ブログトップ 記事一覧 ログイン 無料ブログ開設

Something Orange このページをアンテナに追加

2006-03-02(木)

 その3


 物語には「計算」がある、と書いた。あたりまえといえばあたりまえのことだ。どんな物語も、自然に生まれてくるわけではない。かならずそれを考え出した人間がいる。

 その人物はよりおもしろい展開にするために、緻密に物語を構成する。そのような作品では、ある展開は独立したものではなく、べつの展開への効果をねらっている。

 「SLAM DUNK」あたりを例に考えるとわかりやすいだろう。恩師をまえに「バスケがしたい」と泣き崩れる三井の姿が感動的なのは、そこに至るかれの人生がえがきこまれているからである。ぎゃくにいえば、その一場面を盛り上げるために、それまでの展開が存在しているわけだ。

 「ジョジョの奇妙な冒険」で、物語の最中にカットバックのようにして過去のエピソードが語られるのも、同様の効果をねらったものである。

 同じことを描くにしても、その人物がどのような過去を背負っているか、どのような物語を踏まえてそこに立っているのかが描かれているのといないのとではまったく違う。荒木は時折り、純粋な物語の進行のためには不要とも思えるエピソードを絡めることで、物語を盛り上げる。

 ライトノベルでいえば、「フルメタル・パニック!」あたりは構成の妙を感じさせる作品だ。

 この作品の最新刊は、ひたすらに暗く救いのない「欝展開」だったが、これはおそらくさらにあとの展開でカタルシスを生むための伏線である。いままでの物語でも、ある場面での落ち込みがのちのカタルシスを生む展開が繰り返されている。

 このように、物語全体のことを考えて一場面をデザインしていく能力が、すなわち構成力である。山あり谷あり、起伏があってこその物語なのだ。

 ところが、「よつばと!」にはそういう意味での物語性がほとんどない。ひたすらにしあわせな日常が続いていくだけだ。

 「ユリイカ」でのインタビューを読むと、あずまきよひこが意識的に「よつばと!」の世界から物語性を排除していることがわかる。

 「よつばと!」に物語を生み出す要素がないわけではない。たとえば、よつばが孤児だという設定は印象的な「物語の種」だといえるだろう。そこをもっと掘り下げていけば、さまざまなドラマティックな展開が生まれてくるに違いない。

 だが、あずまきよひこはあくまで作品の「物語化」を避ける。おそらくかれは物語がもつある種の不自然さ、計算と作為とを好まないのだろう。

 そのため、「よつばと!」の世界では、あたりまえの日々を崩壊させるほどの事件は起こらない。しかし、みごとに描きこまれた日常の細部がそれを補っている。

 その意味で「よつばと!」は「To Heart」と似ているが、「脱物語主義」はより徹底されているといえる。このような計算された「非物語」はひとつの選択としてありえるだろう。だが、たんに物語が崩壊しているとしかいえない場合もある。(つづくのか)