話をしたのは、まだ日の出ぬうちだったが、牛乳屋が来て、不浄汲取りの轍(わだち)の音が響き、新聞配達の足音が路次の彼方に消えて、戸の隙間から師走の冷い太陽の光が射し込んだ時に、三人は一緒に起上った。
 その時も勇は、若い女の友達を持ってゐることをほんとに嬉しく思った。海上では見られない赤い布団や白いシーツ、鏡台や香水の匂ひ――いやそれより魅惑的に感ぜられたのは、女の寝巻姿と、白い脛と、髪を撫で上げる時の腕の曲線美と、鏡に向ってゐる時の襟足の美しさと、柔かな皮膚としとやかな言葉使ひと、下にも置かない愛情の溢れた親切さであった。
 勇が、どうしてもその朝、神戸に立つといふものだから、朝飯を済ませて、二人は尾道停車場まで送って行った。道々、二人は、色々滑稽なことをいひながらも、目に涙を浮かべてゐた。
『若、こんどはいつ会へるんでせうね』
 かめ子はさういった。
『三月に一度位会へるといゝんですがね』
 と栄子が加へた。その時、かめ子はいうた。
『栄子さん、若について行きませうか? 神戸まで? そして三人で一軒家を借りませうか? 今夜も三人で一緒に寝たいわね。若、ほんとに、もしかすると。神戸に二人で引越して家を持つかも知れませんから、その時は一緒に住んで下さいますか?』
 その問に対して、勇は躊躇なく答へた。
『いつでも一緒に住むよ』
『あゝ、うれしいわ!』
 さういって、かめ子は右腕を勇の左の肩にうちかけた。
『ぢゃあ、若、きっと、あなたを追ひかけて、神戸でも東京でも、あなたのいらっしやる処へついて行きますから頼みますよ。私等、あなたを情夫に持たうなど、大それた考を少しも持ってゐないんですけれど、あなたの側に居ると、何だか嬉しくなって元気がつくんですからね。兄妹のやうに、栄子さんと私と、若と三人で仲好く暮らしたら、私は極楽に行ったより嬉しいと思ひますわ』
 汽車を待ってゐる間も、勇は人問の愛といふものが、ほんとに不思議なもので、男女の交際でも、性慾の問題を離れて、あっさりした気持で、若い男女が、兄妹以上に親しく助け合ひの出来ることの嬉しさを、何だか一種の神秘的な力の引合せがあるやうに考へてならなかった。
 発車の合図に、電鈴が、けたゝましく鳴った。勇は、三等客車の窓から頭をつき出してゐた。かめ子と栄子は、同じやうな髪を結うて、同じ柄の着物に、同じ模様の帯を締めて、プラットホームに立ってゐた。
『さよなら! いろいろありがたう』
 と勇がいふと、何を思ったか、かめ子は駆足で客車の中に飛んで入り、状袋に入れた手紙やうのものを勇のポケットにねぢ込んで、またプラットホームに飛下りた。勇はそれに金が入ってゐることは察したが、手紙の形をしてゐたので受取ることを拒むわけにはいかなかった。
 汽車が出た。二人の若い女は、ハンカチを振ってゐた。汽車がカーヴを曲ったので、すぐ二人は見えなくなった。勇は、ポケットに入った封筒を取り出してみると、その中から十円紙幣二枚が出てきた。
 東京に着いた勇は、神戸海員ホームで教へられた通り、本所産業青年会の黎明寮に落着いた。そして三日目から筆記試験が始まった。不思議にこんどはうまいこといって、凡ての試験が好成績だった。口頭試験も容易に及第した。それで。四ケ月間の奮闘が無効でなかったことを彼は喜んだ。クリスマスが近付いてゐたので華やかな装飾が、東京の賑やかな大通の硝子窓に見えてゐた。
 試験に及第したと、海員掖済会の電話で知った勇は、生れて初めてクリスマスを、心から祝ふ気になった。それで彼は、紀州に帰るのを少し延ばして、本所の貧しい子供等のクリスマス祝賀会の手伝をすることに決めた。雪がちらついてゐた。軒の電線は唸りを立ててゐた。大通のアスファルト道にも砂塵が舞上って、手ぶらで歩くことさへ困難であった。その大通を勇は荷車にクリスマス・プレゼントを山程積んで、本所から深川富川町まで一人で運んでゆく仕事を引受けた。
 然し、彼はそのむつかしい仕事を喜んで引受けた。それは日本の漁村の貧しい漁師の子供等が、大都会の貧民以上の窮迫した生活状態に置かれてゐることを知ってゐる彼は、貧しい人々に対する社会事業を漁村にも応用するために、東京でうんと学んでおく必要があると思ったからであった。
 汗だくになって、深川富川町寄席――そこは、今宵のクリスマス祝賀会の会場にあてられてゐた――に車を引張りつけると、
『御苦労様!』
 といって、手箒木を持ったまゝ走り出てくれた背の高い婦人があった。黒っぽいドレスに、黄色い衿をつけてゐたのが、特に勇の目を惹いた。
『えらかったでそう。ずゐぶんありますからね』
 と彼女はすぐクリスマス・プレゼントを箱のまゝ寄席の入口の方へ運びながらいった。
 彼女の顔はほんのり赤く、別に化粧はしてゐなかったけれども、勇が。日本の多くの港で見た媚を売る女達とは違って、叡智と、無邪気さに溢れてゐた。
 勇も手伝って、全部の荷を下し、車を片付けて、午後六時半から始まった日曜学校の祝賀会を見てゐると、その婦人が一人で、オルガンも弾けば歌もうたはす、プレゼントも配れば、子供が喜ぶやうなお話もして聞かせた。それで勇は、彼女の秀でた額と、弓形にひかれた眉と、輝いた瞳が忘れられないで、その晩はまた電車に乗って、本所松倉町二丁目の黎明寮に帰って行った。

2015-02-20

海豹の43 人生の暗礁

  人生の暗礁

 鰹を追うて、北へ北へと進んだ船が、もうそろそろ帰る頃になって、医者は、勇に、少し旅行してもよいと許可を与へた。然し、その時はもう、庭の百日紅が、夏の太陽を受けて真紅に咲いてゐる八月であった。高等海員の試験が受けられないかと絶望してゐた勇にとっては、大きな福音であった。早速彼は、狭い勝浦港を後にして神戸に出掛けた。そして、大阪で試験を受ける前に、普通海員の間で有名な神戸掖済会の受験部に入った。そこには、海軍の予備少佐で、十数年の間、全く犠牲的に、普通海員の養成に努力してゐる花木といふ篤行の人がゐた。数学を教へることが非常に上手なので、その人に世話になることにした。
幸ひ、下宿も、神戸海員ホームに部屋がとれたので、毎日、奥平野から汗だくになって通うた。試験期日まで僅か一週間しかなかったので、少し無理であったけれども、朝は早くから夜晩くまで勉強した。一週間目に、大阪の海事局に試験を受けに行った。幸ひ体格だけは通った。然し、航海学で失敗した。それで翌日の口頭試験には、出席出来なくなった。またニケ月勉強を続けなければならなかった。それで。海員ホームに落着いて、また毎日掖済会に通うた。
 心配になるのは学費の問題だった。紀州から出てくる時には、伊賀兵太郎が親切にも五十円貸してくれたので、ニケ月位それで賄ふつもりでゐたけれども、受験料に十円払ったり、海員ホームの食費を前納したり、掖済会の会費を払ったりしてゐるうちに、四十円がどこかへ飛んで行ってしまった。あと十円では、小遣だけにも足りなかった。伊賀に頼むことも恥かしいし、福山に頼んで行っても金の無いことは解ってゐるし、米国の兄貴に手紙を出すにしても今から遅いし、経済問題のことを思ふと、彼の勉強心も鈍った。
 然し、掖済会に来てゐる普通海員のうちには、乙種一等運転士の試験を受けるだけに、二年間も苦学しながらやってきたものもあった。また同じ海員ホームに下宿して、毎日掖済会に通うてゐる者のうちにも、もう半年も食費を滞納してゐるといふ悲惨な受験準備者もあった。
『僕も学費が続かなくなると心配してゐるんだよ』
 と秋山といふその男にいふと、
『なに、君、心配要るもんか、海員ホームの親爺は。なかなか太っ腹な奴で、半年や一年、食費を払はなくとも、何もいやしないよ。君、頼んでみ給へ。あの親爺はなア、もとは火夫をしとった男だから、下級船員にはとても同情かあるんだよ、君が頼めなければ俺が頼んでやらうか?』
『ぢゃあ、済まないが、君、頼んでくれませんか。僕は兄貴がアメリカに居るので、そこから手紙が来るまで待ってくれるといゝんです』
 八月の焼付くやうな日の暮れ方であった。宇治川尻の掖済会から奥平野の山奥まで、汗みどろになって帰って来た村上勇は、すぐその足で、受験友達の秋山彦三に連れられて、海員ホームの主事の部屋を尋ねた。主事の薄田俟雄は、少年団の団服を着込んで、今し方、表に出ようといふ処だった。
『何処へいらっしゃるんですか?』
 と秋山が尋ねると、
『子供を連れて、瀬戸内海を、二週間ばかりカッターで漕ぎ廻ってやらうと出掛ける処なんだよ。どうも今時の青年は意気地がなくて困るからなア。腕一つで切り抜けてゆく胆っ玉を訓練してやらぬといかんよ』
 髪をもじゃもじゃと生え伸ばしにして、少しも容貌をかまはないやうなこの老火夫長は、やり場のなささうな元気に充ちた声で、歯切れよく、秋山に問返した。
『秋山君、用事は何ぢゃ?』
 それで、秋山は、恐るく薄田に頼んだ。
『村上君がですね。試験がうまいことゆかなかったんですよ。ところが、兄貴がアメリカから送金してくるまで、少し学費が心配になるんです。まことに済みませんが、至急送金してくるやうに、兄貴に手紙を書くさうですから、二、三ヶ月食費を待ってやって下さいませんか?』
 傍で立ってゐた村上は、小さい声で、
『何分よろしくお願ひ申します』
 といひながら叮嚀に頭を下げた。
『うム、いゝとも、いゝとも。こゝの海員ホームは、そんな人のために建ってゐるのだから、六ケ月や一年位、食費は待ってあげるよ。金が来なければ入れなくともいゝよ。俺がどこからか貰って来てやるよ。食費のことなんか心配してゐると勉強が出来んからなア、食費のことなんか心配するなよ。小遣が欲しければいっでもいうて来い。金の二、三円ならいつでもやるから……その代りなア。試験に通って船長さんにでもなったら、うんと寄附せいよ。俺はなア、持ってゐる奴から、取上げて来て、持ってゐない奴にやるのが当りまへだと思ってゐるのだよ。なあに、金持が一晩芸者狂ひする金を、こちらに廻してくれさへすれば、一年位それで食へるんだからなア。食費のことなんど心配するなよ』
 目の丸い野蛮人のやうな顔をした薄田が、割に話が解るので、勇は海員上りの人間には、存外腹の大きい男がゐると思って嬉しかった。
 薄田はすぐ出て行った。それを見送った秋山は、村上を顧ていうた。
『あれでなア、村上君、なかなか怒ったらこはいんだぞ。この間もなア、風通しが悪いとか何だかで癩にさはったといって、隣の板塀をひきむしってさ。それに石油をかけて燃してしまったんだよ。然し、それには理由があるのでな。隣も、よう怒って来なかったらしいよ』
 勇の二度目の試験は、学術試験だけはやっと通った。然し、口頭試験で失敗した。それで。秋山は下関で受けてみろとすゝめてくれた。然し、さうしようにも下関へ行く旅費がなかった。このことを薄田に話しすると、薄田は、何処からか金を工面して、持ってきてくれた。それで、村上は、下関へ行って試験を受けることにしてゐた。
 秋風が、島原紅葉をあかく染め出す十一月になった。海員ホームに泊ってゐる十数名の海員達は打揃うて、有馬に松茸狩に出掛けた。その日、彼は久しぶりに、福山に寄って母の顔を見、その足ですぐ下関へ行かうと思ってゐた。ちゃうど彼が下関へ行かうと、海員ホームの門を出ようとした時に、郵便屋が、アメリカの兄からの送金を届けてくれた。それは思ったより少かった。百円しか入ってゐなかった。で、彼はその金を持ってすぐ西に下ったが、福山で佐藤の家を訪ねると、母はもう余程衰弱して、こゝ二、三日が危いといふことだった。そこで彼はまた動けなくなった。ちゃうど彼が福山に着いてから三日目の朝、母は永眠した。仕方なしに、勇はまた持ってきた百円をそっくり出して母の葬式をすることにした。
 母の死に就いては。去年から覚悟してゐたので、今迄よく母が持ったと思ふ位であった。葬式を済ますと。彼はすぐ下関に飛出した。そして、戸畑の海員組合の一室を借りて勉強した。然し、残念なことには、こんどもまた失敗した。それで彼は、海員組合の寄宿舎に帰って、蒼い顔をして寝床の上に倒れてゐた。すると。トロールに乗ってゐる乙種二等運転士がやって来て、こんなことをいった。
『そら、持っていかんと及第せんのよ、君は持って行ったか?』
 それで村上勇は、頭を左右に振った。
『だから、駄目なんぢゃ。みな大抵二百円も三百円も持ってゆくんだぞ。君のやうに、素手で通らうといふのは、そりゃ無理ぢゃ。みんなの先生に出さなくていゝから、君が一番苦手だと思ふ先生の処へ、少し包んで持って行ってみい、その次の試験にはきっと及第するから』‘
 さういはれたけれども、勇は、薬にしたくとも、そんな莫大な金を手に入れる望は無かった。それ処ぢゃない、彼は、その月の食費にさへ窮してゐるのであった。然し彼は、学術試験に通過した以上、口頭試験に通過しないはずがないと思った。それで、彼は。比較的公平な東京で受ける決心をした。だが、東京へ行く資金を何処で得ようか?
 その時にふと思ひ付いたのは、卯之助の娘のかめ子が、娼妓の年期が明けて、尾道に来て仲居をしてゐると福山の姉から聞いたことであった。
 で、彼は神戸への帰り途、尾道に下りて、是非、卯之助のことを報告しようと、かめ子を訪問することにした。

  懐しき尾道水道

 糸崎を出て、汽車が東に走ると、懐しい尾道水道が、汽車の窓の下に見えた。遥か向ふに大崎上島が見え、その島蔭に、自分の生れた大崎下島が見えるはずだった。秋の空は澄んでゐるために、ずゐぶん遠くまで見えたけれども、恋しい御手洗島は、山蔭になって見えなかった。然し、高根島も因ノ島も、佐木島も手に取るやうに見えた。瀬戸に入ってくる発動機船の響が、自分を迎へに来たやうに聞えた。魚を積んだ漁船が、あっちからもこっちからも、尾道の市場にやって来るらしかった。然し。借金だけ持ってゐて、一円の金さへ自由にならない勇にとっては、豊かさうに見えるその漁船の動きが、ある種の反感をさへ抱かしめた。
『―あの時に、かつ子があれだけ止めたんだから、あの儘納まってゐれば、こんなに苦労はしなくてもよかったのに――』
 といふ愚痴も出ないことはなかった。然しまた、
『――あのむつかしいお婆さんとはとても一緒にやれなかったらう。あの時破裂してゐなければ。きっと二、三ケ月の後に破裂してゐたに違ひない。あの時御手洗を棄てて決して損をしてゐない。俺は海の日本を見た。そして俺は、海国青年が、どういふ方向に突進すべきかといふコースを発見した。俺はもう過去を振返ってみない。俺は飽くまで前進するのだ。人生の低気圧がどんなに恐しい大風を呼起さうと、俺は予定のコースに船を進めるのだ――』
 尾道停車場に下りた勇は、御手洗島から来て。魚市場で天ぷらを売ってゐるお花の店をすぐ尋ねた。お花は、かめ子の勤めてゐる料理屋をよく知ってゐた。其処は、東尾道の遊廓に接近した牡蛎料理を専門にしてゐる春風楼といふ店であった。
 勇が、のこのこ歩いて、春風楼の店先で、牡蛎を割ってゐたかめ子の姿を見付けたのは、朝の八時頃であった。かめ子は、他処見もせずに、も一人の女中と向ひ合せに、何か喋りながら手鉤を振るってゐた。それで、勇が、彼女に接近したことに気が付かなかった。勇は、見物人の一人のやうに、素知らぬ顔をして、彼女の傍に近づいた。そして少し見てゐたが。あまりかめ子が牡蛎割りに熱中してゐるので、びっくりさしてやらうと、彼女の肩に手をあてて、耳もとで、
『かめ子さん、今日は』
 と、優しい声でいうた。その声は優しかったけれども、かめ子は、吃驚して身慄ひした。
『あツ、びっくりした! 誰かと思ったら、若ぢゃありませんか、あなたは。まあ、どうしませう』
 さういって彼女は席から立上った。彼女の顔には微笑が漂うてゐた。
『いつ、いらっしゃったんです? 何処で、私かこゝに居ることがわかりました? 栄子さんも尾道に居るんですよ』
 さういひながら、彼女は紺絣で作ったエプロンを外し始めた。そして、奥に入って、昼まで暇をくれと、女将に頼み込んでゐる様子だった。
 再び表に出てきたかめ子は。
『若! 万龍さんの処へ行きませうや』
 さう小さい声でいひながら先に立って歩き出した。そして、店から二、三軒離れた処で、急に、馬鹿叮嚀なお辞儀を始めた。
『本年の春は、ほんとに父がお世話になりまして、何とも御礼の申しやうがございません。あんなにお世話になりましたのに、紀州の方へまだお骨も取りに参りませんで、何といってお詑びしてよいかほんとに済みません、……私もあれからすぐ年期が明けたものですから、木ノ江の楼主は、もう少し勤めないかとすゝめてくれたんですけれど、いつまでも、厭らしいあんな稼業はよう続けませんから、誰にもいはないで、尾道に出てきたんでございますよ。まあ、然し、お懐しうございますね、その後、あなたがどうしていらっしゃるかと思ひましてね。とり分け、あなたが海賊に斬られなすったといふことを聞いてゐたものですから、飛んで行って、介抱しなければならなかったのですけれども、私も、もうあと一月で年期が明けるといふ時でしたから、年期が明けてからにしようと思ってゐて、ついつい遅くなって済みませんでした。その節は香典を頂いたり、また沢山な賞与を頂いたり、ほんとに、ありがたうございました』
 さういって彼女は、嬉しさうににこにこして、お辞儀ばかりした。
 それから二、三町歩いて、大きな玉山楼といふ料理屋の前に彼女は立止った。
『若、栄子さんは、こゝで仲居をしてるんです。多分、もう来てるでせうと思ふんです。家は別に持ってゐましてね、毎日、此処に通うてゐるのですよ』
 かめ子が内に入ってきいたけれども、栄子はまだ来てゐなかった。それで、かめ子は、栄子が借りてゐる家に、彼を案内してくれた。そこは、鉄道の線路を越えて、四、五町谷の奥へ入った狭い通りの裏側になった、長屋の端の家であった。
 三尺の戸が、入口に締まってゐたので、かめ子は、表から、
『お栄ちゃん、居ってか?』
 と、やさしい声で尋ねた。すると、栄子は。座敷から下りて、戸を開けにきた。
『お栄ちゃん、あなた、珍しい人を連れてきたのよ、あてて御覧なさいよ』
 戸をまだ開けないうちに、かめ子はさういった。戸を開いた中村栄子は、勇の顔を見てびっくりしてゐた。
『まあ。どうしませう。驚きましたのね、いついらしったのです? まあ、お入りなさいましよ。こんな狭苦しい家で、とてもお恥かしくて、人様にお上り下さいなどいへないのですけれど、立ってゐてお話も出来ませんから、お上り下さいまし』
 さういって、栄子は、勇の片手をとって、座敷に連れ込んだ。気配りの早いかめ子は、すぐ表に飛出して菓子屋に走った。うち見た処、栄子は少しも眼病らしくなかった。時候の挨拶が済んだ後、勇は、栄子に尋ねた。
『それでも一方の眼が見えないんですか?』
『さうなんですよ、然し、おかげさまで、片っ方が少し見えるやうになったものですから、牛肉屋の仲居でもしてみようと思って、かめ子さんと二人で、木ノ江から出て来たんです……然し、旦那、去年はほんとに御世話になりました、いつかこの御恩を返さうと思ってゐるんですけれども、こんな、けがれた体でございますから、御恩を返すことが出来ませんで、ほんとに済みません』
 栄子は、髪を銀杏返しにゆうて、いかにも仲居らしい服装をしてゐた。さういってゐる処へ、表から、かめ子が帰って来た。そして、お盆に山盛り、バナナと林檎と蜜柑を盛上げ、そのわきに、勇の好きな羊羹を鉢に載せて差出した。かめ子の表情は、まるで子供のやうだった。
『若、私は嬉しくてく、たまりませんの』
 さういって、彼女は、勇の膝許に摺り寄り、彼の両手をとって、両眼に涙を湛へてゐた。それは決して、性慾を意味したものでないことを、勇はよく理解してゐた。彼女は、凡てのことに感激的で、人一倍に、彼女の熱情を表さなければ済まない性質だった。卯之助に別れてから、南紀州の風と、波濤と、小石と、昆布と魚を友にして、無機物のやうな生活を長く続けてきた勇にとって、この熱情的な歓迎は、彼の陰鬱を打払ふに充分であった。
『私たち二人はね、若、朝から晩まで、あなたのことばっかりいって、半年ばかり暮したんですよ。そして、今年の九月に、二人が約束して、こゝに家を借りて、仲居の口を探すまで、毎日、毎日、朝から晩まであなたのことばかりいってゐたんです。此処にきてから、栄子さんはちゃんと、あなたのために蔭膳を拵へましてね、あなたかいらっしゃらなくても、いらっしゃるのと同じやうに、この家の主人公として、三度々々、あなたのお茶碗に御飯をついできたんです』
 さういうて、かめ子は、ハンカチで涙を拭いた。
『栄子さんはあなたのお嫁さんになりたいっていふんぢゃないんですよ、栄子さんは「私は片輪ですから、もう村上の旦那の寵者(おもひもの)にはなる資格がない」と諦めてゐるんです。けれど御恩になったことは忘れられないといって、蔭膳を据ゑてゐられるんです。その主人公が今日お帰りになったのだから、私たちは、二人とも店を休んで、あなたに、この家で一晩泊って頂きますわね、お泊り下すってもいいでせう?』
 さういってかめ子は、温い掌(て)を勇の膝の上に置いた。

