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Think Kagawa 賀川豊彦を考える RSSフィード

2010-10-08

2009-02-25

ユヌス氏のマイクロクレジット

 2006年度のノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏は1940年、チッタゴンの宝石商の子供として生まれた。フルブライト奨学生として米国に留学、バンダービルド大学で経済学博士号を取得した。在米中に東パキスタンが独立運動を起こし、バングラデシュとなった。独立後母国に戻り、チッタゴン大学経済学長として迎えられたが、国内の貧困を目の当たりにして、「経済学」が貧困解消には役立たないと感じるようになった。

 1974年、大学の近隣の貧しいジョブラ村の調査を通じて、村人たちが高利貸のために生産したほとんどを奪われている実態を目の当たりにした。手始めに、竹製の椅子を作っていた貧しい女性に少額のお金を貸すこととなった。彼女は材料を仕入れる際に高利貸しから借りていた。収入のほとんどが利払いに充てられ、手取り収入はわずか2・5円だった。

 次に彼女と同じような境遇の村人42人に、27ドル(約3200円)を貸してみた。全員がちゃんとお金を返した。マイクロクレジット(少額無担保融資)の始まりはたった27ドルの私財から始まった。

 ユヌス氏の確信は「適切な利率で融資すれば、多くの村人の生活が向上する」というものであった。大手銀行の人たちが決して相手にしない人々にお金を貸すという天地がひっくり返るようなことビジネスにしようと考えたのがグラミン銀行の設立のきっかけだ。

 「グラミン」とはベンガル語で「農民」という意味である。グラミン銀行の設立は1983年。借り手は5人のグループをつくらなければならない。グループ内でお互いに助け合うためだが、同時に返済の共同責任も負う。貧困者、特に女性向けに融資を拡大した。
 ユヌス氏によれば、貧しい人々にとってマイクロクレジットは「ラストリゾート」だから「真面目に返す。返済率は97%にのぼる」という。同銀行の2005年の総収入は1億124万ドル(約133億756万円)で、利益率は13・5%にもなる。現在、661万人に融資しており、うち97%が女性だ。

