太陽を射るもの 賀川豊彦

 賀川豊彦『太陽を射るもの』から抜粋

 モント・クレーア公園の東北隅に美術館があった。その前に一基の銅像が立って居た。
 栄一は街に使いに出る度毎に、その銅像の前を過ぎった。その銅像は――亜米利加印度人の少年が太陽に向かって弓をひいて立って居る。その側に彼の父が彼を見守って居るというものであった。それは北米の彫刻家として有名なマクネーアの作で、米国でも有名な彫刻の一つになって居るのである。
 初め栄一は、その彫刻の意味がわからなかった。然し後で米国の美術史を読んで見てその意味がわかった。
 アメリカ印度人の酋長は彼の位を嗣ぐものに必ず弓を射させることになって居る。そしてその矢が太陽にまでも届くのでなければ彼は位を嗣げないのであった。それで酋長は、自分の位を嗣ぐ愛子をして今東天から昇ってくる太陽を射らしめて居るのである。
 愛子は息をこらせて太陽面を凝視して居る。太陽面に、自分の放った矢は届いたか、届かぬか? 矢が命中したならば、太陽面が震動するであろう。今か、今かと待って居る。
 父も愛子の為めに矢の行衛を見守って居る。
 矢は天空を飛んで、太陽面の方に突き進んで居る!
 栄一は緊張した少年の顔と、その父の顔を見比べて、いつもそこに長く佇立して考えた。
 地を嗣ぐものは太陽を射ねばならぬ。太陽を射るものは雄々しくあらねばならぬ。太陽がどれだけ遠くにあろうとも、地の子等はそれに弓を引かねばならぬ。灼熱の太陽に向かい矢を引き、理想の世界を射ねばならぬ。