2015-02-19

海豹の42 海の精の最期

  海の精の最期

 勇は幸ひ、背中の傷が比較的浅いので、出血は止まらなかったけれども、卯之助の運命が気づかはれたので、彼を探すために艫に廻った。然し、卯之助はそこに居なかった。勇は、白洋丸を一巡して卯之助を探した。然し、何処にも卯之助の姿は見えなかった。そこへ、血塗れになって、卯之助が、ジャンク船から帰ってきた。彼は肩先をピストルで射貫かれてゐるらしかった。噴水のやうに、血が白襦袢の上から滴ってゐた。
『おゝ、卯之助! 探してゐたんぢゃ!』
 と勇が声をかけると。
『大将、もう大丈夫です! 敵はみな、やっつけてしまひました』
 といふなり、白洋丸のデッキの上に打倒れた。
 卯之助が倒れた傍には、最初の卯之助の一撃に銃殺された二十五、六の背の小さい海賊が死んでゐた。
 勇はまるで、夢のやうに、その光景を見て、我自らを疑ったが、もう殆ど事切れになってゐる卯之助の体を抱上げながら、
『おい! 卯之助! 卯之助! 気をしっかり持て! ……おい! 勇だぞ! 卯之助!』
 と連呼した。卯之助は、軽く頷いたが、返事をしなかった。ジャンク船は、ぽんぽん爆発しながら燃え出して、傍にゐることがもう危険になった。卯之助がどんな働きをしてきたか解らぬけれども、勇がか背伸びして、ジャンク船の艫を見ると、そこに二人の水夫がピストルで撃たれてゐた。二人とも卯之助にやられたらしかった。敵はもうそれ以上甲板には居ないと見えて、燃えてゐるジャンク船のデッキには人影が全く見えなかった。
 それを見た勇は、小林に命令して、敵の船と白洋丸を繋いだ綱を解かせ、出来るだけ速かに、火の粉を被らないやうに、ジャンク船から遠ざかることに努力した。機関室に潜んでゐた富山と味噌は、デッキへ飛上り、敵の船の燃えてゐるのを見て、『万歳!』を連呼した。その時、船底に隠れてゐた広瀬和造と、髪だけは石川五右衛門のやうに刈込んで、如何にも豪傑らしく見える最も臆病な川端治介が船底から逼ひ出てきた。古屋が二人の顔を見て大声で笑った。勇はそれを止めた。小林と古屋はまた相談して、操舵窓に死んでゐる海賊の死骸と。デッキの上に死んでゐる年の若い海賊の死骸を海の中に棄てた。
 それからみんなで相談の上、卯之助の死骸を氷詰めにして、高雄まで持って帰ることに決めた。小林は、船底に敷いてゐた板を外してきて枠を作り、それに、日覆に使ってゐたキャンヴァスを張り、氷をその中に入れて。卯之助の屍をその中に納め、また氷を両側と上に詰めて、恭しくそれを艫に据ゑ、その上を日の丸の旗で蔽うた。
 あまりの衝撃に、一同の者は、何か何だかさっぱり見当が付かなかった。まるで海の上で狐に化かされたやうな気がした。勇はあまり悲しくて、涙さへ出て来なかった。正午になって、朴が時間通りに飯が炊けたと皆に知らせてきたが、誰一人食はうといふものは無かった。昂奮しきった乗組員は、機関室に居残った鳥井と、操舵室に入って一人考へ込んでゐる勇のほかは、全部艫に集って、朝の経験を幾度となしに繰返し繰返し、語り合ふのみだった。
 船は三日口に高雄に着いた。そして、勇が、柱とも頼んだ忠実な助手堀江卯之助の屍が、火葬場で荼毘に付せられた。卯之助を失ってから、勇はもう沖に出る勇気が無くなった。彼は口にこそいはなかったが、卯之助を海の精のやうに考へてゐた。卯之助は謙遜で、柔和で、寛容で、而もその上に無口で辛抱強かった。勇は小さい時から、卯之助に可愛がって貰ひ、彼の父以上に親しみを持ってゐた。彼は、忠実といふことを、卯之助に於て初めて発見してゐた。それで、卯之助と別れては、もうがっかりして、鮪釣りを考へることさへ厭になった。それに一つは、海賊と戦った時に斬られた傷口が、手当ての悪いために膿んできたので、入院する必要が出来た。それで彼はその事を電報で紀州にいうてやった。そして自分はすぐに入院した。
 入院してから八日目に、紀州勝浦から。船主の伊賀兵太郎がびっくりしてやって来た。そして、病気が良くなり次第、船を紀州に廻してくれてもよいと、親切な返事をしてくれた。
 勇が退院して。再び白洋丸に帰ったのは、二月一日であった。一日を出帆の準備に費し、翌日、北から吹く貿易風に逆って、勇敢に、船を日本本土の方へ向けた。

  波、波、波、波

 波は磯に砕けた。
 水蒸気に包まれた春の太陽は西に傾き、柔かい光をその上に投げた。光を反射した砕けた波は、紅い薔薇の花辯を磯にまいたやうに美しく見えた。
 太平洋に面した南紀州の輪廓の大きな海岸には、風の無い日でも、相当に大きな波が打寄せた。空には、雲とまでいかないが、雲に凝集しさうな水蒸気で一杯になってゐた。風は生温く、海にも春が来たやうな気持がした。
 磯に砕けた波は、シャンぺン酒の栓wp抜いたやうに、沸き返り、煮え繰返り、宇宙の神が、人間に差出して下さる大きな祝盃のやうに見えた。波打際には美しい小石が並んでゐた。その中には、石英や長石のやうに白いものもあれば、またオパールのやうに美しく見える青石も混ってゐた。その小石の上に、村上勇は腰を下して磯に砕ける波をみつめた。
 台湾から帰った村上勇は、海賊と組合った時に、打ち処が悪かったと見えて、肋膜炎が突発し、呼吸する度に痛みを感じた。それで船から下りて、数ケ月の間静養することに決めた。船主の伊賀兵太郎も、親切にいってくれるので、少しの間、黒潮に近い、気候の暖かな南紀州でぶらぶらすることに決めた。然し、肋膜炎は彼を非常に憂鬱にした。彼が働かないために、だんだん衰弱してゆく母への為送りも、また保養を続けてゐる片田の中村栄子の食費も、全く送れなくなった。いや、それより心配になったのは、彼が甲種二等運転士の試験を受けようと思っても、体格検査にはねられる恐れがあったことである。二月が過ぎ、三月も終に近づき、鯛網が出走り、彼の乗ってゐた白洋丸は、鰹船に早変りして沖へ出たけれども、彼の肋膜炎は少しもよくならなかった。
 それで彼は、毎日海岸に出て波をみつめた。今日も彼は病をおして、午前中は試験の準備をしたが、昼から海岸の砂利の上に腰を下して、自分の運命、社会の成行、……そしてまた宇宙の神秘などに就いて、ひとり思ひ込んでゐた。
 水平線まで何ものにもさまたげられない大きな海は、緑の段通を敷詰めたやうに拡がる。磯に這上って来る白い波紋の描かれた潮は段通の縁をとったレースのやうに見えた。
 生れてから二十数年の間、波ばかり見てゐる勇でも、こんなに根気よく磯に砕ける波をみつめることはなかった。その単純な律動をぢっと辛抱して、一時間も二時間も凝視してゐると、波の神秘に魂が溶け込むやうに思はれた。
 広い海岸に、誰一人として出てゐる者はなかった。そこには、ぽっつり、彼一人が社会から置去りにされたやうに、また考へやうによると、海から打上げられたやうに、ぼんやり何もせずに――身体さへ動かさず、大きく呼吸することさへ止めて、海岸の結晶片岩の小石の一つのやうになって、そこに坐り込んでしまった。あゝ、然し、何といふ幸福! 勇は、波の本然の性質がわかったやうな気がした。
 一つとして同じ砕け方をする波はなかった。
 沖から押寄せてくる波と、陸(おか)から引上げてゆく波が一つになり、それがせき上げられて小さく砕け、その儘また波紋を描いて磯へ押上げて来る。右より陸の方へ倒れかゝった波に、左のものが促されて砕け、その惰性で白い泡が立ち、やゝ高く砕ける。右と左の澄み切った波に挾み打ちになって倒れるものもある。暫く呼吸して、小さい波が続き、その後にまた大きな波がやってくる。吸込まれたと思ふとまた吐き出し、滝の如く崩れ、奔馬の如く走り、引く波と寄せる波が互ひに競り合ひ、玉と散らし、屏風の如く倒れ、跳ね上り飛上り、鬨の声を上げては、また数部に分れた合唱に移る。然し、それも長くは続かないで暫くすると、また天地創造前の静寂に帰る。水蒸気が濃くなって、太陽の光が鈍くなると、コバルト色に輝いてゐた沖は、忽ち淡い水色に変ってゆく。
 いくら見てゐても見飽きない。最初は物理的にのみ砕けると思ってゐた波が、決して同じ形を繰返さないのを見て、勇はその不可思議に驚いた。同じ磯に砕けるものでも、ある時は澄切って居り、その次は濁る。ある時は睡蓮にも似、また次の瞬間には、鎧の袖のやうな形をとる。さうかと思ふと、美人の唇のやうな形をしたり、時には滝の口のやうに、深い穴を作ることもある。そんな時には、そこから龍宮の戸口へ通へるのでないかと思はれた。打上げる時の潮の模様と、引上げる時の模様が違ってゐる。打上げた波は、必ず白い縁をつけて行く。引上げる時には、機の縦糸ばかりのやうに、波の模様がまっすぐに白くなる。少しすると、水で潤うたために、暗色に見える部分がだんだん薄くなる。
 いくら見てゐても見飽きない。勇自身も、こんなによく辛抱して見てゐられるものだと思ふ位であった。然し、波を物理的方面からのみならず。色彩から、音響から、模様から、曲線から、時間的変化から、精しく注意して見てゐると。何ケ月か坐り続けなければ、波の砕ける美しさを充分研究出来ないやうにも思った。こんな単調な波にさへ、こんなにも複雑な要素が含まれてゐるかと思って、勇はもう、自然の不可思議に驚嘆の声を放つばかりだった。
 家に帰っても――勇は、浜に近い、もと借りてゐた家に、またこんども一人で入ってゐた――誰も迎へてくれる人もなく、彼を可愛がってくれる卯之助親子もゐないし、伊賀兵太郎は話相手になってくれず、漁師の青年は、若い女の話をしなければ付き合ってくれないし、高くのぼらうとする勇は、たゞ、風と波と、岩と、昆布と魚に話しかけるより、彼自らを慰める方法はなかった。然し彼は、毒々しい曲った人間の生活より、波と結晶片岩と、昆布と魚の方を遙かに愛した。それだけあれば、人生は決して淋しくないと、毎日決ったやうに、海岸の岩の鼻や、結晶片岩の上に坐った。静かに、微風が彼の頬ぺたを嘗めてくれる。大きな魚が、折々、波間から頭を出して、彼の機嫌を聞いてくれた。
 かうして、父が備後灘の魚島付近で遭難した一周忌が来た。然し、肋膜の水がまだ取れないので、医者の忠告に従って、彼は故郷に帰ることを止した。

海豹の41 無風帯

  無風帯

 高雄に入ったのは、それから二日目の昼頃であった。港に入ったすぐ左手に、漁船のために造られた立派な波止場があった。そこは港でも最も繁華な哨船町と港町の間に挾まれてゐて、海に疲れた人を慰めるには、もってこいの処であった。その日彼は。鮪の餌差(えさ)に
する風目魚のことを、水産会社の人に聞かせられて、高雄の港まで、虱目魚(サバヒー)の養殖場を見に行った。見渡す限り、高雄と台南との間の海岸線は、虱目魚養殖の浅い池であった。養殖高は一年間に約二百八十万円、約一万一千町歩の鹹水(かんすい)養殖面積があると聞かされて、彼は、台湾人の間に行はれてゐる養殖事業の盛んなのに驚いた。稚
魚を河口で捕へ、それを人糞や豚糞で間接にわかしたプランクトン(浮遊動物)の密生してゐる池の中に飼育するのであるが、勇はすぐ、奈良県郡山金魚池のことを思ひ出した。郡山でも金魚を養ふために、池の中に人糞をまいて、プランクトンを製造するのであるが、台湾虱目魚養殖する方法はもう少し念入りであった。豆粕や油粕を人糞でわいたプランクトンに食はし、それを一旦、支那から輸入した茶糟で消毒してしまひ、そのあとに出来た藻に発生したプランクトンを虱目魚に食はすといふ、手数のかゝったことをしてゐるのであった。
 勇は、支那人の賢い養殖技術の発達に目を丸くした。そして彼が、その虱目魚を、一匹五銭の高い値で鮪の餌差として売付けられた時に、もう一度目を丸くした。すゞきに似た銀色をした細かい鱗のついた虱目魚を、その晩焼いて食ってみたがとてもうまいのに感心した。勇はそれから、港にかゝってゐる鮪船を廻って、南洋漁業の研究をした。鹿児島県から来てゐた百噸級七十五馬力の大きな鮪船の船長は特に精しく教へてくれた。
『――なあに、何でもありませんよ。南の方は三陸方面のやうに波がありませんから、楽なもんですよ。そして日本の海のやうに荒してありませんからね、内地の海に比べちゃあ、三倍位とれますよ。なあに、コースを南へ南へとってゆけば、盲でもマニラに着くんだから、心配なんか少しも要りませんよ。大抵の人は三つ目か四つ目の燈台位まで行きますがな、――四つ目の燈台といふのは、ルソン島西海岸にある燈台を日本の漁師が北から数へてさういふのですがね、なほ南に南に下って行って、スールー海まで出ると、鮪も鰹もうじょうじょ居りますよ。然し、こいつは味が悪いんで、値が悪いですよ』
 それだけ聞いて、勇は、もう占めたと心の中で干を叩いた。
 十一月だといふのに。高雄はまるで内地の八月のやうに暑かった。直射する太陽がデッキの諸道具に反射して、目が痛いやうに感ぜられた。一航海が大抵十四、五日か十六、七日帰って来ないので、もしものことがあると悪いと思って、勇は早速、紀州伊賀兵太郎と、福山の佐藤邦次郎に電報を打った。殊に、福山の方は、母が世話になってゐるので、母の様子も聞いてやった。
 その返電がきた。それには、心配しなくともよい、といふ元気のつくやうな報せだったので、彼は、翌朝夜明前に、高雄の港を出帆した。実際、冬の熱帯の海は、畳の上でも走るやうであった。教へられた通り、ルソン島の第一燈台が二日目に見えた。それからぼつぼつ仕事を始めた。愉快な作業を毎日続けた。そして、宮古釧路あたりの作業に比べて三分の一も骨が折れなかった。
 恰度十七日目に第一回の航海から帰ってきたが、船の氷蔵には鮪が一杯に詰まって、黒く塗った船底が、波にかくれて見えなくなってゐた。十七日目に帰ってきても、勇は休むことか出来なかった。卯之助を、餌差にする虱目魚の買付に廻し、自分は燃料の買付、鮪の売上代金の受取勘定などに一日忙しく働かねばならなかった。漁師達も、港に入ったからといって、遊ぶ訳にいかなかった。何千尋からある延繩を一々検査して。針の落ちてゐるものには針をつけ、縄のいたんでゐる所には新しいものを付け変へねばならなかった。勿論、漁師達にも半日の休暇を与へ、活動写真の見たいものには小遣を与へて、自由に見させたが、勇と卯之助だけは、いつもあとに残って、宵の口からぐっすり寝てしまふのが、いつもの習慣であった。
 余程スルー海にも出たかった。然し、母への為送りを心配したので、彼はあまり冒険をせず、支那本土とマニラの間にある魚礁を目あてに航海を続けた。微風がやはらかに頬をなめて、薄紅に東が白んでくる熱帯の曙を、彼はどんなに愛したか知れない。北の海にゐるのと違って炭火で暖をとる必要はないし、いつ海の中に飛込んでも、冷い感じがしないので、熱帯の冬の漁業を彼は、心から楽しんだ。

  海南島の海賊

 かうして、十二月も無事にすみ、比較的豊かな正月を高雄の港で送った。青年達を自由に上陸さした勇は、甲種二等運転士の試験を受けようと、正月一日から航海学や数学の勉強に専念した。卯之助はそれを見て、
『大将、えらい精が出ますなア。あなたのやうに勉強するのもよいが、わしは、病気するかと思って心配するよ』
 と気遣ってくれた。
 一月四日に、船はまた高雄を出た。こんどはあまり日本の漁師の行かない海南島東海岸をさぐってやらうと思って、勇はわざと、船を西南西に向けた。高雄を出てから三日目に。延繩を入れてみたが、一日に三十匹位、『きはだ』(鮪の一種で日本の南部によくとれる種類である)が獲れた。四日それが続いたので、氷蔵はすぐ一杯になった。
『大将、もう少し氷を持ってくりゃよかったですなア。百円位の氷ぢゃ足りませんなア』
 卯之助が、さういってゐる時であった。艫の方から。支那ジャンクともつかない、然し、支那流の帆を上げた、三十噸位の妙な発動機船が、白洋丸を追っかけて来るやうに見えた。それに最初気がついたのは、デッキで息を入れてゐた機関士富山であった。艫では古屋が中心になって、正月休みに高雄の遊廓に遊びに行った話がはずんでいた。富山が、
『変な船だなア、おい。あの船は、本船のコースをずっと追駆けて来てゐるぞ!』
 さういふと、朝の仕事として延繩の繕ひをしてゐた七人の若者は、みな手を止めて富山の指差す方を凝視した。卯之助が、そのことを操舵室にゐた勇に通じたので、勇は舵を卯之助に渡し双眼鏡を持って、艫の方にやってきた。その時はまだ七、八町離れてゐたので、デッキの上に何が置いてあるのか、双眼鏡ではよく見えなかった。たゞ、表にバナナの龍のやうなものが沢山積まれてあったので、勇は漫然と、
『運送船のやうだなア、香港にでもゆくのと違ふかなア?』
 と独言のやうにいうた。それで一時緊張してゐた漁師達は、また正月らしい賑やかな話に花を咲かせた。然し、富山は、勇が操舵室に帰った後もまだその発動機の付いたジャンク船に視線を向けてゐた。だんだん船は近くよって来る。そして、僅か一町位になった。すると、驚いたことには、そのジャンク船から、白洋丸目懸けて、鉄砲を撃つ者があった。
『ヒューツ』
 と、丸(たま)が飛んできた。と思った瞬間、屋形の艫の柱に命中した。その下に腰かけていた富山の頭に少しで当るところであった。その時、富山は絶叫した。
『おい! こりゃ、海賊だぞ! 皆それを放っといて準備しろ!』
 富山と味噌の二人は、這ひながら操舵室の方へ報告に行った。広瀬と川端は、これもまた這ひながら尾形の中に入って、隠れ場を求めた。小林猪之助は、海軍ナイフを探した。古屋熊楠は、炊事場から出刀刄丁を取出してきた。卯之助は。勇から預ってゐたブローニングのピストルを棚から取下した。味噌はまた這ひながら、表から帰ってきた。そして、勇の命令をみんなに伝へた。
『気を落着けて、慌てないやうに! 先方が乱暴するまで、決してこちらから手出しをしないやうに』
 と、勇は短い言葉で乗組員の軽挙妄動を警戒した。富山は機関室に入って、最大速力を出し始めた。然し、延繩は長くひいてゐるし、速力はあまり出ない機関だし、いくら油を焚いても七浬以上は出なかった。こちらが速力を出しだしたので、ジャンク船からは、機関銃を撃も始めた。その一発が操舵室の硝子に当ったらしい。表に硝子の壊れる音がした。勇は、この上船が走ると、撃沈させられる恐れがあると思って、船をぱたりと止めた。すると、十五間位の処に接近してゐたジャンク船は、すぐ舷側に船を着け、二人の壮漢が、白洋丸に飛込んできた。一人はピストルを持って操舵室に廻り、もう一人は艫に廻った。操舵室に入ってきたものは、勇にピストルをつきつけて、何か解らぬことを支那語でいうた。その時、勇は、至極落着いて、眼を開いた儘、全能なる神に祈ってゐた。
 そして、殺さば殺せといふ態度で、度胸を据えてゐた。すると、海賊は。また支那語で怒鳴りながら、勇にピストルを向けた。それで彼は飛懸って行って、赤手空拳で戦った。古屋がそこへ応援にやってきた。勇は背中を敵に斬られた。
 そこへまたもう一人のジャケツをきた背の低い支那人がピストルを持ってきた。そして。古屋目懸けて一発放した。然しn幸ひ、古屋の右の耳をかすめて、操舵室の板壁に当った。二度目のやつは、可哀さうに、仲間の頭に命中した。最初きた海賊は、其処に倒れてしまった。古屋はすぐサイドにゐる男に飛懸った。そこへ、小林がまた応援にやってきた。そして彼のピストルをも、もぎ取らうと努力した。後から飛付いた小林は、彼の頸を両手で締めてそこに引倒した。敵はもがいてゐたが、古屋は拳骨で鼻柱の上をぶん殴り、めくらみが来てゐる瞬間に、小林と二人でその男を海の中にたゝき込んだ。
 一方、卯之助は持ってゐたブローニング銃で、最初艫の方に廻ってきた海賊を一撃の下に打倒し、勇敢にも逆襲を試みて、敵のジャンク船に飛込んで行った。三、四発銃声が聞えた。味噌が、石油を注いだ糸屑に火を付けて、隣の船に投込んだ。黒煙が上った。帆が燃え出した。