2009-01-23

賀川と信用組合理論と実践(6)(賀川豊彦学会論叢創刊号 1985年)日大教授森静朗

 協同組合運動は、「もともと意識的な経済運動でなければならない。即ち組合員が、相互扶助と協同の力を意識しなければこの運動を持続し、発展せしめることができない。相互扶助の運動は即ち精神運動である。然し不幸にして戦後日本の各種協同組合は、精神的内容をもたず利益のみを中心として相情らんとする傾向が強い。ここに協同組合運動の堕落がある。」(「協同金融」No.48 P.1 昭和30年5月10日発行〉として協同組合運動は精神運動であり意識の強化なくしては発展は困難であり、現在は利益だけを中心にしているから協同組合は名のみで、形巌化されているのである。
「庶民金融を使命とする信用金庫、信用組合は、いわゆる数字上の成績をあぐることのみ堕して、いつの間にか勤労庶民層から遊離する傾向にある」(「協同金融」No. 49 P.1昭和30年5月25日発行〉となげく。
「組合の理想を常に高い目標におきながら現実の経営をこれに適応させつつ能率の高い運営をしてゆくには、その教育活動とともに、業務の合理化について常に研究と努力を続けなければならない。現状に満足してこうした精神を怠るならば、信用組合の如き規模の小さいものは萎縮のほかはなかろう。金融の正常化の情勢を背景とする銀行等大資本金融機関の攻勢に対しでも所謂庶民金融機関の経営も今後容易ならぬものがあるにしても、信用組合の如き協同組織による金融は、なおも独自の機能を発揮できる。」(「協同金融」No.55昭和31年1月28日発行)業務合理化を一方において推進し、他方教育活動を旺盛にして意識を高め、現状に満足することなくたえず前進する。大資本金融機関との異質性を明確にして、独自性を発揮する。それは協同組織とし寸人的むすびつきであり、連帯感の強化である。
「勤労者、農民、中小企業者の有する資金をその協同組合に明き結集しなければならないが、なお長期資金を獲得するために、火災、生命等の共済協同組合に前進しなければならない。……中小企業協同組合の間に、このような組織ができるならば、信用組合はこれとタイアップして長期貯金が得られ、そして住宅や諸設備の供給ができるであろう。不況は常に中小企業者におおい被さることに対し、我等は自己強化に先ず努力しなければならない。そのーつとして共済協同組合への前進を提唱す」(「協同金融」No.71 P.1昭和32年9月25日〉るものである。
 庶民階層の人々に対する生命共済を協同組合が行ない。信用組合とタイアップさせる必要を提案している。
 賀川は最後に「近頃、信用金庫ばかりでなく、信用組合の経営の任にある者からも相互扶助とか、協同精神と言った概念に捉われていたのでは、庶民金融機関として運営ができにくくなって来たというものがある。果して協同組合の指導精神とされて来た協同組合が不用となったのであろうか。一体、信用金庫なり、信用組合が当初どのような階級によって、又どのような目的をもって、どのようにして組織されたかを省みるべきだ。それは、首唱した理事者があったにしても、それに賛同した中小企業者、勤労者の協力なくしては設立されなかったろう。組織の立前は、組合員のため、組合員による、組合員の協同組合であらねばならなかったことは、準拠法たる中小企業協同組合法の明かにしているところである。銀行等の金融機関に相手にされない、物的担保力の低い階級を組合員とする信用組合は、その本質上、その団結と協同によってのみ信用力を創造し得るのである。その精神の振興のために教育活動が重視されることは組合の本質上の要請である。先進諸国の協同組合運動者が、教育活動の伴はない協同組合は、協同組合でないとさえ切言しているのはこの故であるので、協同精神こそ組合たらしめる根本理念である」(「協同金融」No.73昭和33年1月1日発行〉と協同精神こそ、組合の根本理念であろうとしている。
