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Think Kagawa 賀川豊彦を考える RSSフィード

2008-12-06

賀川先生「卓上語録」(4) 田中芳三編

 人生の目的とは何か
「先生、人は何故此の世に生まれて来たのですか。"人生の目的"とは何でしょうか」
「それはイエスの友の5綱領にある−(1)イエスにあって敬虔であること(2)貧しい者の友となって労働を愛すること(3)社会の為に奉仕すること(4)純潔なる生活を尊び良き子女を養育すること(5)世界の平和の為に努力し、此の地上を神の国とすること」(私の家にて家庭零敗の時)

 天国はあるか
 最近娘を死なせた或る(注)未亡人
「先生、天国は本当にあるのでしょうか、私の子供は信仰を持って死にましたが、天国へ行ったのでしょうかー」
とつめよった。すると、先生は
「僕は、天国とは、此の世の中で他人の欠点ばかりを見てその欠点を裁くことをせず、つとめて長所を見い出して仲良くすることだと信じております」
とお答えになった。婦人は重ねて
「でも死んだら天国はあるのでしょうか」
「僕はあると信じています」(阪和線にて和歌山県下へ伝道に行く車中にて)

 結婚について
「僕はアメリカへ行ったら何時もリンカーンの墓に行く。アメリカ第一の偉人ワシントンに非ずリンカーンである。リンカーンは、どんな困難に出遭っても困ったと云わなかった。けれども只一つだけ困ったことがあった。それは恋愛問題である。彼は自分の好きな女性に逃げられた。それで彼は一生独身で通す積もりで結婚しなかった。その後、州会議員になった34歳の時初めて結婚した。日本人はこうした結婚倫理について学ぶ必要があるね。人間として一番えらい人は誰も見ていないところで"百万円の金と、きれいな女を目の前において、自分の自由に真実に使いこなせる人だ"」(1936年帽子会館で)

 食事の前に饅頭を出すな
「先生、この饅頭はおいしいですよ」
「食前に甘い物を食べると舌がマヒして味がわからなくなり、食べた物がお腹の中で何やらになっていけないのだ」
と六ケ敷いことをおっしゃって食べられず、食事がすむと二つ三つおいしそうにお召し上がりになる先生だった。(私の家で)

 お風呂の中で
 お風呂の湯の中で顔を洗っている時、突然ものすごく大きな声で
「いかんいかん、君、君、いかんよ」
とどなる声。誰かと思って後を振り返って見ると賀川先生! 何がいかんのか、わけがわからずポカンとしている私に
「お風呂の湯の中にはトラホーム菌と大腸菌がうようよしているんだ。僕もそれで目をやられたのだ」
と叱っておいて後に廻って背中を流して下さる優しい先生!(比叡山根本中堂で)

 人生に試練
「山の中に入って木ばかりでは面白くない。桜も常磐木の中にまじって咲いているからきれいなんだ。人生に試練のあるのも、単調では面白くないからだ。竹の節に学ぶことだね」(私の家で)

 四国はね
「奥さん、生まれはどこですか?」
四国善通寺です」
四国はね、サヌキ乞食にイヨ聖人、トサの喧嘩にアワ泥棒と云うんですよ」
「それは面白い歌ですね、どう云うことですか?」
「乞食は弘法大師聖人中江藤樹、喧嘩は犬で、泥棒は○○○○○、僕は泥棒の方だね』(私の家で食事の時)

 心もきれいにするんだね
「君、頭がきれいなように、心もきれいにするんだヨ。近頃の娘さんは耳に輪をつけているが、僕は何もない簡素美を愛するね、耳につけるなら鼻にも一緒につければよいがー、一番美しい芸術は、何もつけていない裸の幼児であり、一番美しい姿は野良に働く農民の姿だね」(私の家で)

 散髪
「先生の散髪は少しへんですね」
「ウン僕の散髪は昔から僕の家内がするんだ。僕は少額の散髪代でも節約して、貧しい伝道者を少しでも助けたいのだ」

  市電に乗ろう
「先生タクシーに乗りましょうか」
「イーヤ市電に乗りましょう、歩きましょう」(1951年大阪梅田駅にて)

 山上の垂訓
「山上の垂訓は、学者やインテリ、富める人には理解されない。労働者や貧乏人にはすぐわかる教えなんだがねー」

 社会的キリスト教
「先生のキリスト教を、"社会的キリスト教"だという人がありますが」
「僕のキリスト教は、社会的でも社会主義でも、何でもないよ。只のキリスト教だよ。僕のはキリスト教の本筋だよ。キリストの運動だよ」

 教会
「教会とは、教える会と書く。教会は教える処ではないよ。教会はエクレシヤ、即ち召されたる者の集まる処だよ。教会と云うと、天理教の教会のような感じがするネ」(1957年夏、摩耶山にて)

 芸術
「人々は芸術だと云って色々のものをこしらえるが、一番大きな芸術は、秋の夜、野原の真ん中に寝ころんで、すすきの間から昇ってくる名月を見る−これが最高の芸術だネ」

 ザビエル
「400年前の昔(1549年8月15日)フランシスコ・ザビエルは日本の伝道にやって来た。彼は王子として生まれたが、その地位を捨てて日本にやって来た。而も彼は乞食の姿をして貧民を助けながら、日本の伝道をしてくれた。日本の伝道者も信徒も、彼に学ぶ必要がある」(1936年、大阪教会で)

 社会党
「長い間、野党で苦労ばかりして来た社会党が、今度初めて天下をとり、一ぺんに大臣になったものだから、何をしてよいかわからず、石炭国家管理だけで3カ月も空費してしまった。僕なら消費組合を先ず最初にやるね。僕は今まで、社会大衆党社会党と頼まれるままに4回政党をつくって来た。今の社会党も高野岩三郎と安部磯雄と牧と3人で創ったものだ」(1949年1月3日、一麦寮にての座談)

(『神わが牧者 賀川豊彦の生涯と其の事業』田中芳三編から転載)