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2009-01-20

賀川と信用組合理論と実践(3)(賀川豊彦学会論叢創刊号 1985年)日大教授森静朗

 賀川の信用組合と保険制度の連携の主張

 昭和13年(1938)発行の産業組合読本のなかで、「信用組合が農村金融機関として任務を十分果し得ざる現状に在るのは、役員に地主が多く、地主の出資高も亦多いところから、自然実権が地主の手に在り、且つ貸付方針が安全第一主義に堕し、対人信用から対物信用化して行くところに重大なる原因があるであろう。しかし根本的には資本主義が老衰期に入って来て恐慌が長期且つ深刻になって来ると、経済界一般が信用に対して非常に鋭敏になって来るから、物質を基礎とせる協同では最も救いが必要な貧困な小作ほど信用がないというので貸付を受けることが困難なこととなって来るのである。所によると地主が組合から低利で金を借りて、小作に高利で貸付けるなどといふことすら起きないものでもない。之を防ぐ道は、産業組合の倫理性が高調され、単なる経済上の協同だけでなく、全生活上の協同にまで進まねばならない。それが出来ない限り、信用組合は真に農村金融の使命は果しえない」(賀川豊彦・山崎勉治共著「産業組合読本」P.187)。当時信用組合が農村の貧しい人々の相互金融よりも、地主の利益を擁護するための信用組合に落ち込んでいることを指摘し、産業組合の倫理性すなわち相互扶助の精神の高揚げを説く。
 市街地信用組合については、「市街地信用組合は、中小工業者が中心となって居る。だから市制の施かれた処や特別に商工業の発達した町に普及している。しかし中小工商業者に限られているわけでなく、農民や漁民や、又俸給生活者や労働者に依っても利用されている。労働者や俸給生活には特に経済資金の融通に役立っている。特に経済力の小さい人々のためには、東京本所の中ノ郷質庫信用組合のように協同の質屋を兼営しているのもあり、文建築資金を貸す建築信用組合もある」(前掲書P.197)
 賀川は、日本に協同組合が発達しないのは、「協同組合資本主義に対し遠慮し過ぎたからであり、無産階級に非常に矛盾した法律が多く出来ている」。政府恐慌が来ると、「5億5、000万円という莫大なる金を資本家に融通して協同組合を破壊し、資本家を擁護する」(賀川豊彦著「産業組合の本質と其進路」P.74)ありさまである。協同組合運動は、「協同組合経済なるものが、全く、社会連帯意識の上に乗っかっているものであって、唯物的生産も、分配も、消費も、総て社会連帯意識の根本精神より湧き出ており」「協同組合経済の発達は、機械文明をも、もう一度明確に精神化する力をもっている」(前掲書P.115)ものなので、精神的兄弟愛の意識を経済に生かした時に、
 第1、搾取を離れたる経済制度
 第2、協同的互助組織
 が現われるものである。
 信用組合において最も理想に近いのは、ドイツのライファイゼン式信用組合であり、「これは、防貧、投貧の2つの道を兼ね、資本の集中を防止し資本の個人的集積を無くなす運動としては最もキリスト教的である。日本のやうな貧乏な国で、約18億円の金が信用組合の手に集っていることを考へると誠に面白い現象だといわねばならぬ。信用組合は是非各種保健組合と連給をとる必要がある。殊に生命保険とは絶対的の連絡を保ち、生命保険による死ぬまでの定期預金を農村及び、商工業者の生業資金に(殊に各種組合事業の資金として〉流通せしめる必要がある。)(前掲書P.169)
 賀川はライフアイゼン式の信用組合が理想だと称える。それはキリスト卦精神に基づくものであり防貧策として、救貧策として資本集中の防止策より役立ちうると述べ、しかし、さらに各種保険と連絡を保つことによって危険性が排除される。また生命保険は死ぬまで必要ないから、それを定期預金として、農村、商工業者の生業資金に流用出来ると言う
第二次世界大戦後の賀川の信用組合に対する考え方は実践性がさらこ増加する。
 昭和22年(1947)発行の新協同組合要論のなかで「ライファイゼン信用組'の特徴」を、
「ライファイゼンは、熱心なキリスト信者であった。彼は、極貧な田舎の家庭の戸口にまで保険を持ち込むといふ困難な仕事をよく遂行したのである。そして中農の生活を強固にし、各種の危険は保険で補償され、安心して後顧の憂ひなく生業に就かしめるという方法を執ったのである。彼は金融によって得た利益を組合員中の最も貧しき者に生業資金として無利子で貸し与へるようにした。」(賀川豊彦「新協同組合要論」P.75)(注14)
 ライファイゼンが努力した農業協同組合保険は、一般の保険事業中に特殊な地位を占めて来た。相互扶助は、都市より農村において特色を有し。ロッヂデールで、作られた協同組合は消費組合であり、そのロッチデール三原則の精神を取り入れて初めて信用組合を作ったのがシュルツェである。次いでライファイゼンが、ライン川の流域のへイデスドルグに信用組合を創設した。
「日本の信用組合は、まだ奉仕献身の心に徹底していないから高利貸のようなところがあるが、ライファイゼンが、特に貧乏な町を中心として信用組合を起したことは、最も意義のあることであった。ライファイゼンの特徴とする分配方法は、キリスト教的分配といふべきものであった。日本の信用組合は、この調子でゆくならば高利貸になる可能性があるが、キリスト教的分配と共産的分配とは、その差は真に僅かであって、余剰価値を最貧者に分配するといふことが、キリスト教的分配の特色である」(前掲書P.76)
 ライファイゼンが、中央信用組合銀行の必要であることを見た上で、中央銀行と中央保険組合とを連結することの重要さを発見する。
 信用ならびに保険の協同組合を設ける主な3つの理由は、
 第1は信用は農村信用組合の借主である組合員の地位を強固にすることである。ライファイゼンは「ある家の勤勉で節約した主人が、農場を手に入れて大部分の金を支払って死んでしまった。死後、寡婦に支払いをつづけ、子供を養育することが困難な場合が起こる。そうした不慮の事態に出会った場合、信用組合は規定に拘束されて援助をすることが出来ない。もし家の主人が、自分の負賃額だけ自分の生命保険をかけておいたら寡婦はその不動産を他人に譲渡せずに、小額の余剰分を与えられて、生活の利益が与えられるだろう」と説明する。
 第2は人的保険を市町村へ導入することは極めて大切である。当時、小作人や小農は養老年金とか生命保険というものを知らず、保険組合は、金持だけを目標としていたので、農村の貧困者は被保険者となる機会に恵まれていなかった。その機会を与えたのが、ライファイゼンの農村協同組合保険組織であった。
 第3は、農村の人々のために保険組合の準備金や基金を有益に使えることで、農村の人々が保険料として保険組合へ払われる数百万円の金が、協同組合組織に戻って来て、その資金を再び融資に用うることが可能だということから農村協同組合の能率は増大し、信用は拡大して、協同組合事業は強化されるだろう。
 ライファイゼンが、信用組合と保険組合を緊密に連動させたところに、信用の安全性が発揮され、最大の効果を挙げることが可能であることが示される。
 このようにライブアイゼンの友愛共助の一方における組織の強化こそ、協同組合の発展を支えるものであると主張する。(賀川豊彦学会論叢 創刊号、賀川豊彦学会 1985年11月)