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2007-03-29(木)

 あなたの心に、白鳥の歌がとどきますように。


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 以下、『SWAN SONG』ネタバレあり。

 先日、田村由美『7SEEDS』の最新刊が発売された。

 劇作家の鴻上尚史、直木賞作家の角田光代らの絶賛を受けた現代漫画の傑作である。

 その物語は、ある日、何事もなく眠ったはずの主人公たちが、見知らぬ世界で目ざめるところから始まる。それから、かれらは必死の冒険のなか、世界が既にほろび去ってしまったこと、少なくとも以前とは変わり果ててしまったことを知る。

 読者の注意を逸らさない巧みな展開、一切の容赦なく主人公たちを地獄へ突き落とす語り口、と現代を代表する「語り部」田村由美の本領がいかんなく発揮されたカタストロフィ・テーマの傑作である。

 ここ数年、漫画業界では巨大災害を描いた作品が何作かつづいたが、そのなかでは桁外れの作品といっていいように思う。十分に、あるいはそれ以上におもしろいし、感動的だし、何より人間性についての深い思索を感じる。

 しかし、『SWAN SONG』を知ったいま、その『7SEEDS』ですら少し色褪せて見える。この作品も同じ滅亡ものの傑作であり、しかも、私見では『7SEEDS』をもしのぐ歴史的マスターピースなのだ。

SWAN SONG 廉価版

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 実に『雫』以来のこの十年のなかの最高傑作と言って良い。

 物語は、ある年のクリスマスから始まる。

 その日、激烈な大地震が起き、霏霏として吹雪が吹きあれるなか、街はあっさりと灰燼に帰す。

 多数の死者を出したその震災を、幸運にも生きのびた尼子司は、ある古びた教会へと避難し、そこで5人の若者と邂逅する。

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 田能村慎、佐々木柚香、川瀬雲雀、鍬形拓馬、そして、八坂あろえ。司をふくむ6人は、仲間としての絆をむすび、地獄と化した街で生き抜く努力を開始する。その先に待ち受ける非情な運命を知ることもなく。

 この種のカタストロフィ・テーマの作品は、まず視点をどこに置くかが問題となる。

 こういった大規模な災害は、まず第一に社会的問題である。しかし、それと同時にいたって個人的な問題でもある。ミクロとマクロの問題軸が同時に発生するわけだ。

 そのいずれの視点を選ぶか、まずはその時点で作り手の力量が問われる。たとえば『アニマート』などは、その段階で半端になり、凡作に堕した印象がある。

anim. 1 (ヤングジャンプコミックス)

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 『SWAN SONG』はマクロの視点を捨て去ってしまう。空を翔ける鳥の視点は切り捨てられ、地を這う蟻の視点に寄り添う。そしてその蟻たちが、どんなに愚かに、どんなに懸命に、生きようとし、そして死んでいったか、そのことがひたすら執拗に描写されていく。

 ある者は狂気に陥り、ある者は気高く生き抜き、ある者は何もわからぬまま自分の世界に没頭し――そして、それらの生きざまを通して、人間賛歌が謳い上げられる。

 しかし、これほどに暗黒な賛歌がありえるものだろうか。

 初め、すべてが崩れ去ったとしても、司たちは希望を失っていない。一時的に社会秩序が崩壊しても、すぐにそれまでの価値観が失われるわけでないのだ。

 かれらは困難な探索の果てに ある学校を利用した避難キャンプにたどり着き、合流する。そこでは、生きのびた人びとが、かすかな希望にすがりながら救援を待っていた。

 しかし、いつまで経っても救いの手が訪れることはない。消防も警察も、そして自衛隊も、なぜか皆、沈黙したまま。次第に、人びとの心に暗い影のような焦燥が忍び寄ってくる。

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 そして、そこにもうひとつの共同体が出現する。竜華樹と呼ばれる予知者の少女をかしらに戴き、得体のしれぬ信仰に没頭するなぞの宗教団体「大智の会」。殺人者をも受け入れ、平等に遇する狂信の集団。