海豹の40 足摺崎の秋の夜

  足摺崎の秋の夜

 勇は、それから、猪之助に、高知県の網のこと、遠洋漁業のことなども教へてもらった。すると。猪之助は、それに関連して面白いことをいうた。
『網は、神奈川県富山県に比べてあまり発達してゐないやうですが、遠洋漁業の精神は盛んなやうですなア。高知の近所に宇佐っていふ処がありますが、そこから東の者は全部北の方へ出かけ、そこから西の方の人間は大抵九州から南へ出かけるらしいですなア。面白いのは、鰤(ぶり)が同じことをするのですよ。須崎の水産試験場でいってゐましたがね、鰤の稚魚を三月前に放流すると南の方へ行くさうで、三月以後に放流すると、北へ行くさうです。人間と鰤の活動振りが似てゐるから面白いぢゃありませんか! ハハハヽヽヽヽ』
 それから小林は、勇に面白い質問をした。
『船長さん、あなたは、「もじゃこ」といふ魚と、「わかな」と「はまち」と[めじろ]と「鰤」の区別を知っとってですか?』
 勿論そんなくはしいことを勇は知るはずがなかった。すると大きな眼玉を持った顔の長い猪之助は、げらげら笑ひながら、
『そら、みな同じ魚の大きい奴と小さい奴の区別だけなんですよ。「もじゃこ」っていふのはね、船長さん、鰤の子なんですよ、まだ一寸位で、重さが一匁あるかなしの奴をいふんです。そいつがね、五寸位になると、「わかな」といふのになりましてなア。一尺位になると「はまち」といふ名に変るんです。それが二尺位になりますとな、「めじろ」といふ名に変り、三尺位になって鰤といふ名がつくんですよ。船長さんは、船には玄人でも、私のやうに小さい時から、魚で苦労して居らんから、解らんのは当り前ぢゃなア、ハハハハヽヽ』
 と。猪之助は、大きな口を開いて、高声に笑った。
『こいつは一本まゐったなア』
 と、勇は、猪之助の笑ひに和した。
 それから話は、鰯に移った。
『船長さん。土佐鰹節は昔から有名ですがな、この頃、鰹より収
入があるのは鰯ですよ。毎年百万円とは、この不景気でも漁獲高が下らんやうですなア、そして、黒潮の関係でもあるんでせうなア、年中鰯がとれるんですから、面白いですよ.例へば、高知県の東部海岸へ行きますとなア、年に四回位、地引網で縮緬じゃこがとれてゐますよ。もちろん、「うるめ」っていふ奴は、五月から十二月まで、この清水あたりにとれるんですが、大阪あたりで、「おゝば鰯」(真鰯)っていふ奴は、室戸あたりで、九月から翌年の三月まで漁れるんですよ。鰯っていふ奴は、日本の国の宝ですなア』
『さうだね、鰯を食へば、日本人は困らないなア。鮪がとれない時でも、鰯だけはとれるんだからなア。日本政府は、もう少し鰯で立つ政策をとるといゝと思ふがなア。僕の小さい時などは、瀬戸内海でも鰯が沢山とれたものだが、だんく近頃減ったやうだ。然し、九十九里浜などは、鰯だけで食ってゐるやうぢゃないか。あしこは高知県とちかって、十一月十日頃から翌年の七月十日頃までが、漁期だってなア。然し、今年は室蘭あたりで、馬鹿に鰯がとれたやうだったなア。台湾の砂糖黍の肥料に一万五千噸の鰯を積んだっていふぢゃないか。青森県岩手県ぢゃあ、折々食ふものに困って、草の根を掘って食ってゐるといふんだから、砂糖黍に食はす代りに、人間に食はしてやったらいゝのになア』
 小林は、ぜんざいのお代りを出した。
『をかしいものですね、鰯が岸によって来ると、その後に鯖や鯵がついてきてその鯖や鯵について鮪がやって来るんですなア、だから清水は昔から、土佐ぢゃあ一番魚がとれる処になってゐるんですよ』
 ぜんざい屋を出た勇は、船にかへった。然し、清水港を中心とする漁業の話が聞きたかったので、隣の鮪船に入って、いろいろ話を聞いた。そして近頃は、鰹がだんだん駄目になり、鮪漁業が擡頭してきたことを知った。そして清水に船を入れてゐるものは、宮崎県の者が多く、土佐の者が割に少いといふことだった。こゝでも魚市場でとる歩合金の問題が、宮崎県の漁民と、清水の町民との論争の原因となり。一時は宮崎県の船が着かないので、湾内が寂れたことがあったと聞かされて、勇は淋しい気持になった。
『――なぜこんなに遠洋漁業者の間に統一がないだらうか? なぜもう少し波の上で働く人々を、国民が可愛がってやらないだらうか?――』
 そんなことを彼は考へながら、猶も話を聞き続けた。眉毛の太い銅色をした四十恰好の筋肉の逞しい、訥朴な漁師は、ぽつりぽつり言葉を続けた。
『然し、あなたの処はどうですか? 清水でも近頃は魚がとれませんでなア。仕舞金(賞誉を意味した代別金)だけでは足りないで、前借するやうになりましたわい。然し、船主の方でも金がないので、その前借も近頃は三十円位しか貸してくれませんよ。こんなに魚がとれないと、貰ふ歩合も少くなりましてなア。船と網とに一割位ひかれて、あとの三割を波の上に働くわし等に分けてくれるんだが、今年などは、一月働いて十五円位にしかならんですから、とても妻子は養へんですなア』
『そんなに収入が少くて。どうしてやってゆけますか?』
 勇がいぶかって尋ねると。灰色の眼をした漁師は、笑ひながら答へた。
『そりゃ、とも食ひしてゐるんですよ。親類に借りに歩き、友達と融達しあってやってゐるのです』
 漁師の声が消えると、海岸の料理屋で弾いてゐる三味線の乱れた調子が、船の屋形に響いてくる。それから、勇は、鰹釣りの話をきかせて貰った。ゆっくりした口調で漁師は、ぽつりぽつり勇がまだ聞いたことのない話を物語った。
『鰹釣りはな、親譲りぢゃてよ。小さい時から二、三年飯炊きに連れて行ってな。それから、「餌差変へ」に三、四年連れてゆき、それが済むと、「とも下し」に使ひ、「へのも舵」に出世して、「へのり」になり、「網はり」(副船長)になるのは余程年が行って、腕がきくやうにならぬとなれんなア。何しろ二、三時間で、二万三万も釣るんぢゃからなア。よほど機敏な頭のいゝものでないと、それだけ釣れんわいな』
 勇は鰹釣りの地位が階級的になってゐるのを知って。技術の上にある面白い差別を考へざるを得なかった。
 活動写真を見に行ってゐた若い者らはみな帰ってきた。その物音を聞いて、勇もまた船に帰った。夜の秋の空は透きとほるやうに紺色に澄み、星は銀砂をまいたやうに光ってゐた。東の空に見えるプレアデスの美しさが殊の外勇の注意を惹いた。大きな漁船の右舷左舷に吊った青い灯や赤い灯が、海面に反射して。港は平和に見えた。

  波上の戦士

 清水を出た船は、翌日の黄昏時に、日向の油津に着いた。こゝからは台湾に出漁してゐる船が沢山あるので、南洋漁業の話をきくのに、非常に便宜を得た。油津で延繩の修繕をしてゐた時に、針の話から、高知生れの小林猪之助が、土佐の広瀬丹吉の釣針の話をした。
『まあ、「丹吉」の針が日本一でせうなア。近頃兵庫でも、広島でも機械で釣針を作るやうになったですが、やはり手で作る丹吉のよい針には及びませんなア。三浦半島三崎でも丹吉の針が一番いゝっていってゐましたが、鮪の延繩の針も丹吉のに限りますぜ』
 と勇に向ってお国自慢を始めた。然し、それには、船の者は誰も反対するものがなかった。卯之助までが、丹吉の針が良いといって褒めた。それまで。白洋丸はどこの針でも使ってゐたが、小林と卯之助が褒めるので、それからは丹吉の針ばかり使ふことにした。
『面白いものですなア。もう丹吉は、天明年間から今日まで百五十年以上も魚を釣る針を専門に造ってゐるのださうぢゃが、魚の口の恰好や魚の習性に従って、針の恰好を全然変へてゐるから面白いぢゃありませんか。あしこへ行ってみると。魚の釣針でも沢山ありますなア。種類でも百五、六十種あると、あしこの番頭がいってゐましたが、並べてみると面白いものですなア』
 小林にさうした話を聞かされた勇は、ひとり言のやうにいうた。
『ぢゃあ、こんど帰りに、浦戸湾にでも船を着けて、丹吉の針を研究に行くかな』
 港の岸辺には、暢気さうに、太公望をきめこんだ、ちぬ釣りのアマチュア連が、竿の先を見つめて、物もいはないで静まりかへってゐた。
 油津を出た船は大隅の沖で大暴風雨でやられ辛うじて奄美大島に逃げ込んだ。そこに二日碇泊して後、三日目にやっと、那覇の港に船を入れた。那覇珊瑚礁の悪い港で、よくまあこんな処に、大阪商船の大きな船が着くと思ふ位であった。然し、船を入れた翌日、また暴風雨に見舞はれたので、その日を利用して、那覇の南数里の処に根拠地を持ってゐる、日本で一番勇敢な糸満の漁村を訪問した。軒先に虫下しにするマクニン藻を底の浅い竹籠に入れて乾してあった。豚の血を船べりに塗った小さいボートが岸に引上げられてあった。狭い裏長屋に、裸体ン坊が走り廻ってゐた。部落を廻ったけれども。別に内地の部落と少しも変りがなかった。賑やかな市場も見た。しかしそれは、三崎や清水や銚子のやうな大きなものではなかった。たゞ、もし違ってゐるものがあるとすれば、糸満部落の娘の顔が非常に美しいことであった。まるで西洋人そっくりの顔をしていた。それで那覇に帰ってきいてみると、やはり西洋人と日本人の合の子だといふことがわかった。それにしても、数干の糸満部落民が。世界を股にかけて、南洋は勿論、布畦、メキシコ南米の漁業を、冒険的に開拓してくれるその勇気には、勇も敬服せざるを得なかった。
『あの人達は沈まない船を持ってゐるんですからなア、豚の血を塗った独本船(まるきぶね)を汽船に積んで、魚のゐる処なら世界中何処にでも行くのだし、子供の時から水の中にもぐって、生きた儘どんな魚でも掴へてくるっていふんですから、えらいものですよ』
 と、隣の船の船頭は、勇が糸満部落を訪問してきたと聞いて糸満人を激賞した。
 那覇を出た船は沖繩列島に沿うて南に下った。そして、台湾の西北端に位する漁港として有名な蘇澳(スオー)の港に着いたのは、四日目の朝であった。紀州勝浦を出てから、二週間余波に揺られて、約千三百浬の航程を三十五噸の小さい船でやってきたと思へば、愉快でたまらなかった。然しまた、風の都合が悪くって、途中で暇どったことが、かへって漁業の知識を増すことになって、勇は愉快でたまらなかった。
 蘇澳には、油津を中心にした漁民が、『かぢき』の突ン棒漁業に従事してゐるのを見て。壮快な感じがした。突ン棒漁業といふのは、船の舶先に立ってゐて、海面下に泳いでゐる『かぢき』の胴体目懸けて、槍を突きさすのである。勇はその勇壮な光景を見て壇の浦の源平合戦を見てゐるやうな気がした。突ン棒漁業に精しい無口の広瀬和造は、九十九里で、少しの間、鰯の揚網(あぐり)組に働いてゐた関係上、面白い話を勇に聞かせた。
『大将、突ン棒ってやつは、昔から千葉県にはあったさうですが、中興の祖っていふのは、安房の国の勝山町岩井袋の三橋由太郎っていふ老人ださうですよ。この人が名人で、千葉県に「かぢき」の突ン棒が明治になって大いに興り、それが紀州に伝はり、紀州から高知県に弘まり、高知県から宮崎県に伝はって、一派は対島海峡で突ン棒漁業をやり、他の一派が台湾に来てゐるさうですなア』
 熟練した突ソ棒の名人は、魚のどの部分に槍をつき刺すか、それさへ思ったやうになるといふことを聞かされて、勇は人間の筋肉運動の恐しさに舌を捲いた。広瀬は、突ン棒の名人が、魚が逃げた場合でも、どちらへ向って再び出てくるかを、かぢきの種類で、よく見極めることが出来ると説明した。
 勇は、然し蘇澳には長くゐないで、すぐ船を高雄にまはすことに決めた。それでも。基隆の魚市場をよく見ておく必要があったので、高雄に行く途中、ちよっと寄ってみたが、土佐の清水の魚市場位しかなかったので、少し失望した。然し、そこを訪問してびっくりしたのは、支那海を中心にして働いてゐたトロールや、機船手繰網は、漁獲高が少いので、魚市場の奥の船溜りに幾十艘となく、すし詰めになって、遊んでゐるといふことであった。然し、勇は、基隆の築港が完備して、港内にあたゝかい空気が漂うてゐるのが嬉しかった。

海豹の39 海を忘れた文明

  海を忘れた文明

 大阪に着いた勇は、すぐ難波駅から、天王寺の市立病院までタクシーを飛ばした。それは。夜の九時頃であった。病室はみな寝静まってゐた。然し、かめ子は、万龍の傍に茣蓙を布いて坐った儘、雑誌のやうなものを読んでゐた。あまりに勇の帰って来るのが早かったので、かめ子はびっくりしてゐた。
『容態はどうです?』
 さう小さい声で。勇がかめ子に訊いた。
『繃帯はまだ四、五日とれないんださうです。それですから、良くなるか良くならぬか、それが少しも解らないんです』
 その答を聞いて。勇は、少し閉口した。それは北海道のことが心配になってゐたからであった。そのために母の病気もその儘にして引上げなければならぬと思ってゐる位であるから、万龍のことが気になっても、市立病院に置いたまゝ北海道に帰るより仕方がないと思った。
『お父さんは来たかね?』
 と尋ねると、かめ子は元気のない声で答へた。
『いゝえ、まだいらっしやいませんよ。金が要ると思って、よりつかないんぢゃないのでせうか。しかしお医者さんは、一週間も経てば、良くなるか良くならぬか決定するから、それまでが辛抱だとおっしやいますので、私は一週間位なら、中村さんについてゐてあげようと思ってゐるのですの』
 それを聞いて、彼はやっと安心した。残念であったけれども、彼は、その晩すぐ福山まで夜行で帰り、明日北海道へ引返すと、かめ子に告げた。丁度その時、万龍は寝てゐたので、わざと起して別れを告げると、徒らに昂奮させて、どんなことが彼女の身の上に起らぬとも限らないと思ったので、彼は、かめ子を廊下に呼出し、伊賀兵太郎から借りてきた百五十円の中の五十円をかめ子に渡して、二人の小遣に使ってくれというた。
 人の好いかめ子は、
『ぢゃあ、もうお帰りですか? もう一晩居って頂くといゝんですけれどね。けれど。御無理をいってゐても仕方がありませんから、お別れいたしませう。どうか、うちのお父さんによろしくいって下さいましね』
 さういって、かめ子はさっぱりした口調で別れを告げた。
 彼は再び廊下の硝子越しに、万龍の顔を見たが、繃帯の覆うてゐない部分は鼻と口だけであったので、それが万龍であるか誰であるか、差別がつかない程、憐れに見えた。彼は、廊下を歩みながらつくづくと考へた。
『――マグダラのマリアを救うてやらうと思って。少しばかり努力してみたが、六匹までの悪鬼を追払ふことが出来ても、七匹目の悪鬼に彼女の両眼を奪ひ去られた。キリストであれば、その眼をいやして、もとの美しさに彼女を回復させることが出来るだらうが、俺にはその力がないので、諦めて北海道に帰るほか道はない。諸行無常っていふのは、こんなことをいふんだらう。しかし、かうなることが必然なんだから、人間は不道徳な道は歩けないのだ――』
 表へ出ると、飛田遊廓に群る幾百の自動車が、街を埋めて、まるで夜中とは考へられない程、街上は賑やかであった。勇は考へた。
 これらの人々が、万龍のやうな運命になるために、地獄の道を急いでゐるのだ。――と思ふと、彼には、日本の都会の全部が、精神病的に組立てられつゝあることを、感ぜずには居れなかった。彼は、太平洋の怒濤を、怖れなかったけれども、大都会の文明に、腐ってゆく人間の血が、怖ろしいやうに感ぜられた。それで彼は、早く海に帰ることを、楽しみにした。静かな海、ジャズも、牛太郎の呼ぶ声も聞えない厳粛な海、幾千年前から同じ言葉を発音して、同じやうな厳粛さをもって人間に臨む海、そのしぶきに、その怒濤に、無言の世界を語る海。そこに彼は早く帰りたかった。

