10.26 引っ越しご案内
ご無沙汰しています。
「日記」は下記に引っ越しました。
お立ち寄りください。
ほんまに日記 【奥】のおじさん
http://hiranomegane.blogspot.jp/
元書店員 平野義昌拝
週刊 奥の院 9.30
■ 穂村弘 『蚊がいる』 メディアファクトリー 1500円+税
歌人の随筆集。
● 蚊がいる L25(リクルート)連載(2008.4〜09.8)
● かゆいところがわからない 週刊文春(2011.3〜13.6)
● マナー考 読売新聞(09.6〜10.3)
● 納豆とブラジャー GINGER L(10.1〜13)
○ 特別対談 ×又吉直樹
ブックデザイン 横尾忠則
「蚊がいる」
文房具の話で始まる。大きな文房具屋さんで美しい文房具をながめていると幸福。家にそのような文房具があることを想像する。
「美しい、整った、静かな、優しい世界……」
だが、文房具の世界から一歩外に出れば、
「そこには混乱と不安と苦痛が充ちている」
どんな世界?
たとえば、寝不足。睡眠の足りない体で活動するのは辛いが、眠れるとしてあと何時間しか眠れないというのはさらに苦しい。
或いは、数学。苦手。得意な友人に訊くと、もっともがけと言う。
また或いは、蚊。睡眠中に蚊がブーンと。何時間か後にはおきなければならないのに、蚊をやっつけなければ眠れない。
生きる力の最後は「これ」しかないのだろうか。寝不足=自分自身が相手でも、数学が相手でも、蚊=虫が相手でも、最後の最後はぐちゃぐちゃの苦しみのなかを「ただ頑張る」ことでしか対応できないものなのか。みんなそうしているのか。……
雑誌やテレビのなかでは、「苦しみ」は感じられない。
「あれは嘘?」
文房具を並べているとき、「世界は美しい、整った、静かな、優しい場所に感じられる。あれは夢?」
最後の最後には「ただ頑張る」しかないのなら、誰かはっきりと私にそう告げて欲しい。でないと、踏ん切りがつかない。私は大きな机の上できれいな文房具たちをいつまでも並べ替えていたいのだ。
「他人の絆」
本屋の話が出てくる。知人の話。
和服の「おそろしく綺麗な女」が来店。
「この店でいちばんエロい本をください」
反応できずにいると、
「いちばんエロい本をもってこいって云ってるんだよ!」
と怒鳴られた。
彼女は刑務所にいる彼のために本を買いに来た。
……
うーん、と思う。凄い話だ。そんな用件なら手下の男たちを使いに出してもいい筈なのに、自分の男のために彼女が自ら出向いてくる。それってやっぱり愛情なんじゃないか。
穂村が会社勤めをしていた時の話。後輩の女性と残業。帰ったら何をするのか訊ねると、「釣りです」と答えた。
無職の彼氏が彼女の家に転がりこんで、家族ともうまくやっていて、彼の仕事は最寄り駅まで家族全員の送り迎え。彼女は毎日彼の弁当を作ってきて、夜は一緒に釣りに出かける。
彼女的にはそれでいいのかなあ、と思ったけど他人の絆に口は出せない。……結局、私には踏み込めない領域なのだ、と感じつつ、悔し紛れに訊いてみた。
「彼のことが好きなんだね」
「まあ、禿げなんですけど」
……
彼女のことを「なんて男前な女の子なんだ」と思った。
対談相手・又吉が鋭い。
本のタイトルについて、
「もしかして放哉ですか?」
(穂) 〈すばらしい乳房だ蚊がいる〉ですよね。僕はそれ、すっかり忘れてて、うわ、しまったと。
「蚊がいる」という言葉に、普通の人は「そりゃいる」と思う。しかし、テレビや雑誌の中に「蚊はいない」。ドラマのラブシーンで「蚊」が出てくることはない(ラブコメならあるかも)。その世界では「蚊」はないことになっている。でも、それを「いる」と言うことができる、本当のことを言ってしまう。世間の常識(?)に対していらんことを言うてしまう。
