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Think Kagawa 賀川豊彦を考える RSSフィード

2009-03-17

ESDに資するソーシャルワークのの現在・過去・未来

 上野谷 これから加代子の部屋にユヌスさんをお呼びします。二人の話を聞いていかがでしたでしょうか。テーマは「ESDに資するソーシャルワークのの現在・過去・未来」。阿部先生の本から言葉から紹介します。「昨日に目を閉ざす者は真摯に今日は生きることはできないし、明日への夢がなければ今日の思想も活動も支えられない」。持続可能な社会をつくり、発展をさせていくことは歴史に学び、明日への夢を持ち続けることだと思う。二人の講演を踏まえてそれぞれの関心を話していただきたい。
 ユヌスさん、先ほど阿部先生はコミュニティー形成が未来に向けて一番大切なことといいましたが、どう思いますか。

 ユヌス 危機への対応を話されましたが、危機は大きければ大きいほど何か新しいものを生みだす引き金となる。日本でいえば1995年、バングラデシュでは1974年の大飢饉だ。その後、どんな反応が起きたかを話した。災害なら人命救助が必要となる。地震津波、洪水では世界から助けがやってくる。1998年、バングラで史上最悪の災害があった。それらは見えるものだが、貧困は見えない災害だ。毎日起きている。人道的な救済が起きるにはショックが必要だが、貧困に対しては違うレスポンスが必要。持続的なレスポンスが必要だ。あるときボランティアが助けてくれるが、それは最終的なソリューションではない。最終的なソリューションのためにはもっと持続的なものが必要となる。先進国では政府が福祉を行っているが、助けるだけだ。われわれのやっているのは貧困から抜け出すための支援だ。宗教団体やNGOが多くの支援をしてくれているが、われわれはさらに先を行きたい。将来的に支援を不要にさせるサポートだ。
 私はすべての人間は無限の可能性を持っていると考える。最貧の人々でも無限の創造力を持っている。路上で生まれた子どもも宮殿で生まれた子どもも、ともに無限のキャパを持っている。どうしてその可能性を解き放してやれないのか。そう思う。
 上野谷 苦しんでいる人々こそが改革の主体者になるというとらえ方をしないと世の中代わらないという話でした。われわれが一番悩んでいることだ。
 阿部 1998年はバングラの3分の2が洪水で埋まった。毎年、洪水で困っている。この年、世界から日本からボランティアが行った。物資も配った。子どもたちが行列をつくって救援物資の袋を一つずつもらう。私だったらもらった後そっと開けておいしいお菓子をポケットに隠すだろう。バングラの子は誰ひとりその場で袋を開けなかった。大事そうに抱えて帰った。それは家族と分かち合うためだ。実にやさしい子どもたちだ。
 ユヌスさんの話でやさしさを感じた。やさしいという日本語は「憂いに人が関わる」と書く。苦しみをともに分かち合う意味だ。苦しみを分かち合うのがコミュニティーであり「愛」だ。愛するとは理解することだ。愛するとは信頼すること。喜びも悲しみもともにすること。行動すること。正義を愛する。許し合うこと。信頼することならば、ユヌスさんは人をとことん信頼している。そこからユヌスさんの仕事が始まった。協同組合に信条は「ワーク・フォー・オール、オール・フォー・ワン」だ。
 ユヌスさんの話では一人から始まった。人を信頼すると同時に土、その土地を愛している。賀川はスラムに入って、身を粉にして働いたが、そのスラムを出た。そのときどんな気持ちだったか。スラムが原点となって幾多の社会活動が生まれるのだが。ソーシャルワーカーの私としては「なぜ賀川がスラムを去ったのか」という思いがぬぐい切れない。ソーシャルワークの原則は地域から離れないということ。人を地域から離さないということ。
 そこからユヌスさんの新しい理論がつくられている。現在世界を支配しているのは資本の論理だ。戦後の貧しい時代にイワシ一匹のカロリーを分け合った。それが経済発展の時代に入るととたんに競争社会になって互いに蹴落とす社会になった。アジアからはエコノミック・アニマルと軽蔑された。その利益の追求が現在の経済危機を招いている。毎日、世界で2万5000人が飢えで死んでいる。世界の軍事費のわずかを削ればこの人たちを救えるのにそれがせきない。資本の論理は戦争さえ利用する。毎日1200億ドルの金融取引がある。その中で生産活動の取引は10%に過ぎない。
