かごぼん具'

おでかけにっき

真夏の佐渡島ツーリングでだらだらいかせて・後編

こんにちは。7月の三連休にバイクで佐渡島へ行ってきました。
前編の続きです。

実は佐渡へ来るのは初めてじゃないのです。10年くらい前に電車+ジェットフォイル+観光バスで金山、尖閣湾、たらい舟の三大佐渡観光名所を制覇したので、今回その3つは観ないつもりでした。ところが涼しい高原からスカイラインを下ってきたところ、猛暑に耐えられなくなって金山に緊急退避。地下は気温10〜13℃で寒いくらいでした。

佐渡金山 宗太夫坑コース

佐渡金山には、宗太夫坑コースと道遊坑コースがあります。前者は由緒正しい観光地、後者は産業遺産といったところでしょうか。前回訪れたときはツアーに組み込まれていて宗太夫坑コースしかなかった気がします。今回時間がたっぷりあるので共通券で両方観ます。

ろう人形の坑夫たちが休みなく働いてます。


何故か、硬貨が

特に御利益は無いと思うのだけど、ここにお金投げる人はどういう心境なんだろう。

休憩所

時々「なじみの女に会いてぇなぁ」とかつぶやいてます。10年前も同じことをつぶやいてました。

坑道を出て、展示館へ向かう渡り廊下

右側の茂み、よく目を凝らすと…あんなところにも!

坑夫が金をネコババしないよう、計量しているようです。

石英の中に混ざっている砂金

金だけじゃなく、銀や銅も採れたとか。

坑道の断面図

海水面より下へ人力で掘るとか信じられない。人の欲というものは止まることを知らないのか。

小判

この他に重さ12.5kgの金塊を直に触れる展示もありましたが、人垣が厚くて近寄れなかったので割愛。

佐渡金山 道遊坑コース

モロ観光地の宗太夫坑コースと違い、飾り気のない坑道がほぼ当時のままで保存されてます。

ひっそり

一年を通じて気温がほとんど変わらない坑道を地元の酒蔵が貯蔵庫として利用しています。

金鉱を満載したトロッコが通った坑道

閉山当時の鉱山事務所とトロッコけん引車を整備していた工場の建物が残っていました。
内部は資料館となっています。

10分ほど歩いて登ると神社があって

その後ろに道遊の割戸があります。

江戸時代、山の頂上に金鉱脈が発見され、採掘しすぎて岩山を堀り割ってしまったのです。洞窟もすべて金採掘の跡。


この場所はトロッコの待機場所でした。ここから日本初の空中索道を経由して、ふもとの浮遊選鉱場へ送られてました。
いまは樹木が生い茂っていますが、閉山前はちょっとした街があったみたいで、その当時の石垣が現存しています。

北沢浮遊選鉱場跡

金山を下って、つき当たりの佐渡奉行所跡を右折して更に下ると、金鉱を選別していた工場跡があります。
東西115m、南北80mの巨大工場は当時東洋一の規模でした。

戦時中、東南アジアから石油を買うためにはドルが必要だったのですが、戦争相手の通貨が当時の日本にあるわけないので、代わりに金を売って石油を買っていたそうです。石油を大量に買うために金も大量に採掘する必要があったというわけです。

奥が旧選鉱場、手前が新しく作られた選鉱場。

いまはどちらも廃虚ですけど。

何かの貯蔵タンク

石炭発電所跡の建物はギャラリーになってます。

インクライン

貨物用ケーブルカーですね。

50mシックナー


金銀を含む泥水状の鉱石から水分を分離して、隣の浮遊選鉱場へ送っていました。

思いがけず観光地っぽくない金採掘の産業遺産を見学することが出来て、猛暑も少しは役に立ったかな。

海沿いの民宿で海の幸をたらふく食べたよ

2日目の宿は七浦海岸の民宿敷島荘です。

水平線に沈む夕陽を眺めながら風呂で汗を流したあとはおまちかねの

夕食

すごいごちそう!

おなかいっぱいになったあと海岸沿いを散歩しました。

海の向こうに沈んだ太陽の光がまるで後光のように紫色の空を照らしています。きれい。

明けて7月18日、最終日

朝食

シンプルながらツボをおさえた構成です。イカの塩辛は美味すぎて、お土産に買って帰りました。

3日目は特に決めてなかったのですが、帰りのフェリー出港が正午すぎで時間があったので、小木のほうへ足をのばしました。

昭和の観光地 経島・矢島


地形的には美しいのだが、入り江をよく見ると藻が伸び放題、磯には黒くてすばしっこいミスターGの親戚みたいな虫がうじゃうじゃいて好い気分にはなれなかった。アクセス道路が幅2m両側建物では観光バスも入って来られないので、これ以上発展させようがないのだろう。ここだけ昭和なのかもしれません。

最後に辛口なことを書いてしまいましたが、だらだらと走って撮って食べた佐渡島ツーリングはいい旅でした。猛暑を除けば。

それでは、皆さんもいい旅を!
アデュー!