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Something Orange このページをアンテナに追加

2007-05-29(火)

 オタク疲れを感じませんか?


 疲れた、と思うことがある。オタク疲れである。

 また頭のおかしいことを言いだしたぞ、と思っておられるそこのあなた、あなたも感じませんか? この高度情報化社会で消費しつづけることに対するかすかな疲労感を。

 ぼくは感じる。それはこの社会の豊かさと裏腹の感覚である。思えば、ほんの十数年前、ぼくが少年だった頃に比べて、オタク文化はなんと豊かになったことだろう。

 いまほど安価に、簡単に、映像や音楽やコンピュータゲームをたのしめる時代はない。

 たとえば、ほんの何十年か前まで、アニメ番組の楽しみ方といえば、放送されたものを見て知人と語り合うくらいのものだったはずだ。

 そのうちビデオが普及し、録画してくり返し視聴できるようになった。その後、ネットが誕生して遠方の同好と語り合えるようになり、そしていま、YouTubeやニコニコを通してひとつの番組を共有できるまでになった。

 良い時代になった、と思う。それにもかかわらず、いやそうだからこそ、その豊かさに対して、かすかな疲労感を感じるのである。

 消費すべきコンテンツが、手に負えないほど莫大に存在することに感じる、よろこびと裏腹の倦怠感。

 いくら消費しても、次つぎと新作が発表され、たまっていく。それはよろこばしいことのはずなのだが、どういうわけか気だるいような気分になる。なぜだろう?

 きっと、あまりに豊かな社会では、ひとはその真価を見失ってしまうのだろう。

 ipodに数千曲の楽曲を詰め込んで日がな一日聴きつづける少女は、とぼしい小遣いをためて買ったレコードに、わくわくと針を落とす少年のときめきを知らないだろう。

 放送後30分でニコニコにアップされるアニメを流し見る少年は、放課後にかけ足で帰宅して放映の瞬間を待つ少女のよろこびを感じないことだろう。

 得るものがあれば、失うものがある。文化が豊かになり、たくさんの機会が保障されればされるほど、一期一会の奇跡に対する感動は薄らいでいく。

 誤解してほしくないのだが、ぼくはそれが悪いことだとは思わない。好ましいことには違いないのだ。

 ただ、いまこの部屋に山と積まれた本、PCにたまった各種データ、それらの膨大さを考えると、何だか気が遠くなる。

 いまこの瞬間、一切の新作の発表がやんだとしても、一生、消費する作品に困ることはないのに、さらに、さらに、新作は増えていく。その重さ。

 贅沢といえば贅沢な話だ。ほんの数千円のファミコンソフトを買うべきかどうか思い悩んだ少年のぼくが聞けば怒るかもしれない。

 しかし、どうも、あの頃のほうがずっと真剣にひとつの作品を楽しんでいたような気がしてならない。

 もちろん、社会システムのせいだけにできる問題ではなく、自分自身の感性が衰えたということもあるのかもしれない。しかし、とにかく、ちょっと疲労を感じるのである。

 たぶん、1年くらい砂漠に行って帰ってきたら、すべてはまったくあたらしい輝きを放ちはじめるのだろうけれど。

 あ、そういえば、昨日はこなたたんの誕生日だった! しまった。ブログにメッセ(以下略)。