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Think Kagawa 賀川豊彦を考える RSSフィード

2015-08-24

2015-08-03

電子版『小説キリスト』Kindleで発売

賀川豊彦著『小説キリスト』の電子版をKindle Shopで発売します。7月31日発売です。これから賀川の作品を相次いでアップする予定です。価格は520円。ぜひともご購入下さるようお願い申し上げます。
http://www.amazon.co.jp/dp/B012AZS2RK

賀川豊彦が描く小説風キリストの生涯。自らのスラムでの救済活動をイエス・キリストの教えと行動に重ね合わせたところに面白みがある。宗教書というより も、西洋文明の教養書。賀川はそのイエスをキリスト教の創始者ではなく、「最初の宗教改革者」として位置づけているのが面白い。ちなみに二番目の宗教改革 者はマホメットであり、三番目がルターである。西洋のキリスト教の後ろにユダヤ教があり、キリスト教を生んだそのユダヤ教のもう一つの分派としてイスラム 教が誕生したことはまぎれのない歴史的事実なのだろうということを思わせる。(紹介文)

2015-05-26

神の国運動とその著作

1927年神の国運動を始めた賀川豊彦は出版社の協力を得て、その講演録を次々と安価な著作として世に送った。
「神による開放」
「尽きざる油壺」
「魂の彫刻」
「残されたる棘」
「イエスの宗教とその心理」
「イエスと人類愛の内容」
「人類への宣言」新約聖書を一貫してその精神だけを抜き取った
「神による新生」
「人類への宣言」
「神と聖愛の福音」
「神についての瞑想
「十字架についての瞑想
「神と苦難の克復」
聖霊に就ての瞑想
「農村更生と精神更生」

農民福音学校が1927年2月開講

今度私の家で農民福音学校と云ふのが開かれる。之は農民伝道の中核を為すものであって、農村の青年であって、宗教的に農村を改造せんとする者に開かれるものである。一ケ月間私共と一緒に寝起きして宗教的に社会的に訓練を受けるのである。校長は杉山元次郎氏、教務主任は吉田源次郎氏、私は毎朝一時間位づゝ授業を受持ちたいと思ってゐる。課目はキリスト教の一般と、農村社会学農業科学に関するものである。即ち旧約の精神、新約の精神、キリスト伝、教会歴史、農村社会学、農村通論、農家経営法、農村社会事業等に就いてゞある。今の処では食費を半分だけ学校の力で持つことにしてゐる。併し、定員があって十人以上採れない。純農村に於て農業に従事しつゝ農村の伝道、農村の改造に志すものゝみ入学の資格を持ってゐる。開校は二月十一日で、閉校三月十日である。間合は兵庫県武庫郡瓦木村宇高木、賀川豊彦方農民福音学校宛にせられたい。(雲の柱から)

△二月になって、私は一晩も休まずに働いた。紀元節の日に農民福音学校を開いてから、約十名許りの兄弟が、全国から集って来られて家は急に賑やかになった。杉山元治郎兄、吉田源治郎兄、村島帰之兄などが専門に掛られて今日まで実に有益なコースが与えられた。生徒十人に先生三十人と云ふ面白い学校だものだから、非常に愉快な日を送った。満一ケ月の間ではあるけれども、非常に意味の深い一ケ月であることを思はないでは居れない。少し金はかゝるけれども、このメソードが農村伝道に最も適してゐるやうに、私は思へてならない。

 △兵庫県武庫川のほとりに建てられた農民福音学校寄宿舎「一麦寮」が出来上りました。これは私の北米に於ける講演旅行の時貰った謝礼金を基礎にし、その上に米国の青年達が拠金してくれた約七百弗の金を入れて作ったものです。諸君が利用して下さるなら幸ひです。三十人位は泊まれるやうにしておきます。関西学院及び神戸女学院に行く西宮北口の傍にあるのですから非常に便利です。裏にはすぐ大きな森があります。瞑想に適します。(昭和七年一月号「放浪の旅より」)

 △最近最も嬉しかったことの一つは、武蔵野で農民福音学校の卵が生れたことである。それも徳富蘆花氏の住んでゐた千歳村の上祖師ヶ谷で、三十人位の農民諸君が、お宮の下に集まって、八畳敷の小さい部屋を教室にして、藤崎氏と私の講義を聴いたことであった。これから一箇月に何回か、かうした研究会の様式のものを続けたいと考へてゐる。上祖師ヶ谷は窮乏のどん底にあって、まだ活路を開いてゐない。それで、私達は、力を入れて、この人達に農民福音学校を作ってあげたいと思ってゐる。幸ひ、三月中頃には松沢幼稚園の本校舎も出来上るので、その校舎を使って小さい農民福音学校をも続けてゆくことが出来ると思ってゐる。(昭和七年三月号「武庫川のほとりより」)