  陸上の難破船

 倉敷汽車が着いたのは、真夜中の二時頃であった。こんなに早く着くとは知らなかったので、彼は駅前の宿屋に入って眠り、翌朝早く病院に、母の容態を聞きに行った。母は案外弱ってゐなかった。然し、姉は少し局部が化膿したので心配だと彼に答へた。で、彼は、姉に百円の金を渡して、入院料に使ってくれと言葉を副へた。
『ぢゃあ、お母さん、これで失礼いたします。十一月の末に北海道から帰ってきますから、その時またお目にかゝりませう』
 さういって母に叮嚀なお辞儀をすると、母はにこにこして、
『ありがたう! 勇さん、あなたの親切は忘れませんぞよ』
 といって、母は布団で顔を蔽うた。
 その日の正午、一旦福山に引返した勇は、姉の夫の佐藤邦次郎と、別れを告げ、北陸線をとって、青森に直行した。青森に着いたのは、次の日の暮頃であった。また津軽海峡を北に渡り、美しい岩木山の蔭を薄れゆく月の光でみつめながら函館に着いた。すぐまた釧路行きの急行に乗って、翌日の昼頃、釧路に着いた。丸一商会を訪ねると、丸一商会の主人は。松原敬之助が売上金を持って行って、毎晩のやうに芸者買ひをしてゐるが、あれでいゝのかと、頭から勇の身体に冷水を懸けるやうなことをいうた。それで彼は、すぐ船に帰ると、卯之助は屋形から出てきて、鳥井岩楠が延繩を捲上げるウインチで大怪我したことを報告した。
『どうした! どこをやられた?』
 とあわてて勇が聞き直すと、
『右手の指三本とられちゃったんですよ。可哀さうでしてね。今夜は病院に入ってゐますがね。本人も、船にもう乗せてくれないかといって泣いてゐましたが、大将はそんな解らん人ぢゃないから、悲観しなくてもいゝって、慰めておいたんです。やはり使ってやってくれるでせうなア?、大将』
『うム、使ってやればいゝぢゃないか、ウインチ捲き位出来るだらう、ウインチ捲きが出来なければ、飯炊き位は出来るだらう』
『それ位のことは出来ますよ』
 と、卯之助は笑ひながら答へた。
『然し、卯之助、今、丸一で聞いてきたんだが、松原さんはどうしたんだい? 毎晩。芸者買ひばかりしてゐるっていふがほんとかい?』
『ほんとですとも、あの人には困りますね、あの人は、もう。こんどは頼まないがいゝと思ひますなア、若い者を皆、淫売買ひに連れて行ったり、遊廓に引張って行ったりして困りますですよ。何処に、あんな金があるんですか! 大将、貸してやったんですか?』
 卯之助はびっくりしたやうな顔をして、さう尋ねた。勇が否定的に答へると、卯之助は全く驚いてゐた。またその晩も、松原は帰って来なかった。それで翌日の朝早く、松原と、鳥井岩楠を陸に置いておいて、船は出帆した。そして、三日ばかりの間、釧路沖を、潮流にまかせてくるくる舞ひ廻った。そして相当に漁獲があった。
 四日目に。船が再び釧路に着くと、丸一商会の主人が船まで飛んできて、松原敬之助か、無銭遊興の罪名で、昨夜から留置場に入れられてゐると知らせてくれた。松原のやり方があまり酷いので、その儘にしておかうと思ったが、金を十一円だけ払へば留置場から出て来れると、丸一の主人がいふので。味噌三太郎をやって、その金を、お茶屋に払った。留置場から出てきた松原は、すぐにまた船に帰ってきて、酒を飲み始めた。そして勇に金を百円貸せと怒鳴った。勇が相手にしないで放っておくと、酒乱のやうに暴れ出し、勇が若い癖に生意気だといって、勇を殴らうと飛びかゝって来る。勇が逃げると、こんどはナイフを持って、陸上まで追っかけ廻す。それを見て心配した丸一の親爺は、また警察に電話をかけて、巡査を呼んだ。巡査はすぐ松原を捕繩で縛って、警察へ引張って行った。
『酒乱っていふのは恐ろしいものですなア』
 と丸一の主人は、血相を変へていうた。勇は、仕方なしに次の日も、また松原を乗せないで、漁に出た。然し、松原が可哀さうだったので、漁があったのを幸ひに、あまり長く沖に居らないで、二日目に帰ってきた。その時彼はつくづく考へた。
『――人間の心といふものほどうるさいものはない、自然は実に柔順であるけれども、人間が狂ひ出すと始末におへない。思ったやうに海上に活躍出来ないのも、全く人間が飛躍するやうな精神にならぬからだ。人間の発展を邪魔するものは、結局は人間だ』
 そんなことを考へながら、灰色釧路の港に帰って来ると、湿度が高いので、特別に胸が圧さへられたやうな気がした。船が港に着くと、また丸一商会の主人が飛んできた。そして、
『酔ひが醒めても、松原は、相変らずあなたを殺すというてゐますから、やはりあの男は、金をやって国に帰らせた方がいゝですなア。あいつは悪い奴ですね。早く帰らせた方かいゝですよ。あの男のいひ分では、あなたのやうに厳格に、酒を飲むな、女を買ふな、といふんぢゃあ、とても馬鹿らしくて海上生活は出来ない。他の船であれば、漁獲高の三割位は公然、代別金の外に漁師が盗んでいいことになってゐるのに、漁師の習慣を知らない村上は、真面目一本槍で、とれたものはみな親方にやってしまふやうな馬鹿野郎だから、あんな奴と一緒にやって居れば、親方だけは喜ぶけれども、使はれてゐる者は、いつまで経っても頭が上らないといぶんです。それに何でもあの男は、妙なことを警察に密告してゐるやうですぜ。それは、あなたた、みんなに分ける筈の代別金を着服して、一人で使ひ込んでゐるといふんださうです。馬鹿らしくて話になりませんが、もし警察から調べにきたら、いゝやうに返事をしておいて下さい』
 さういってゐる処へ、水上警察から呼出しが来た。『そら、来た!』とすぐ陸に飛上って、水上署の司法部に出頭すると、丸一の主人がいふ通り、代別代金の着服問題か出た。それで勇は、丸一商会の主人を証人に呼んで貰って、明細に答へた。然し、取調は、午後二時過ぎまでかゝった。
 その時、勇は、堕落した人間の恐ろしい社会を初めて知った。そして、罪も咎もない人間が、こんなことでよく刑務所に入るのだといふことも知った。彼の嫌疑が晴れて、警察から出て来た時、彼は、アルコール中毒が、こんなに迄、人を迷惑さすかと思って慄ひ上った。彼はすぐ、紀州の本店に電報を打って、松原を解雇することに決めた。そして、丸一商会から受取った売上代金の中から。百円の金を松原に渡してもらふことにして、また沖へ出た。然し、再び釧路に帰ると煩さいことがあるかも知れぬと思ったので、彼はその儘、南の方に帰らうと考へついた。で。もう一度船を港に着けて、病院から鳥井岩楠を退院させ、彼を積んで南に帰る決心をした。それからまた、二日ばかり流網に従事して、二十匹ばかり大きな鮪を掴へたので、その儘二日半日走り続けて、船を宮古に着けた。それはちゃうど、風の強い午後の四時頃であったが、河岸に近い島香商店の主人は、すぐ白洋丸の姿を見て飛出してきた。そして、鮪を値よく買うてくれた上に、すぐ水難救済会の役員達に電話をかけたので、殆ど役員全部と、命を助けられた漁師の四人が、家族と一緒に、お礼に船までやってきた。そしてその晩は、水難救済会の主催で、村上勇の歓迎の宴が大きな料理屋で開かれた。

  三崎港の黎明

 宴会の嫌ひな勇は、無理やりに上席に祭り上げられ酒を飲めと強ひられた。然し、その時、勇は、禁酒会の会員だと称して、酒を一滴も飲まなかった。それがまた宴会の席の話題になって、感心な人は違ふといふことになった。勇が全然酒を飲まないので、宴会は簡単に閉ぢることが出来た。然し、島香の主人の喜びは全く想像以上であった。
『毎年三陸には来るでせう? 是非、宮古を中心にしてやって下さいよ。私達はあなたを水難救済会の特別会員に推薦しますから』
 料理屋からの帰途に、島香の主人はさういうた。
『是非さうさせて貰ひませう。僕は宮古が好きになりましたよ』
 と勇が心持よく返事をすると、島香の主人は乗り気になって、またこんなこともいうた。
『村上さん、もしどうかした都合で、あなたが今の船を降りなくちゃならぬことかあったら、是非うちの船にきて下さい。あなたが来て下さるなら、別に新しい船を一艘買うてもいゝですよ。ほんとですよ! 私は嘘をいひませんから』
 島香は、勇の顔を覗き込んで、歯切れよくさういった。それを聞いて勇は、
『ほんとに頼みますよ、実際またどうして紀州に居れなくなるかも知れませんからね、いつお願ひしなければならないとも限らないんです……実をいひますとね。島香さん、私は少ししたら、船を下りて、甲種二等連転士の資格をとらうと思ってゐるんです。それは、私に一つの野心があるんです。少し快速力の発動機船を拵へましてね、日本からメキシコあたりまで、鮪とりに出掛けたいんですよ。私が、甲種連転士の資格をとったらば、あなたは、十二、三浬出る少しいゝ船を、私のために提供してくれませんか? 船代位は一年間稼げばあげますから』
『そら、面白いですなア。是非やってみませう。あなたであれば、太平洋位往復するのは何でもないでせう』
 さういったので、二人は大声で笑った。
 宮古を出たのは、翌朝の夜明前であった。こんどは釜石にも寄らず、銚子にも着けないで、すぐ船を三日目に、三浦半島の先端にある三崎に入れた。帰りを急ぐので、食糧と水を積込んで、すぐ出帆しようと思ったけれども、飯炊きの朴長順が風邪をひいて発熱をしてゐるので、医者に見せる必要があったものだから、その晩は航海しないことにした。朴の病気は、余り重くなかったので、海岸に近い魚問屋に入って、三崎の景気をいろいろきいてみた。
 そして、三崎の漁民が、非常に裕福であるのに、多少驚いた。その原因に、機船底引網のないことを知って、今更の如く、大いに教へられる処があった。築港が完備し、魚市場が立派に出来上ったに拘らず、土地の漁師で、遠洋漁業に出るものが、まことに珍しく、多くは一本釣りで一年間に八百円から九百円儲けるといふことであった。港にやって来る遠洋漁業の船の中、阿波の船が最も多く、毎年、盛漁期には六十艘位やって来るとのことであった。その次は高知県の船、これが三十艘位、その次が三重県の二十艘、和歌山県は十五、六艘で、その他を合して。約二百五、六十艘の大形発動機船が、城ヶ島の蔭に入って来るといふことであった。
 勇は、話を一々聞いてゐて、機船底引のない漁業地が、いかに祝福せられてゐるかをしみじみと感じた。翌日まだ夜の明けぬ前に白洋丸は、城ヶ島の蔭からサウスウェストのコースをとって、太平洋に出たが、右手に美しい富士山が、青い空の中に紫色に浮かび出てゐた。思はず、勇は、
『あゝ、富士山! 富士山!』
 と、ひとり叫んだ。太陽が昇るとともに、紫の富士は、乙女の皮膚のやうに、薔薇色に変って行った。そして、頂上に積ってゐる雪までが、桃色に見えるのがほんとに美しかった。
 風がないので、鏡のやうな駿河湾に、燃えるやうな富士山が逆倒(さかしま)に映り、結婚式に急ぐ娘が鏡をのぞき込んでゐるやうに見えた。
 その時、勇は、
『俺が詩人であったらなア、租国目本の表象として、この富士山を歌ってやるがなア』
 と、独言をいひながら、操舵室のハンドルを握ったまゝ十分間も、十五分間も曙の富士を凝視し続けた。

  南へ南へ

 風は北だ。南へ走るには持って来いだ。沖は濤が立ってゐるので黒く見える。紀州の山々はもう遥か水平線の下に消えて行ってしまった。今夜は室戸港泊りだ。天気が好いので、遠くまで小さい漁船が漕ぎ出てゐるのが見える。これから二週間位、南太平洋を毎日走り続けるのだと思ふと、勇は愉快でたまらなかった。紀州勝浦に居ったのは僅か二日間であった。船主の伊賀兵太郎は、『もう少し休んで行け』とすゝめてはくれたが、『少し南洋の漁期に遅れたと思ふから急がねばならぬ』と答へたので、伊賀も喜んで送り出してくれた。
 幸ひ、福山から受取った手紙によると、母は非常に衰弱してゐるけれども、退院してからの経過は比較的良い方だといふことであったし、万龍こと中村栄子も、手術によって片眼だけは視力を少し回復したので、お茶屋に出ることはやめたが、御手洗の卯之助の女房に世話になって、暢気に保養してゐるといふことであった。それで、勇は、かめ子に約束しておいたこともあったので、毎月為送りする月十円の食費を勝浦から送ってやった。それで安心して、彼は、南洋へ出漁する気になった。またその二日間に、松原の代りとして、富山正吉といふ、まだ年の若い、去年機関士の免状をとったばかりの人の好ささうな青年を雇ふことが出来た。他の船員は、北海道に行った人々をその儘、南洋に連れてゆくことにした。乗組員も、北の方の成績が良くて、一人当り百円から百五十円の代別金が当ったので、南に行くことに就いて不服をいふ者は一人も無かった。一時は松原に誘惑されて、多少勇に反抗気分を示してゐた古屋熊楠でさへ、勝浦で代別金を貰ってからは、
『うちの船長はやり手だからなア、村上さんのやうな人について居れば間違はないよ』
 と、同輩に大声にいった程、勇に敬服するやうになった。酒の飲みたい小林猪之助でも、
『うちの船長のやうに、酒も煙草も、女も嫌ひだっていふ人は、今時珍しいなア。あらあ、弘法大師親鸞上人の生れ代りかも知れないぜ。あんな人の脇に居れば、自然人間が善い方に向くやうになるわい。実際、女郎買ひもせず。酒も飲まなければ、妻子を養ふ位は何でもないなア、とってきた金を八分通りまで酒と女に使ってしまふから残らないのだよ。うちの船長のやうに、乗組員に金を使はさないやうにしてくれたらば、金も自然残るわなア』
 さういって、彼はにこにこしながら、貰った代別金百五十円全部を、高知県安芸町の我家へ、郵便為替で送った。
 殊に、乗組員の感激したのは。勇が、鳥井岩楠に対する親切であった。普通ならば下船させられる処を、彼は油さしとして一人前貰って、南洋に連れて行かれることになったので、乗組員の空気は非常に良かった。
 室戸を出た船は、次の晩、足摺崎のとっ鼻に近く太平洋に面した清水港に泊まった。そこは、近年、遠洋漁業が盛んになってから、日本で有名になった港で、高知生れの小林猪之助にいはすと、日本一の良い漁港だといふものだから、勇は研究のためにも是非寄ってみたいと思った。それで其処に入った。
 湾は深かった。水は青かった。白洋丸がそこに着いたのは、澄み切った秋の日の午後四時頃であった。時も良かったが、湾内の風景が特別に美しく見えた。実際、小林がいふ通り、釧路に比べても、または宮古に比べても、釜石に比べても、勿論、銚子三崎に比べても、見劣りのしない良い漁港だと思はれた。勿論それは漁港としての価値であって、大きな商船や軍艦をつけたりするには、少し狭過ぎる感じがした。不便さからいへば、三崎によく似てゐた。然し、三崎が何となしにハイカラなのに比べて、清水は南洋の何処かの離れ島の港のやうな感じがする処だった。唯、魚市場の位置が馬鹿に三崎によく似てゐたので、すぐ彼は三崎を思ひ出した。船を魚市場の岸壁に着けて。小林と二人で散歩すると、第一目に着くのはカフェーと料現屋の多いことであった。何でもカフェーと料理屋が百五十軒位あるとかで、勇は、漁師町の淫蕩な空気に、目を丸くするよりはかなかった。一、二町歩いてゐる中に、すぐ、舞妓のやうな風采をしてゐる小娘の一団に、二組もぶつかった。その小娘達に、勇の前を歩いてゐる漁師らしい男が、わざとぶっかって、猥褻(わいせつ)なことを大声で叫びながら歩いてゆく。
『不景気でもこの通りですからなア、少し景気がいゝっていったらとても話にならないんですよ。漁師はまるで女に入れ上げるために沖に出て行くやうなものですよ』
 勇は小林の面白い話を聞かうと思っだので、彼をぜんざい屋に連れ込んだ。すると小林は、面白がって、こんなことをいひ出した。
『船長さん、私がなア、高知県の漁民騒動の張本人の一人なんですよ、ほんといひますとなア。あなた、あの時のことを新聞で読んで覚えて居られるでせう。そら、えらいことでしたぜ』
 勇が、ぼんやりしか覚えてゐないと答へると、小林は漁民騒動のことを面白さうに物語った。
『県庁を占領してやりましたんですよ。ところが、向ふは消防夫を使ひましてなア、水を頭から被せやがるんで、一万人位居った漁師は、みんなずぶ濡れになりましたよ。何しろ、機船底引網で何も漁れなくなるでせう。いくら請願しても県庁ぢゃあ知らぬ顔するので、癩にさはって沿岸の漁業組合にみんな合図をしておき、その日は夜明けを待って、船で浦戸湾に集り、それから、県庁へ押かけることにしたんですよ。まあ、来るわ、来るわ。私は、あんなに漁師が寄ったのを見たことがありませんなア。警官が出てきて、あっちへ行けとか、垣へ寄ったらいかんとか喧しくいひましたがなア、漁師は死物狂ひですからなア。土べたの上に寝転んで動かなかったんですよ――機船底引網を禁止するまで、我々は断然其処を動かないといって頑張ったんです。その時、私などは、掴へられましてなア。六ケ月ばかり未決監に居たんですが、執行猶予になりましてなア。国に居っても詰らぬから、行かんかといった者があったので、紀州へやって来たのです。然し騒動したおかげで、もと百艘からあった手繰(機船底引のこと)が、今は半分以下に減りましたよ』
 さういってゐる処へ、ぜんざい屋のおかみさんが、大きな茶碗に田舎ぞんざいを山盛り盛って来た。ぞんざいをすゝり乍ら、小林猪之助の漁民騒動の述懐が続いた。
『実際、あの機船底引網は弱い者苛めですよ。ありゃ日本の漁業を亡ぼす大きな原因を作りますなア。高知県の漁民はあれでほんとに困って居りますよ。この間三崎へ行って、羨ましくなりましたなア……然し、船長さん、あなた、気がおつきになりましたか? 高知県にはなア、野中兼山先生っていふ。ど偉い先生が居りましたんでなア。いまだに魚付林でも、築磯漁業でも、兼山先生が教へてくれた通り、やって居りますですよ。野中兼山先生は、高知県の漁師には恩人ですなア。漁港などでも、いまだに兼山先生がつくったのを、その儘使ってゐる処が沢山ありますよ』

海豹の38 那智と新しい行者

  那智と新しい行者

 秋の空は晴れて、那智の滝は白く勝浦の港の入口から見えてゐた。その滝を見ようと楽しみに出てきた万龍が、滝を見ないで、永遠に失明したと思ふと、走馬燈のやうな因果に、人生を寂しい処だと思はざるを得なかった。
 然し、船主の伊賀兵太郎の顔を見ると、勇の寂しい気持は、すっくり消えてしまった。
『村上さん、北海道へ行ってよかったね、また昨日電報が入ったよ、大漁だって、あしこが済んだら。こんどは台湾へ行くかね? 太平洋を乗廻すんだね、動いとれば。とにかく漁があるんだから、不景気、不景気といって、竦んでゐても仕方がないからね!』
 冒険的な紀州の漁師は、太平洋を自分の家の盥のやうに考へてゐるらしい。釧路位の処を、隣へ行く位にしか思ってゐない。それが、勇の気に入った。
『ぢゃあ、あしこが済んだらば、すぐ船を台湾高雄に廻していゝですか?』
 勇は兵太郎の顔を見つめ乍ら訊き直した。
『いゝとも、いゝとも、私から無理にさういふ註文は出来ないけれども、あなたからやってくれるなら、うちは仮令損をしてでも、開拓的の仕事なら、やってみる気があるよ。この間ね、銚子から帰って来る途中で、静岡県の焼津へ寄ってきたよ。あしこは感心な漁師が寄ってゐると聞いたが、全く驚いちゃふね。何から何まで産業組合でやってゐるんだね、あしこは、全く、あゝぢゃなくちゃいかんね。焼津から帰ってきてさ、勝浦の少し事の解った連中に話してるんだがな。これはどうしても漁業組合のやうな同業組合だけぢゃいかん。漁業組合の中に産業組合を設けて、みんなして、儲けるやうな工夫をせんと、時代に遅れるといってるんだよ。君もそれには賛成だらう?』
 兵太郎は、煙草の火の消えるのも知らないで、一生懸命に話し込んだ。
『ふム、さうですか! 焼津はそんなにやってゐますか? 三陸地方でも、焼津の名はみな知ってゐますがね。なぜ、そんな実力があるか私は知らなかったですが、成程ね、産業組合が中心になってゐるんですか? あなたのいはれる通り、産業組合でやれば。利益の分配なども公平に行はれるわけですなア』
 勇は身体を前方に突き出してさう答へた。
 兵太郎は、煙管の先に刻煙草をまた詰めながら、話を進めた。
『どうやらね、村上君、僕には、漁村問題解決の緒口が見えたやうな気がするんだよ。漁民の数は、農民の数に比べて少いんだから、一村単位の産業組合をな、漁業組合の内部に作って、口数は、一口から五十口まで持たせ、猶、その上に組合に金を貸してくれるものがあれば。資金を借りてな、沖へ出るものも何株か持ってさ、一年間の漁業の方針を、前年末に決定してゆけば、漁業組合の内部で、打瀬網と延繩との間に喧嘩するやうなことは、なくなると思ふなア』
『全くさうですね、それをつまり、県なら県単位にしてやれば、なほ一層広くなって、今あるやうな、機船底引網と、小さい漁業者の間に起ってゐる問題はなくなる訳ですね』
 と勇は飲みかけた茶をちょっとやめてさういうた。
『まあ、さういふ訳だなア。産業組合が出来さへすれば、今のやうに競争して、稚魚を濫獲するやうなことはなくなるだらうし、魚の資源も、つゞくだらうと思ふなア。やはり、一時に多く儲けるより、永久に食ひはぐれがない方がいゝからなア。事の解った連中は、わしのいふことに賛成するなア。こんど君が、台湾から帰って来るまでには、きっと俺はその組合を作っておくから、君もそれに
賛成してもらひたいなア。発起人の中に入れておくよ』
 そこへ、兵太郎の女房か出てきた。時候の挨拶をした後、夫に何か注意してゐた。すると兵太郎は、
『時に君、いゝ嫁さんの候補者があるが、貰ってくれる気はないか?』
 と切り出した。兵太郎の妻君は、奥から写真を取出してきた。
『うちの親類の者ぢゃがな、うちの女房が君のことを褒めた処が、是非貰ってくれと。先方ぢゃあ乗気なんだが、どうだらうね? 教育も女学校だけは卒業してゐるんだがね、親父は、村の有志家で、村長をしたこともあるんだ、なかなか事も解ってるんだよ。うちの妻の兄貴の娘に当るんぢゃ。資産もなア。村長をしてゐた位だから、少々はあるんだよ……いつも沖に出てゐて、一月に一、二遍しか帰って来ないが。いゝか? と尋ねるとな、そんなことは覚悟の前だと、先方ぢゃいってゐるんだが、どうだらうなア。一つ貰ってくれんか?』
 傍にゐた兵太郎の女房は更に熱心であった。いろいろ娘の良い処を並べて、
『わたしの姪ですから、褒めるんぢゃないんですがね、ほんとにいい娘なんですよ。一つ決心をつけて貰って下さいな。私の兄も、あなたのやうな人であれば、一生娘も仕合せだといって、この間の新聞に出てゐたことに感心してゐたんですよ』
 勇がどうしても快答を与へないので。兵太郎の妻は、
『この写真よりずっと美しい娘ですよ。そりゃ、村でも評判の美しい娘でしてね。貰ひ手も相当にあるんですけれども、親がなかなか許さないんです』
 さういって、兵太郎の妻は、無理にも写真を勇の目の前に差出した。成程、写真でみても可愛らしい顔をしてゐた。然し、勇としては、腹に一物があった。
『――私はまだ結婚するのは早いと思ふんです。太平洋を舞台にして遠洋漁業に出るのには、どうしても、甲種連転士の試験位とっておいた方がいゝやうに思ふんです。それで、少し暇があれば、その試験を受けたいと思ってゐるのです。今、結婚すると、気がくじける恐れかおりますから、まだ結婚したくありませんね』
『さういへばさうだね、ほんとに勉強したい人には、結婚は邪魔になるだらうね』
 兵太郎がさういってしまふものだから、女房もあっ気なく、写真をもって引込んでしまった。その時、勇は、兵太郎に、あらためて母の病状を述べ、入院料が少し不足してゐることを話した。すると事の解った兵太郎は、
『さうですか、そりゃ、お気の毒ですな、いくらでも持って行って下さい。四、五百円の金なら、いつでもお手伝ひしませう』
 さう気軽にいってくれたので、勇はすぐ百五十円を貸して貰ふことに決めた。

