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2010-04-05

(2)−賀川の予見

 第一章 賀川豊彦の予見

 賀川豊彦と出会ってからかれこれ9年になります。財団法人国際平和協会の理事になって、本棚にあった機関誌世界国家」を読み、いつの間にか古本屋絶版となった賀川関係の著作を買いあさっていました。中には『賀川豊彦全集』(全24巻、キリスト新聞社)もあって、賀川の書いた作品があまりにも多いことに茫然自失となっていました。

 賀川豊彦の長男で音楽家の賀川純基(かがわ・すみもと)さんが2004年3月28日なくなり、5月8日、四谷の聖イグナチオ教会で記念礼拝が行われました。純基さんとはその1年半前に出会っていました。上北沢の賀川豊彦記念松沢資料館を訪ねたのが秋。学芸員の杉浦秀典さんに「国際平和協会から来ました」と自己紹介すると、「純基がいますから呼んできます」と奥に入りました。
 まもなく純基さんが現れました。1922年生まれだから82歳でした。長身痩躯のジェントルマンは、初対面の私に語り始めたのです。
「父に言われて医学の道を目指したのですが、千葉大学を卒業して、その道には進まず好きな音楽を選びました。父に反発していたんですね。年齢がいってから豊彦のことが気になり勉強を始めました」
 純基さんは熱く豊彦を語りました。印象的だったのはEUの設立に賀川イズムが大いに関わっていたという話でした。ちょうどフランス外相シューマンのことを読んだばかりだったので、なるほどとうなづくところがありました。もうひとつ興味があったのは賀川が関わった多岐にわたる社会事業をマトリクス化した「賀川豊彦関係事業展開図」でした。
「賀川はひどく多くの事業を手がけています。あなたも知っている会社や組織がたくさんあります。これ全部、やみくもに始めたのではありません。賀川にとってはそれぞれが一つひとつ大切で、関連があったのです。賀川イズムの全貌を知るには、賀川がなぜこれらを一つひとつ始めなければならなかったか時代背景を含めて検証する必要があるのだと思っています」
 その年の12月、豊島区で開催された平和の集いでの純基さんに講演を依頼しました。純基さんと3回目に会うことはかないませんでしたが、純基さんの最後の講演は克明にメモをしていました。いまそのメモを起こしてみようと思います。

 賀川豊彦は若いころから平和を願っていました。
 彼の特徴は、ずっと先を見ていたということです。
 昭和12年、自分で出していた雑誌に「平静」という短い詩を書いています。

  私は急がない
  私は慌てない
  私は遅鈍を忌む
  私は予見を欲する


というような詩ですが、ここに「予見」という言葉がでてきます。
 もう一つ『空中征服』という小説を書いています。1922年(大正11年)のことです。テーマは何かというと「大阪の町の空気」なのです。いまでいえば公害です。
 煙突からの煤煙で昼でも暗いと書いています。その公害を征服したいといっているのです。
 これは当時の夕刊紙に連載していたもので、風刺と皮肉がたっぷりです。挿絵まで自分で書いています。ここでも未来を予見していました。80年前に地球公害のことを語り、最後に地球人は地球を脱出して火星に行くといいと言っています。
 1936年には世界経済協同組合的合作を発表します。当時の国際連盟は各国の軍事バランスのことばかり話し合っていました。日米英の戦艦の数が5・5・3だといって論議していた時代に世界経済の在り方を論じていたのが賀川豊彦なのです。
 少し説明しますと、「品目別経済会議」だとか「地帯経済会議」「一国対一国」「局地会議」だとかいう言葉が出てきます。いまのOPECだとかアジア開銀とかいう概念に当たると思います。EUもそうですし、ASEANも地帯会議や局地会議に当たるはずです。65年前にそういうことを考えていたのです。
 戦争が終わって8月15日のポツダム宣言受け入れ後、最初の日曜日、この松沢教会で世界国家の必要性についてすでに語っていました。なぜ戦争が起きるのか、また戦争が起きないようにするにはどうすればいいのかといったことをすでに考えていたのです。若いときにスラムに入って救済を始めたときも、どうして人々が貧しくなるのかを考え、「防貧活動」を始めたのです。
 戦後まもなく国際平和協会をつくりました。世界連邦建設同盟もそのころつくりました。賀川豊彦の言ったことで実現したことと実現していないことがあります。
 EU、つまり前身はECですが、これは1950年のシューマン・プランから始まりました。鉄と石炭を産するドイツ国境のルール地方を国際的管理に置こうという提案でした。賀川は当時、ヨーロッパにいてこの話を聞き、「これは世界国家のひとつのステップだ」とひらめきました。
 先ほど話しました、世界経済協同組合的合作はもともと、ジュネーブで講演した「キリスト教兄弟愛による経済改革」が基礎になっています。この講演は3年内に23の言葉に翻訳され、英語圏だけでなく、スペインフランス中国などでも広く読まれました。シューマン・プランはそれから13年後に生まれたのです。このことについては1970年にECの議長だったイタリアコロンボ外相が日本を訪問するに当たって日本の国会にあてたメッセージに書かれています。
 元日経済学部の森静朗教授は「ECの経済は賀川の協同組合的考えを継承している」とはっきりと述べています。ECが賀川の予見が実現したもののひとつでしょう。公害もまさにその通りになりました。
 賀川の死後40年、世界連邦建設同盟から50年たちました。急がないけどぐずぐずしない。そして先を見通すのが大切なのです。

 以上が私が聞いた純基さんの最後の講演の大要だ。まずは『空中制服』です。

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