 こうした努力を続けけた賀川は昭和35年(1960)4月23日上北沢の自宅において逝去する。木立義道氏は「賀川豊彦と協同組合運動」(注15)のなかで、「先生の社会思想において、新社会の基礎づくりとして、精神運動としての伝道は窮局において神の国の理想をアピールし、人類の精神的悔改めによる匙生を促すものであるが、社会運動としては、なかんずし労働組合と協同組合の組織による共同社会の育成にとくに熱心であった。」「協同組合に対しての先生の見解は、指導理念において、よく徹底した自治共助の精神と、道徳的、平和的要素を有つものとして期待をかけられた。蓋し社会の進歩は国家権力によるよりも、組織あり、教養ある民衆によって促進されるものとして、個人の人格を重んずる点に、協同組合の社会運動における価値を高く評価した。」
 信用組合について、「賀川先生は、独逸ライファイゼン系統の信用組合を実際に視察されて、その組織運営における相互扶助の精神ιその組合員に及ぼす道徳的感化に感銘され組合の経営にもその精神を高調された。事業的に急速な発展を見なかったにしても、健実な経営を特色とした。」(木立義道「Kagawa賀川豊彦と協同組合運動」P.101〜111)と賀川の人柄を叙述している。
 賀川の一生は波澗に富んだものであった。貧民窟に身を投じて「貧民心理の研究」を書き、階層分化の過程のなかで貧民窟に転落する人々を注意深く洞察し、しいたげられた人間のなかにも相互扶助の精神のあることを知り、そのなかから生まれるお助け無尽のあることを発見する。貧民はいくら努力しでも貧困であり、高利貸、質屋の利益追求の餌食きであり、貧困は貧困を再生産し、富める者は増々それらを犠牲にして富んで行くことをつぶさにながめる。貧民窟に入ったら最後娘は身売りに出され。病苦のなかにただ死を待つ人々が多数いることを発見する。神を説くだけでは救うことの出来ないことを知った賀川はアメリカで労働組合運動の整然と行なわれているのを見て、これこそ貧困を救う唯一の方法であると考え帰国後、労働組合運動に活躍する。そのプロセスの進行中労働組合の過激化と厳しい弾庄によって、労働組合運動から農民運動に移る。貧困者の前身は農村の貧農であり、この農民を救済するためにも農民組合以外にないとしながら全生涯を農民運動にうちこんで行く。しかしさらに貧困者の防止と救済のために金融機関の必要性を認めて、中ノ郷質庫信用組合の設立に尽力し、2代目組合長となる。ライフアイゼン式の信用組合に傾倒し、協同組織は人類の目的とするところで、相互扶助、共助自治こそ民主的に洗煉された人格の集合体となる。それは1つの組合のものではなく全人類のためのものであり。国を超えた人類愛によるものである。
 信用組合の創始者ライファイゼンも宗教家であり。賀川もまた鉄を熔かす宗教的情熱をもった協同組合運動者であった。多くの信用組合についての論者も挙げるものが多いなかでで、、賀川は、貧民という現実を捉え、高利貸から貧民を守り、貧困への防止策として協同組織による組合金融を発見する。一人は弱し、しかし集まれば強くなる。そのために意識を強め、団結を固めなければならない。その潤滑油として教育活動の推進を提唱する。
 また信用組合と共に共済生活保険の協同組合によって行なわれるべきであることを強調する。賀川の考え方のなかに、明日の理想とが夢をとくよりもその日どう生きて行くかという多数の貧しい人々の問題がある。革命には時聞がかかる。人間の生命は5、60年であり、そのなかで明日だけを夢みて、何ら得るところもなくただ国家の弾圧と、多くの人々の犠牲だけが残されるとするならば、果たして多くの人々に利益となることができるだろうか。そして、現実の問題をどう解決し、どう対処することが、多くの人々に利益となるかという点に腐心しながら結局それは現世の中で亨受出来る最大のものを獲得することであり、それは組合運動にもなり、自分達の手で出来るものは他の干渉を排除して、相互連帯の責任で実行すべきであるとことを強調して一貫して主張しつづけた協同組合活動であり、信用組合運動であった。(賀川豊彦学会論叢 創刊号、賀川豊彦学会 1985年11月)

