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2008-02-02(土)

『ハヤテのごとく!』児童文学説。


ハヤテのごとく! 1 (少年サンデーコミックス)

ハヤテのごとく! 1 (少年サンデーコミックス)

ハヤテのごとく! (14) (少年サンデーコミックス)

ハヤテのごとく! (14) (少年サンデーコミックス)

うー好きだ。アニメも好きだが、やっぱりマンガはさらに面白い。

・・・・この作品って、何度も感想書いているけれども、さっぱり何が面白いのか分析できないんだけれども・・・というか、言葉にならないんですよ。けれど、ほしくてほしくて買っちゃうし、読後感も、凄い満悦な感じになる。

なぜなんだろう?(笑)。

誰か教えてほしい。

僕を納得させてくれる説明理由を!。

プリーズ。

 何がわからないのかわからない(笑)。

 そういえばsさんも『ハヤテ』の何がおもしろいのかわからないといっていたけれど、そんなに変かなあ。ぼくは普通におもしろいと思っているんだけれど。

 まず確認しておくべきことは、『ハヤテ』が非常に古典的な物語の構造をしていることでしょう。

 一見するとパロディ満載のいまどきの萌えマンガみたいに見えるけれど、そして一面ではじっさいにそうなのだけれど、本質はもっとクラシックだと思う。

 つまり、『ハヤテのごとく!』とは、かずかずの名作児童文学に連なる「理想の孤児」の物語なんです。

 皆さんご存知の通り、名作といわれる児童文学(およびアニメ)の主人公は孤児であることが多い。

 『家なき子』、『赤毛のアン』、『王子とこじき』、『ハイジ』、『ペリーヌ物語』、『小公子』、『小公女』、『秘密の花園』、『オズの魔法使い』、『あしながおじさん』など、そりゃもう枚挙にいとまがない。

 これに片親もの、両親がいても出てこないものを加えるとさらに数が増えると思いますが、とにかくいっぱいあるわけです。

 これらの作品の特徴は、主人公の子供たちがその不幸な環境にもかかわらず健やかで無邪気な心を備えていることです。『赤毛のアン』などは典型的ですが、しばしばその天真爛漫さは大人たちにとって救いとなる。いわばかれらは空想の孤児、理想の孤児なのです。

 しかし、こういった理想の孤児のイメージは、日本では90年代辺りを境に急速に陳腐化したといっていいでしょう。

 その証拠に無数の「理想の孤児」の物語を生み出してきたテレビ番組『世界名作劇場』は1997年の『家なき子レミ』を最後に終了しています。最後の作品のタイトルが『家なき子』だったということは象徴的ではないでしょうか。

 なぜ、「理想の孤児」の人気がなくなったのか? たぶん、人びとが「貧しいけれど無邪気な子供」のイメージを信じられなくなったからだと思います。

 何しろ日本は経済的に繁栄し、「貧しさ」はリアリティを失ってしまった。そして、その繁栄と並行するように、「子供」は「無邪気な天使」から、何かもっと不気味なもの、テレビゲームに夢中になり、少年犯罪をひき起こす「理解不可能な存在」として語られるようになった。

 そんな世の中で「理想の孤児」の物語が人気を失っていったのは、むしろ必然ではないでしょうか。そこら辺の事情が、このサイトではこうまとめられています。

 19世紀末から20世紀初めまで数多く登場した孤児。孤児たちは逆境の身の上にありながら、献身や愛の心を忘れず、やがて周囲の人たちの共感を得て幸福に至る。『赤毛のアン』『少女パレアナ』、『秘密の花園』など、大人のまなざしで作り上げられた孤児のイメージは、20世紀末までに登場してくる孤児や浮浪児の実態、崩壊した家族の中の児童、ひいては通常の家庭で物理的には家族関係がありながら、かつての幸せな孤児たちよりはるかに精神的な孤独に追いやられてしまった「孤児」たちの出現で打ち砕かれることになる。孤児の物質的・精神的飢餓感は20世紀の児童文学を通じて何度も語られ、解放を夢見られながらもついに消え去ることはなかった。百年にわたる孤独はますます強まったようにさえ見える。

 しかし、21世紀の今日、『ハリー・ポッター』のブームによって、孤児の物語はふたたび脚光をあびているように思います。

 ハリーやハヤテは、かつての「理想の孤児」ではありません。ある意味でひねくれた内面をもつかれらは、現実の社会問題を反映した存在という意味で、「生身の孤児」といえるかもしれません。

 そういうふうに考えると、第1話でハヤテが『フランダースの犬』のことを思い浮かべるシーンは象徴的ですね。もう「理想の孤児」ではいられない、と。

 で、『ハヤテのごとく!』のおもしろさは、そういった「生身の孤児」の物語を、『エヴァ』的なトラウマの物語として描くのではなく、もっと古典的な、それこそ『小公女』か『ペリーヌ物語』のような大富豪による救済の物語として描いているところにあります。

 ま、その大富豪がひきこもりの美少女だったりするわけですが(笑)、構造的には『ハヤテ』はペトロニウスさんいうところの「骨太の物語」にあたると思う。その上で初めてオタク的なパロディも意味をもってくる。

 そういうわけで、『ハヤテ』がおもしろいことには何の不思議もないのです。現代版『ペリーヌ物語』なんだもん。

 ペリーヌ可愛いよ、ペリーヌ。