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Something Orange このページをアンテナに追加

2006-03-01(水)

 その1 物語のトリック


 いまぼくが考えていることとシンクロするものを感じるエントリーなのでリンクしておく。くわしい内容はリンク先へ飛んでご自分で確認してほしいが、ようするに物語の構造の話だ。

 リンク先では、村上龍の「全ての物語は主人公が穴に落ちる→穴から這い上がる/穴の底で死ぬという話型で出来ている」ということばを引用し、ほとんどすべての物語がこれに該当することを語っている。

 そして、その上で、このパターンが飽きられはじめているのではないかと懸念を表明する。しかし、ぼくはそれほど心配する必要もないとおもう。

 この物語の基本構造は、単純であるために、強烈な普遍性をそなえている。いまさら飽きられるようなものとも思えない。なにより現実に「SLAM DUNK」も「ONE PIECE」も累計1億冊を突破しているではないか。過去の漫画史でこれに匹敵するヒット作は数えるほどしかないはずだ。

 たしかに漫画誌のセールスは最盛期に比べて落ちているかもしれない。しかし、これはむしろ雑誌が飛ぶように売れた一時期のほうが異常だったともいえる。ここらへんの事情は伊藤剛「テヅカ・イズ・デッド」にくわしいので、素人のぼくが深入りするのはやめておく。

 さて、物語の話である。前述したように、ほとんどすべての物語は危機とその克服のくり返しというパターンをもちいている。いや、危機と克服をふくむ展開の構造を物語と呼ぶのだといってもいい。

 極端に単純化して語るなら、この危機と克服の振幅が大きいほどドラマティックな物語だといえる。へいぼんなサラリーマンが出世したり失職したりする話よりも、大富豪が一文無しに、あるいは一文なしが大富豪に変わる物語のほうがドラマティックなわけだ。

 「To Heart」の話のとき、「この作品は物語性が薄い」という意味のことを書いたと思う。それはようするに「To Heart」の展開は全体的に平坦だという意味だった。その平坦さは、当時としては非常に斬新に映った。

 なにしろ、その頃遊んでいたゲームときては、世界のひとつも救ってあたりまえのものがほとんどだったのだから。

 勿論、「To Heart」はまったく物語性を捨ててしまったわけではない。シナリオの後半ではそれなりに劇的な事件が起こり、主人公とヒロインがそれを乗り越えていくプロセスが綴られる。

 しかし、それは従来の多くのゲームとくらべれば、はるかに小さい事件であり、ささやかなドラマだった。基本的に「To Heart」は物語のおもしろさとはべつのところで勝負する作品だったといっていいと思う。

 以前、ぼくは日常性の魅力だけでユーザーを満足させつづけることは可能だと思っていた。しかし、いまは多少なりとも物語性がないと物足りないと考えるようになっている。

 さっきからいっているように、物語というものは基本的にワンパターンでしかない。しかし、どういうわけか、それでもやっぱり悪魔のように魅力的なのだ。(つづくかも)