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Think Kagawa 賀川豊彦を考える RSSフィード

2009-02-15

世界の賀川(4) 宣教師が広めたKagawaの名前

 賀川豊彦は1914年、初めてアメリカの土地を踏む。プリンストンへの留学だった。マヤス先生らキリスト教の恩師たちの力添えによって実現した。片道切符だけの留学で、授業料は免除されていたが、アルバイトをしながら3年間アメリカで過ごした。アメリカ労働組合運動があるのを初めて知った。労働組合運動だけでなく、アメリカのいろいろな側面を吸収した。
 すごいのは、帰ってきてから、また新川に戻るところだ。アメリカの優雅な留学生活、金銭的には苦しかったかもしれないが、きれいな芝生のキャンパスの中で、寄宿舎も多分きれいなシーツがあって、伝染病などからほど遠い3年間を過ごしたはずだ。よっぽどの決心がないと、帰国後、再び翌日から新川で貧民救済が続けられることはできない。1909年に初めて新川に入った時以上のエネルギーが必要だったはずだ。
 賀川は生涯、5回渡米している。そのうち3回はヨーロッパも回っている。だから一度渡航すると一年近く戻ってこなかった。
 賀川が2度目の渡米は1924年。全米大学連盟からの招待だったぐらいだから、すでにアメリカ著名人だった。
 賀川の名が世界的に広がった背景には、賀川の貧民窟での活動と、川崎造船三菱造船のストライキ指導の二つの側面がある。日本にいた宣教師たちは賀川の活動をキリスト教系新聞や雑誌に頻繁に紹介していた。
 アメリカでよく読まれていた「Christian Century」などには賀川の記事が多く掲載された。スイスの個人雑誌である「New Wage」でもたびたび紹介された。フランスの「La Solidarite」というキリスト教誌でも紹介されるなど、賀川は日本人というより、「すごいキリスト教徒」の一人として紹介されたのだと思う。
 キリスト教系の新聞や雑誌は、日本と違って読者のすそ野が広い。英語で出版されれば、世界中くまなく読まれることになる。
ニューヨークタイムスは有名だからといったって、40万部、50万部しか出ていないが、キリスト教の雑誌や新聞は数百万部単位で発行されているからその影響力は計り知れない。図書館に行けば必ずある、教会に行けば必ず置いてあるような雑誌、新聞がある。そういった雑誌に賀川は1920年ごろから頻繁に紹介され始められた。
 日本に多く来ていた宣教師たちが、賀川に感動して記事を書くと世界中で読まれるというわけだ。そういった新聞や雑誌では、当然、ガンジーロマン・ロラン、シュバイツアーの話が掲載される。賀川のことが掲載されれば、それをインドガンジーが読み、だからアフリカにいたシュバイツアーも賀川のことをよく知っていた。『死線を越えて』が日本で話題になったころ、ガンジーはすでに賀川のことを知っていた可能性があるのだ。キリスト教ネットワークの影響力がいかに大きいかということでもある。
 そういう媒体を通じて、世界を動かすような思想家であるとか、活動家、運動家が互いにその存在を知る。そういう話が例えばシュバイツアーと日本人との文通で「賀川というのはどういうやつなんだ」というようなやりとりが出てくる。
 賀川が1924年アメリカに行った時には、相当知名度が上がっていた。1932年にア−キシリングが『Kagawa』という伝記を書いた時より10年も前から、実は賀川の名は世界で知られていたのだ。(伴 武澄)

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