(穂)素では云えないから、お笑いというフレームがあったり、詩や短歌という言語表現のなかだとちょっと許されるんですよね。ギャグとかに切り裂かれて、本当のリアリティが一瞬だけ見える。でもその合意点は一瞬で、また、もわーんと元に戻ってしまうんだけど。
■ 『さようならは小さい声で 松浦弥太郎エッセイ集』 清流出版 1300円+税
『暮しの手帖』編集長、「COWBOOKS」代表。本書は「すてきなひと」をテーマにしたエッセイ集。どの話も美しい恋愛小説のよう。
「あなた一人を、誰か一人を、想って書くこと。書くものすべてが、あなた一人に、誰か一人に宛てたラブレターでありたい。……」
「さよならは小さい声で」
小学校時代の初恋。学童保育の先生。
友だちと口ゲンカしてすねていた僕を、先生が見つけてくれてそばに座ってくれた。
学童保育の時間が終わる。まだむくれている僕を、先生が抱いてくれて、「秘密のさようなら」をして帰ろうと言う。
「あのね、小さい声でさよならを言うの。秘密だから誰にも聴かれないように、ちっちゃい声でさよならを言うの」
……
この日、僕は生まれてはじめて、人に恋すると胸が痛くなることを知った。九歳の時だった。
(大人になっても、僕は「さよなら」が苦手。相手への思いがあるほど言えない)
……そんな時、必ずT先生のことを思い出す。そして、「さよならは小さい声で」とつぶやく。さよならは小さい声で。
◇ うみふみ書店日記
9月29日 日曜
妻に100円玉をあちこちからかき集めてもらう。
古書波止場さん、近所の「ジャパンブックス」さんも助けてくださった。
ありがとうございます。
ブログ最終日の原稿用意。
「海文堂書店絵図」を見ている。
「海文堂ありがとう!! WE LOVE KAIBUNDO」の文字を発見。
函入り(630円税込)は売り切れました。袋入り(525円税込)になります。
閉店放送の後、お客さんたちが店の前で「海文堂コール」、「ありがとう」の声援。シャッターが閉まるまでいてくださいました。こちらこそ感謝いたします。
NR出版会「新刊重版情報」Vol.452の「書店員の仕事」に書かせてもらいました。
「本屋の灯」を消すにあたりまして
近々NRのHPにアップされると思います。 http://www006.upp.so-net.ne.jp/Nrs/top.html
HP、ブログの契約は11月までだそうで、このまま続けてもいいのですが、区切りはどこかでつけないといけません。9月30日アップして一旦終了いたします。
書きちらしてきました。ご覧くださった皆々様に心からお礼申し上げます。
今後のことは未定ですが、ブログはどこかに居候させてもらえると思います。
私は還暦のじいさんなので、松浦弥太郎さんのようにはいかない。
普通の大きさの声で申し上げます。
では、皆さん、さようなら。ありがとう。 海文堂書店 平野義昌
週刊 奥の院 9.30
■ 穂村弘 『蚊がいる』 メディアファクトリー 1500円+税
歌人の随筆集。
● 蚊がいる L25(リクルート)連載(2008.4〜09.8)
● かゆいところがわからない 週刊文春(2011.3〜13.6)
● マナー考 読売新聞(09.6〜10.3)
● 納豆とブラジャー GINGER L(10.1〜13)
○ 特別対談 ×又吉直樹
ブックデザイン 横尾忠則
「蚊がいる」
文房具の話で始まる。大きな文房具屋さんで美しい文房具をながめていると幸福。家にそのような文房具があることを想像する。
「美しい、整った、静かな、優しい世界……」
だが、文房具の世界から一歩外に出れば、
「そこには混乱と不安と苦痛が充ちている」
どんな世界?
