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Think Kagawa 賀川豊彦を考える RSSフィード

2009-10-20

海と自然と賀川豊彦 濱田陽

 10月10日、「賀川献身100年記念徳島県民フォーラム」が徳島市徳島県郷土文化会館あわぎんホールで開かれ、約300人の会場には市民や関係者が埋め尽くした。テーマは「賀川豊彦の再評価−21世紀のグランドデザイナー」で、元コープこうべ理事長で神戸大学名誉教授の野尻武敏氏が基調講演した。続くシンポジウムでは山下俊史日生協会長原耕造NPO法人生物多様性農業支援センター理事長濱田陽帝京大学准教授がそれぞれコメントした。
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 「海と自然と賀川豊彦
  ◆濱田陽(帝京大学文学部准教授
 まず、この写真は賀川の生家が営んでいた回漕店のありました跡地から撮影した海です。ここで彼の文章を見てみたいと思います。

私の最も好きなのは紺碧の海に沈んで、竜宮のやうに美しい岩壁の穴に手をつき込んで螺蠑(サザエ)を採ることである。(中略)私は幼い時に、阿波小松島の北東の『大神子、小神子』の烏帽子岩に游いで行って毎年螺蠑取りをした

紺碧の深海に私は静かに沈下して行く。私は熟達した潜水者である。私は水面の単調なる波紋に何らの趣味を持た無い。私は海女の如く深く海に没する。何といふ栄ある世界であろう。何と云ふ神秘!
   「黒鯛の眼玉-それは私の眼玉である」『地球を墳墓として』アテネ書院、一九二四

 次のスライドにいきます。これは徳島の海と川の写真です。5歳から17歳まで彼は徳島の自然の中で育ちました。神戸の海と瀬戸内海、そして徳島の海と川の恵みの中で彼は育ったのです。そこで注目されますのが、その宗教観を形成する前に賀川豊彦がこの徳島神戸の海の自然を通じて彼が世界に触れていたということです。次も賀川の文章です。

・・・何が、私を最も印象づけたかといへば、これらの自然的啓示が、私の家庭の凡ての紛糾を越えて、私を神秘の世界に連れて行ってくれた。私は涙の子として育った。然し、雲雀弁慶蟹と、堀の中の娘が、ひとりで遊ぶことをよく教へてくれた。自分でも不思議に思ふほど、私はひとりで遊んだ。

・・・伝統と因襲のうちに育った私は、聖い世界に延らうと努力したのは、中学の四年生頃のことであった。貧乏のうちに、私は、不思議な運命の子として、神聖な世界へ目醒めることをゆるされた。
               『北斗星の招宴』若芽書店、一九四九

 この「自然的啓示」というところに注目したいと思います。そして、賀川は14歳でキリスト教と出会い、16歳で洗礼を受けました。この自然的啓示と愛、自然と信念が二つの焦点となり彼の精神を形作っていったのではないか。そう考えます。
 学生たちも感動するのですが、賀川の素晴らしい文章があります。次の文章です。

海の最も美しいのは紫がゝつた、コバルト色である。(中略)私は鳴門海峡の水の色が最も美しいと思って居る。
海は表面より、表面下に、美があることを再び繰返し言ひたい。
瀬戸内海ほど変化の多い、面白い内海は、世界のどこを探しても見付からないだらう。
海は、人間を寛容にする。何も職業的の人々だけが、海に行けばよいのではない。
自然を好愛する者は、山を愛すると共に、海洋をも愛する必要がある。
静かなるこの夢嵐のうれしさに帽子をとりてひとりぬかづく
瀬戸内海」『銀色の泥濘』桜美林学園出版部、一九四九