 こういう資本の論理に対してユヌスさんが主張するのは人間の論理だ。人が生きるのはパンのみにあらず。パンは不可欠だが人間はそれ以上の目的を持つべきだ。「持続可能な」という表現を言い出したのはノルウェーのブルントランド元首相。1987年、国連へ提出した「Our Common Future」という報告書で初めて使った。翌年にタイム誌のman of the yearは人ではなく、地球が針金にまかれて海岸に打ち上げられるイラストだった。これが持続可能という言葉を広げた契機だった。つまり地球の問題だ。地球が生きられるからという問題さえ問われた。
 確かに経済グローバル化したが、社会システムは遅れている。このシステムをこれからどうするか。それをグローバルにするためにユヌスさんが打ち出したのがショーシャルビジネス。これまでは投資、出資する倒産リスクはあるが配分を受ける権利を持った。企業はそのわずかを社会貢献に使ってきた。
 ユヌスさんはソーシャルビズネスという。利益配分はない。どれだけ魅力を持つか聞きたい。ソーシャルビズネスの持つ普遍性、可能性はどうなのか。もう一つ、女性が会員の97%といったが、信頼がないから女性に貸した、それだけなのか。女性のエンパワーメントは?
 上野谷 最初の問題は日本はソーシャルビジネスという研究であったり、北欧ソーシャルエンタープライズの研究だったり、あるいは企業の社会貢献、この三つは大きなうねりになりつつある。ユヌスさんにはソーシャルビジネスこそが世界を変えるといっているがその普遍性について。また日本での可能性についてもお話下さい。
 ユヌス 日本には期待しているがまだ話はない。サステイナブルという点が大切。そうでなければソーシャルビズネスではない。持続可能にするために利益は不可欠だが、利益は会社の中に保留される。オーナーは投資金を引き出すことができる。たとえば100万ドルを投資し、5年とかの一定期間の後にちょうど100万ドルを引き出せる。人々の頭の中から投資と利益のリンクを取り外したいと思っている。どうして投資するか、それは会社を愛しているからで、その事業を続けたいからにすぎない。
 ソーシャルエンタープライズとの違いについてだが、多くの場合違いを定義するのは難しい。利益を上げつつ社会のためにもなっている会社があるが、そういうビジネスをいっているのではない。ソーシャルビジネスは個人の利益と切り離したビジネスであり、持続的であり、社会的目的を持っていることが不可欠。ヨーグルトでいえばまったく同じ商品を利益型企業で生産することも可能だ。栄養があって安い。でも利益をあげたいという目的がある。私が社員だったら、年度末にCEOに「いくらいくら売り上げを上げた」と報告するだろう。ソーシャルビズネスでは「何人の子どもを栄養失調から救い出した」と報告することになる。私の喜びは救った子どもの数となって現れるのである。それがわれわれの目的だからである。私は質問するだろう。「去年はうまくいかなかった。どうしたら救えるこどもの数を倍増できるか。ヨーグルトをもっと広めるために投資を増やすか効率化を図るか」。質問も変わるのだ。
 システムも違うから、始めるときにいくら稼がなければならないなど心配する必要はない。子どものことだけを心配すればいい。それから環境のことについても話したい。私はヨーグルトの容器にプラスチックを使うなといった。子どもヨーグルトを食べて健康になればそれでいいというものではない。問題は、貧しい人たちが食べられないものにどうしてお金を払わなければならないのかということである。われわれは現在の技術に挑戦したい。頭のいい人たちがどうして解決できないのか。ソーシャルビズネスは環境的にも社会的にも持続的でなければならないのである。ここらが、ご質問のほかの概念との違いということになる。
 上野谷 そういう意味ではESDが目的としている教育的要素が実践の中に含んでいる感じがした。もう一つ女性の力を引き出すポイントを。