たとえば、寝不足。睡眠の足りない体で活動するのは辛いが、眠れるとしてあと何時間しか眠れないというのはさらに苦しい。
或いは、数学。苦手。得意な友人に訊くと、もっともがけと言う。
また或いは、蚊。睡眠中に蚊がブーンと。何時間か後にはおきなければならないのに、蚊をやっつけなければ眠れない。
生きる力の最後は「これ」しかないのだろうか。寝不足=自分自身が相手でも、数学が相手でも、蚊=虫が相手でも、最後の最後はぐちゃぐちゃの苦しみのなかを「ただ頑張る」ことでしか対応できないものなのか。みんなそうしているのか。……
雑誌やテレビのなかでは、「苦しみ」は感じられない。
「あれは嘘?」
文房具を並べているとき、「世界は美しい、整った、静かな、優しい場所に感じられる。あれは夢?」
最後の最後には「ただ頑張る」しかないのなら、誰かはっきりと私にそう告げて欲しい。でないと、踏ん切りがつかない。私は大きな机の上できれいな文房具たちをいつまでも並べ替えていたいのだ。
「他人の絆」
本屋の話が出てくる。知人の話。
和服の「おそろしく綺麗な女」が来店。
「この店でいちばんエロい本をください」
反応できずにいると、
「いちばんエロい本をもってこいって云ってるんだよ!」
と怒鳴られた。
彼女は刑務所にいる彼のために本を買いに来た。
……
うーん、と思う。凄い話だ。そんな用件なら手下の男たちを使いに出してもいい筈なのに、自分の男のために彼女が自ら出向いてくる。それってやっぱり愛情なんじゃないか。
穂村が会社勤めをしていた時の話。後輩の女性と残業。帰ったら何をするのか訊ねると、「釣りです」と答えた。
無職の彼氏が彼女の家に転がりこんで、家族ともうまくやっていて、彼の仕事は最寄り駅まで家族全員の送り迎え。彼女は毎日彼の弁当を作ってきて、夜は一緒に釣りに出かける。
彼女的にはそれでいいのかなあ、と思ったけど他人の絆に口は出せない。……結局、私には踏み込めない領域なのだ、と感じつつ、悔し紛れに訊いてみた。
「彼のことが好きなんだね」
「まあ、禿げなんですけど」
……
彼女のことを「なんて男前な女の子なんだ」と思った。
対談相手・又吉が鋭い。
本のタイトルについて、
「もしかして放哉ですか?」
(穂) 〈すばらしい乳房だ蚊がいる〉ですよね。僕はそれ、すっかり忘れてて、うわ、しまったと。
「蚊がいる」という言葉に、普通の人は「そりゃいる」と思う。しかし、テレビや雑誌の中に「蚊はいない」。ドラマのラブシーンで「蚊」が出てくることはない(ラブコメならあるかも)。その世界では「蚊」はないことになっている。でも、それを「いる」と言うことができる、本当のことを言ってしまう。世間の常識(?)に対していらんことを言うてしまう。
(穂)素では云えないから、お笑いというフレームがあったり、詩や短歌という言語表現のなかだとちょっと許されるんですよね。ギャグとかに切り裂かれて、本当のリアリティが一瞬だけ見える。でもその合意点は一瞬で、また、もわーんと元に戻ってしまうんだけど。
■ 『さようならは小さい声で 松浦弥太郎エッセイ集』 清流出版 1300円+税
『暮しの手帖』編集長、「COWBOOKS」代表。本書は「すてきなひと」をテーマにしたエッセイ集。どの話も美しい恋愛小説のよう。
「あなた一人を、誰か一人を、想って書くこと。書くものすべてが、あなた一人に、誰か一人に宛てたラブレターでありたい。……」
「さよならは小さい声で」
小学校時代の初恋。学童保育の先生。
友だちと口ゲンカしてすねていた僕を、先生が見つけてくれてそばに座ってくれた。
学童保育の時間が終わる。まだむくれている僕を、先生が抱いてくれて、「秘密のさようなら」をして帰ろうと言う。
「あのね、小さい声でさよならを言うの。秘密だから誰にも聴かれないように、ちっちゃい声でさよならを言うの」
……
この日、僕は生まれてはじめて、人に恋すると胸が痛くなることを知った。九歳の時だった。
(大人になっても、僕は「さよなら」が苦手。相手への思いがあるほど言えない)
……そんな時、必ずT先生のことを思い出す。そして、「さよならは小さい声で」とつぶやく。さよならは小さい声で。
◇ うみふみ書店日記