 あまりにも胡散臭い連中だ、とだれもが思う。予知のことばを盲信するかれらを、学校の人びとは見下し、軽蔑する。かれらの狂気に対し、激しい怒りが燃え上がる。

 自分たちこそが正常だと信じ、他人の異常さを嘲笑うこと、それもまたひとつの狂信の形なのだとは気づかない。

 やがて、学校と「大智の会」の間で争いが起こる。初めは小さな揉め事に過ぎなかったその火種は、やがて燎原の火のように燃え広がっていく。

 宗教戦争である。

 その展開は、あまりにも生々しく人類の歴史をなぞっている。

 それまでは平和な世界で穏やかに暮らしていた人びとが、いくつかの修羅場をくぐりぬけるうち、あっさりと狂戦士へ変わっていく。

 「ひとを殺してはならない」という究極の禁忌を犯した瞬間、ほかのあらゆる禁忌は色褪せ、かれらの心からはがれ落ちる。

 目の前にいる敵、それはもう人間ではない、たんなる敵なのだ。つい先日までは、同じ社会であたりまえのように共存していた人びとが、武器をもって殺しあう。

 「敵」と「仲間」とを峻別し、自分の集団に属するもののみを「人間」と見なす非情の思想が浸透していく。そして、だれもが少しの躊躇もなく「敵」の命を奪い、陵辱するようになる。

 「敵」の男は野獣であり、「敵」の女は家畜にひとしい。かれらはひたすらに奪い、奪い、奪う。正義のため、仲間のためと、あらゆる残虐行為は正当化され、肯定される。

 そのようにして、はてしない争いに色取られた人類の歴史がなぞられていく。

 この物語はただの物語である。現実とはかけ離れた、ただの夢、ただのお伽噺である。しかし、このお伽噺は人間の真実をあばき立てている。

 その展開そのものはただの物語に過ぎないとしても、その血まみれの歴史のなかで、じっさいに人間たちはこのように「敵」を殺し、犯し、葬り去ってきたのだ。

 何という残虐であり、何という非情だろう。平和な世界に生きる我々の目から見れば、それは明白なる「悪」であるに違いない。

 しかし、法も秩序も崩壊しきったいま、昔日の倫理がいかなる意味をもつだろう? 「仲間を守る」という新たな倫理が打ち立てられ、ほかのすべてを塗りつぶしていく。

 初め、もっとも純粋な正義感を抱いていた鍬形は、しまいにはもっとも残虐な殺人鬼と化す。その潔癖な正義感こそが、かれを殺戮に駆り立てる。かれは自分が弱いからこそ、他人の弱さを赦せない。

 そして敵に対し最も冷酷にふるまったために、鍬形はこの狂った世界で信望を集めることになる。以前、手に入るはずもないと思っていたものすべてが、かれのもとに集まってくる。

 かれはその新たに生まれた社会を支配し、狩りを愉しむようにして「敵」を殺戮していく。そして「仲間」に対してすらも、恐怖政治を実施する。

 手段と目的がすりかわり、共同体維持のためにほかのすべてが犠牲にされることになる。

 そこには、もはや、あの気弱な青年の面影はない。ただ、真紅の夢に心冒された狂気の独裁者の姿があるのみ。しかも、そんなふうになってなお、かれは少しも幸福にはなれない。

