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2006-11-02(木)


別冊宝島『石田衣良Style』 (別冊宝島 (1062))

別冊宝島『石田衣良Style』 (別冊宝島 (1062))

電子の星 池袋ウエストゲートパークIV (文春文庫)

電子の星 池袋ウエストゲートパークIV (文春文庫)

 ウィキペディアの石田衣良の項目が、ちょっとした話題になっている。かれを特集した「石田衣良Style」に載ったインタビューのなかに、石田による「日本人への差別発言」があるというのだ。

 既に該当文章は削除されているので、ウィキペディアからその個所を引用しているここから孫引きさせてもらう。

 孫引きであるから、以下の文章が正確にウィキペディアに掲載された文章そのままであるかは、ぼくには保障できない。が、おおよそこのようなことが書かれていたことは、ぼくも記憶している(「関西人が嫌い」とか「ぼくの読者は馬鹿」というものもあったと思う)。

「田舎の人、要するに田舎者が雑誌やテレビに影響されて東京に出てきて、行列の店に並ぶでしょ。あれってみっともないね。あなたたちがいなければ、私たち都会人は並ばずして、その店に入れるわけなんだけど。その田舎者のせいで、僕まで行列に並ばなくちゃならない。そのうえ、その店の物を食べて、まずいのなんの文句を言う。おまえ、俺たちが日常的に食べてるものに、なにお盆や正月みたいに期待して食べてるんだっていう(笑)しかもですね、その場合、単に田舎者の舌の肥えてなさゆえの言いがかりに過ぎないんですよね。僕は田舎に行かないから、あんたたちも東京に出てこないでね、と言いたい」「僕、田舎って大嫌いなんですよね。変化がないから。行っても1日で飽きちゃう。だから、田舎者も大嫌い。変化を望まない人間は死んでるのと同じだからね。そうそう、僕のファンって都会者が多いんですよ。僕を嫌うのって、都会人を嫉妬した田舎者が多い。まあ、こっちが嫌いだから、向こうも嫌いで結構なんだけど(笑)田舎者が東京に出てきたところで、都会者になれるわけでもないしね」

 どう思います? 「石田衣良ってなんてひどい奴だ」と思いません?

 ところが、いま、「石田衣良Style」のインタビューを読み返してみたところ、どこにもこんなことは書かれていなかった。ようするに、ただのデマである可能性が高い。

 まあ、「日本人への差別発言」というおかしな表現からして(石田衣良自身が日本人)、どのような傾向をもった人間が書いたのかは想像がつく。

 インタビューのなかにはたしかに「街が好きだ」という個所もある。「田舎へ行くと変化がなくて飽きる」という発言もどこかで読んだ記憶がある。それを膨らませて書いたのだろう。

 ところで、じっさいのインタビューにはこんな発言がある。

――視点の低さというのは、石田さんの作品を書く特徴のひとつでもありますよね。一見、都会的でスタイリッシュでありながら、決して上滑りしていないのもそのせいだと思います。

 これは意識してやっているというより、元来がそういう人間なんでしょうね。僕、単純に偉そうな人って嫌いなんですよ(笑)。官僚的に上からものを見るのが、嫌なんだよね。街にはいろんな人が、それぞれのいろんな思いを抱えて生きているのに、それを「平均所得はいくら」みたいな捉え方をするのには、どうしても馴染まないんです。
 でも、そういう捉え方をして、人間をひと括りにして見ていたら、小説なんて書けないと思う。それぞれに生きる、一人一人の人生や暮らしの中にも、面白いドラマや物語がいっぱいある。そこを書いていきたい。だから、目線は常に下げていようと思っています。

 この発言の裏にあるものが、人間をひと括りにして差別する見方とは対極の思想であることはあきらかだろう。

 また、石田の作品に都会を舞台にしたものが多いことは事実だが、「週刊少年マガジン」で漫画化もされた「電子の星」は、ある目的のために山形から上京してきた少年が中心だ。

 かれは憧れの都会で痛快な冒険を繰り広げたあと、また故郷へと戻ることになる。「おまえの腕なら、東京で仕事をして食っていける。それでも帰るのか」とひき止める主人公に対し、少年は言う。

「うん、いつも悪口ばかりいってるけど、あそこにはぼくの知ってる人たちがいて、こんなぼくのことを気にかけてくれる。経済もダメだし、仕事もないけど、やっぱりぼくが帰るのはあそこだよ。いつも憎んでいたはずなのに、東京にきてよくわかった。ぼくは山形が好きだよ。人がすくなくて、車も走ってなくて、緑ばかりで、虫が多くて、不景気で、そういう全部が案外好きなんだ」

 「田舎者が大嫌い」と公言する作家が、こんな台詞を書けるだろうか。

 まあ、もちろん、ぼくの見ていないところでどんな発言をしているかまでは知らない。しかし、どうやらウィキペディアの文章は悪質な捏造と見て良いように思える(該当記事には既に削除要請が出ている)。

 また、現在もウィキペディアには、

毎日新聞2006年10月31日のアンケート記事において「中国、韓国と仲良くした方がいい?しなくてもいい?」というアンケート記事では、「しなくてもいい」という解答が57. 2%と、完全に過半数であったにもかかわらず「今回のこたえは数字のうえでは「しなくていい」派が圧倒的だったけれど、応募しなかった多数のサイレントマジョリティを考慮にいれて決定させてもらいます。中国・韓国とは仲良くしたほうがいい」と宣言。これにインターネット世論の一部は『民主的段取り無視なら、最初からアンケートなんかするな。「しなくていい」に投票した人の気持ちはどうなるんだ?応募しなかった人は、ただ単に興味が無いだけじゃないのか?最初から結論・結果ありきのアンケートだったのか?』『ふー、びっくりした』と痛烈に批判している

 と、書かれている。この批判の正否には深入りしない。しかし、そもそも石田の記事の趣旨が、多数決によって物事の正否を決めること「ではない」ことは知っておくべきだろう。

 はじめからアンケート結果はあくまでも参考に過ぎず、「白黒」は石田の判断によってつけられる。過去にも石田はアンケート結果を逆転させた判断を下したことがあり、投票者はそれを承知のうえで投票しているはずである。

 いまさらながら、ネットに載った情報を鵜呑みにして怒ったり、ひとを叩いたりすることは危険だと思う*1。いくら精緻に批判しても、そもそもの批判対象が捏造ではどうしようもない。しかし、どうもこの傾向は加速しているように思える。

 いやな時代になったね。*2いやな風潮だね。

*1:ブクマコメントで、id:kana-kana_ceoさんがこんなことを書いている。

「いまさらながら、ネットに載った情報を鵜呑みにしてはいけないということは、このエントリーも捏造の可能性があるということなのだなッ?あやうく信じるトコロだったぜ。」

もちろん、その通り。ぼくは嘘をついているかもしれない。この記事が正しいかどうかは、各自で判断してほしい。

*2id:REVさんがブクマコメントで「昔はよかったね。テレビにも、新聞にも、書籍にも惑わされず、言葉に騙されることの無い、旧石器時代なんてどうかな」と書いていることを考慮して、直しておく。でも、べつに「いまは何もかもひどい時代だ」なんて言っているわけじゃないですよ。この一点にかんしてはいやな世の中になったものだ、と言っているだけです。もちろん、昔だってデマを流す奴はいたでしょう(そもそもデマゴーグという言葉の語源は古代ギリシャらしいし)。ただ、道具の発達でより広範囲により有害な情報を流せるようになったことは事実だと思うのですが。