 表面の海だけではなく、幼少期より海に潜った経験から、海の中に表面より鮮やかな世界があること、そのことと心の世界に沈潜していくことがパラレルになっていると思います。ここで文明というものの見方について言及してみたいと思います。大陸文明と海洋文明という角度から比較しますと、海洋は遠くにあるものを近くに運ぶことができる。つまり、遠くの人間と近くの人間がつながることができます。海洋文明は貿易の中心でした。これが近代資本主義によって海洋利用の加速とともに、港湾都市の建設や新産業の形成、国の発展が見られます。しかし、負の側面としてスラムの形成・環境破壊、旧来産業の衰退(農村の疲弊)、資源獲得競争や戦争が多発します。この矛盾をなんとか解決できないだろうか。海を愛した賀川はこうしたことを考えたのかもしれません。当時日本最大といわれた神戸のスラムは港の近くに形成されております。奥様となるハル夫人とデートしたのも海の近くです。『死線を越えて』では海辺でプロポーズをするシーンが出てきます。

海べに近く青空仰ぎ、魂と魂は相抱きつゝ空とびぬ、内を思はぬちぎりとて。
「魂と魂−妻に−」『涙の二等分』福永書店、一九一九

 労働運動についても、次のような海のメタファーが出てくる詩があります。

港は一つの啓示である。
混乱の演説会場にも、
威風堂々たる示威運動にも、
港の打ひらいたやうな
大きな啓示は与へられない。
葺合の港に
私は下って行く- (略) 一九二〇・八・六
「港の啓示」『永遠の乳房』福永書店、一九二五

海嘯も、海潮も、洪水も、港布も、凡て声をもつ!
然し静かに注がれる無産者の血と涙も海嘯と洪水に劣らざる大声をもつ!
「大水は声を挙ぐ−八月五日橘分監にて−」同

次の詩は、関東大震災救援の時の彼の叫びです。

私に一人の恋人があります−それは日本です−花の乙女の日本です。誠に日本こそ我等の最も愛する恋人です。
乙女なる日本は魂の底まで火傷を致しました。
・・・浅草伽藍も完全に建ってゐる。その時すぐ私の頭に浮かんだことは 信仰で建てたものは強震にも耐えると云ふことであった。信仰と 正直と 忠実を以て建てなかった明治大正の建築物は凡て振ひ落とされ了った。
・・・太陽が雲間より覗く。すると 東京は儀を逆立てで悦ぶ蘭のやうに見えるではないか?大波よ揺れるが善い! トタン屋根の波よ 海嘯を起すが善い。(中略)江戸東京よ! おまへは灰燼より束の間に甦るではないか?
「おゝ我等は狂ふ」『地球を墳墓として』アテネ書院、一九二四

 賀川は、関東大震災人災も含めて寺田寅彦とともに最も初期に捉え、海洋文明によって形成された都市の脆弱性を見抜いている。そうした文章です。壊滅寸前になった東京がまさしくスラムになっていくのではないか?そうした危機感がありました。しかし、それが甦っていくそうしたヴィジョンもまた彼はもっております。
死線を越えて』以外にも300冊近い著作がある賀川ですが、日本全土のほとんどの主要漁港を回り、ノートをとり、そして漁業の青年を主人公にした心躍る小説『海豹の如く』を書いています。

・・・『いや、鯨のやうに大きくならなくとも、せめて海豹の如く、自由自在に海を深く潜って、波濤も、海流も、鱶も、暴風雨も恐るることなき強いものになりたい』
 さう思ふと、もう彼は海豹になってゐた。
『海豹の如く』大日本雄弁会講談社、一九三三

