金融危機で見直される共済 週刊「東洋経済」

 週刊「東洋経済」(11/29)の今週号の特集は「共済と保険」。リーマン・ブラザーズAIGの破たんによる金融危機で日本の「共済」が健闘しているという内容で、賀川豊彦が協同組合による保険業参入を目指して失敗した70年前の出来事にも言及している。(伴 武澄)

 詳しくは「本誌」を読んでいただくとして、冒頭部分を紹介したい。

 大和生命が破たんし、AIG系の生保が売りに出されるなど、波乱続きの10月中旬、埼玉県民共済白川哲也理事は笑いが止まらなかった。生保の苦境とは裏腹に、連日、前年同期比20%増の勢いで新奇加入が増えていたからだ。世間では逆風の金融危機が、同共済にとっては追い風になっている――。

 人気の理由は明らかだ、販売する共済商品の安さである。埼玉県民共済が販売する「生命保険」はわずか月2000円の掛け金で、死亡時1000万円、入院日額5000円という保障が得られる。しかも1年経って決算が終われば、余剰が割戻金として加入者に返金される。2007年度の割戻率はなんと35・32%。これを差し引くと、実質的な掛け金は月1294円で済む。この割安さが家計を見直したい消費者の支持を集め、割高な保険から共済へ次々と乗り換えている。

 『共済事業の歴史』(坂井幸二郎著、日本共済協会刊)によれば、生協の父と呼ばれる賀川豊彦氏は戦後まもない1946年、生協も保険事業を行えるよう保険業法を改正すべく、関係省庁への働きかけに奔走していた。一度は「協同組合による保険事業」を認める保険業法改正法律案要綱がまとめられたものの、国会提出には至らず、その後も何度も審議が繰り返されたが、結局、改正法案が日の目を見ることはなかった。当時、審議をリードしていたのは生損保の業界関係者が大半で、協同組合側に立っていたのはわずか1人だった。