2015-03-24

壁の声きく時(随筆集『地殻を破って』から)

 壁の声きく時

 石の叫ぶ日に私は壁の声をきく.私の孤独は凡ての無生物の友人によつて慰められる。私は何一つとしてその声をきかぬものはない。
 ステーシヨンの、ベンチに汽車を待つ時、病気の時、無為で困つて居る時、裁判所で検事の出て来るのを待つて居る時、私は凡て無生物の声をきく。
 天井も、セメントの敷石も、扉も、レールも、礫も、無意味に並んだ棚も、私には凡て歓喜の源であり、悦びの種である。私は五時間でも六時間でも二週間でも五週間でもそれを凝視して居れるのである。
 私を縛らうと云ふ人がある。然し、何と云ふ無策なことであらう。
私の身体は捕へられても、私は自由に無生物の心の裡へ這人つて行つて、仙人の様に凡てのものと一緒に遊ぶ通力を持つて居る。私は壁と物語る。
 壁は私に親切でゐる。監獄の壁でも、紡紙会社の練瓦の高壁でも、紐育の摩天楼の五百尺のセメントの壁でも、また貧民窟の所々落ちかゝた泥土の壁でも、私には慰めであり、希望であり、そして又親切であつた。
 私は嘗てその凡てに向つて反抗したことがない。私は二ケ月間金持の銀皿磨きにカナダ側のナイヤガラで地下室の生活をして居つた時にも、私には壁が親切であった。私は壁の前に坐つて五年でも十年でも辛抱が出来る。実在の不可思議に溶かされて、私はそれが壁であらうが、美人であらうが、また桜の花であらうが、区別がつかない。神の与へてくれる凡ての実在は私に取つては凡て声であり、叫びであり、音楽であり、管絃楽である。
 何と云ふ物凄い管絃楽であらう。壁の中から微かに清らかに冴えた音楽が聞こえてくる。或時には高くマーチの様に、或時にはセレナーデの様に、或時には讃美歌の様に、或時には"Te Deum"が聞こえる。大きな讃美歌だ。無生の生の進行歌だ。私は全くその心に溶け入る。
 そして私は実在の驚異に溶け入るのである。そして私は眠に襲はれたものゝ如くに眼を閉ぢる。然し、また、バツと眼を開いて今の音楽が実在の実在であつたかと壁を見詰めると、今度は壁の上の斑点と、色調と、色々な屈線と、曲線がまた私の眼の前に跳り出してくる。何と云ふ乱雑な踊りでらう。クロン坊も、歌劇の女優も、日本人の車夫も、西洋の紳士も、林檎も、砂糖蜜もみな堕から抜け出して来て私の眼の前で舞踏するのである。
「まアお前達は何ぜそんなに踊るのだ」と声を出して尋ねると、すぐ平面の上に吸ひつけられた様に元の通りに屈線と、曲線と、斑点と、風色の壁に帰つて了ふ。然し、また私が声を出すことなしに、無声の無声で、実在のするが儘に任せて置けば、凡て壁の上に括りつけられた平面の精は、自らを解放して時間と空間との上に踊り出してくる。何と云ふ不可思談な壁であらう、あれあれ、今度はオーケストラのシンフオニーまでがついて居る。そして最高音のヴヰオリンが耳朶を劈ざく程喧びすしく奏でる。私はもう堪え切れない。私は壁の精等に威圧させられて了ふ。あれ、私は失神せねばならぬ。米倉から出て来た小鼠の群のように、壁から抜け出た凡ての精――土の精、セメントの精、有機物の精、表面に画かれた林檎の精――それも水に滲みた形として現れたもの――砂糖蜜、車夫……歌劇の女優、是等のものゝ精が這ひ出て来て、私の為めに踊つてくれるのである。
