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Think Kagawa 賀川豊彦を考える RSSフィード

2008-10-06

フレッチャー・ジョーンズ物語

 1年ほど前の9月7日、オーストラリアのSBSテレビで1本のドキュメンタリーが放映された。「The Fabric of a Dream Fletcher Jones Story」という。同国のフレッチャー・ジョーンズというアパレル王の成功物語である。驚いたのは冒頭から日本の社会運動家賀川豊彦の名前が出てくることだった。

 フレッチャー・ジョーンズ(1895年8月14日−1977年2月22日)は、第一次大戦従軍後、夢だったテーラーを開業し、やがて紳士服のズボンのメーカーとして頭角を顕した。最盛期には3000人の従業員を抱え、国内に55店舗を持つ総合アパレルメーカーとなった。

 ジョーンズがユニークだったのは、経営方針として公正(fairness)、親切(decency)、正直(integrity)を定め、決して浮利を求めなかった。第二次大戦中に軍部から安価なズボンの供給を求められたが、「安物」はつくりたくないと応じなかった。

 彼の関心は常に人にあった。消費者はもちろん、従業員に対してもどうしたら協同できるかを考え続けた。最終的に彼の企業名は「Fletcher Jones and Stuff」となり、株式の7割以上を従業員のものとして企業の富を分かち合った。この経営方針に日本の賀川の多大な影響があったというのだ。

 1920年代後半、世界大恐慌が吹き荒れたとき、ジョーンズのズボン製造は大きな打撃を受けなかった。社会的貧困が現実のものとなり、「なぜ金持ちはさらに豊かになり、貧しい人はさらに貧しくなるのか」苦悩した。世の中のために何ができるか考えるため、ビジネスのハウツー物を読み、読書はさらに経済書にも及んだ。

 そのとき、ジョーンズの琴線に触れたのが英国を発祥地とする協同組合運動のパイオニアたちの物語だった。最終的にジョーンズを満足させたのは賀川豊彦のものだった。当時、十数カ国語に翻訳された『Brotherhood Economics』を読んだはずだ。

 ドキュメンタリーでは賀川のことを「日本のガンディー」と紹介し、彼は平等社会を築くために新しい社会のあり方を提示し、企業経営で従業員持ち株制や地域との協同の必要性を強調したと説明している。1930年にアメリカを訪問したときは、120都市で熱狂的に迎えられ、賀川の言葉はキリスト教社会を通じて、即時に全世界の言葉に翻訳されたとも紹介している。

 やがて賀川がオーストラリアにもやってくるときが来た。1935年。キリスト教長老派教団が招いたものだった。ワーナンブルでは午後3時半、、同7時半、同9時にセッションがあった。タウンホールは毎回超満員となった。

 ジョーンズはメルボルンで特別に賀川と会うチャンスを見いだした。自分たちの企業と幸運に恵まれない人々とのギャップに悩んでいた。彼は賀川に聞いた。

「私はあなたのように稼いだお金をすべて差し出さなければ、神の加護を得られないのでしょうか」

 賀川の答えは非常にわかりやすかった。

「あなたが第一次大戦で生き残ったのは神があなたに使命を与えたからです。お金を持つことは決して悪いことではありません。あなたが神の望むように使うかぎりにおいて」

 ジョーンズは賀川の言葉に勇気づけられ、賀川の活動を見るため、1936年に日本を訪ねた。5カ月の旅でジョーンズが見いだしたのは賀川の協同組合事業が単なる購買活動でなかった点だ。

「彼の事業は消費協同組合を超えていた。健康、住まい、教育、保険など貧しい人たちが必要とする活動が内包されていたのに驚いた」とジョーンズは答えている。

 ジョーンズは即座に自分の会社を協同組合的経営に切り替えることを決めたが、実現する前に第二次大戦が始まった。戦後、ジョーンズのズボン事業はさらに拡大し続けた。向上はGarden Factory と名付けられた。会社名は「Fletcher Jones and Stuff」と改名され、企業は現実に従業員のものとなった。ジョーンズはその後、英国王からサーの称号を与えられ、1977年亡くなった。

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