 ユヌス 講演で少し説明した。最初のゴールはマジョリティーではなかった。社会的不正義を質したかった。女性は完全に銀行から取り残されていた。旧来のバングラの銀行ではただの一人も女性の借り入れはなかった。それは間違いだと思った。それで50%は女性に貸さなければと考えた。それが達成できたとき気付いたのは、同じお金を貸した場合、女性の方が男性よりよっぽど家族のためになっていることだった。同じお金で大きな違いが生まれていた。われわれの目的が家族を困難から救うことなら、女性に貸した方が目的を速く達成できると考えた。
 講演でいくつかの例を紹介した。子どもを就学させる目的は100%達成できている。どうして成功したかというと母親に貸したからだ。もし男性への貸付が97%と逆だったらわれわれはまだ就学問題で苦労していただろう。バングラの貧しい家庭における父と子の関係はかなり距離があるが、母親は極めて緊密なのだ。バングラだけではないが大災害で食べるものがなくなったりする時、多くの男は家からいなくなる。子どもを置いて母親がいなくなるなどということは聞いたことがない。母親は子どもが何人いようが、まず子どもに食べさそうと努力するものだ。食べ物があればまず子どもにというのが母親なのだ。
 われわれが女性にお金を貸したことによって女性が力を得て、バングラでこの25年にドラマチックなことが起きたのだ。すべてが変わった。女性の立場も。
人口増加率は3・5%から1・4%に大きく改善した。欲しい子どもの数を女性自身が決められるようになったのだ。健康問題でいえば、25年前はインド亜大陸で最悪だったが、今ではインドスリランカよりいいのだ。女性に力を与えることによって達成できたと思っている。女性にお金を貸すという判断はわれわれが最も成功したことの一つである。
 上野谷 男性は危機的状態になると逃げるそうですが、日本でもそうですか。どうですか。阿部先生
 阿部 インドにこう言う民話がある。母親の馬と子どもの馬と二頭いる。どうやって見分けるか。間に餌を置くと最初に食べるのが子どもの方で、母親は決して先に食べない。保育士看護師栄養士の語源は母親があかちゃんに乳を含ませる授乳ということだ。その母親の愛を専門職は受け継いでいかなければならない。
ユヌス ソーシャルビジネスで言い忘れたことがある。お金はどこからくるのという疑問である。最初はチャリティー基金にチャレンジした。最初、彼らは少額を投資してくれて、なかなかいいということになって金額を増やしていった。たとえば500万ドルの基金があって、チャリティーに出すと一度でなくなるが、100万をソーシャルビズネスに、400万をチャリティーに出すと、1年たっても100万ドルはまだある。1年後に損益やバランスシートを見て、200万投資しようかということになる。チャリティーが不要といってはいない。人道的に緊急に必要な場合も少なくないのだ。だが人道を超え次のレベルになるとソーシャルビジネスの方がうまくいくと思っている。
二番目の資金源は企業の社会貢献会計だ。多くの企業はチャリティーに使っていて、広報活動の一環として利用しているにすぎない。ロックミュージックのスポンサーになって企業のロゴを大きく宣伝している。それはそれでいい、だがほんの少し、ソーシャルビジネスに回してはどうか。会社がもっている技術な人力などポテンシャルをつぎ込んでほしい。そして新しいビジネスの種を生みだすことが出来る。
第三のソースはわれわれ個人の100ドル、1000ドルだ。ソーシャルビジネス・マーケットが将来生まれる可能性もある。たとえば困っている女性のためのビジネスや孤児を育てるビジネスに投資したい人もいるかもしれない。そうした人たちが投資できるマーケットである。重要なのは何をしたいかということ。いったん決まれば動きだすのだ。
上野谷 ユヌスさんはすでにフランスソーシャルビズネスを上場させる実験を行っている。阿部先生、共同募金などもっと考えられるか。日本でも。
