ブログトップ 記事一覧 ログイン 無料ブログ開設

Something Orange このページをアンテナに追加

2007-10-02(火)

 オタクたちの「卒業」しない生き方。


 漫画家の安野モヨコが、「オタ嫁座談会」でこんなことをいっていた(本当は名前のところはイラストが使われているのですが、そのまま移すわけにはいかないので、ぼくが補いました。)。

安野:あとオタクは「ひとつのものを好きになると、ずっと好き」っていう点では、あまり浮気の心配もないように思うのですが。

神村:そうかも! だって服だって着替えるの面倒くさいくらいだからね(笑)

安野:一度これでいいって思ったら…。

神村:ずっとそれでいいんだよね。他の女にエネルギー遣うくらいなら自分のやりたいことや趣味に費やしたほうが全然いいよ、っていう感じだよね。浮気したいんだけど我慢っていうんじゃなくて。

安野:カントク、ウルトラマンとかもずーっと好きだからなぁ…。私聞いたことあるんだけど、一度好きになると嫌いになったり飽きたりすることはないんだって。

 ああ、この感覚はわかるなあ。

 ぼくも、基本的には、一度好きになったものをきらいになることはありません。

 新しいものに興味が沸き、いままで好きだったものが、精神の地層の下のほうへ押しやられることはある。でも、完全に「卒業」して、忘れ去ってしまうことは、まずないと思う。

 一度好きになったら、半永久的に好き。失望し、幻滅して、愛が憎悪に変わる、ということもない。だから、好きなものは増える一方で、減ることはない。

 小学生の頃読んで好きになった『ロードス島戦記』とか『フォーチュン・クエスト』とか、いまでも続けて読んでいるもん。

新ロードス島戦記〈1〉闇の森の魔獣 (角川スニーカー文庫)

新ロードス島戦記〈1〉闇の森の魔獣 (角川スニーカー文庫)

 もう初読から20年近く経つかも。

 そうなってくると、さすがに好きな作品すべてを継続的に追いかけることは不可能になって来ますが、それでも、愛着がなくなったわけじゃない。

 ひょっとすると、ここらへんがぼくみたいな人間と、「一般人」の落差なのかもしれない。

 子供の頃、『ウルトラマン』とか『ポケモン』とか『セーラームーン』が好きだったひとは普通にいる。というか、皆、子供時代は何かしら好きだったはず。

 でも、歳を取るにつれ、ほとんどのひとはそういったものを「卒業」して、より大人向きの趣味を見つけ出す。

 ただ、だれもが「卒業」するわけじゃない。上記の「カントク君」のように、いくら年をとっても「卒業」せずに、少年時代の愛を貫くひともいるわけです。

監督不行届 (Feelコミックス)

監督不行届 (Feelコミックス)

 そういうひとは常識的な大人のなかでは異端者で、「オタク」と呼ばれることになる。

 ぼくも、たぶん「カントク君」ほど極端ではないけれど、そういうタイプ。アメリカSFも、ロシア文学も、フランス映画も知ったけれど、それで少年時代の価値観が失われたわけじゃない。

 どうも、ぼくは、人間的成長に応じて、何かを「卒業」していくという観念が納得いかないらしい。

 ネットを歩き回っていると、時々、「いい年して子供向けアニメなんて見ているのかよvv」的な意見を見かけることがある。

 でも、ぼくにしてみれば、あくまでそれはワン・オブ・ゼムなんですよね。

 少年漫画も読む、ライトノベルも読む、アニメも見る、その一方でヴィスコンティも観るし、ナボコフも読む、ユルスナールに舌鼓を打ちもする。

 そこに境界はない。自分がおもしろいと思うものであれば、何でもいい。子供向けだろうが大人向けだろうが関係ない。

 たぶんね、成長するにつれ、子供時代を「卒業」して行くべきだと考えるひとたちは、「成長」という概念を、「脱皮」と捉えているんですよね。

 昨日の自分を脱ぎ捨てて、新しい自分に生まれ変わっていく、そのくり返し。

 でも、ぼくにとっては、「成長」とは、「拡大」なんです。少年時代の自分はそのままに、その上に新しい自分を積み上げ、視野と認識を広げていく。それが「成長」。

 もちろん、いまのぼくは子供時代のぼくとは別人だけれど、それでも、核心のところには、あの頃の自分がのこっている気がする。

 クラスの喧騒を避け、ひとりひっそりと図書室に篭もり、ストーブの柵に足をかけて、ひたすらページをめくっては、物語に耽った少年の自分が。

 その自分を「卒業」するつもりはない。たぶんぼくは、一生、心のどこかは子供のままなのかもしれない。

 そういう自分も悪くない、と、近頃は思う。ひらき直り? いいじゃないですか、一度の人生、楽しく生きれば。