 そうかと思ふとまた静かに、静かに無声の精が禅学の話をしてくれる。「君は少しも禅学を知らないだらう。知らないのを禅学とも云ひ、知ることをも禅学と云ふのだ! 「また君の様に無為の壁の前に坐って居ることをも禅学と云ひ、立ち上つて労働者の前に獅子吼することをも禅学と云ふのだ。要するに、無声の声のその有声の無声が禅の禅だ、解つたか? 解らんだろう。判ったら判らんので、判らなんだら判つたのだ。要する所は、禅とは実在の驚異と云ふことだ。その実在の驚異が時間の上に転げて行けば善いのだ。つまり生命と云ふことだ。言葉はどうでも善い。生命の上に飛躍して"Elan vital の中に呼吸すればその人が最も真に近いのだ。禅とは真と云ふことだ!」とも教へてくれる。
「有難たう!」と感謝すると無声の声の持主は、静かに壁の中へ引込んで了ふ。
 また或時に、私は壁の前に坐つて居て預言者エゼキエルの引越の音を、壁の向ふから聞く。コトンゴトンとこちらの方へ掘つてくる音がある。そしてそれは幾十年幾百年掘つても、まだこちらの方へ穴を貫いたことがない。預言者の引越の霊は一寸の壁の間に住んで居る。そして、一寸の厚さの壁を鑿つに千年かゝつても、まだあかない。然し、その努力はまだ中止されたことはない。だが死骨が甦る日、石が生命を回復する日、凡ての無生物が人間の蹂躙より解放せられる日に、一寸の壁を鑿つに千年かゝつた壁の人は、その平面の生活から抜け出て。天地の間に飛躍するのである。
 そうだ、壁の声を聞け、壁の声を! その上に投げつけられたマルチン・ルーテルのインキの跡と、ザー・ニコライの血痕が精となつて叫ぶ計りでは無い。智者達磨が残した視線の跡が、また壁の中から復活してくる計りでない。今日では壁自身すら飛躍して居るのだ。壁も解放の日を待つて居る。それで如何なる解放者でもそれに近づいて行けば、壁はその永く待つたその沈黙と、その忍従と、その縛られた過去の日の話を面白く物語つてくれるのである。
 万物は凡て解放の日を待つて居る。凡ての物質も飛び上る日を待つて居る。それで外殻と思索の迷路に囚れないものは、いつでも壁と凡ての無生物との同情を受けることが出来る。
 私は常にこんな心で壁の前に坐る。私が黙祷する時に壁も沈黙する。私が冥想する日に壁も冥想する。平面に立つた壁は私が実在と神に接する妨害には少しもならない。凡ての壁は私には透明である。実在である。生物である、壁は私には良き友人である。特に孤独の日の良き友である。  (一九二〇・四・一五)