阿部 先ほどユヌスさんは福祉の制度が充実すると人々が制度に依存して努力しなくなるといった。日本は残念ながらそういう方向にある。戦後、福祉国家を標榜した。国家責任を強調した。そんな中で共同募金反対運動が起きた。民間の金を使うのは行政の責任の転嫁であると。国家に依存する姿勢を持ち続けているときに、長田区のように助け合ったのは貴重な経験だった。福祉は与えられるのではなく、住民が作り上げていくものだ。日本でいうと、社会福祉の基礎構造を築くのに50年かかった。いまのユヌスさんの話は、文化の話でいうと、日本は多くの援助をアジアに出しているが、日本の不満はアジアの国々は感謝しないというもの。アジアから見ると与えて受ける、恵みを分かち合う、われわれは与える機会をつくってあげている。ありがとうというのはあなたがたの方だという文化がアジアにはある。アメリカの例でいうと与える文化をつくった。日本で一番大きな基金は500億円、ビル・ゲイツは一人で4兆円出している。個人寄付は日本の30倍、税金の申告で寄付控除がある。これを利用している人が10万人いる。アメリカは70%の人が申請している。ヨーロッパは「与える文化」をつくった。アメリカには受ける文化がない。アジアに欠けているのは「与える文化」。日本は両方とも未成熟。これから「与え」「受ける」文化をつくっていく上でソーシャルビズネスは大きな活用になるかもしれない。
上野谷 阿部先生は50年にわたって横須賀キリスト教社会館における活動をしてきた。行政依存を排除するために補助金はもらわないとか、募金活動はしないという自立した活動を続けてきた。二人に聞きたいのは活動を支援してきた仲間、印象的な人たちを紹介してほしい。
ユヌス その前に補足させてほしい。グラミン銀行は貧しい人たちによって所有されている。借り手がオーナーなのだ。お金はどこからくるのか。銀行は預金を集めて人々に貸す。グラミンは国内に2600支店がある。それぞれにやり方がある。預金を集め貸す方法が。新しい支店を開くとき、マネジャーにお金をあげない。その地域だけを与える。12カ月で収支を合わせなければならない。3年も4年もかけてはいけない。80%の支店はちゃんと実現する。できなければ14カ月、16カ月をかけて努力することになる。支店ごとに収支を合わせることになっている。自己完結だ。
貸すためには預金がいる。バングラでは洪水やサイクロンがたびたび国土を覆う。災害の後人々は生活をやりなおさなければならない。その時の原資がいる。そのとき他の支店に依存することは出来ない。それぞれの支店は災害が起きても貸し出しを続けられるようにしておかなければならない。しかも利益を上げていなければならない。経済危機がやってきたとき、われわれの強みは支店ごとに経営できる力を持っていたことだった。
グラミンは毎月1億ドルのお金を貸している。1年で10億ドルを超えるが、これらはすべて人々の預金から貸し出している。グラミンはグラミン・ダノンなど会社に投資している。まさに投資であり、寄付という行為は一切ない。ビジネス環境を自身でつくりたいのだ。女性が自立することはグラミンの自立にもつながる。彼女たちに貸すだけでなく、彼女たちの預金がグラミンに貢献している。住宅ローンもやっている。貧しい女性がリタイヤしても安心して暮らせる。そんな社会をつくりたいと思っている。
上野谷 借り手が株主で、自ら自立するために融資を受けてという互助グループの典型。まさにソーシャルワークだ。行員がグループワーカーのように上手にニーズをキャッチして、話し合いながら新しいプログラムをつくる。このあたりはコミュニティーワーカーの教科書を読んでいるような気がする。ユヌスさんからみてそれはソーシャルワークの展開ではないのか。ソーシャルビズネスの展開にお互いが支え合う。内面的なエンパワーメントをし、コミュニティーを開発していく。われわれの言葉ではソーシャルワークとなるのだがそう解釈してもいいか。
ユヌス それぞれの理解があるでしょう。だが私は違う解釈です。ソーシャルワークには言外の意味がある。人のためにつくり、お金はとらない。グラミンは働いて給料をもらうのだ。ただ行員はお金の貸し借りだけのために働いているのではない。管理職として多くの仕事がある。たとえば「五つ星」制度がある。ホテルのように「一つ星スタッフ」「二つ星スタッフ」がいて、支店もまた「四つ星」「五つ星」とある。貸し出しより預金が上回れば「星」を一つ与える。利益を上げればもう一つ「星」を得る。返済率が100%に達したらさらにもう一つ「星」を得る。支店は約4500人の村単位にあるのだが、その地域のすべての子どもが就学したら四つ目の「星」だ。その村の人全員が貧困の水準を脱したら最期の「星」が与えられる。支店や行員にはお金のためでない責任があるのだ。どの支店に行って聞いてもいい。「われわれは三つ星で、赤星、青星、緑星だ」というはずだ。それぞれの星には色もあるからだ。たとえば「貧困ラインを脱していない家族が200ある。そこを努力している。7カ月を目標に克服したい」といった返事が返ってくるだろう。それがミッションだ。こういうことを通じて行員は昇格し、給料をもらうのだ。普通の会社と同じように行員はこれを楽しんでいる。楽しむという意味ではショーシャルワークと同じだが、他は会社員と同じなのだ。同僚にどうだ「五つ星」もらったぜと自慢したり、おまえの支店よりうちの方が上だなんてことを言い合うのだ。