  海を無視した教育

 さういってゐる処へ、大阪の魚具商の浅井長古が表から入ってきた。
『よう、久し振りですなア、えらい、あなたは勇敢に、三陸方面で活躍してゐられるさうぢゃありませんか。結構ですなア、こゝの主人も、いゝ船長さんが見付かったといって喜んで居られますぜ。釧路の方はどうだす! 富山県の人があしこには、沢山、流網で行っとるさうですなア。富山県の人は忍耐深いからなア。なかなか偉いですよ』
 さういふ話がきっかけて、兵太郎はすぐ、漁民の窮乏を救済するには、静岡県焼津の、漁業組合でやってゐる産業組合式にやらなければ、どうしても漁村の窮乏を打開することの出来ないことをまた説き出した。それに対して、浅井は頗る疑惑的であった。
『さういはれても、伊賀さん、やはり人物ですぜ、産業組合などいふものは人物がないといふと資本主義の経営よりまだむずかしうおますぜ。何しろ政府は、漁民の教育に対してはずゐぶん冷淡ですからなア。二百五十万の漁民に対して、水産学校といへば、僅か十一しか作ってゐないのですからなア。こんなことでどうして海国日本などいふことがいへますかい。この間新聞に出てゐましたがなア、五噸以上の漁船だけでも、二万四千艘あるさうですが、漁船の総数二十二万位の中にですよ――噸数も百六万噸を越すさうです。実にえらい勢で発達したもんですなア。それだけ漁業が発達してゐるに拘らず、水産教育は実に無視せられてゐるんですからなア。もう少し盛んに人物を作って、漁村を指導しなければ、乱暴に魚を掴へて、結局、漁村も復活する望がなくなってしまふんぢやないでせうか。今の網の方からいってもさうですぜ、伊賀さん、少し網でも研究して、毎年新しい網を作って行ってゐるのは、まあ富山県だけでせうなア。瀬戸内海では、香川県の桝網が少し進歩してゐるやうですが、あしこも頭を使はんやうですなア、漁民が――私の考では――もう少し魚の習性なり、生物学的研究をすると、それによって却って、魚を保護するやうになり、今のやうに、三年間大漁が続いて次の四年間は魚が少しもとれぬといふやうな、実に変な漁業をしなくてもいゝと思ひますなア。いくら産業組合が出来ても、魚が居らなければ結局駄目ですからなア』
 それに対して、兵太郎は、笑ひなからかう答へた。
『そりゃ、浅井さん、水産教育が出来んといふのはあたり前だよ。漁師に金がないんだもの。産業組合でも作ってさ、その儲けで水産学校を設けさへすれば、そりゃ水産学校は発達するさ。しかし、今の処では望がないね、あなたがいはれる通りぢゃ』
 浅井の言葉は、勇にはずゐぶん参考になった。勇が感心して聞いてゐると、浅井は更に辛辣な漁師批評をした。
『何しろ、今までの漁師っていふのは、迷信と、その日限りの生活で満足してゐたのだから、少し儲けがあったっていへば、すぐ飲んで、女郎買ひして、それっきり丸裸体になってしまふんだから、全く話にならないね。ねえ、村上さん、あなたも北の方の漁港を廻られたでせうが。さういふ感じがするでせう?』
 それに対して、勇は頷くよりほかなかった。兵太郎は笑ひながら尋ね返した。
『ぢゃあ、浅井さん、どうしたら、一体、その日暮しの生活が改造出来ると思ふね?』
『それはやはり教育でそうなア。先づ漁師の精神生活を改造しなくちゃならんでせうなア。それに科学的知識が足らんですよ。あれで、人物の居る漁村がいゝ処を見ると、人格教育とでもいふものが、社会改造の根本のやうだなア。どうも』
 いつもながら浅井が賢いことをいふので、勇は、話を聞いてゐて非常に参考になった。そんな暢気な話をしてゐた浅井が、
『御坊行きの船は何時でしたかなア? もう追っつけ来るな。村上さん、あなたは大阪の方へお帰りですか? 田辺から、どうです、一緒に汽車で帰りませんか? 御坊までなら、小さい汽船が、もう追っつけ入ってきますぜ』
 さう注意してくれたので、勇はすぐ浅井と大阪まで同行することに決めた。

海豹の37 闇に輝く光明

   闇に輝く光明

 一日の中に両眼が潰れてしまった美しい万龍は、診察室から出て来るなり、ベンチの上に泣倒れて、暫くの間身動きもしなかった。
 然し、こんな処で泣倒れてゐても仕方がないので。何処か、無料の病院にでも頼んで、眼の治るまで治療さして貰ふことに、勇とかめ子は方針を決めた。それにしても、万龍の原籍が知りたかったので、勇は、万龍に彼女の原籍を尋ねてみた。それによって、彼女が、大阪府八尾町の女であることを、勇は、初めて知った。それまで、彼女が。御手洗の女であるとばかり思ってゐた。勇は、大学の学用患者に加へてくれないかと、大学病院の受付できいてみたが、満員だから駄目だ、と断られた。然し、済生会の病院か、市立病院であれば、無料で入れると聞かされたので、彼は天王寺の市立病院ヘタクシーを飛ばした。そこは飛田遊廓の近くにある天下茶屋の美しい岡の上に建てられた堂々たる病院であった。無料の入院を許可して欲しいと受付で頼むと、原籍地は何処かと尋ねられた。それで、大阪府八尾町の者だと答へると、こゝは、大阪市在住のものでなければ入院出来ないから、済生会に廻れと断られた。
 大阪の様子が判らない勇は、ほとほと弱ってしまひ、
『――ぢゃあ、なんですか、大阪市内に居住して居ればいゝんですね?』
『あ、さうです。保証人が要りますよ。保証人がありますか?』
 その答を聞いて、村上勇がすぐ思出した名は、よく新聞に出てゐる天王寺大原社会問題研究所であった。それは、彼の母が、備中倉敷の大原の作った倉敷病院に入院してゐるために、すぐ思ひつかれたのであった。そこで彼は、市立病院の待合室に二人を残しておいて、十数町しか離れてゐない天王寺悲田院町大原社会問題研究所に、タクシーを飛ばした。事情を話しすると、
『この坂の下に愛染園といふ社会事業団体があって、そこに富田将吉さんといふ人がゐるから、その人に頼んだがいゝだらう。その人は親切な人で、万事引受けてくれるだらうから』
 さういって、名刺に紹介状を書いてくれた。その事務員の親切を感謝しながら、彼はすぐ、歩いて坂を下った。そしてきたない家の建てこもった貧民窟の真中にある、小学佼のやうな感じのする『石井記念愛染園』に入った。そこは日本造りの二階建ての家であった。中から幼稚園の子供の歌ふ可愛らしい声が聞こえてきた。構内は割合に広く、葉の散った葡萄の棚の下に、砂場などがあって、如何にも愛らしく造られてゐた。取次に出てきた人は、保姆さんの一人らしい。縦縞のエプロンを掛けて、叮嚀なお辞儀をした。
『富田先生はお出ででせうか?』
 と訊くと、その保姆さんはすぐ奥に引込んだ。それと入換りに、背の低い、人の好ささうな、胡麻塩まじりの、縞の羽織を着た富田先生が出てきた。
『まあ、お上りなさい』
 と、富田先生は、村上勇を見るなり。先方から挨拶をした。然し、勇は急いでゐたので立話をした。
『あ、さうですか! そりゃお困りですね。ぢゃあ、私が引受けてあげませう。すぐ電話をかけてあげます。ちよっとお待ち下さい。あの院長と私は心安いですから、多分引受けてくれるでせう』
 富田先生はすぐ電話室に走り込まれた。そして一分も経たぬ中に、また廊下に出て来て、そこに立ってゐた村上勇に、
『入院出来さうですよ。しかし、念のために私がついて行ってあげませう』
 というた。勇は、富田先生の親切に感激した。
『此処は狭いですからね、タクシーが入ってきませんから、二、三町歩いて、日木橋通まで出ませう』
 さういひながら、背の低い富田光生は、先に立って、すたすた歩き出した。日本橋通五丁目でタクシーを拾ひ、二人はまた市立病院に舞戻った。入院はすぐ許可された。すると、富田先生は、すぐ何処かに用事があるといって、その儘消えてしまはれた。地獄で天の使に会った以上に嬉しかった三人は厚く御礼をいふ機会もなく、富田先生はさっさと帰って行かれるので、村上勇は、『要領のいゝ人だなア』と感心して彼を見送った。

  握った手と手

 入院はさせたものの、勇にもかめ子にもなほ不安が残ってゐた。それは万龍の家庭は貧乏でとても小遣銭は送って来られないし、又少しよくなっても家には帰れない事情があるといふ事を、かめ子は直接万龍から聞いて、勇の耳に入れた。彼女は私生児で御手洗に貰はれて来てゐたのであった。
 何でも、万龍の養父といふのは、小さい請負師兼漁師だったさうだが、大正九年恐慌にすっかり破産してしまひ、その後、妻に死に別れ、後妻を娶ったが、その後妻に子が出来てからといふものは、万龍も家に居難くなり。父がいふ儘に、最初松島に身売りし、とうとう松島から、木ノ江まで流れて行くやうになったのだと、かめ子は、彼女の家の事情を精しく勇に物語った。
『同じ腹の兄弟に男の子が一人あるさうですが、丁稚に行ってゐて、小遣を送るだけの力が無いさうです。手紙もこの半年位少しも来ないから、ほんとのお父さんがどうしてゐるか知らないさうです』
 とかめ子は付け加へた。
 然し、念のために、かめ子を八尾町の万能の家にやることにした。そして、勇は、木ノ江の、『玉の家』といふお茶屋に電報を打
って、「マンリユウシツメイシタオオサカテノノウジ シリツビヨウインニニユウインスアトフミ」と知らせてやった。
 その日の午後二時に、すぐ手術があった。手術室から出てきた万龍は、一日前の美しい姿はなかった。両眼の上を、くるくる幾十回となく、ガーゼで巻き重ね、看護婦に手をひかれながら手術室から出てきた時には。勇も可哀さうになって、ほろりとした。万龍は一言も物をいはなかった。然し、勇は、万龍が喉がかわいてゐるだらうと思って、売店から蜜柑を買ひ求め、その汁を絞って飲ませてやった。さうしてゐる処へ、八尾から、万龍の実父の妻だといはれる人が、かめ子に連れられて入ってきた。見ると万龍とあまり年が違ってゐない二十八、九の女であった。三つになる、やんちゃ小僧の手を引きながらやってきた。そして叮嚀なお辞儀を勇にした。
『私は、この中村栄子(それか万龍の本名であった)の父の代りに、あなたに御礼をいひにまゐりました。ほんとに御難儀をかけまして、何とも申訳がありません。中村は恰度、奈良の方に用事がございまして留守いたして居りますので、帰って参りましたら、今夜にでもまゐることでございますが、……ほんとに、突然のことでございますし、私もびっくり致しましてございます』
 さういひながら、顔色の悪い、玄人風の着こなしをした彼女は、ベッドの傍にしゃがんだ。
『栄子さん、ちょっとお見舞に参りました。ほんとにお気の毒でしたね』
 さういって、しはがれ声で、栄子の父の妻にあたる女は、栄子の枕許で声をかけた。然し、万能は、ちょっと頭を上げて、小さい声で、
『済みません』
 といっただけで、それ以上何も彼女にいはなかった。
 黄昏がだんだん近づいた。紀州勝浦行きの出帆の時間が迫った。それで、勇は、万事をかめ子に托して、二日だけ勝浦に行ってくることにした。
『ぢゃあ、行ってきますから、失望しないで、しっかりしていらっしゃいね』
 と、勇が、万龍の手を握って、力強い言葉でいふと、彼女は黙って、両手で勇の手を握り〆め、それを放さうとはしなかった。そして、たゞ声をあげて、しくしく泣いた。その光景を見て、かめ子も俯向いたまゝ、襦袢の片袖で涙を拭き続けた。
『二日すればね、また来ますから、少しの間、待っとって頂戴』
 さういって、放さない手を無理に放させ、十円礼をかめ子に渡して、すぐ門を出た。

2015-02-18

海豹の36 侵しえぬ霊宮

  侵しえぬ霊宮

 その晩、卯之助の女房たきと娘のかめ子は気をきかして、勇と万龍の床を並べて敷いた。然し、勇は止むなく万龍の傍に寝たものの、万龍を弄ぶといふ気持を起さなかった。彼は父の遺言がある点まで、完成するまで決して女には接近しないと、心で決めてゐた。さうは思ってゐても、既に女を知ってゐる彼にとって、若い娘は魅惑の的でないこともなかった。その美しい鼻筋、白く塗った襟元、柔い肩の曲線、緋縮緬長襦袢、その一つひとつが彼を誘惑した。しかし、不思議に床を並べて寝ると、万龍は無言の儘、身動きだにしなかった。勇は、みんなが寝静まってから、万龍がどんな態度に出るか寝たふりをして呼吸をこらしながら見てゐた。然し、昼、かめ子がいった言葉とは反比例に、少しも怪しげな挙動には出なかった。然し、勇はその晩寝られなかった。
 ――もし万龍を一生の妻として仮定した場合をいろいろ想像して、結局、それが決して御手洗島の漁民を祝福しないといふ結論がついたので、彼は飽くまで頑張り続けた。然し万龍は、その次の日も帰らうとはいはなかった。そしてかめ子も。木ノ江より自分の家がずっと暢気だといって、帰る支度はしなかった。然し、いつまでもぼんやりして居れないので、勇は紀州に行って来るといひ出した。すると、万龍は、
『私もついて行って構ひませんか?』
 と朝飯の時に、やさしい声で勇に尋ねた。
 それが万龍のいひ得た最大の要求だったのである。それを勇は断る勇気が無かった。もし断れば、彼女が自殺するかも知れないといふことを彼は怖れた。それで彼は、尾道まで別々に行き、尾道から大阪行きの汽船に乗って、ゆっくり二人で行って来ようと約束をした。
『私も連れて行って下さらない? 切符は自分で買ひますから』
 二人の仲の好いことを知ってゐる勇は、すぐ、かめ子の要求をも容れた。万龍とかめ子は、それが嬉しいと、両手を握り合って、
『まるで夢のやうですね!』
 と、喜んだ。然し、勇は肝心な用事を忘れてゐた。御手洗に来た一つの理由は、父の墓参りもあったけれども、もう一つは、卯之助の女房が勝浦に出てくるかどうかを訊き質すことであった。もし出て来るとすれば、勇が一家族を引連れて、勝浦へ行くつもりであった。そのことを卯之助の女房に訊いてみると、
『此処にかうやって居りますと、どうにかかうにか魚売りをして食へますから、やはり此処に居らして貰ひませう。もう五十を越したら、別に、毎晩、亭主と寝なければならないといふわけぢゃなし、卯之助は、あなたに忠義をしたらいゝんですから、どうぞよろしく頼みます』
 さういうて。別に夫の不在を気にしてゐるやうでもなかった。それで勇は、まづ娘達を木ノ江に帰し、正午に尾道波止場で会ふ約束をして、自分は田辺旅館に出かけた。田辺旅館の息子も、勇の救難事業を新聞で読んだと見えて、初めから激賞した。そして、そのあとに加へていうた。
『君が去ってから、もう青年団も駄目だよ。みんな女にばかり熱心になって、真面目に村のことを思ふ青年など無くなってしまったからね。山を持ってゐる者は、それでもどうにかかうにかやってゐるけれども漁師のみじめなことっていったらもう乞食せんばかりになってゐるよ――あゝ、太助が困ってゐるよ。あいつをどうにかしてやって呉れんかなア。よく働くし、いふことはきくし、少しは年寄ってゐるけれども、長く朝鮮にも行ってゐたのだから、遠洋漁業には馴れてゐるしなア、連れて行ってくれんかね? あいつは確か、フィリッピンヘも一冬行って来た筈だぜ』
 太助のことで勇は思ひ出した。
『あゝ、さうだ、さうだ。太助が困つてゐたなア、こんど人が要ったら太助を頼まう』
 それから話は勇の母の病気のことに移り、勇が入院料が足らなくて困ってゐることを話すると。田辺屋の後取息子は、親切に、少し位の金なら立替へてもいゝというてくれた。然し、あまりあつかましいので、『有難う』とはいったものの、『金を貸してくれ』とはよういはなかった。田辺は漁師達の困つてゐることを忙しく説明してくれたが、然ればといって。勇に善い考も出なかった。田辺は、勇と別れる間際になって、大五郎の娘のかつ子の話を持ち出した。
『かつ子さんはまた、大阪の乾物屋の後妻に行くことに話が決まったさうな。何でも先方には、四つと二つの子供があるんだっていふが、相当に金は持ってゐるといふ話だったよ。あしこはお母さんがむつかしいから、娘の意見も聞かないで、どんどん決めたらしいなア』
 さうした言葉に対して、勇は何も答へなかった。黙って。その儘、波止場まで見送ってくれた田辺に別れを告げて、すぐ尾道行きの発動機船に乗った。発動機船に、海峡に入った。御手洗島はもう見えなくなってしまった。寒い秋風が、穏かな海面に小さい波を立てゝ、海は黒ずんでゐた。
 勇の胸には、何ともいへぬ淋しさが一杯になって、日本がだんだん奈落の底に落ちて行くやうな気がした。