9月29日 日曜
妻に100円玉をあちこちからかき集めてもらう。
古書波止場さん、近所の「ジャパンブックス」さんも助けてくださった。
ありがとうございます。
ブログ最終日の原稿用意。
「海文堂書店絵図」を見ている。
「海文堂ありがとう!! WE LOVE KAIBUNDO」の文字を発見。
函入り(630円税込)は売り切れました。袋入り(525円税込)になります。
閉店放送の後、お客さんたちが店の前で「海文堂コール」、「ありがとう」の声援。シャッターが閉まるまでいてくださいました。こちらこそ感謝いたします。
NR出版会「新刊重版情報」Vol.452の「書店員の仕事」に書かせてもらいました。
「本屋の灯」を消すにあたりまして
近々NRのHPにアップされると思います。 http://www006.upp.so-net.ne.jp/Nrs/top.html
HP、ブログの契約は11月までだそうで、このまま続けてもいいのですが、区切りはどこかでつけないといけません。9月30日アップして一旦終了いたします。
書きちらしてきました。ご覧くださった皆々様に心からお礼申し上げます。
今後のことは未定ですが、ブログはどこかに居候させてもらえると思います。
私は還暦のじいさんなので、松浦弥太郎さんのようにはいかない。
普通の大きさの声で申し上げます。
では、皆さん、さようなら。ありがとう。 海文堂書店 平野義昌
週刊 奥の院 9.29
■ 『野呂邦暢 小説集成2 日が沈むのを』 文遊社 3200円+税
表題作他、「不意の客」「鳥たちの河口」など短篇を集める。単行本初収録の「赤い舟・黒い馬」「柳の冠」も。全10篇。
「日が沈むのを」
……………………………………
《日が沈むのを見るのはいや……》
黒人の唄はわたしを惹きつける。だれでも知っているブルースの一節。セントルイスだったかしら、それともニューオリンズ、よくわからない。いつもこの二つの街の名をとりちがえてしまう。……(略)
歌手はまず、わたしはいや、と歌ってひと息つき、それから聴きとりにくいほどの低いしわがれ声で、見るのは、と歌い、日が沈むのを、と続ける。そうだろうか、わたしには彼がこう歌っているように聞える。
《日が沈むのを見るのは好き》と。
わたしは夕日を見ている。……
恋人が去ってしまい、女性は自殺未遂。今、部屋で椅子にすわって夕日を見ている。会社ではストライキ中に勤務についたことで組合から非難され、職を失うかもしれない。
わたしにはだれもいない。
そう思うとき、しかし自分にはこの部屋があり、部屋廊下で椅子にくつろいで沈む日を見ることができると考えた。
わたしには夕日がある、その思いは慰め以上のものだ。……
かねて行ってみたいと思っていた谷間の集落を訪れた。段々畑、夏は枇杷、冬は蜜柑、渓流に沿って古い屋敷が並ぶ。町の燈火が砂金の粒のよう。しかし、
期待? 何に対する? ……それをわたしは説明することができない。わたしは谷間のひっそりとした部落に何を求めていたのだろう。渓流のほとりのまばらな家々が、わたしの何に応えようというのだろう。
(不確かなぼんやりとした期待は疲労と落胆に)
何もかもそっとして近寄らないでおくのが一番だ、遠くから見えるものは遠くのものとして距離を保っておくことだ、と。
彼のこと、病院での痛みのこと、会社帰りに見たイタリア映画のことを思い出す。
それに組合での糾弾。会社を辞めるのが最善の道と思う。
仕事をすることはやさしい。生きることもやさしい。なぜ、生活はやさしいといわないのか。わたしは人生を涙の谷などとは決して思わない。
(高校の教師は「人生は失意の総和だ」と説いた。反対はしないが、人生の慰労と歓びについても教えてもらいたかった)
あの夕日、あれはわたしのものだ。
自分に無関心である世界に対して、自分も無関心を装えばいいと悟る。恋人のことは忘れればよい。幸福を与えない世界には自分も冷静にそっけなくふるまえばいい。今まで見えなかった微妙な事物が目に映るようになる。
たとえばこの夕日である。
夕日を見続ける。夕日は沈む。しばらくぼんやり夕景をながめている。隣の庭の藤棚のかげに人の姿。
誰? 知っている人に似ている。彼?