上野谷 ソーシャルビズネスについて、もっと勉強し社会実験をしなければという思いになってきた。日本におけるソーシャルワークの可能性という意味でもっと接近しなければならないと思う。阿部先生の50年を支えてきた人間はどういう人たちだったか。
阿部 若いとき、大学にいた。大学は居心地がいい。現場に出ることに躊躇があった。優柔不断の私の背中を押したのは妻だった。施設の貧しい住居にいた。雨が漏り、日が差さず、娘がぜんそくになった。犠牲を強いた家族にまず支えられた。一緒に働いた組織では自由にさせてくれた。一緒に働いた職員、家族、何百人といる。同僚であり同志だ。そしてそこを利用して巣立った子どもたち。白井君という友人がいる。私の「もう一つの故郷」という本を最近出版してくれた。この人は50年前に母親に連れられてきた障害児だったが、自立更生した。50年間友情を交わしている。一人例をあげれば女性がいる。ハンセン病で働いていた井深八重さんには決定的な影響を受けた。25年前、NHKで八重さんと1時間の対談をした。途中で、ディレクターが「ご本人の話を聞き出してください」と書いた紙を出した。わたしはムカッとした。見事にひきだしているでしょうと思っていたが、数分後に同じ紙が差し出された。ハッと起こった。八重さんの周辺の話ばかりで、八重さんの喜怒哀楽が語られていないことに気付いた。そこで「いちばん嬉しかったことは」という質問に切り替えた。最期の15分を八重さんが淡々と気持ちを話してくれた。放映されたのが12月25日の朝だった。井深八重は己に厳しく人にやさしくという生き方を貫いた同志社の卒業生。私もその後をついていきたいと思っている。
上野谷 つらい仕事ある。反貧困と叫んでも私たちが貧困に接近して、それをなくす活動に接近しにくいことに対して罪悪感だとか、内省しすぎてうつ状態になったりする。二人の話を聞きながら、いま地球規模で起きているさまざまな課題、とりわけ貧困に、家族の崩壊の問題に接しながら、体をはってでも止めていきたい。きょうはそういう決意をもった人々も多いと思う。これからの後継者についてどう考えているか。
阿部 賀川豊彦が100年前にスラムに入って献身した。大きな影響を与えたのはサミュエル・バーネットだった。バーネットイギリスで最初にセツルメント運動を起こした。社会の改善者に必要な資格は「ポエット」つまり詩人であることといった。賀川豊彦詩人だった。信善美を追求した。詩人であれということは夢を見ろということ。それが若い人に望みたい一つ。なぜか、感性にかかわるからだ。月を見る。いまもウサギがいると思っている。餅をついているのはメスのウサギだ。だから地上のオスのウサギが踊るのだ。子どもの時にそう教わった。いまでもそういう気持ちを持っている。早稲田大学をつくった大隈重信外務大臣をしていたとき、襲撃されて負傷し、自宅で療養していた。看護教育が明治18年から始まるが、その学校の4人が大隈の家に派遣された。大隈夫人が学生にいたく感動して、「患者の意をおさえ、声なきを聞き形なきを見る」と称賛した。なんとすばらしい言葉ではないか。賀川、ユヌス、二人ともその仕事をみるとたくさんの欲求がある。だが「金をくれ」といわれても恵まない。たくさんの欲求の背後のニードを見ようとした。これが洞察であり、感性だ。二人とも実に感性豊か。氷が溶けたらどうなる。「水になる」。正解だ。北国で「氷がとけたらどうなる」と聞くと「春が来る」と答える。答案はバツだが、なんとすばらしいロマンなのか。この夢を豊かな感性を持つ人々を育てなければならない。ホームヘルパーの会合で質問を受けた。「地震が来た、介護していた老人に抱きついた。いけませんか」。私の答えは「いけません。でも逃げようと思えば逃げられたのにそれをしないで老人をかばったのは立派な専門職だ」と答えた。