命の捨所

2014年に全国の警察が把握した自殺者数は2万5374だったそうだ。賀川豊彦『暗中隻語』に「命の捨所」というコラムがあり、1925年当時、自殺数は1万5000人とあるから、人口比でいえば、日本は今も昔もあまり変わらない自殺大国だ。


 日本には、最近著しく自殺者が増加して来た。恐らくは、今年などは一万五千人も自殺することであらう。東京市では、三時間に八人づつ自殺する者があると云ふことを、新聞紙が報告してゐた。私は日本に於ける、自殺の原因を調べてみたが、その半分までは生理的また心理的病弱に原因する者が多い。そして約一割は厭世自殺である。さればと云つて、気の弱い女が多く死ぬかと云ふに、さうではなく、年若い青年が女に比べて倍近くも自殺するのはどうした事でもらう。私は日本国に向つて強く叫び度い。我々は強く生きねばならぬ。強く生きるのを宗教と云ふのである。即ち日本国民は、宗教的に生きねばならぬ。我々はより強い冒険と、より強い博愛心を持つて、柔弱な都会地方よりも大自然の下に、強く生きて行かねばならぬ。死ぬべき生命は彼処に捨つべきである。北海道の原野と、太平洋の波は、死骸を横たへるにさう狭くはない。猫いらずや細帯に委す生命があれば、日本の若き青年達は、須らく、原野と青海原に、さてはまた貧民と貧民窟に、その生命を捨つべきではあるまいか。(賀川豊彦『暗中隻語』から)

ユズ絞り

 二週間前から、ユズを搾り始めた。60を過ぎた年で初めて知る喜びである。ユズ耕作放棄地ではあるが、許可を得て、ユズ玉を摘み、自ら絞り、金曜市で自ら販売する。すべての工程に関わることの楽しさはやってみなければ分からない。作業場の車庫も車の中も、金曜市でもユズの香りにまみれることは非常な喜びである。
 花卉栽培や果実栽培も楽しいものだと思うが、出荷してしまえばおしまいである。僕らのユズの場合が、お客さんとのやりとりがまた楽しいのである。たぶんユズの香りがお客さんにまで乗り移ってお互いが幸せな時間を過ごすのだと思う。
 僕らのユズはいつからか誰も手入れをしなくなった木である。農薬はおろか肥料もあげていないのに、毎年、きれいなユズを実らせる。いわば自然の恵みなのである。そのユズ玉を摘むことは自然との交わりである。そして金曜市での販売は人との交わりである。二重の意味において嬉しさを感じさせてくれるのだ。
 賀川豊彦はそのエッセイ集『暗中隻語』でオバコの葉脈で紐を織る喜びを次のように書く。
「自然と人間の協力は、或る範囲内に於ては非常な喜びを人間に与へてくれる。丸太小屋、丸木舟、蔓で造つた釣橋、斯うした原始的な人類の創作物は、一面人間の独創的趣味をそゝると共に、自然の賜物の豊なることを深く教へて呉れる。野道を歩いて『おばこ』の葉をみるたびごとに、自然と私の距離が非常に近いことを私は感じる」
 僕らも同じ気持ちで今、ユズを搾っている。(平成27年11月26日)