目の迷い? 幻影? 現実? ……
哀しい女性の心理。
日は沈んでも、明日また昇る。【海】はただ沈むのみ。
◇ うみふみ書店日記
9月28日 土曜
休み。午後からJ堂に行ってナオコーラさんの新刊『昼田とハッコウ』(講談社)をゲットして、店。
レジはずっと長蛇の列。閉店の19時になっても並んでくださる。ありがとうございます。
白カバー僅少で、お一人一枚でも皆さん納得してくださいます。ごめんなさい。
厚かましく、ついでにお願いです。小銭、特に100円玉が不足しています。ほんまにほんまに申し訳ありません。100円玉ご用意をお願いします。
「くとうてん」出店。
青山さん描く【海】透視絵図。限定200部。
「ほんまに」「港町神戸鳥瞰図」に「荒蝦夷」。
閉店後、「くとうてん」&「ほんまに」で呑み会。
重ね重ねすみません。自慢です。GFたちから私だけプレゼントをいただきました。ほんまにごめんなさい。本はKちゃんお手製『海と名のつく本屋さん』、限定一部。世界中の男性に謝ります。
(平野)
週刊 奥の院 9.29
■ 『野呂邦暢 小説集成2 日が沈むのを』 文遊社 3200円+税
表題作他、「不意の客」「鳥たちの河口」など短篇を集める。単行本初収録の「赤い舟・黒い馬」「柳の冠」も。全10篇。
「日が沈むのを」
……………………………………
《日が沈むのを見るのはいや……》
黒人の唄はわたしを惹きつける。だれでも知っているブルースの一節。セントルイスだったかしら、それともニューオリンズ、よくわからない。いつもこの二つの街の名をとりちがえてしまう。……(略)
歌手はまず、わたしはいや、と歌ってひと息つき、それから聴きとりにくいほどの低いしわがれ声で、見るのは、と歌い、日が沈むのを、と続ける。そうだろうか、わたしには彼がこう歌っているように聞える。
《日が沈むのを見るのは好き》と。
わたしは夕日を見ている。……
恋人が去ってしまい、女性は自殺未遂。今、部屋で椅子にすわって夕日を見ている。会社ではストライキ中に勤務についたことで組合から非難され、職を失うかもしれない。
わたしにはだれもいない。
そう思うとき、しかし自分にはこの部屋があり、部屋廊下で椅子にくつろいで沈む日を見ることができると考えた。
わたしには夕日がある、その思いは慰め以上のものだ。……
かねて行ってみたいと思っていた谷間の集落を訪れた。段々畑、夏は枇杷、冬は蜜柑、渓流に沿って古い屋敷が並ぶ。町の燈火が砂金の粒のよう。しかし、
期待? 何に対する? ……それをわたしは説明することができない。わたしは谷間のひっそりとした部落に何を求めていたのだろう。渓流のほとりのまばらな家々が、わたしの何に応えようというのだろう。
(不確かなぼんやりとした期待は疲労と落胆に)
何もかもそっとして近寄らないでおくのが一番だ、遠くから見えるものは遠くのものとして距離を保っておくことだ、と。
彼のこと、病院での痛みのこと、会社帰りに見たイタリア映画のことを思い出す。
それに組合での糾弾。会社を辞めるのが最善の道と思う。
仕事をすることはやさしい。生きることもやさしい。なぜ、生活はやさしいといわないのか。わたしは人生を涙の谷などとは決して思わない。
(高校の教師は「人生は失意の総和だ」と説いた。反対はしないが、人生の慰労と歓びについても教えてもらいたかった)
あの夕日、あれはわたしのものだ。
自分に無関心である世界に対して、自分も無関心を装えばいいと悟る。恋人のことは忘れればよい。幸福を与えない世界には自分も冷静にそっけなくふるまえばいい。今まで見えなかった微妙な事物が目に映るようになる。
たとえばこの夕日である。
夕日を見続ける。夕日は沈む。しばらくぼんやり夕景をながめている。隣の庭の藤棚のかげに人の姿。
誰? 知っている人に似ている。彼?
目の迷い? 幻影? 現実? ……
哀しい女性の心理。
日は沈んでも、明日また昇る。【海】はただ沈むのみ。
◇ うみふみ書店日記
9月28日 土曜
休み。午後からJ堂に行ってナオコーラさんの新刊『昼田とハッコウ』(講談社)をゲットして、店。
レジはずっと長蛇の列。閉店の19時になっても並んでくださる。ありがとうございます。
白カバー僅少で、お一人一枚でも皆さん納得してくださいます。ごめんなさい。
厚かましく、ついでにお願いです。小銭、特に100円玉が不足しています。ほんまにほんまに申し訳ありません。100円玉ご用意をお願いします。
「くとうてん」出店。
青山さん描く【海】透視絵図。限定200部。
「ほんまに」「港町神戸鳥瞰図」に「荒蝦夷」。
閉店後、「くとうてん」&「ほんまに」で呑み会。
重ね重ねすみません。自慢です。GFたちから私だけプレゼントをいただきました。ほんまにごめんなさい。本はKちゃんお手製『海と名のつく本屋さん』、限定一部。世界中の男性に謝ります。
(平野)
週刊 奥の院 9.28
■ 中野美代子 『なぜ孫悟空のあたまには輪っかがあるのか?』 岩波ジュニア新書 820円+税
カバー他イラスト、坂田靖子。
そのカバーの孫悟空の絵。彼の武器・如意金箍棒(にょいきんこぼう)の先端の輪と悟空の頭の輪。この二つの輪に深い訳がある。
中野は北海道大学名誉教授、中国文学研究。岩波文庫『西遊記』全10巻の訳者。
『西遊記』は長い物語だが、あらすじはよく知られている。全巻通読した人は少ないでしょう。
……途中でほうりだしてしまうのは、あらすじだけを追いかけているからです。『西遊記』のおもしろさは、あらすじにはありません! では、どこにあるのか?