  水島灘と塩飽七島

 尾道に着いて、勇は大阪行きの連絡船を探してみた。然し、いゝ船はなかった。晩の七時半には、高松から大阪に行く船があった。それで、高松まで発動機船の便をかりて行くことに決めた。さうした方が、汽車の三等で行くより五十銭位安くつくからであった。然し、もう一つの理由は、瀬戸内海の島々をよく知っておきたかったからであった。一時間位遅れて、万龍とかめ子が、高島田をつぶして束髪に結ひ直し、派手なピンク色の羽織を大島紬に着替へて、何処の令嬢かと思はれるやうな様子をしてやってきた。二人が船から上って来るや否や、波止場で待ってゐた勇は万龍にいうた。
『早変りだね!』
『だって、高島田を結うて旅をすると、潰れた時に、第一困りますし、すぐに身分を人に見破られますからね、ちゃんと、あなたについて行けるやうにして来たんです』
 濃紫に見えた透明の海水に浮かんだ浮桟橋が、大勢人が乗るたびに、やゝ上下する。
『二、三日で帰ると思ったものですから。着替へも別に持ってきませんでしたよ。いゝでせう?』
 とかめ子は、にこにこしながら勇にいうた。
『いらないよ。然し、主人にはどういって出て来たの?』
大阪にゐる万龍さんのをばさんか、腎臓結石で、明日の日が解らぬから、ちよっと見舞ひに行って来るといって出て来たんです』
『万龍さんはそれでいゝとして、あなたはどういって来たの?』
『私ですかいな、万龍さんが淋しいからついて行ってくれといふから、一緒に行って来ます。とうまいこといって来たんです。あまりやかましくいやしないですよ。お茶屋は逃げさへしなければ、十日でも二十日でも、この前のやうに二月も家に帰ってゐても何もいやしないんですから。そら、木ノ江のお茶屋ほど自由な処は、ほかにないんですよ。だから、儲けは少くても、みんなが来たがるんですよ』
 待合室に落着いた万龍とかめ子は、汽船が晩まで無いと聞いて失望してゐる様だった。『うれしい、うれしい』を繰返して、どこかの令嬢らしい風采を装うてきたのはいゝが、堅いベンチの上に一時間も待ってゐることが辛気臭いと見えて、万龍は海鬼灯(うみほゝづき)を口の中に入れて、きゅうきゅう鳴らし始めた。かめ子は、煙草屋の店に走って行つて、巻煙草を吸ひ出した。然し、それも、すぐまた飽いて、二人揃うて、両手を繋ぎながら、海岸の散歩に出掛けた。勇はその間を利用して、もとから懇意な魚問屋の升屋商店に入って、長距離電話をかけさせて貰ひ、倉敷病院の母の容態を看護婦に尋ねた。その返事は、
『だんだんおよろしい方です。御心配は要らないやうです』
 といふいゝ報せであった。それで彼は安心して、電話料を置いてまた波止場に出てきた。待合室には、万龍とかめ子が、蜜柑をぱくっいてゐた。そこへ高松行きの、やゝ大きな、形のいゝ白ペンキで塗った発動機船か入ってきた。
『小さいポッポかと思ってゐたら、ずゐぶん大きな船ですね』
 と万龍は喜んだ。
 船はすぐ尾道水道を東にぬけ、田島、百島を後にして、鞆(とも)の津に入り、更に海岸線を伝うて、きたない港の笠岡に寄せた。そこから神ノ島と本島の間に出来た狭い瀬戸を南にぬけ、神武天皇の伝説の残ってゐる高島を右に見ながら、漁民の計画的発展で名の知れてゐる白石島東海岸を過ぎて、石材で有名な北木島の豊浦に着いた。
 このコースを初めてとるので、勇には珍しかった。北本島は、島が富んでゐるので、この島だけには電燈がともってゐると、乗客の一人がいうてゐた。北木のすぐ南の真鍋島に船はまた寄港した。こゝは打瀬網が盛んだと見えて、五十艘位の打瀬網が宵の来るのを待ってゐた。万龍は、
『可愛らしい港ですね』
 と、勇の傍の欄干に身体をもたせて、小さい声でいうた。実際、形の整った、山の繁った美しい島であった。船はまた其処を出て、すぐ南の佐柳島に寄って、高松行きの客を積んだ。佐柳島の南側は欧洲航路のコースに当ってゐるので、一万噸級の大きな汽船が、快速力で走ってゐるのが見えた。発動機船は更に方向を転じて、真東に進んだ。佐柳島のすぐ三町ばかり東側に大きな無人烏がある。かめ子は、
『もう此処に降りてしまひませうか? 瀬戸内海の島でも、此処まで出てくると、浮世離れがしたやうな気がしますね』
 とひとり言のやうにいうた。日は西に傾いて、島の影が紫色に、長く海の上に落ちた。暢気さうに、五人がかりの地引網を丸島の東側で、無言のまゝ引いてゐる漁師達があった。船はそれから広島に寄せ、更に徳川時代水軍の根拠地であり、法然上人が立寄られたので有名な塩飽本島に寄って、今度は一直線に南へ向いた。
讃岐金毘羅さんを有名にしたのはこの島なんだよ。この塩飽本島には昔、大金持が住んでゐて、千石船を幾十艘も、日本全国に廻したものだから、讃岐金毘羅さんが、あんなに有名になったんだよ』
 と、他の乗客に聞いたまゝを、勇が、万龍とかめ子に話すと、二人は面白がって、目をぱちくりさせた。
 高松に着いたのは五時過ぎであったが、午後七時半の大阪行きに乗る時に、万龍は妙なことをいひ出した。
『私、鳥目かも知れない……‥だって少しも目が見えないのですもの』
『変だね』
 さういひながら、かめ子は盲のやうになった万龍の両手をひいて、やっとのことで、大阪行きの大きな汽船に、彼女を乗せた。
 その晩、三等室で、勇と万龍とかめ子の三人は眠ったが、翌朝七時に大阪天保山に着くと、万龍は、少しも目が見えぬといって泣き出した。然し、外側から見ると。何処にも故障があるやうには見えなかった。
白内障(そこひ)になったのかも知れませんね』
 かめ子は、勇にさういった。然し、美しい若い娘が、生れもつかぬ盲になったことを可哀さうに思った勇は、すぐタクシーを雇うて、大学病院に飛ばした。そして診断の結果、かめ子がいふ通り、梅毒性の白内障たといふことに決定した。

海豹の35 芭蕉の葉の破れ目

  芭蕉の葉の破れ目

 その日の午後、久し振りに勇は姉婿と母と三人で倉敷へ向った。忍耐深い母が、痛みを訴へるにつけて、孝心深い勇は身代りになってあげたいと思った。医者は、手術をしても助からないだらうと宣告した。それを聞いて勇はほんとにがっかりした。然し、そのことを母にはいはなかった。病院は実に完備したもので、大原孫三郎氏が理想的に建てたといふだけに、患者の待合室になってゐる植物園の如きは、熱帯の森林を思はせるやうなものであった。然し、さうした立派な植物園も母の死にはかへられなかった。手術は明日といはれたので、彼は黙ってこの植物園に退き、誰も居ない大きな芭蕉の蔭で、ひとりさめざめ泣いた。
 ――父の命令を守って、海を棄てない決心した勇は、母の顔を見ることは容易でなかった。然し、母にだけでも喜んで貰はうと思ってゐた彼の努力が、全く駄目になって、今、曾て怒りの顔を見せな
かった優しいははが、この世を去らねばならぬと思ふと、彼には耐へられなかった。
 翌日手術があった。緊張してゐた母が。急に安心したと見えて、物もいはずに眠り続けた。
『これで膿まなければ助かると思ひますがね』
 と、医者はいゝ返事をしてくれた。それで勇も少し元気を取り直して二、三日様子を見た上で釧路に引返さうと決心をつけた。その日の夕方、姉が福山からやって来た。そして、母の様子を聞いて少し安心したやうだった。然し看護婦に聞くと、この病気は長くかゝるといふので、姉と勇は、二人で相談して米国の兄の処へ送金請求の電報を打つことにした。電信局から帰ってくると、病院の玄関口で勇を出迎へた姉は、
『勇さん、ちょっと』
 といって、彼を硝子張の大きな植物園の中に連れ込んだ。姉が何をいひ出すかと思ってゐると、
『かつ子さんはまた大阪へ行かれましたよ。この間、大五郎さんの処から使ひが来て、離縁状に判をついてくれと書類を置いて行かれました』
 さういって姉は、勇に離縁状を渡した。暗い気持になってゐた勇は、沈黙のまゝそれを受取り、文面も見ないで、一旦それを服のポケツトにねぢ込んだが、
『かつ子さんは大阪へ行って、どうするんです?』
 と聞き直してみた。
『さあ、ね、またお嫁さんの口でも探しに行ったんぢゃないんでせうか?』
『嫁に行きたいとすれば、いつまでも邪魔してゐても済まないから、判をついて送ってあげようね』
 さういって、彼は、財布の中からいつも金を受取る時に押してゐる実印を取出して、離縁状に捺印した。姉はその離縁状を受取りながらいった。
『私からこれを送ったらいゝでせう、ね? 何も別に書かなくてもいゝわね? あなたが大五郎さんの家を飛出してから、大五郎さんは余程癩にさはったと見えて、浜の家も(浜の家とは勇の旧宅を指してゐた)家の持ってゐた山林も、みんな処分してしまって、私達が帰っても、もう帰る家は無くなってしまったんですよ。あっさりしてしまったものの、何だか寂しいやうに思ひますよ。あなたが乗り廻してゐた発動機のついたモーター船も、縛網に使ってゐた大きな発動機船も、大五郎さんはみんな売払ってしまったらしいね。また今年は、いつもにない不景気で、魚は少しも獲れないんだってね。島では評判してゐるさうな、勇さんは偉いって。瀬戸内海の漁業が駄目だと見きりをつけると、さっさと太平洋に乗出して、どんどん成功してゐるのは、勇さんぢゃなければ出来ぬ仕業だといって、青年団の人も、あなたの下に使はれたいといふ者が沢山あるさうですよ。今迄にね、朝鮮へ行ったり、フィリッピンに行ったりする人はあったけれども、北海道の方に出掛けて行った人は、まだ余り御手洗には、ないんですってね。だから、みな、あなたが羨ましいって、いってゐるさうですよ。大五郎さんは、今年も縛網がうまくゆかなかったのと、朝鮮の方でやってゐた漁場も失敗したのです
ってね。だから、ある人がいってゐたさうですよ。勇さんのお父さんのやうに五智網でぼつぼつやって居れば、御手洗の漁師もみな食ひはぐれないのに、大五郎さんは、あまり大きいことをしようと思って、かへって、皆に迷惑かけるといって、専ら噂してゐますって』
 離縁状に判をつぃた後の昂奮がまだ治まらないのは、御手洗漁民が困ってゐるといふ話を聞いて、姉にきゝ直した。
『そんなに皆困ってゐるんですか?』
『ほんとに困ってゐるやうね。何しろ、発動機で打瀬網を引かせて、小さい魚まで皆とってしまふものだから、つぼ網(香川県あたりで、ます網といってゐるもの)等にも、近頃は魚が入らんさうですよ。あれは、早う、どうかしてあげんと、漁師は全滅でせうね』
 ベンチに凭れて、大きな芭蕉の葉の破れ目を見つめてゐた勇は、両手をベンチの肘掛にもたせながらいった。
『日本を廻っても、瀬戸内海ほど美しい処はないがな。人間の心が腐つてゐるから、魚まで迷惑するんだなア。稚魚だけでも掴へなければいゝものを、「大長」の国立水産試験所で鯛の子を何億万匹も孵化させて、それを海に入れても、片端から網で掬うて、それを佃煮にしてしまふんだから。話にゃ、ならんわね』
 二人で話してゐる処へ、義理の兄がまたのこのこやって来た。そして勇の姉にいうた。
  淋しい底流

『困ったよ、先方はどうしても待たんといふよ。あの弁護士は悪い奴ぢゃからなア』
 その言葉を聞いて、勇は、義理の兄の佐藤を見上げながら尋ねた。
『どうしたんです?』
『いや、さ、うちの持ってゐた貸家を友達が工場に貸してくれといふものだから、貸してやったんだよ。ついうっかりして登記しておかなかったので。その友達が、自分のものとして役場に届けちゃったんだよ。ところが、その男が今度破産したので、うちの家まで債権者に取られてしまふことになったんだよ。価格は、僅かなもので、二千円足らずだけれども、今まで信頼してゐた友人が、勝手に自分の家として届出たことがどうも癪にさはってね、弁護士を立てて、先方に談判をしたんだけれども、先方は、それを今いひ出されると、詐欺取財で刑務所に行かなければならぬから、堪忍してくれといふんだよ。そんなことがなければね、私だって、お母さん一人を養ふ位はなんでもないんだかね、不景気になると、みんな無茶をするんでね。外にこんなのが三つもあるんだよ。保証人になってゐた頼母子講が損をして、千円も保証しなければならないんだよ。もう一口は、少し大きいので、機屋が潰れたもんだからね、払込みを要求して来てゐるんだよ。会社を作る時は、もう払込みしなくてもいいといふのだったけれども、借金があまり大きかったので、法律上どうしても全額払込まなければならないんだって。こいつには弱ったね。うちは八十株持ってゐたんだがね、一株百円に対して、最初十二円五十銭払込んだ、あとの八十七円五十銭、全額払込まなければ差押さへするっていふんだよ。そんな金は何処を探したってありゃしないよ、ど胆をきめてるんだが。早晩、差押さへが来ると思ってゐるんだよ。全く困ったね、かう不景気になると、思はない処から破産の申請をされるんでね』
 傍にゐた妻は、その時に笑ひながら、夫の顔に視線を注いでいうた。
『それにあなた、御手洗の村上の分があるぢゃありませんか』
『あゝ、さう、さう、御手洗のお父さんが、縛網では損をするので、五智網で小さくやりたいから、約束手形の裏書人になってくれないかといはれたので、五百円の約束手形に判をついたんだがね、それがまだ払ってないんだよ。それは多分、サンビドロの兄さんが払ってくれるだらうが、高利貸の方では責めたてるしね、下駄の方は、いくら地方に卸しても金は送って来んし、もう商売も上ったりだよ。うちの借金っていふのは一文もないんだがね。みんな人の借金をひっ被って、うちが倒れさうになってゐるんだよ』
 さういふ事情を聞いて、勇は初めて大きく下駄の卸しをやってゐる義理の兄貴が、ほんとに百円の金にも困ってゐる事がよく解った。
 姉は折返して勇に尋ねた。
『勇さん、もうあなたは御手洗に帰って来る気はないんだらうね?』
『いや、ないことはないですが、帰って来ても仕方がないぢゃないですか。姉さん、瀬戸内海は美しいけれども、美しい景色は飯米にはなりませんからね、まあ当分の間は、太平洋を家として少し働きますよ。こちく働いて居れば食ふだけはありますからね』
 姉はその言葉に対して勇にいった。
『まあ、お父さんの遺言もあるし、勇さんは海の上で死ねば、それで満足だらうね』
 母の病気は持久戦に入った。それで、姉一人が病院に残って、勇と佐藤の二人は一旦福山に引上げた。家に帰ると、佐藤は、高利貸から責められ、機屋の払込全て催促せられ、頼母子請の後始末には呼出され、わきで見てゐても可哀さうな程であった。然し借金のことだけは、働いて助けてあげるといふことが出来ないので、勇は、母の病気の様子がはっきりするまで、御手洗島へ帰って来ることにした。そして猶、母の病態が悪化しなければ、紀州勝浦まで飛んで行き、代別金の前借をさして貰って、母の入院料にしようと思った。さう思ひ立った勇は、すぐ尾道まで飛んで行き、御手洗行きの発動機船に乗った。懐しい海山が迎へてくれる。佐木島の塩田が淋しさうに潮にあらはれてゐる。高根島の高い三角形の山が、海峡を圧してゐる。糸崎が右に見える。なつかしい汽車三原の方から走って来る。高根島を過ぎると、浮鯛で有名な能地が右手に見える。そこから船は南にコースをとって、思ひ出の深い大崎上島の木ノ江の方に向って走る。木ノ江の前を通ったのは午後の一時頃であったが、真昼のこととて海の魔女は一人も出てゐなかった。たゞの帆前船が暢気さうに錯を下して、海峡に眠ってゐた。懐しい大山神社の森は遙か左手の方に黒ずんで見えて、官前には船が一艘もついてゐなかった。

  偶像崇拝

 御手洗に上陸したのは午後二時二十分頃であった。彼はすぐ友人の田辺君に会はうと、田辺旅館を訪ねたが、機会(おり)悪しく、尾道へ行ったとかで、留守であった。それで彼は想出の深い自分の家の方に廻って、姉がいうたことが事実であるかどうかを調べてみた。果せるかな、これは事実であった。門長尾の柱の上には、東条といふ標札が上ってゐた。彼の生れた家、彼が毎日其処から小学校に通うた家、その柱、その瓦、家の土台になった石、内庭に盛られた土、座敷の前に植ゑられた樹木、押入から玄関まで、一々記憶に残ってゐるその恋しい我家が、もう永久に自分の手に帰って来ないと思ふと寂しくてならなかった。それで彼はすぐその足で、父の墓のある処に廻った。そこは。御手洗神社から程遠くないお寺の裏側にある共同墓地であった。そこには、村上家代々の墓が並んでゐた。然し、父の墓はまだ石になってゐないで、木で作った墓標が、雨露に濡れてだんだん朽ちてゆくやうだった。彼は父の墓前に脆いて、暫くの間、瞑祷し、天地の神に祈った。そして新しい決心を持って、必ず瀬戸内海の漁民を救ふやうに努力すると、再び父の霊にちかって、足を卯之助の妻の家に向けた。
 路次を入って、卯之助の家に近づくと、色の黒い卯之助の女房は、今し方、何か大きな籠の中に沢山入れて、表から帰って来るところであった。
『今日は! をばさん!』
 と声をかけた。
『おや! 若! どうなしたんですか? お母さんがお悪いっていふことを聞いてゐましたが、それでお帰りになったんですか?』
 勇は、卯之助の妻が、あまりよく母の病気のことを知ってゐるの
で、びっくりした。
『まあ! お久しうございます』
 籠を頭から下して、卯之助の女房は、勇を引張り上げるやうに座敷に通した。
『をばさん、おかめさんはどうしたの?』
『あゝ、おかめてすか、また帰って来て働いて居ります。どうしても借金が返せませんからね、仕方がありませんですよ。使ひをやりませうか?。あの子はあなたに会ひたがってゐましたから……』
 さういふなり、卯之助の女房たきは、隣へ走って行って、そこの娘の子に、木ノ江の料理屋に電話をかけてもらって、『用事があるからすぐ帰って来い』と頼み込んだ。卯之助の女房は、夫から、この間、五十円送金があったといって、にこにこしながら勇にお辞儀をして、三度も四度も繰返して礼を述べた。
『若! うちの娘がいふのが面白いんですよ。若のためだったら、命を棄てゝも惜しくないんですって。この間も帰ってきていってゐましたがね、あの問題を起した娘の友達の万龍さんといふ綺麗な娘ですね、あの娘があなたに済まなかったといって、こんど是非あなたが帰って来られたら、もう一度会ってくれといっとるさうでございますよ。あの娘にも電話をかけてやりませうかね?』 ヽ
 さういふが早いか、また卯之助の女房は、家を飛出した。そして、隣の娘が電話をかけてゐる荒物屋へ飛んで行き、万龍も連れて来いと、娘に電話をかけてもらった。
 すると、早いこと、もう四時頃には、二人の娘の笑声が狭い路次に漂うた。そして家に入って来たかめ子と万龍を見ると、二人とも髪を高島田に結うて、揃ひの着物に、揃ひの大きな菊の模様の入ったピンク色の羽織を着てゐた。かめ子は、病気が余程快方に向ったと見えて。血色も悪くなく、肉付もよくなってゐた。万龍は、その反対に、やゝやつれて、血色が悪かった。二人とも叮嚀な挨拶をして、
『まあ、嬉しい!』
 を繰返した。
『お母さん、今夜私達は泊って帰ってもいゝでせう? ほんとに嬉しいわ。私ね、うちから電話がかかったっていふから、お母さんが病気でもしたかと思って電話口に出ると、万龍さんを連れて来いっていふ伝言なんでせう! まさかね、北海道へ行っていらっしゃる筈の若が帰っていらっしゃるとは思はないでせう! ひょっとすると、旅館の方にお客様でもあるのかと思って、ぼんやり二人でやって来たんですよ。(母にそれだけいうて、かめ子はまた勇の方に振向いていうた)あなたはずゐぶん大勢の人を助けなすったんですってね、新聞に出てゐましたよ。(さういって彼女はまた万龍の方を向いて)――ねえ、出てゐたわね、あなたは、あの新聞を切抜きして持ってゐるぢゃないの』
 かめ子がさういふと。万能は壊から錦で作った小さい紙入を取出した。その中には新聞の切抜が入ってゐた。それは三段抜きに大きく書いた記事であって、『快青年、数十名を救ふ』といふ見出しがついてゐた。勇が宮古の港外で奪闘したことが、要領よく報ぜられてあった。勇は、その記事を見ないで沖へ出たので、釧路でも、自分のしたことが新聞に出たことを聞かなかった。
 かめ子はきちんと坐った儘、勇を凝視しながら、甘ったるい口調でいうた。
『万龍さんはね、あの新聞記事を読んでからっていふものは、切抜を財布の中に入れて、毎日、新聞に接吻したり。財布に接吻したり……』
 そこまでいふと、万龍は、右手を伸ばしてかめ子の肩を突飛ばしながらいった。
『いやよ、かめちやん、そんなことを人前でいふのは厭よ、恥かしいぢゃないの』
『だって、ほんとだから仕方がないぢゃないの、違ひますか? あなたは、村上の旦那とだったら、心中でもしたっていゝといったぢゃないの。さういったればこそ、私か連れて来てあげたんぢゃないの』
 笑ひながら、かめ子がさういふと、万龍は、かめ子の傍にすり寄って、彼女の口に左手をあて、発言を止めるやうにした。
『そんなことを大きな声でいっちゃあいけませんよ、恥かしいから。おほほゝゝゝ』
『だって、ほんとだから、ほんとのことをいってゐるのよ、万龍さんはひどいわ……若、万龍さんをあなたのお嫁さんにしてあげて下さいな、近頃やつれましたのは恋やつれなんですよ。あなたがお嫁さんにしてあげるといってあげなければ、海の中へ身投げするかも知れませんよ、ほほゝゝゝゝゝ。それは、ほんとだわね!』
 さういって、かめ子が万龍に聞き直すと、
『知らないわ、私。旦那、あれは、みんなかめちやんの作り言なんですから、真面目に聞かないで下さいましね』
『あら、よくまあ、あんなこと、いへたもんだわね。今朝も、私の持ってゐた若の写真を取上げて、それに接吻してゐたぢゃないの……あなた白状する時に白状してしまひなさいよ。若は、男気のあるお方だから、ほんとのことをいへば、きっと引受けて下ざるのよ』
 真面目にかめ子がさういふと、涙っぽろい万龍は、早やハンカチを出して眠を拭いてゐた。万龍が泣き出したので、勇は可哀さうになったか、顔を外に向けて、裏庭に並べられてある盆栽を見てゐた。表から、料理屋の出前持が、刺身と吸物と煮付を届けて来た。酒屋から帰って来た卯之助の女房は、すぐ、ちゃぶ台を取出して、酒と肴を勇の前に並べた。彼女は、また、座敷から炊事場の方へ下りて行きながら、こんなことをいうた。
『若! 悪いことって出来んもんですなア、あの大五郎さんのうちの鬼婆がですよ。今、胃癌にかゝって、死にかゝってゐるんですって、大五郎さんも、あなたが紀州に行かれて間もなく脳溢血で、ながいこと寝てゐられましたがなア、気の毒ですけれど、仕方がありませんね。あなたを追出した罰があたったんですよ。大五郎さんもさういってゐるさうです、若が居れば。ぼちぼち家の整理は出来るけれども、若を離縁した以上は、もう家が潰れる外道はないって、自業自得ですわね。覆水盆に返らずですわね。あんな解らん親爺さんは、少し実物教育してやらんといけませんなア』