2009-01-22

賀川と信用組合理論と実践(5)(賀川豊彦学会論叢創刊号 1985年)日大教授森静朗

「庶民金融解決のため」のなかでは、「中小企業者は事業資金の不足に苦みしみ勤労者は家計のやりくりに悩んでいるにかかわらず大衆の貯金が郵便貯金や銀行預金となって幾千億円もの金が大企業に吸収されている。国民の大部分を占める中小企業者や、勤労者が団結し協同して、僅かの金でもこれをお互いの組合に結集すればこのような不合理を防ぎ、金融難を解決し得るのでありますが、この判り切った事柄が割合理解されず、理解されたにしても、実行され得ないのは何故でしょう。それは事業には誠実にして着実な役職員に人を得ないならば、却って、多くの貯金者に迷惑をかけるようなことになることが、大きな障害の一つになっているからであります。」(「協同金融」No.38 昭和29年5月10発行 P.1)
人材とその理想にむかつて進む人々の必要が組織金融の発展を支えるものである。前田繁一氏も、また、
「何時になったら生活が安定するのだろう。いつになったら楽な生計が営み得るのか、大正の時代から昭和も既に28年という今日に至迄、我国の最も大きな悩みは依然として庶民階級の生計上の苦難である。……国民の絶対多数を占める庶民階級が依然として金融難にあへぎ、依然、として生計に苦しんでいるのはどうしたことか。端的にいえばこれらの制度、施設を運営するのに『人よろしきを得ない』の一語に尽きるだろう。……人、人、何事を為すにも人で、あり、人よろしきを得ることである。」(「協同金融」No.27日召和28年2月20日発行)と組合金融、庶民金融に対して、人を得ることの必要性を強調する。
賀川は、「協同組合の旗の下に」のなかで、信用組合が信用金庫に転換する過程にあって信用組合にとどまる理由について、「今は数多い庶民金融機関の中に、中ノ郷質庫信用組合が、敢えて、協同組合に固執しているのは何故でありましょうか? 又質庫事業を公益質屋の如き福祉事業とせずして、協同組合事業として経営しているのは、何のためでありましょうか、申すまでもなし、信用協同組合は中小企業者や勤労者が、小さいながらにもお互いに信用を持ち寄り扶け合いにより金融を図ることを目的とするもので、それは営利を目的とせず又直接国家からの補助、助成によって経営するものでもありません。その組織と運営の精神は、常に自助と協同を標語として組合員による民主的、自主的に経営を為すことを信条とするものであります。このような自主的精神を協同組織とは、今日の我国の社会組織に於いて最も必要とされているところのものであり、又将来健全なる民主的国家を育成するについても、その社会的基盤とならねばならぬものと考えられます。新しい社会国家が、政治的な変革によってのみ達成し得られると考えるのは余りに性急に過ぎます。必要なことは寧ろ民衆の自立的精神と社会協同の実際的訓練の伴って来てこそ、はじめて築かれて行くものであります。このような準備と教育を欠いて、権力によってのみ招来された社会は、再び封建的官僚国家に陥る危険がないと、誰が保証し得られましょうか、協同組合の持つ本質的な意義は協同組織とその精神が、このような価値を有する点にある。」(「協同金融」No.38 昭和29年6月15日発行〉と官僚の統制に対する反発と、自助自治の精神こそ協同組合による組合金融の教育的成果から生まれるものであると協同組合金融の意義を強調する。協同組合は一つの単位のものではなく、「世界の全人類が連帯的に、一協同体につながっているものであることを、最も現実的に示すものが国際協同組合である。それは台所につながり、各人の胃袋につながる。協同組合は営利を目的とせず、資本の集中を排除し、権力の専断を認めず、金銭や資源以上に人格を重ずる人格至上の民主主義を主張する。協同組合は自由統制による生産消費の企画を計り、失業と不況を絶波し物価安定と生活の向上を目的とし、国際平和なくして真の消費経済の成立し得ないことを、最も早くより世界に宣言している。故に国際的に拡大強化することは、やがて世界平和の基礎をなすものである。」(「協同金融」No.41 昭和29年8月23日発行P.1)と協同組合の国際的な拡大と連帯感を人類に及ぼすことを使命とするものであると述べる。
人類の平和は、「人類の連帯意識の教育を除外して不可能であり。それは幼児の教育から始めなければならない。……人間は永久に、下劣な感情の支配に置かれべきではない。人間は真理と、善意と、美感を求める生物界の霊長である。幼い時から人類の協同連帯意識を教えこまれるならば平和な協同社会は必ず招来されるであろう。」(「協同金融」No.42 P.1昭和29年9月23日発行〉