エレミヤ連載中断

預言者エレミヤの連載は中断します。

2015-03-12

預言者エレミヤ9

  八 『新しい門』で

 埃及王ネク二世はユダヤ人に堪へ切れぬ程の重税を負せて帰って終ひましたが、エホヤキム王は悦んで之を毎年毎年支払ひました。それを、エレミヤは黙って居りませんでした。
 エレミヤは先づ第一、ネクニ世が近い中にアッシリア軍に大敗すると頂言いたしました。またその通りメクニ世はエホヤキム王の治世の四年、シリアのカルケミシの大合戦に脆くも大敗北を取ってエジプトの方へ惶てゝすっ込んでしまゐました。そして、その後二十年と云ふものはユダヤの方に見向きも致しませんでした。
 エレミヤの預言は之だけ確かで力がありました。それでも人々は信じてくれませんでした。それかと云ってエレミヤはそれで、預言を止める様な男ではありません。
 ホルダの預言を信ずれば、申命記に約末せられた刑罰は此王様位から始まると云ふのでした。エレミヤはぐずぐずしては居られません。凡ての人が悔改めるか? それで無ければ、国が亡びるか? こんな悲しい時に立って居るのであります。調度その時、神様からのお言葉がござりました。
 それでエレミヤはいつもの通りエルサレム神殿に参りまして、預言を始めました。
『みなさん、よくきゝなさい。もし汝等が改心なさるならば、神様は災をお下しなさらうとお考へになったこともお控へになるそうです。然し、改心が出来ないとあれば、神様は此宮をシロの如く、此都を世界の呪の的として滅ぼしなさるのだが、どうです』
 ところで今度はヨシア王の時とは大分時勢が違って居ります。こんなことを聞かされてぢっとして居る人は誰れも居りません。
『こん畜生! 生意気なことを吐(ぬか)す』と民も祭司も預言者も、凡そ自分は善い人間だと思って居る人間は誰れもかれもどやどやとエレミヤの身辺に駆け集り、
 甲『何を云った、も一度云ってみい!』
 乙「此宮がシロと同じやうに亡びる? 糞生意気な!」
 丙『何だって? エルサレムが狐の巣になる?』
群衆『やツつけてしまへ! やツつけツちまヘー』
群衆『生かして置くな!』
 と今にもエレミヤは殺されそうになりました。
 さあ大変だ! 神殿に大騒動が持ち上ったと王の御殿に注進が二人も三人も走ります。大臣方は『そらたゞごとではない』と袖を打ち連ねて神殿に御出ましになりまして『新しき門』で、直に事の次第を御取調べになると云ふことになりました。
 そこヘエレミヤは大勢に腕を捻じ廻されたり、頚筋を掴へられたりして出て参りました。群衆は唯理由もわからず、ワイワイとはやし立てました。然し、心あるものは皆眉を顰(ひそ)めて居りました。
 エレミヤは至極平気なもので大臣の前に出て身体が自由になったものですから、また群衆と大臣に向いて大演説を始めました。
『みなさん、私は神様から送られて、神様のお言葉を諸君にお伝へしてゐるだけであります。神様は諸君がもし今から悔い改めなさるならば此街をお罰しにならないで、お許しになると仰せられるのです。だからみなさんは神様のお言葉通りなさい。御覧の通り、私は諸君のなさるが儘になって居ります、此上も御随意にして下さい。然し、そこで御注意申上げたいのは諸君がもし誤って私を殺しなさると云ふやうなことがあっては無辜(つみなきもの)の血の報が諸君の身の上と此都とその住民の頭の上に来ますからそれを考へて置いて下さい。と云ふのは外でもありません。私は神の使としてこゝに立って居るのでありますから』
 此演説には群衆も大臣も力抜けが致しました。大勢の中には預言者祭司に聞こえよがしに、
『何だつまらぬ 此人は預言者じやないか?』と申す人もありました。
 そうして居る中に群衆の中から年老が二三人出て参りまして、静かに、半分は大臣に、半分は群衆に申訳するやうでもあり、辯護でもする様な句調で、
『昔ヘゼキア王の時にもミカと申します預言者がございまして、矢張この人と同じく今にも此都が亡びる様に申しましたが、ヘゼキア王は、みなさまも御存知の至って信心深いお方でおありなされたから、とうとう影にもそんな不吉なことを見ずにすみました。……だから、あんまり軽々しくこのやうな人を待遇(あしらは)ないのがほんとでございますな』
 と挨拶のやうなことを申して引下りました。然し、今度のことはこんな挨拶で済みそうもありませんでした。
 と云ふのはつい先頃ユダヤ、キリアテヤリム(一名ヘブロンと申しますユダヤでも名高い町)のウリヤと云ふ預言者が既に此流儀で一命を落して居るのであります。
 ウリヤは、エレミヤと同じくエルサレムの滅亡を預言したのでありましたが、それが非常にエホヤキム王の怒に触れ、ウリヤがエジプトまで逃げ延びたものを後から追手までやって、エルサレムに送り返させ、自ら斬罪に処せられて、屍を非人の墓に捨させなされたと云ふことがあるのです。今度とても、エホヤキム王に聞えるならば、それこそエレミヤも首が飛ぶにきまって居るのであります。
 ですから、この辺のことをよく呑み込んで居る宮中の高官でエレミヤの知人のシャパンの子アヒカムは、祭司預言者の怒をなだめ、まづまづ其場を静めてエレミヤひゐきの人々にエレミヤを渡し、エレミヤの一命を救ひました。(エレミヤ二六章)