海豹の34 船玉の聖書

  船玉の聖書

 一旦湾内に入ると、そこは想像もつかぬ程波も静かで、玩具のやうに小さい小波が、いひわけに波打ってゐた。その時、勇は、海上で祈った祈を思ひ出して心から感謝した。瀬戸内海の御手洗島で覚えたヴィッケル船長に教はった讃美歌が、自然に口もとに浮かんできた。
 『わがたましひを あいするイエスよ
  なみはさかまき 風吹きあれて
  しづむばかりの この身をまもり
  天のみなとに、みちびきたまへ』
 勇がその譜を口笛で吹いてゐると、島香の主人がやってきて、
『あなたは信者ですか?』
 と尋ねた。それで勇は静かに答へた。
『教会にはちっとも出ないんですがね、心で、神様はありがたいと思ってゐるんです』
『――道理で、あなたのせられることが違ふと思ひましたよ。今時の青年には、あなたのやうな方は珍しいですなア』
 さういって島香の主人は、全く感心してゐた。船が、河岸に着くと島香や角丸の店に待ってゐた大勢の漁師のおかみさん達が、雨に濡れながら船までやってきた。そして、夫の助かったのを見て喜ぶ者もあれば、夫が見えないというて、泣く者もあった。一番可哀さうなのは、三日前に結婚したばかりだといふ花嫁が、夫が見えぬというて、声を立てて泣き出したことであった。乗組員全部救はれた船は、宮古を根拠として、夏から秋にかけて働いてゐる阿波の船であった。警部は、巡査二人と、一生懸命に救助せられた者の姓名、原籍、年齢、身分などを精しく訊き質してゐた。
 その時、勇は、今年の春、尾道の汽船会社の控室で、父の死骸を受取った光景を目の前に浮かべて、海上労働者の悲哀を、今更ながら、また新しく考へ直した。
『――これだけの犠牲を払って、まだ。日本は漁民に対する理解を持ってくれないのだから仕方がない――』
 と彼はつくづくと、大勢の人達が泣いてゐる様子をデッキの上から見ながら。自分も貰ひ泣きした。
 泣き声があまり高いので、あちらからもこちらからも大勢集ってきた。白洋丸からも、いつもに似合はず、機関士の松原敬之助が、助手の味噌三太郎と一緒にやってきた。
『大変でしたね、私は少しも知りませんでしたよ』
 愁嘆場が二十分位続いてゐたが、夜中の雨が、また彼等を家に送り込んだ。
 みんなの調べが済んだ後、警部は、今夜の光景を県庁に知らせるから、是非原籍を教へてくれと、勇の処にやってきた。警部はいうた。
『おかげ様で、今夜は、十六もの生命を救助することが出来て、ほんとに仕合せでした。これも全く、あなたの勇敢な努力に俟ったのでありますから、さだめし署長も喜ぶことと思ひます』
『いや実は、私も、この春、今夜のやうな暴風雨の晩に父を失ったものですから、救助船が発達して居れば。私の父なども救へたのにといつも思ってゐたので、喜んで助けに出させてもらったやうな訳でした』
 島香の主人が、『風呂が湧いたから入らぬか』というてきた。それで彼は、警部に原籍もいはず、その儘上陸した。すると、警部は島香の店までついて来た。勇がどうしてもいはないので、讐部は、卯之助を連れてきて、一々訊いた。勇が風呂から上ってくると、島香の主人は、『お茶漬を食って行ってくれ』と二人にすゝめた。彼は腹が減ってゐたので、遠慮せずに、卯之助と二人で店の二階に上ってお茶漬を一杯食はせてもらった。お給仕に出てきてくれたのは、今年、東京の青山女学院の専門部を卒業してきたといふ島香の惣領娘であった。親父には似ないで、身体の丈の高い、叡智に輝いた顔をしてゐた。父はしきって、勇の勇敢なことを激賞して、娘に一々、天祐丸の暴風雨の中の働きを説明した。
『ぢゃあ、ずゐぶんお疲れになったでせうね。今夜は、船におやすみにならないで、狭いけれど。うちでやすんで頂いたらいゝですわね、お父さん?』
 娘はさういって。勇と卯之助に、狭い船に寝ないで、店の二階で寝てゆけと折返し勧めた。
『いや、ありがたうございます。みんな若い者が大勢寝て居りますから、私も船に帰らして貰ひませう。いつ何時、出帆するやうになるかも知れませんから――』
 と勇は叮嚀胎に辞退した。
 鳥香は、入港する時に勇が歌ってゐた讃美歌が気になると見え、
『あなたは、よくあの讃芙歌を御存じですね、……この土地にもキリスト教会が二つありましてね。……私の一家族もみんな洗礼を受けてゐるんですが、然しどうも、漁師諸君の問に、この信仰が入りませんでしてね。少し金が溜まると酒を飲んだり。女買ひをするものですからね。今日も、それ、朝から酒飲んでゐたものが三人、溺れ死んだといってゐましたでそう。みんな私は、あの人達を知ってゐますがね、人はほんとに好いんですが、酒癖の悪い人でした。これはどうしても、禁酒運動を盛んにして、漁師仲間にも、もう少し信仰が出来るやうに勧めんといけませんね。然し、どうも、漁師は迷信が強過ぎて困りますね、此処の漁師なども、船玉さんに帆檣(はしら)の下へ入れるものといへば、芸者の髪の毛や、カフェーの女給の髪の毛なんですからね、ほんとに始末におへませんですよ。然し、うちの船だけは、船玉さんに聖書の一頁をいつも入れる習慣になってゐる
んです。この間も、新造船を進水した時に、マタイ伝第八章二十六節を書き抜いて、それを船玉さんに入れましたよ』
 勇は、その話が面白いので、大声で笑った。お茶漬を済ますと、一時の鐘が鳴った。それで勇は卯之助と、二人で島香の親子が勧めるのもきかず、船に帰って寝た。帰る時に島香はいうた。
『ねえ、村上さん、これから宮古へ船が入ったら、いつでも食ひに果て下さいよ。ね、よそと思はないでね、あまり窮屈にとらないで、時には陸上で寝ることも、骨休みになっていゝですよ』
 つめたい雨はまだしょぼしょぼ降ってゐた。

  鴎と『あび』

 海を己の住家と考へると、波濤も、玄関先の敷居ほどにしか思へなかった。宮古を出た白洋丸は、好天気に恵まれて、北へ北へと急いだ。八戸沖で、油さしの味噌君が鴎に就いて面白い話を勇に聞かせた。鴎は、魚の居場処をよく知らせてくれるのと、霧や暴風雨の時に、一種の案内役をしてくれるといふ理由で、八戸在の鮫の人々は、蕪島で昔から『うみねこ』といって鴎を数万羽保護してゐることを面白く物語った。それに対して、勇もまた、自分の生れた御手洗島の西南四里ばかりの処にあ斎島(いつきじま)で、『あび』といふ鳥が毎年春分頃に飛んで来て、魚の居り場処を知らしてくれるので、いつもその頃には、毎日七、八十艘から百数十艘の鳥付漕釣漁業が始まることを面白く聞かせた。
『それを「いかり」っていふんだがなア、何でも平家の落人が最初に始めたとかで、瀬戸内海ぢゃあ一つの名所になってゐるよ。漁師は「あび」っていふ鳥を大事にして、肩の上に止まらうが、頭の上に糞をひりかけようが、決して鳥を虐待しないので、「あび」が人間に馴れてなア。ほんとに美しい光景が見られるよ。人間と鳥類が、あれ位仲好くなれば面白いなア』
 暴風雨のすんだ後の太平洋は、潮の干満の関係で、少しは波が揺れても、昨日の暴風雨と比較して嘘のやうに凪いでゐた。北上山系が、遠く紫に彩られ、輝く太陽は、海の水をいやが上にも紺碧に染めた。船はその日の午後、尻尾岬の一角をかすめて、ぐんぐん北に進んだ。釧路行きが急がれたからであった。三日目の朝、やっとのことで、釧路に着いた。釧路第三紀層の丘陵の斜面の上に広がった東北海道の最も大きな都会であるだけに、勇は此処を訪問することを非常に嬉しく思った。然し、港の人々は必ずしも親切ではなかった。船の着け方が悪いといって、波止場の前に鮪船をつけてゐる見知らぬ男に、頭からきめつけられた勇には、釧路の第一印象が悪かった。物価は高いし、海岸の商売人は慾張りだし、宮古から出て来た彼には、釧路の港があまり好きになれなかった。然し、彼は、この際断然、流網を買入れて、十一月頃まで此処に踏止まる覚悟をした。船の者もそれに賛成したので、彼は新宮の本店に電報を打って、賛成を求めた。凡てを任すといってきたので、彼はあちらこちらの漁具商に当ってみた。そして幸ひにも、三百円の中古の流網が売りに出てゐたので、それを手に入れた。味噌君は、流網に経験があったので、彼をデッキの方に廻し、根室の漁師を油さしに使用することにして、釧路を根拠に少し落着くことにした。
 不思議に、白洋丸は、成績がよかった。それは、だんだん遠洋漁業に経験を経てきた村上勇が、科学的にいろんなことを、考へ出して、潮流の関係や温度の具合、風速から魚の習性などを一々顧慮して敏活に船を操ったからであった。
 そのために釧路に来てから十日経たないうちに、勇は紀州へ、千円だけまづ送金することが出来た。彼の存往はすぐに魚市場で知れ渡った。魚問屋の丸一商会も、彼のお蔭で商売が出来るといって喜んでくれた。かうして一ケ月はとくの間に済んでしまった。
 恰度第四回目の航海を了って、八百円ばかりの鮪を積み、雨の降ってゐた底冷えのする十月の終の土曜日の午後、白洋丸が釧路の港に入ると、丸一商会の番頭が、彼に一通の電報を手渡した。それには、
『ハハキトクスグ カヘレ』
 といふ、人を吃驚させるやうな内容が書かれてあった。日付を見ると、もう四日も経ってゐた。
『これぢゃあ、駄目かな?』
 とは思ったが、念のために一度電報を打ってみようと、彼は郵便局に走った。その日の晩方、備後の福山の母が頼ってゐる下駄屋の佐藤の店から返電が来た。
『ハハスコシモチナホシタガ アンシンデ キヌスグ カヘレ』
 といふのであった。
 何だか折角釧路までやってきて。漸く成績を上げた処を、見すみす帰って行くのは残念なやうに思へたが、仕方がないので、あとのことは万事卯之助に任して、十日程帰ってくることにした。船では五日位かゝる処を汽車では僅か二昼夜半で帰ることが出来るので、動くことに馴れてゐる勇は、釧路から福山まで帰ることをあまり苦にしなかった。二昼夜半汽車に乗り続けて、勇が福山の下駄屋の奥座敷に駆けつけた時は、山陽道にも、秋風が紅葉の葉を赤く染め出す頃であった。母は思ったより元気で、
『来なくてもよかったのに』
 というてくれた。義理の兄は、母の病気が、腎臓結石であることに病名か決定したので、倉敷の病院に入院させて、外科手術を受けさすつもりだと、悲痛な決心を示してゐた。さういって、義兄は、勇を別室に連れ込み、
『不景気で手術料がないからどうかしてくれんか?』
 と依頼した。勿論そんなことがあらうと予測して来た彼は、洋服の内懐から財布を取出して、今まで貯めてゐた月給と。代別金の一部分を合せて、金百円を姉の姑に手渡し、よろしく頼むとお辞儀をした。

海豹の33 『やあ! 人間ぢゃ!』

 『やあ! 人間ぢゃ!』

『やあ! 人間ぢゃ、人間ぢゃ! 頭が見えた!』
 さういった瞬間に、また船は、大きなうねりのために、漂流してゐる人間と、あと先に隔離されてしまった。続けて、勇が、汽笛を吹嗚らしたけれども、漂流してゐる者は余程水を飲んでゐると見えて、声を立てて助けを求める者とては一人も無かった。勇も、確かに人間が漂流してゐるらしい形跡を認めたので、少し危険ではあったが、機船を百八十度の角度に向け直して、後方を捜索することにした。
 まづ彼は、大きな濤を上る時から斜に進路をとり、大きなうねりの頂上でぐっと船を廻して、降ろ時には六十度位の回転をするやうに、舵をとり、難なく困難な暴風雨中の作業の妙味をみんなに見せ、島香の主人に舌を捲かせた。恰度船首(みよし)を廻らすと、船の左側に板を持った一人の漁師が、疲れきって。海の上を漂うてゐた。卯之助が、
『おーい! 放るぞ!』
 と大声で叫びながら、その板の前に綱を投げたけれども、その老人は、たゞ、手を左右に振って、掴む元気がないといふことを信号した。
『困つたなア、あの親爺さんは、水を沢山飲んでゐると見えて、綱を拾ふ元気がないやうだぜ』
 巡査の一人がさういった。それを見た勇は、卯之助にいった。
『卯之助! 舵をとってくれ! ヘッドをいつも、濤と直角に持ってゐてくれよ!』
 卯之助が、操舵室に入ってくるや、彼はすぐ舷側に飛出して、合羽を放り出し、ズボンも上衣も脱ぎ捨てて、島香の主人にいうた。
『島香さん! 飛込んで行って、あの親爺さんを、綱でそっと吊上げるやうに括ってきますからなア、みんなで引上げて下さいよ』
 さういふが早いか、海豹の如く、勇は左舷のデッキから、その老人の浮いてゐる処を目懸けて、つめたい水の中にザブーンと飛込んだ。雨は降る、風は吹く。闇は暗い。船の上で見てゐた一行の者は勇が飛込んだきり。なかく浮いて来ないので、どうなったかと暫く心配してゐた。そのうちに、船はまた濤の底に滑り落ちる。年寄りの漁師は、後の濤の上に浮き上る。こんど船が濤の上に浮かび上って、老人の身体が下に見えた時には、どうして泳ぎついたか、勇はもう老人の肩から、彼が飛込む時、船と連絡さすために持って行ったロープで彼の身体を結へてゐた。そして、両手を上げて、
『よっしゃこい!』
 と大声で叫んだ。みんな慌ててゐた。で、ロープを早く引張りすぎた。そのために老人は、板を放した。その時、老人は少し水を飲んだらしかった。両手をあげて緩やかに引張れと信号してゐるやうだったが、デッキの上にゐる者には、それが判らなかった。彼はぶるぶるっと水底に沈み、数秒の間浮いて来なかった。アセチレン瓦斯の光で、それと気のついた勇は、
『もう少し、ゆっくり!』
 と大声で怒鳴ったが、風が激しいので、デッキには聞えさうにもなかった。その瞬胆にまた、大きな濤が勇の上に砕けた。そして彼自らが、こんどは板にとっつかまらなければならなかった。それでも、とうとう老人はデッキの上に引張り上げられた。それを濤の上で見てゐた勇は、ほんとに。嬉しかった。で、彼は、一生懸命に船に近づかうと泳いだけれども、風と潮の関係で、どうしても流されて、だんだん船に遠くなるばかりであった。船の方でも、なかなか気が気でないと見え、船首を勇の方に向けて、救に来ようとしてゐるらしかった。然し卯之助には。そんな刹那、激浪の中で船を操縦する手腕がなかった。潮の流れがきついので、見る見るうちに、船と勇とは二十間三十間と離れて行った。
『――困ったことになったなア。チェッ! 慌てたって仕方がないが、船の者は心配してるだらう。ど胆を据ゑて、板にくっ付いて、流れるだけ流れとれ――』
 かう考へた勇は、たゞ、鱶のことだけ心配した。それで彼は、褌をわざわざ長く尻の方に伸ばして、鱶の来襲に備へた。そして、商船学校に居た時に、よく漂流する時の心得を、聞かされた通り、あまり泳いでかへって溺れることが多いから、暢気に板を抱へて流れて居ればよいと、覚悟をきめた。これまでも、屡々水難の時に、泳いで逃げたものが、大抵溺れて死んだといふことを聞いてゐたので、出来れば板を見つけて、暢気にその上に寝で居らうと覚悟を決めた。