 スライドは彼がつけていたノートブックです。このノートブックの中に、彼は海への愛情を描きつけていきます。各港の船の様子、魚の様子、こういったノートをたくさんつけています。賀川を「二十一世紀のグランドデザイナー」と呼ばれた方がいます。大変素晴らしい表現だと思います。20世紀では何と呼べばいいのか。「二十世紀東洋の使徒」という呼び方がふさわしいのではないでしょうか。ご存知のように東洋の使徒とは、聖フランシスコザビエル、すなわち日本にキリスト教を伝えた方の呼称です。海洋アジアヨーロッパ、ほとんどの大陸を渡りメッセージを届けた賀川。この賀川こそ「二十世紀東洋の使徒」と呼ぶべき存在ではないでしょうか。
 次のスライドはハワイ移民された方の家屋の写真です。そこで撮影しました賀川豊彦の写真です。海を渡ってアメリカに行く場合、当時はかならずハワイに滞在します。賀川は4度ハワイを訪れておりますが、大小少なくとも150の新聞記事が残されています。

 次のスライドは、1933年に賀川とともに太平洋の架け橋として尽くされた新渡戸稲造が亡くなったときに賀川が贈った印象深い詩です。

大きかったね
その輪郭は−
すっきりしてゐたね
その肌合は
武士道
世界魂を注入した
その気魂は
日本の島に容れるのには
少し大き過ぎたね
「永遠の青年」『新渡戸稲造全集別巻』教文館、一九八七

 これは賀川豊彦そのものにも当てはまる言葉ではないかと思います。松沢資料館にはこの手書きの詩が収蔵されています【スライド表示】。大変力強い魅力的な字だと思います。
ご存知のように、日中戦争太平洋戦争へと至る道を賀川は憂い、民間人としてできるかぎりの活動を行いました。近衛首相の密命をうけて、日中戦争の仲介としてルーズヴェルト大統領に立ってもらう。それによって日米の将来の争いも回避する。この思いを胸にして賀川はアメリカに渡りました。ルーズヴェルトに会い、一度は交渉が実現しそうになったのですが、日本軍の南下によってそれが不可能に終わります。次のスライドは、まさにその使命を帯びて海を渡るときの彼の詩です。

悲しみを忘れて渡る太平洋平和のつなぎむねにひそめて
一九四一・七・三一桑

 海を愛した賀川は、太平洋が戦争の海になることを非常に憂いました。真珠湾攻撃の4,5ヶ月前の詩です。非常に迫力ある素晴らしい詩です。キリスト教といえば教会での祈りを直ぐに思い浮かべますが、賀川は太平洋上が彼の祈りの場でありました。

風通しの悪き
その窮屈な船室の
隅っこに
私の永遠への
途が開かれてゐるよ
そこが私の
修道院だと思へば
暑さも忘れて
私は静座するよ
太平洋上の殿堂
私の修行場
雲と水とが
そこに接吻する
あゝ修道院、修道院!
「私の修道院」『天空と黒土を縫合せて』日独書院、一九四三

 船の中、船室の中が修道院に見立てられています。非常にスケールが大きい。キリスト教の信者でなくとも心惹かれるビジョン、彼の熱意だと思います。あらゆる手をつくした後で、最後には祈りの専門家として平和を祈られるわけです。祈りというものが何であるのか、宗教学の大切なテーマですが、太平洋戦争勃発のまさにその時まで彼は平和を祈っておりました。

火鉢をかこみ
土べたの上に
ひざまづき
祈るは
太平洋
青きを
保ち給へと−
「徹夜の祈り」『天空と黒土を縫合せて』日独書院、一九四三

 神戸の海、徳島の海、瀬戸内海の海から海は世界に繋がっている。国境のないこの視点。ご存知のとおり、賀川の一週間の祈祷が終わり蝋燭の火を吹き消した途端に賀川は真珠湾攻撃の報を受け取りました。

一九四一年十二月、日米戦争の風雲急をつげた時、私達は神田キリスト教会を第一夜として、一週間連日連夜一打続く祈祷会を開いた。燈をつけ、その燈を提灯につけて、祈祷会を持ち廻った。そして一週間の最後の日に蝋燭の火を消した瞬間に、真珠湾攻撃の号外を受取った。この祈祷会は米国ワシントンでも同時刻に一週間、徹夜して祈られたものであった。
「徹夜の祈り」『一九五四年版基督教年鑑』