預言者エレミヤ8

  七 ヨシア王の戦死

 その後十三年間、エレミヤは何をしたかは充分知れません。然し、祭司ハバクックや名望家のゼパニアなどと協力一致してヨシア王の宗教改革に奔走したことは確実であります。
 けれども埃及アッシリアの大戦争は益々迫って参りました。ヨシア王はアッシリア方でありますからエジプト王ネクニ世(聖書ではネコと出て居ります)のアッシリアに出掛やうと北の方へ進んでまゐりますのを途中で止めようと『神様が今度は行ってはならぬ』とお報らせなさるも聞かず、一合戦に花を咲かせやうと出陣いたしましたのが最後、哀れメギドの一戦に矢に射られて大痍を受け、エルサレムに還御まします道すがら、御崩御遊ばれたのであります。
 ユダヤ王朝ヨシア王まで十六代、人手にかゝって亡せられた方々も六人迄ありますが、ヨシア王の様に戦死遊ばされたのは唯一人でいらっしゃいます。
 そのためですか、また何の為めですか、もう国内はとりとめもつかぬ程の混雑で、人民の愁嘆と出せば言葉にもつくせぬ程でございました。迷信な人々はすぐ偶像をいぢり初めました。『どうやら、ヨシア王はアシタロテやバアルの罰があたったのだ』と申しまして。
 それに、ヨシア王も女に弱い処がおありなされたと見え、皇后とお妃の間に皇太子の位の争ひが有ったらしいのであります。で、どう云ふ理由かそこははっきり致しませぬが、兎に角、当時二十五におなりなさるエホヤキム王子は王様になれなくって、二歳下のエホヤハズ王子が位におつきなさると云ふことになったのであります。
 またそのエホヤハズと云はれる方が、信心の無いお方なものですから、エレミヤ初め信心深い人達の悲しみと云へばそれはそれは大したことでした。
 どう考へても、ヨシア王の死は惜しい。国運衰滅の兆だとしか考へられませぬ。涙脆い同情の厚いエレミヤはすぐ『哀歌』を作って、王の死を悼みました。そして国民もエレミヤと同感でございました。それで、此悲しい歌はすぐエルサレムに流行ました。
 処が、此悲しい哀歌のまだ失せない記憶の三月もたゝない中に、またパロ・ネクニ世がエルサレムにやって参りまして、エルサレムを目茶目茶にして王様を虜にし、年々エジプト税金二十万円近く納めよと(金で三万二千円即一タラント、銀で百タラント即十五万六千円、今日で申せば僅かの様ですが、当時ではなかなか大金でした)命令し、エホヤハズ王の変りにエホヤキム王子を立てゝ王様にして置いて、さっさと埃及へ引上げてしまゐました。
 之にはエルサレムの人々も泣くにも泣かれぬ程辛うござりました。
『ヨシア王が生きてゐて下されば』と云ふことは思はず皆の口から出ました。そこでエレミヤの哀歌は長年エルサレムに唱はれ、百何十年間流行った相であります。然し、之は唯今聖書に残って居ります、エルサレムの陥落を歌った哀歌とは違って居ります。然し、何れ、エレミヤのことですから腸を抉ぐる様な歌をつくったことでござりましやう。(歴代下三五章、列王下三三章)

予言者エレミヤ7

  六 ひとりぽっち

 一人でもお友達於欲しいと思つで居るこの淋しい迫害の時に、神
様はまた
『エレミヤよ、お前は、こゝで妻を娶ってはならない』と仰せられ
ました。
 勿論エレミヤは信仰の厚い青年でありましたから、之がつらい悲
しいとは申しませんでした。
 然しエレミヤも、もう血の湧き立つ三十近い青年です。それでな
いにしても預言者だとて妻を娶はれぬことはないのです。エレミヤの前の豪い預言者だとて皆妻を娶って居りました。イザyだってホゼヤだって、妻がありました。同じエレミヤの預言者名かなd¥にだって大抵は妻があります。
 で、エレミヤは、神様のお言葉には何か理由があるに違ゐないと思ったのであります。それで、之れを神様に御伺ひいたしました。
 神様はすぐお答へになりました。
『もう審判の日が近い。その時には親とか子とか新郎とか新婦とか云って居れない。皆、亡ぼされてしまうのだから』と。
 かうおきゝ申したエレミヤは、お尋ねがお祈に変り
「あゝその時の恃み、また逃れ場」と祈り出したのであります。
 そう祈って居る中にも、その恐ろしい終末の日の光景が眼の前に見えます。
『人の罪と云ふ罪はみんな見透され、神様が人の心の奥の底まで御覧なさる。そして調度漁師や猟人が鉱物を取る様に人間が漁ら
れ猟られて亡び失せる」』
 神様に此光景のおしめしを受けるとエレミヤはまた預言に出かけました。
 すると祭司のハパクックも王の血統をひいて居るゼパニアも自分がおしめしを受けたことゝ同じ様なことを預言して居るのであります。(ハバクック一・一五、ゼバニア三・八)
 それでエレミヤは益々己れに神様、がお黙示なされたことは真違が無いと信じました。