いいたいのは実践を大切にしたほしいということ。体で覚えるというプロセスが大事。私の町の日蓮宗の住職がいる。日蓮宗では百日荒行がある。何をするか。起床5時、就寝11時。1日7回「みずごおり」をし、その間に座禅をし、読経をする。食事は朝晩の2回。1椀のかゆとみそ汁だけ。住職がいうにはまず眠くなり、腹が空く。食堂へ行くと配膳されている。どの茶わんに米粒が多いかみそ汁に具が多いかを見分ける。その席が取り合いになる。それが30日、40日、50日と続く。不思議なことに60日をすぎると、それが変わって風邪をひいた仲間が出るとおかゆを持ち寄るようになる。そうして最後はにっこり笑って分かれた。聖書の言葉に、艱難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むとある。苦しいことに絶えることによって自分を高め、そして希望を生みだす。実践は苦しいがそこに希望が生まれるということでもある。若い人たちに実践を大事にしてほしい。
上野谷 30数年前、民家を借りて地域実践を始めたとき、とても悩んだ。横須賀の阿部先生を訪ねて、飛び込んだ。駆け出しの学者だったが、後から聞いてお父さまが入院していた。それを契機に地域に根ざして実践しなければ学者になれないといわれたことを忘れない。ユヌスさん自身がバングラの若者、世界の若者に求めるものはなんしょうか。
ユヌス 最初にいいたいのは、若者君らはラッキーな世代であるということだ。史上、最もパワフルな人類だ。これまでにないテクノロジーを持っている。親の世代がわからないテクノロジーだ。テクノロジーは平等ではない。若い世代の方がよく知り、もっと速く知り、もっと深く知ることができる。コミュニケーションにおいて特権がある。一人でない。10年後の技術がどうなるか想像できないほど進歩も速い。今起きていることはサイエンスフィクションのようだ。問題はそれをどう使うかだ。これだけは自分で考えて答えを出さなければならない。人生の目的は何なのか。世界的な視野で考えなければならない。もはや君らはわれわれの世代のようにローカルな人間ではないからだ。グローバルな個人だ。毎日、世界の多くの人と通話し、通信できる。小さな出来事があっという間に何千もの人々に伝達される。アイデアがキーとなる。なぜなら君は単なる地球の乗客ではなく創造者なのだ。むかしの人たちはただ町でデモ行進するのが関の山だったが、君らにはパワーがある。アイデアが固まったら実践する。それは特権である。たった一人の人間が世界を変えられるのだ。何のために変えるかは君が決めなければならないことなのだ。地球パイロットならどちらの方向に行くのか決めなければならない。君らはこの地球をどの方向へも動かせるパワーがある。それをしないと地球は漂流するばかりだ。それがパワーと持つことの責任だ。だからこの世界をどうしたらいいかイマジンすることが不可欠となる。最初はどんな世界をつくりたいかのアイデアをリストアップすることだ。それが終わったら実践に移すことだ。だから「プリーズ、イマジン」。
上野谷 今日は歴史に学ぶ必要があるということを確信した。二人の話の通り、私たちが自ら動かなければならないことを学んだ。活動家に戻らなければならない。研究者も実践者でなければならない。実践者も研究しなければならない。お互いがエンパワーメント関係をもう一度、このESDシンポジウム・イン・コウベからつくりあげたいと思った。持続可能な社会づくりは矛盾や葛藤、複雑な問題をはらむだけに私自身も逃げたくなることがある。今日のすばらしい話を聞く中でやはり逃げては駄目だ。あらゆる人々が徐々にいいから接近していく。引っぱってもらっても押してもらってもいいから、接近をして、内からの視線で参加しようではないかという思いになってきた。ソーシャルワークというスキルを与えてもらったから、社会正義と愛とウエルビーングを目指して実践することを再確認し、多元的多層的に協働の関係をつくりながら持続可能は社会にむかって行きたいと思います。お二人の話をどこまで引き出せたか自信がありません。お二人のお話でかんにんどっせということで終らせてもらいます。(完)

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