 次のスライドです。賀川豊彦のヴィジョンを私なりにまとめてみました。自然というものとキリスト教の愛の信念の両者が二つの焦点となって結びつく、これが賀川豊彦です。深い信仰だけではなく、シンプルがゆえに多様である自然から受けとった彼の感受性。キリスト教信仰を持たない大多数の日本人も「自然」という角度から賀川豊彦の世界を感じることができる。また、逆にキリスト教信仰においても、こうした自然に着目する中で育まれたキリスト教の愛とは何であったのかという関心が沸いてくるのではないでしょうか。「愛」と「協同」以外に、賀川は「発明・発見」を非常に重視された方でした。賀川は、自然をみる、レイチェル・カーソンのような驚きの感覚をもっていました。発明・発見が新しい文明を創っていく。その上での愛と協同。自然を観察すると、自然界が協同によって成り立っていることが理解できます。また、愛は、スラムでの生活の中で貧しくても協同し合う人びとの姿をみるなかで賀川が感じたものでもあります。
 さて、賀川は「七つの価値」というものを提唱しております。どのような生命体も「生命を受け、生きる力を得、自由によって、成長し、良いものを選択し、法則にかなった集まりをつくり、生きる目的を達成する」。生命、力、自由、成長、選択、法則、目的という七つの価値です。賀川は、この七つが有機的に繋がったものとして宇宙・世界を観察しています。非常に面白いのは、賀川がこの自然観察から協同組合ネットワークを構想していることです。命を保証する保険組合、生きる力を生み出す労働組合、自由な経済のための販売組合、人の社会的成長を促す信用組合、人生の選択に資する共済組合、社会的な秩序に立脚した利用組合、そして何よりも目的を達成するための高い志に根ざした生活協同組合。これらが、国際協同組合ネットワークを結ぶことによって搾取恐慌、戦争、環境破壊などを克服していくことが賀川のヴィジョンでした。
いろいろな社会の仕組みを考えていくことそのものが、賀川の発見であり発明でありました。賀川が現代に生きていたとしたら発見・発明と愛、協同を大切にしながら新しいシステムであるNGOやさまざまなものを発想されていったのではないかと思います。
 次のスライドは、松沢資料館の資料庫にあるこどものための教材です。海の底に鮮やかな世界があることを示した模型です。賀川の自然と協同組合思想が密接な繋がりをもっているように、自然の観察は世界を変えていくことに繋がります。
 まとめに入らせていただきます。「海の自然と人間」という角度から考えますと、海は海底から山、そして宇宙へと縦軸で繋がってきます。また水平軸では世界へと広がっていきます。海というものは、通商、開発、戦争だけではなく、観光、科学・芸術、文学・詩の対象でもあり、誕生から浄土まで愛や友情、孤独などさまざまな人の心を映す鏡です。トータルに自然を眺め、それによって海から慰めと開放性を得られる文明。そういうものを賀川は望まれたのだと思います。そして美しく、発展し、慰めがある、海の向こうの世界と協同できる海洋都市。賀川豊彦はこういうものを世界へと発信されたのではないでしょうか。豊かな自然の中で育った賀川豊彦。現代の、自然の豊かさを享受できない若者はどうすればいいのか?そういった反論が出てくるかもしれません。しかし、賀川は人間自体を自然として眺めておりました。ですから、本当の漆黒、心の闇、宇宙の闇と申しますのは、自然の闇に繋がっていくものではないかと思います。そして、生命というものを大切にされた賀川ですからそういった人びとと一緒に悩み、メッセージを発せられるのではないかと思います。私は賀川豊彦は素晴らしい人物で、可能性に満ちた人だと思います。まるで自然の中で響く音楽のような方だなあと思います。今日のシンポジウムもどこかでご覧になっているような気がしてしまいます。ご静聴ありがとうございました。

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