  動中静

 雷は嗚る! 稲光が光る。
 風は物凄い程、激浪の鶏冠(とさか)を打砕いて、ゆっくり流れてゐる勇に、幾度水を飲ましたか知れなかった。そんな時には、いくら勇敢な勇も、自然と、天地の神に祈りたくなった。
『――天の父なる神様、私を助けて下さいとはいひません。然し、この難破してゐる哀れな漁師達を、どうか助けさせて下さい』
 彼は暫く目を閉ぢて、水に浮んだ儘、両手に大きな板を持って神に祈ったが、その時だけは、濤の音も、風の響も彼には聞えなかった。たゞ畳の上にでも寝てゐるかのやうな気持がした。そして宇宙の神秘が、犇々と彼の胸に迫ってくるのを感じた。勇はほんとに嬉しかった。かうして父の遺言が実現され、波濤と戦って、人の命を助け得るなら。それ程愉快なことはないと思った。
 稲光が、また光った。その時ふっと目を開いて前方を見ると、自分の三十間ばかり先に、浮袋にとっっかまって、泳いでゐる者があった。この男は青年だと見えて、
『おーい!』
 と声をかけると、
『おーい!』
 と若い声で返事をした。彼は上向けになって流れてゐた。それで勇は、少し元気を出して、その方に泳いだ。そして彼の傍にすり寄って、比較的小さい声で囁いた。
『君! しっかりせいよ! 俺は今、救助船に乗ってきたんだ。この板にくっ付いとり給ヘ! 俺が今信号するから』
 さういふと、彼は嬉しさうな声を出して、
『ありがたう! 一命を拾うた!』
 といって。板にとっ付いて来た。然し、あまり暗いので、彼の顔は見えなかった。また稲光が一つ光った。それで、やはり、それが一人の青年であることを知った。
 勇は、天祐丸に信号しようと、四本の指を口の中にさし挾んで、力一杯口笛を吹いた。すると、船に解ったらしく、答の汽笛が、響いた。船がやってきた。ロープは投げられた。然し、一回目のものも、二回目のものも、あまり遠くて、勇は掴へることが出来なかった。三度目に漸く掴へたので、彼はそれを板に括り付けて、大声で怒鳴った。
『ゆっくり引張ってくれよ!』
 すると、こんどは経験が出来たと見えて、巡査二人が指揮しながらゆっくりく引張ってくれた。島香の主人は、
『万歳! 万歳!』
 を連呼した。その間も波が揺れるので、身体ごと艫のスクリューの中に巻込まれやしないかと心配した程、波の頂上から下に投落された。その時、デッキにゐる者も大波を被った。
『ふぇ! ――』
 とみんな悲鳴をあげた。然し浮袋を持ってゐた青年は割に元気で、少しも慌ててゐなかった。で、勇も非常に嬉しく思った。勇はまづ彼を甲板に上らせ、あとから勇もデッキに上った。すると、島香の主人は、勇の身体を抱〆めるやうにして、
『ありがたう、ありがたう! さっきの親爺さんも、大丈夫ですよ。よくも助けて下さいました。あれは家の近所の者なのです。家の者もほんとに喜ぶでせう。君も疲れたでせう』
 そこへ警部もやってきた。
『疲れたでせう!』
 然し、勇は、少しも疲れてゐなかった。波に揉まれてゐることから見ると、デッキの上は非常に楽であった。それで彼はまた、身体を拭いて、裸体のまゝ操舵室に飛込んで行った、すると卯之助は、
『若! 心配しましたぜ。あなたの姿が見えなくなったので。潮がこんなにきついと思ひませんでしたよ。あなたの口笛を聞いた時には、私は、ほんとに生返った気持がしましたなア』
 また稲光が光った。その時、船の右側を見ると、漁船が、顛覆した儘流れてゆくのが、目の前に見えた。それで勇は、
『おい! 卯之助、よく見てくれよ。まだ二、三人はきっとこの辺に漂流してゐるに違ひないから』
 さういひながら彼は、静かに船の周囲を一巡することにした。果して、艫の処に、仙人のやうな恰好をして、暢気さうに、船にぶら下って流れてゐる一人の漁師を見つけた。
『おーい!』
 と声をかけると、彼は、
『ありがたう!』
 と答へた。然し濤が、高いのでどうしてその男を、救助船に救上げていゝか工夫がつかなかった。綱を放ったけれども、その男は、疲労してゐるためによく泳げないと見え、綱を取らうとはしなかった。それを見た巡査は、
『誰か綱を持って行ってやるより仕方がないなア、俺行ってきてやらうかなア』
 さうはいってゐるものの、その巡査にも別に自信があるらしくも見えなかった。それで勇は、
『俺行ってくるよ。卯之助、船を衝突させると悪いから、出来るだ
け遠くの方を廻ってくれよ』
 さういふが早いか、彼は、また細いロープを持って、濤の中へ踊り込んだ。その勇敢な態度には。宮古の漁師達も全く舌を捲いた。飛込んだ勇は、ゆっくり泳いで、難破してゐる船の艫に近づき、まづ彼の身体にそのロープを襷がけに結へ付け、彼の肩に軽くくっ付いて、船の方に来るやうに教へてやった。その漁師は、素直に勇のいふことを聞いて、彼の肩にくっ付いてやって来た。勇は、みんなが引張ってくれるロープを片手で持ち、両足と片手で静かに身体を浮かばせ、疲れてゐる漁師を肩で支へて、二十間ばかり離れてゐる天祐丸の舷側まで泳ぎついた。上からまた太いロープが下された。その太いロープを漁師に握らせ、細い綱と太い綱と両方で、まづ漁師を先にデッキに引上げた。しかしこの前の経験もあったので、宮古の漁業組合の連中は、勇が流れると心配だと思ったか、太いロープを漁師のために下すと同時に、勇のために細いロープを海の中に投込んでくれた。それで、勇は、漁師が助かったと見るや否や、すぐまた、その細いロープを伝うて、デッキに上った。
 その時に思ったことであったが、救助船には是非、繩梯子が沢山舷側にぶら下げられてあると、どんなにいゝかも知れないといふことであった。しかし天祐丸には、繩梯子は一つも無かった。難破した船の周囲をもう一度、勇はゆっくり廻ってみたが、みんな早く船を棄てたと見えて、誰も信号するものはなかった。最も元気な、浮袋を持ってゐた青年に尋ねてみると、『三人は、水泳がうまいから、岸の方へ泳ぎついたらうと思ふ。あとの三人は、老人だし、酒を朝から飲んでゐたから、多分溺れて死んだらう』というてゐた。その話を傍で聞いてゐた島香は、
『成程ね、酒を飲まないと、こんな時に助かるわけだなア』
 といって感心した。
 救助作業をしてゐる間が、風速の最も甚しい時であった。三番目の男を救うた時から急に風は凪いで、航海するのが非常に楽になった。
『これ位の濤でしたら、楽でしたかね』
 と、警部は島香と話し合った。それを傍で聞いてゐた救助せられた青年は、
『これから、救助船には、もう少し明るい、一哩も遠方から見える電燈をマストの上につけてもらふんですなア。暗くて、暗くて、綱を拾ふにも見当が付きやしませんよ』
 泣くやうにさういった。勇はそれに同感であった。
 濤が少し凪いだので。勇は広く難破船を捜索したいと、警部に言明して、四、五哩四方を一時間ばかりも捜索した。そして四般の船が沈没してゐることを見付けた。一般の船には、乗組員全部がとっつかまってゐた。彼は、静かに船をその傍に持って行って、十一人の乗組員全部を救うてやった。それから帰り途に、闇の中で二人の漂流者を救うた。勇はまだ捜索するつもりだったけれども、救助した者を、一先づ港に上陸させた方がよからうと警部がいふので、恰度真夜中の十二時頃に、宮古港を北口から中に入った。

海豹の32 S・O・S

  S・O・S

 店から飛出した島香の主人は、すぐ向ひの角丸の店に飛込んだ。
『港外で宮古に入る船が難船してゐるさうな。天祐丸をすぐに出さにやならんが、お家の機関士は、今日は船から上陸してるんでせうなア』
 電燈をつけて、しきりに算盤を弾いてゐた角丸の主人公は、禿頭をつるりと一つ撫でて、別に驚いた様子もせず、難船はいつものことだといふやうな顔をして、
機関士は今のさきまで、其処に居りましたが、さあ、どこに行きましたかなア』
 さういって、静かに立上った。
機関士を探してゐるんですか? 小さい船でしたら、私、運転しますよ!』
 入口に立ってゐた村上勇は、早口にさういった。
『おやり下さいますか? さうしたらすぐ船を出しませう!』
『私のうちの船を誰か見てゐてくれたら、私の方の船員も一人連れて行きますがね』
『そら、何でもありません。宮古の人は、みな人が好いですから、誰も盗むやうな人はありませんよ。放っといても大丈夫ですよ。しかし店の者に番をさせておきませう』
 島香の主人はすぐ店に帰り、小僧に、白洋丸の留守番をするやうに命令して、また、表に飛出してきた。その間に、勇は、卯之助を船から呼上げて、島香の主人が出て来るのを待ってゐた。
 さうしてゐる処へ、警察から、警部と巡査が二人やってきた。島香の主人は、巡査と手分けして、救助に出掛ける有志家を、橋を渡って船に乗込むまでのうちに、何人でも集めてゆくことに決めた。その間に、勇と卯之助は、警部を伝馬に乗せ、向ひ岸についてゐる白塗の美しい天祐丸まで漕ぎつけた。勇は。逸早く、伝馬から天祐丸の甲板に躍り上って、すぐ機関室を覗いたが、船体は新しいけれども、機械は、比較的旧式のもので、ユンケル式のやうに、すぐ機関を動かすことの出来ないものであった。イグニシオン・ボールをプロランプで直ちに焼かなければ、瓦斯を爆発させることが出来ないと彼は思った。それで彼は、早速イグユシオン・ボールを焼いて、ボールの下ヘノズルを嵌め、表のピストンを第一死点より十度前方に置き、石油ポンプを押して、空気ポンプのヴァルヴを開き、すぐ、スターチング・ヴァルヴを開けて、いっでも出動出来るやうに準備をした。
 その間に、卯之助は、橋を渡って、ぐるりと廻って来た六人の若者と、二人の巡査と、島香の主人を伝馬に乗せて、天祐丸に運んだ。島香の主人は、機関室へ顔をつつ込んで、
『船長さん、有難う! 機関士を連れて来ましたから、すみませんが、あなた船長になってくれませんか! 生憎この船の船長は、今日、盛岡へ行ったとかで、留守してゐましてね……まことに済みませんが、あなたに御苦労願ひたいんですが、どうですか、御無理願へますかなア?』
『よろしうございます、私かやりませう』
 勇はすぐ、菜葉服を着込んだ機関士と入代って、操舵室の舵を握った。船は出た。雷は嗚る。稲光が物凄く、湾内を照らす。港を出ると、とても大きな濤で、一つの濤が天祐丸の帆檣よりも高かった。操舵室に入ってゐた警部と、島香の主人は、その濤にびっくりして、弱音を吐き出した。
『船長さん! こりゃ危険ですなア、引返しませうや!』
 さういったけれども、勇は、返事もしなかった。警部は船に乗りつけないと見えて、操舵室の柱にしがみ付いてゐた。勇は絶えず船を風と一点半の角度にもって行き、横投げを喰はないやうに注意した。稲光が海上を照らすために、真暗がりで作業するより遥かに有利であった。然し、島香の主人は、雷が厭だと見えて稲光が閃めく度毎に、耳に両手を蔽うた。大きな濤を怖れないで、操舵室の前に立ってゐた卯之助は、稲光が暗い海上を照らし付けた時に、大声で叫んだ。
『見付かった! 見付かった! あすこに難船してゐる!』
 然し、さういった瞬間に、また船は奈落の底に沈んで行った。そして今度はまた。難破してゐる船の位置を見定めるためには、もう一つの大きな濤の上に登るまで待たなければならなかった。然し、こんど大きな濤の上に船が乗っかった時には、稲光が、海面を照らしてくれないので、あたりは真暗で、周囲に何物をも認めることは出来なかった。それで、勇敢な勇は、卯之助に操舵助室の上に上って、難破してゐる船の位置を見定めてくれと命令した。勇のいふことなら何でもきく、忠義者の老漁夫は、船長のいふ通りに、操舵室の上に匍(はい)上って行った。そして大声に叫んだ。
『もう一町位前方です! ノースウェストにコースととって下さい!』
 さういったけれども、濤の関係で、どうしても、ノースウェストのコースをとることが出来なかった。少し船を横にしようとすると、大きな濤の砕けた奴が、天祐丸のどてっ腹にぶちあたる。勇は、汽笛を吹き続けた。そして、耳を澄まして、それに答があるかと注意した。けれども人間の声は少しも聞えなかった。巡査が、アセチレン瓦斯で作った照明燈を舷側につけてくれた。それでやっと、船の両側十間位の処が、少し見えるやうになった。桶が流れてくる。そのあとから手柄杓が見える。その時、勇は、今年の春、備後灘で、水死した父の屍が、その海上に漂うてゐるやうに思はれてならなかった。操舵室の傍に取付けてある真鍮の棒につかまりながら、一生懸命に海上を見つめてゐた島香の主人は、びっくりしたやうな声を出して皆を呼んだ。

海豹の31 低気圧に先駆する波濤

  低気圧に先駆する波濤

 翌朝、船は十一時頃、釜石を後にして太平洋に乗出した。水温を計りながら、沖へ沖へと出て行ったが、空が晴れてゐるのに、濤だけが馬鹿に高かった。延繩の修理をやってゐた卯之助は、艫に廻ってきた勇にいうた。
『大将! こりゃ、今夜はしけますぜ。低気圧より早く、濤がやって来よるんですぜ。この儘ずっと、宮古へ船を入れませうや!』
 勇はすぐ卯之助に同意した。船はコースを変へて真北に進路を選び、この辺りの地理に精しい、富山生れの青年、味噌三太郎に、三陸地方の港の噂を聞きながら、勇が宮古に船を入れたのは、その日の黄昏時であった。怒濤は容赦なく、港の入口の大きな岩にぶつかり、味噌君でも居なければ、入港するのに余程困ったらうと、勇は、彼を銚子から連れてきたことを、心のうちで、ひとり喜んだ。
 白洋丸が、港内深く入った時に、今日の暴風雨を怖れた多くの漁船も、みんな港内に奥深く逃込んで。宮古湾に注いだ川の両脇には、幾十艘となく、同じやうな発動機船が並んでゐた。そのうちに、風速は加はり、沖は大砲を撃つやうにどんどん鳴り出した。その響は、暴風雨の来襲を意味してゐた。岩に砕ける濤が、物凄い音を立てるので、大砲を撃つやうに響いた。空は真黒になり帆檣(マスト)に釣るしたワイヤーやロープが、ヴァイオリンの絃のやうに鳴り出した。大粒の雨が。ぱたりぱたり甲板の上に降りかゝって来た。碇泊中の船はみんな、錨を入れ出した。魚市場の建ってゐる右側の河岸には、船のことを心配してゐる大勢の魚問屋の主人や使用人達が、集ってきた。幸ひ、恙(つつが)なく船を港に入れた勇は、船の者に五十銭づつ金を渡して、活動写真を見せにやり、卯之助と二人は後に残って、船の番をすることにした。勇が、ぼんやり、艫に立って他の船の作業を見てゐると、岸から声をかけたのは、魚問屋の島香の主人であった。
『暴風雨ですな、こりゃ! あなたは手廻しよく、早く船を港にお入れになりましたなア』
 船員の着るやうな合羽を着て、ゴムの長靴を履いた村上勇は、陸上からの挨拶に、視線を水面から河岸に移して、大声で答へた。
『天気がいゝのに、今日は馬鹿に濤が高いものですからね、こりゃ、天気予報にも出てゐない低気圧が急に起ったのだと思って、手廻しよく船を港に入れたんでしたが、仕合せしましたよ。こりゃ。沖はずゐぶんしけてゐますなア、難船する船も大分あるでせう』
 雨はだんだん激しく降り出してきた。それで、勇が、操舵室に入らうとすると、島香と大きく書いた番傘をすぼめながら、背の低い島香の主人は、彼にいうた。
『船長さん、お茶でも入れますよ! 遊びにお出でになりませんか? その角の家です』
 さういって、島香の主人は、浜と直角に合ってゐる大きな通の角の家を指差した。
『ぢゃあ、お邪魔しませうかね!』
 さういひながら、彼は、岸に飛上って行った。島香の店は、天候の関係でもあるか、仄暗くて新聞さへ読めなかった。勇が面白く思ったのは、直径二間もあるやうな大きな生簀(いけす)に用ふ竹籠を屋根裏に幾つとなく、つり上げてあることだった。如何にも原始的に見えて、勇は嬉しく思った。
『どうですかね、宮古は?』
 と勇が切り出すと、渋茶をすゝり乍ら島香の主人は、頭を左右に振って、話し出した。
『駄目ですなア! 宮古は、今年などは皆目、例年の百分の一も獲れませんからね。去年の十一月まで。二百四、五十軒からあった漁業組合の組合員が、今年になって、会費の払へぬ者が続出したものですから、漁業をもう廃めてしまったものだけでも、百軒以上はありませうなア。こんな悪い年っていふのは、私は生れてから知りませんね。八十位になる年寄りでも、宮古で、こんなに漁のない年は初めてだっていって居ますよ。どうしたんでせうかなア? 機船底引網で、近海の海の底を、みんな掻き荒したんでせうか? それとも或ひはまた、潮流の変化で、こんなにとれないんでせうか?』
 島谷の主人は、店の上りロに腰を下してゐる勇の顔を覗き込んでさう居ねた。

  新参者

『私は、漁師としては新参者でしてね、漸く、今年の夏から鮪船に乗ってゐるんですが……』
 さう切り出した勇は、如何にも自信あり気にいうた。
銚子でも、地引網と、機船底引網の喧嘩が絶えないやうですが、三陸地方の不漁も、一つはそれに大きな原因もあると思ひますね。そりゃ勿論、潮流も関係してゐるでせうね。話に聞くと、近頃はもう、日本海を北に走ってゐる暖流が、津軽海峡を東に出て、潮に押されて八戸あたりまで伸びてきたっていひますから、東半球は、だんだんこれから暖かくなるんぢゃないでせうか? 何でも、二万六千年とか、二万七千年とかの週期律で、地軸が十七度位歪むさうですから、そろそろまた西半球の氷河時代がやってきて、シベリヤ満洲の温帯時代が出現するんぢゃないでせうかなア。ですから、漁業家も、日本の近海がだんく暖かくなってゆくことを予想してやらなければならないのぢゃないでせうかね』
 勇が、氷河の来襲する週期律を説いたので、鳥香の主人は、びっくりしたやうだった。
『ふム、そんなものですかね。成程ね。然し、御説の通り、こりゃ、欲しくもない魚を、どいつもこいつも、皆獲ってしまふ機船底引網にも、大いに責任がありませうねえ。宮古湾に入るどの船もどの船も、皆同じことをいひますがね、手繰網――つまり機船底引網ですね、神奈川県は全くそれを禁止してゐるさうですが、そのためか、神奈川県だけは、定置漁業が相変らず盛んですってね。私も一遍真鶴から伊東へかけて、あそこの大謀網を研究に行ったことがありますが、ほんとに羨ましい程ですなア。真鶴の定置漁業権などは一年間に四万八千円だと聞いてびっくりしました。何でも五年間の誓約が二十四万円だって聞かされましたが、手繰は絶対に、あすこは許さぬさうですなア。そして相模湾は、他処では見られないほど、岸深で、鰤(ぶり)でも鯖でも、すぐ岸まで寄って来るさうですなア。あんな処は珍しいですなア。富山湾もさうだっていふぢゃありませんか。然しあすこは、能登の傍で手繰網が底を掻き廻すので、魚族が怖れて、もう富山湾の中まで入って来んさうですなア。私も定置漁業の権利を一つ持ってゐるんですが、小さい機船底引網とは両立しないやうに思ひますね』
 島香の主人公の意見に勇も賛成した。
『実際この際、政府が思ひ切って、トロールや手繰網を禁止して、魚族の絶滅を防止しなければ、将来、大変なことになりませうなア。兎に角、矢鱈にとってしまって、入用のない魚族までみんな獲り尽してしまふんですからね。罪な話ですよ』
 雷が鳴り出した。稲妻が、軒先に光る。
『いや、手繰自身が、もう魚がとれぬといって、船をこの川向ふに繋いでゐるものだけでも四、五十艘はありますからなア。我々のやうな、魚を買ふことを専門にしてゐる者でも、無茶苦茶に魚をとってゐると、天罰が当るやうに思ひますなア。しかし、近頃はもう日本の近海に魚が居らんから。ロシア沿海州の沿岸をやるといゝっていうて、此処からも今年の春出掛けて行った者がありますが、魚は居るさうですなア。太平洋沿岸でとれる三倍位、網に入りますってなア。然し、どうした訳か、味はまづいっていひますよ。あれで、あまり豊かに生活してゐる金持のお坊ちゃんに、味のある人間がないと同じやうなもので、魚も、余り楽をして大きくなった奴はうまくないやうですなア。ハハハハゝゝ、この間、富山の船がいってゐましたが、ロシア政府の船に追駆けられて、とってゐた魚をすっかり海の中へ放り込んで、やっとのこと、掴へられずに逃げおほせたっていってゐましたよ。なかなか漁師の仕事も容易ぢゃありませんね。ハハハゝゝゝゝ』
 勇がさっきから注意してゐると、島香の主人は、少しも煙草をのまないので、それを不思議に思った勇は、尋ねてみた。
『あなた、煙草はお吸ひにならんのですか?』
『はア』
『もとからですか?』
『いや、若い時は喫んでゐたんですけれど、宗教を信じてから、酒も煙草も止してしまったんです』
『あ、さうですか! さうすると、あなたはキリスト教信者ででもいらっしゃいますか?』
『はい、あまり役に立たぬ名ばかりのクリスチャンですけれども、教会だけは行ってゐるんですがね』
 さういってゐる処へ、警察から電話がかゝってきた。それによると、宮古湾の入口で、発動機船が一艘と、山田湾の方に寄った処で、同じく発動機船が二艘、難船して、船員や漁師は、板にとっ掴って漂流してゐるといふことだった。島香の主人が、水難救済会の
常務委員なので、警察から救助船を出してくれとの要求がきたのであった。
『さあ、大変だ!』
 さういひながら。今まで暢気に話してゐた島香の上人は、尻を引っからげて、部屋の隅にかゝってゐた合羽を着物の上から着込み、跣足になって、表に飛出した。それを見てゐた勇は、すぐ後から彼を追駆けた。
『私も用事がないんですから一緒に行きませう!』