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2009-12-04

「おれも入れてくれ」、巣鴨の「もやいの碑」にマンスフィールド大使も

10年前、賀川豊彦連続講座委員会教文館から出版した『賀川豊彦から見た現代』を読み返してなかなか含蓄のある講演録であることに気付いた。東京市社会局長の後、大学で教えていた磯村英一さんの「いま、なぜ賀川豊彦なのか」の一節の内容を紹介したい。磯村さんは賀川のコーワーカーの一人である。
 磯村さんが戦後、まだ役人だった時代にGHQから「一人の年寄りが倒れているからずぐ救助しろ」と命令された。休みの日だったが、浅草まで出かけて公園のゴミの中にうずくまっている年配の女性を病院に運んだ。残念なことにその女性はまもなく亡くなる。亡くなったとたんに骨をどうするかが問題となった。磯村さんは自分が病院に運んだ責任から長くその遺骨を家に預かっていた。そして1980年代に友人と巣鴨に「もやいの碑」という納骨堂をつくって、墓のない人はそこに自由に入れるようにしたそうだ。
 最初の納骨はくだんの女性だったが、「自分たちには墓がないから、入れてくれ」と納骨を希望する人たちが増えて、講演時には「3000人」の予備軍ができたという話した。
 マイク・マンスフィールド駐日大使へのクリスマス・カードにその話を書いたら、「おれも入れてくれ」という返事が来て、まもなく上院議員をやめたからとりあえず「バッジ」をガラスのケースに入れて送ってきたというのだ。
 磯村さんは当然、嬉しかった。
 後日談は続く、今は誰も忘れているだろうが、張香山という中日友好協会の副会長まで務めた中国親日家がいた。磯村さんが訪中した折に、「もやいの碑」の話をしたら、張香山もまた「おれも入れてくれ」といったそうなのだ。
 磯村さんによれば、賀川豊彦がいたら「やっていた」はずのもとをやっただけなのだが、「私はほんとうに、ここにボーダーレスの新しい、大きな役割があるのではないかと思った」と書いている。磯村さんは1997年に94歳の天寿をまっとうした。
 なるほど賀川豊彦顕彰するということはこういうことなのだと思った。いい話は明日も続きます。(伴 武澄)




 【もやい】広辞苑によると「もやい」は「舫い」と書き、元々は「船と船とつなぎ合わせること」。「二人以上の人が一緒に仕事をすること」「共同」とある。「もやう」と動詞でも使うそうだ。

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