 あの無力な日々のなかで、あれほどに渇望した女、権力、そして愛すらも手にいれ、それでもなお、あいかわらず劣等感と人間不信がかれを苛む。

 かれはもうだれも信じることはできない。かれの目にはあらゆる人間が醜く歪んで見える。そして、それこそが人間の真実なのだと考える。独裁者の孤独。

 それに対し、田能村はどこまでも誇り高く生き抜いていく。奪われ、汚され、踏みにじられてなお、その瞳から尊厳が失われることはない。

 どんな苛烈な暴力もかれをおとしめることはできない。風のようにひょうひょうと、かれは人間の尊厳を保ちつづける。

 しかし、まさにその誇り高さの故に、田能村は孤立することになる。殺戮の夢に染まった学校に、もはやかれの居場所はなかった。

 田能村はだれよりも靭い。気高い。その靭さ、気高さがさらに鍬形たちを追いつめる。やがて田能村はすべてを失い、ひとりになってしまう。

 そしていまや血まみれとなった虎は、ただひとりの少女のまえにひざまずく。「心からきみが好きだ。いっしょに行こう」。

 告白は断られ、さしだした手は拒絶されるはずだった。いったい、だれが、仲間殺しの虎と同行するだろうか? しかし、その手はあっさりと握り返される。

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 その少女は、血にまみれることなど少しも怖れはしなかった。そして一匹の虎に一羽の雲雀が寄り添うことになる。のぞむのならもっと多くのものを手に入れられたはずの虎は、たったそれだけで充足する。

 その穏やかな姿は、暴力で他者を蹂躙しながら孤独に追いつめられていく鍬形とは対照的だ。

 それにしても、いったいなぜこんなことになってしまったのか? 何がかれらを分かったのか? 同じ目標をかかげていたはずなのに?

 おそらく、その差は、「どうしようもないもの」に対する姿勢の差なのだろう。

 ひとの人生は、生まれ落ちたその時から、否、生まれるよりもっと以前から、ひとつのこらず「どうしようもないもの」に規定されてしまっている。

 「どうしようもないもの」、ある人はそれを「神」と呼び、またある人は「運命」と呼び、べつのある人は「絶望」と呼ぶ。

 この汚れた地上に生まれ落ちた人びとは、だれも皆、その「どうしようもないもの」とたたかう戦士である。

 「どうしようもないもの」はどうしようもなく不公正で理不尽だ。ある者にすべてを与えたかと思うと、ある者からはすべてを奪う。

 懸命な努力をあっさり無に返したかと思うと、はるかに怠惰な者に思わぬ幸運を授ける。あらゆる人間の努力など、「どうしようもないもの」の気まぐれなさいころ遊びの駒に過ぎぬ。

 司の握力を失った右手は、その「どうしようもないもの」の象徴である。

 かれはかつて、幼くして天才と謳われる少年ピアニストだった。極東の島国に生まれながら世界を遍歴し、どこに行っても聴衆を圧倒した。

 しかし、あるとき、かれの手は事故でその機能を失ってしまう。そしてかれはその天才を手折られたあと、「どうしようもないもの」との不毛な対決に、10年を費やすのである。無駄に、無意味に。

 すべてを犠牲にした懸命な努力にもかかわらず、その失われた右手は少しも回復しない。「どうしようもないもの」は、本当にどうしようもないからこそ、「どうしようもないもの」なのだ。

 司の克己も、研鑚も、天才ですらも、「どうしようもないもの」を前にしては無力だ。だからこそ、ひとは皆、その前にこうべを垂れ、赦しを乞い、目の前の小さな幸福だけを追って生きていくのだ。

 それにもかかわらず、司は「どうしようもないもの」との決闘を止めようとはしない。その愚かしいまでの一途さを、実の父親からあざけられ、踏みにじられても。

 そして、そんな司に、さらに、さらに悲惨な運命が襲いかかってくる。友人は殺され、恋人は奪われ、夢も、希望も、ほんの小さな望みさえも、永遠に断たれて劫火のなかへ消えていく。