細部です。つまり、あらすじのような骨組ではなく、細かい部分です。でも、全体を読み終えていないのに、細かい部分なんて、わかるはずはありませんね。そのとおりですが、安心してください。……
中野先生がガイドしてくれます。
? 龍より強く金属に弱い孫悟空
? 三蔵のお供は虎からサルへ
? 『西遊記』ができるまで
? お供の弟子たち、全員集合!
? いざ、西天取経の旅へ!
? 脇役たちもおもしろい
? 苦難のかずかず、乗りこえて
? 時間と空間を自由にまたぐ
? 『西遊記』はなぜ数学にこだわるのか?
唐の時代、玄奘三蔵が経典を求めてインドに行き、持ち帰ったことは史実。
『西遊記』が完成したのは約900年後の明の時代。史実に神話・伝説、仏教・道教・陰陽五行思想が加えられている。
『西遊記』は1592年南京の世徳堂(出版社)が出版。元(げん)の時代にも出版されたらしいが現存していない。
作者名はないが、「呉承恩」という説が信じられている。呉は実在の人物で著作もあるが、作者という証拠はない。また、一人で書ける物語ではない。
……おそらく、すぐれたリーダーを中心とする、数人からなるグループだったのではないでしょうか。それも、自分たちの正体がばれない(原文傍点)ように覆面したグループだったのでは?
(なぜ?)
……『西遊記』という小説は、おもて向きは一から十まで仏教的、そして反道教的なのですが、ひと皮むくと、その仏教をからかったり、批判しているところが山ほどあるのです。……
(例をあげる。孫悟空という姓名を与えた須菩堤祖師(しゅぼだいそし)は道教の仙人だが、お釈迦さまの十大弟子の名をつけている。仏教からするととんでもないこと。また、三蔵一行がようやく経典をいただくときに、お釈迦さまの弟子が賄賂を要求。三蔵が拒否すると、字の書いていない経典を渡された)
……仏教と道教は、元のころから仲がよくありませんでした。とくに、道教のなかでも不老不死の丹(薬)をつくる煉丹術師たちは、秘密の記号や暗号を操作するのが得意でした。そんな煉丹術師たちは、秘密の記号や暗号を操作するのが得意でした。そんな煉丹術師たちのグループが、丹ならぬ『西遊記』という世界を煉りあげたにちがいありません。
さて、孫悟空の輪。仙人から神通力をもらい、それをいいことに三蔵の言うことを聞かず逃走。観音様が現われて三蔵に頭巾をくれ、それが悟空の頭に輪っかになる。金箍(=たが)。三蔵が呪文を唱えると悟空の頭は痛くなる。如意棒は龍王の館の鉄の柱。龍王は最初刀を渡そうとするが、悟空は「刀は苦手」と。重い鉄の棒を自在に操れるのは両端の金箍のせいで、鉄の力を弱めている。
悟空はサルだが、石から生まれ鉱物の性質、金属をきらう水の妖怪の性質、しかし、鉄の団子を食べ銅のスープを飲むという金属の性質。
「金属」と悟空の関係が明らかにされる。
謎はほかにもたくさんある。
◇ うみふみ書店日記
9月27日 金曜
「朝日」 「消える灯火 (2) 1.17感じた本の力」 http://www.asahi.com/area/hyogo/articles/MTW1309272900003.html
京都のTさん(【海】で回文を作ってくれた詩人で僧で書物愛好家)来店。記念写真。
S潮社Gさん、本をたくさんお買い上げ。
B芸社Kさん、私に餞別、「スワローズ・グッズ」。彼は虎キチ。
バイト君OB・OG、営業さんが何人も。トーハンの人たち。女子の古本屋さん。
児童書の顧客さん、『眼』お買い上げでサイン。恥ずかしがりながらも堂々とサイン。
NR出版会から【海】写真集大量注文。明日発売の【海】透視図も注文。
荒蝦夷から『ちくま』、H代表が【海】との関わりを書いてくれている。
『「本屋」は死なない』のIさん来店。
京都の「観音様」からお葉書。
皆さんありがとうございます。
28日から30日、「くとうてん」と「荒蝦夷」のコーナーがレジ横に出店。
『ほんまに』バックナンバー、『港町神戸鳥瞰図』、『海文堂透視図』、『仙台学』、『仙台暮らし』(伊坂幸太郎サイン入り)などなど。
(平野)