2009-01-21

賀川と信用組合理論と実践(4)(賀川豊彦学会論叢創刊号 1985年)日大教授森静朗

 中ノ郷信用組合後経者としての賀川

 中ノ郷信用組合生みの親で、ある賀川は、昭和21年(1946)1月29日に組合長に就任する。昭和27年(1952)11月25日の「協同金融」(注15)のなかで協同互助の金融と題して次の巻頭言をのせている
「人のいやがる戦争で産を興したり、経済危機の虚に乗じて高利をむさぼったりすることは誰が考えても悪いことに違いないが、溺れるものは藁でも把むのたとえ通り、其の渦中に落ちこむ例は枚挙に違がない。
 市井に喧伝さるる金詰りの声は既に久しく当局の諸施策にも拘らず、益々窮迫を告げる。此の窮迫の中から協同金融の要望が湧く。銘々一人一人の力は微弱でも団結すれば強くなる。この組合は昭和3年6月14日創立以来、終始一貫。隣保協同の建前を崩さず、戦災の試錬にも之を実証した。
 罹災十日後には貯金の全面的払戻しを初め、其の後の再建整備に於ても、封鎖貯金、出資金の切捨を一切行はなかった。これが協同主義の強味でなくて何であろうか。信用の基礎に人をおくか、財貨におくか、勿論人格高潔の士が人に信ぜられ、然らざるものが不信を招くのは当然であるが、前者にも世間から相手にされる不遇な者がないとは云えぬ、殊に金融面には其の例が乏しくない。困ったことである。併し銘々一人一人の力ではどうすることも出来ない。
 この組合の貸出方針が余り竪過ぎると云う非難を偶々耳にするが現下唯一の資金源である貯金の安全を護るためには放漫な貸出は出来ない。だが堅いばかりが能ではない。お互いの資金を互いが利用するのであるから、協同主義の建前を崩さぬ限り、煩鎖な手続は出来るだけ省略して、臨機即応の融資を行う組合金融の妙味を生かさなければならない。釈迦も「縁なき衆生は度しがたい』と歎いた。組合に加入し、之を利用するにしても、その狙いが外れて求めるものが得られない。たとえ十円札一枚ずつでも、余財を蓄える覚悟があったら不如意の特に相応の金が出る。斯かる事前の用意は隣保協同の前提になるが、其の逆では機縁となり得ない。諺にも『蒔かぬ種は生えぬ』と言う。組合はお互いがお互いのために組織した金融機関で、あるから搾取のない代りに常時其の支柱となり協力となって之を育成して行かなければならない。」(「協同金融」No.25 P.2)
さらに昭和27年(1952)12月25日の協同金融のなかで「労働街の金融組織」と題して、
「東京では毎日約600通の不渡手形が昭和27年の春には出ていたが、その年末には1日800通を越えるとのことであった。中小工業者の金詰りは近頃は大工業まで波及し、朝鮮動乱で一時芽をふいていた小工場もまた近ごろはだめになった。日本の工業の特質上大きな工場から発注してもらう下請工場が家内工業的な性質を持っていることは、東京、大阪、名古屋その他の工業都市の社会経済組織を見ればよくわかる、……中小工業者の金融が戦後相互銀行という世界にも珍しい金融組織となって現れた。相互銀行は、日掛貯金を中心とする。相当に高利なものであるが、終戦前日本に発達していた特殊金融に無尽頼母子講がある。昭和の初め日本の国家予算が年14億円のころ無尽頼母子講の運用資金は一年約40億円と見積られていた。兵庫県と、長野県が最も頼母子講の進歩している地方である。……私は、神戸の貧民窟に十年数住んでいて、この無尽頼母子講の共済組合的使命を発見して驚いたことがあるが、庶民階級のあいだに普及していることは想像の外である。
 無尽頼母子講を組織し得ない無産者は質屋通いをする。今度も厚生省は公設質屋の金として2億円をあてにしているということであるが、最近全国に質屋に数がふえたのは驚くべきことである。東京では、昭和2年ごろ、約1、600軒の質屋があって、6億円の金融をなし、月1割の利息を取っていた。それで、これらの金融業者が1年間うける利息は11割以上に達している。公設質屋の利息は月3分、年3割6分になっている。しかし、公設質屋の一口の貸付けの金額が少ないため、借りたいけれども借れないという現状にある
 『土方を殺に刀はいらぬ、雨の三日も降ればよい』という歌が、関西の細民街で、歌われている。その通り関西では、五月雨が降るころ、関東では10月の長雨が続くころ、質屋は大繁昌する。……私は同志とともに、日本でただ一つの存在である。「質庫信用組合」を東京の労働街で経営している。信用組合で金を集め、それを質に置きに来る人に貸してあげるのである。そうすれば、公設質屋で困っている金融を民間金融によって容易にすることが出来る。昭和26年4月1日から昭和27年3月31日までの4980人の質庫利用者の研究をして見ると、1000円以下を借りに来た者が49.7%、その平均金額410円、利用者実数2477人、3000円以下32.9%実人員1692人、平均金額1800円、5000円以下3000円まで9.2%、15000円以下10000円まで1.5%というような統計を示している。私が犬正3年に調査した時日本全国の質草が一件平均が約1円40銭であったが、今のインフレ時代においても、下層階級の金融が、昔とあまり変らない。」(「協同金融」No.26 P.3)