 しかし、そのときに至ってもなお、司は敗北を認めようとしない。かれはさいごのさいごまで希望にかじりついて生きていく。

 その瞳のなかに、何か異様に高貴なものがほの見える。失われたその手が、あの不世出の天才少年のピアノよりも、もっと美しい、奇跡の音楽を奏でる。

 だれにも聴こえない音楽、非力なその腕でどうしようもないものとたたかい、生きて死んでいった人間たちの賛歌を。

 一方、かれの恋人である柚香は、「どうしようもないもの」をもっと静かに受け入れている。

 彼女はそれとたたかおうとはしない。みずから進んで敗北を認め、どんな悲惨な展開をも従順に受け入れる。

 廃墟と化したこの世界は彼女の心そのもの。あの大地震よりずっと昔、まだごく幼い頃、彼女の心は既に打ち砕かれてしまっているのだ。そう、ほかならぬ、司の手によって。

 彼女が司に対して抱いている感情、それははたして恋と呼べるものだっただろうか? 彼女は司にも敗北を認めさせようとする。自分といっしょに「どうしようもないもの」に拝跪させようとする。

 しかし、司は折れない。決して他者に依存しない。いつまでも、どこまでも、無駄かもしれない努力をつづける。柚香の心をたやすく折ってしまった「どうしようもないもの」も、司を打ち負かすことはできない。

 柚香はそんな司に嫉妬とも愛情ともつかない思いを抱く。おたがいに理解しあえないまま、恋人たちは対決する。

 そしてまた、鍬形は「どうしようもないもの」に敗れ、敗れた自分を嘲笑いながら狂っていく。

 かれは始終、自分の醜い(と、かれには思える)容姿について思い悩む。かれにとっては、それこそが「どうしようもないもの」の象徴なのだ。

 あるとき、そんな鍬形を愛していると言い出す少女があらわれる。それなのに、かれはその愛を受け入れることができない。自分に愛される資格があるとは思えない。かれはその愛を疑い、ためし、みずから踏みにじる。

 なぜこんなことになってしまったのか? かれ自身にも、もうわからないのかもしれない。

 そして、炎に燃える学校で、司と鍬形は対決する。あのクリスマスの日、教会に集まったあの時とは何もかもが変わってしまった。

 鍬形はすべてを得、司はすべてを失った。しかし、それでも司の高貴なる意思は鍬形を圧倒する。何がかれをそこまで駆り立てるのか? 何がかれをそれほどに立ち上がらせるのか?

 何もかも無くしてしまったはずなのに、何ひとつ失ってはいないかのようだ。その気高い瞳はあの遠い日の、怖いもの知らずの天才少年そのまま。

 かれはもうピアノを弾くことはできない。「どうしようもないもの」は司をあっさりと打ち倒してしまった。その努力も、辛苦の日々も、すべては無意味だった。

 それなのに、司は立ち上がる。かれのなかに、鍬形を駆り立てる凶暴なものがないわけではない。かれのなかにもまた、その暗い情念はうずまいている。

 しかし、司はそこに逃げようとはしない。それがまちがいであることを知っているから。それは天才指揮者だったかれの父親をも追いつめたものだった。

 司は正面からその情念と対決し、そして、かれを、かれらを翻弄した「どうしようもないもの」に反撃の一撃を加えようとする。その凄惨な姿は、すべての人間を代表して美しい。

 たぶん、かれは敗北したのだろう。「どうしようもないもの」の絶対的な力をまえに、どうしようもなく敗れ去ったのだろう。しかし、これほどに崇高な敗北の姿があるだろうか。

 そして、すべての物語と無関係に、ただ自分の世界に没頭していた自閉症の少女、あろえが、さいごに自分の仕事を達成する。彼女は、あの教会にのこされていたキリスト像を復元してみせた。

 破片にまで成り果てたものを接着剤でくっつけあわせた瑕だらけのキリスト像。それはこの街でくりひろげられた「どうしようもないもの」とのたたかいのモニュメントである。

 「どうしようもないもの」があっさりと壊してしまったものを、彼女はみごとに直してみせた。それはもとのキリスト像そのままではない。だが、その瑕だらけの姿こそが、人間の美しさなのだとぼくは信じる。

 10年にいちどの歴史傑作である。心からお奨めさせていただく。あなたの心に、白鳥の歌がとどきますように。