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2008-03-17(月)

アニメ、マンガは中国を変えるか。


中国動漫新人類 (NB online books)

中国動漫新人類 (NB online books)

 中国の総人口13億人強のうち、動漫市場の消費者は約5億人(ちなみに18歳以下の人口は3.6億人)。年間の市場規模は約1000億元(日本円で1兆5000億円)。こちらはDVDやビデオソフト、コミック、放送料、映画興業実績といった、動漫そのものの売り上げの総計である。

 中国のテレビ局の数は中国全土の省市レベルで2000局(民間を入れると2200)を超え、そのうちアニメ専門チャンネルが4局、少年児童専門チャンネル(中国語では「少児」チャンネル)が25局、少年児童向け番組が289、アニメ番組が200となっている。

 これらのチャンネルの番組枠を満たすための年間必要時間数は26万分という。一方、中国国産アニメの生産量はわずか8.1万分(国家広播電影宅視総局によれば最終的に8.2万分)。年間必要量の31%しか満たしていない。この数字からも、中国のテレビ局の番組枠の大半が日本を筆頭とする海外のアニメに占められていることがはっきりわかる。それでいながら、中国国内のアニメ制作会社の数は2006年度末の統計で5473社もある。

 すでに各所で話題になっているわけだが、衝撃的な一冊である。

 「中国動漫新人類」というタイトルの、その「動漫」とは、動画(アニメ)と漫画のこと。つまり、この本では、日本製のアニメとマンガに熱中する中国の「新人類」たちの実像があらゆる角度から描かれている。

 熱中とひと言で書けば軽いが、その実態はおどろくべきものがある。中国では日本産のさまざまなアニメ、マンガが海賊版というかたちで流通しており、日本以上の熱狂的人気を博しているのだという。

 たとえば、あの名作『スラムダンク』は、当然のように中国でも流行し、バスケットボールブームを巻き起こしたという。

 本書には、現在、NBAで活躍している孟達選手が、実は少年時代に『スラムダンク』を読んでバスケを始めたことが書かれている。日本のマンガが海をわたってNBA選手を生み出したのだ!

 そのほか、『鉄腕アトム』や『美少女戦士セーラームーン』など、日本の「動漫」は一通り中国でも入手できるらしい。

 それだけではない。日本製動漫の人気におどろいた中国政府は、現在、国策として良質な動漫の製作に乗り出しているという。

 本書第3章「中国政府が動漫事業に乗り出すとき」に詳述されているその実態はすさまじい。たとえば、現在、中国ではコスプレがブームになっている、と著者は書く。

 否、本書に書かれていることが事実であるとすれば、これはもうブームなどという生易しいものではないだろう。ひとつの文化として定着している、と考えるべきだと思う。

 中国の行政省庁が開いている「角色扮演嘉年華(コスプレカーニバル)」というイベントは、その参加人数じつに60万人に及び、全国放送される番組は5億5000万人が視聴しているという!

 いや、数字を間違えたわけではありません。掛け値なしに、日本の人口の数倍もの人びとがアニメやマンガのコスプレ大会を見ているのである。

 しかもそれが「国営」なのだから、日本の常識では考えられないことだろう。というか、ほかのどこの国の常識でも考えられないはずだ。

 また、著者によると、現在、中国の全高等教育機関の実に75%が、動漫関連の「専業(日本の学科に相当するらしい)」を備えているのだとか。

 まさに中国はいま、国をあげてアニメ、マンガ産業に乗り出しているのである。

 しかし、ここにひとつ矛盾がある。アニメにしろマンガにしろ、日本では、一貫して在野の民間企業によって生み出されてきた。

 政府がコンテンツ産業の価値を認めたのはついここ数年のことであり、それもまだ大きな影響を与えているとはいいがたい。

 むしろ何十年もの長さにわたって、アニメやマンガは反教育的な娯楽産業として見られてきたのだ。

 しかし、だからこそ、自由奔放な想像力が花開き、ときに反道徳的ではあっても、途轍もなくおもしろい作品が次々と生まれることになったのである。

 その想像力を国家が管理しようとするとき、はたしてそこから本当におもしろい作品が出てくるものだろうか。著者の見解は「否」に傾く。

 ようするに大衆文化とは、国家が管理しようとしても管理しきれるものではないのだ。何万何億という読者、視聴者、その一人一人の欲望に応えていくかたちでのみ、それらは真の輝きを放つ。

 いまだに絶大な権力を保つ中国政府といえど、そのすべてを管理しきることはできない。著者はここに未来の中国民主化の芽を見る。

 何とも壮大な話で、とても『セーラームーン』やら『ドラゴンボール』のこととは思えないほどだ。

 たかがアニメ、マンガ、しかし、まさに「たかが」であるからこそ、そこにはおどろくべき可能性の種子がある。これほど他国の民衆を魅了する文化を生み出しえたことを、そして長いあいだ育んできたことを、ぼくたちは誇って良いのではないだろうか。

 そして、動漫の問題を追及していく著者は、最終的にひとつの問題にぶち当たる。日本製動漫がこれほど高い人気を誇っているにもかかわらず、現代中国で反日感情が消えないのはなぜなのか。

 いったい中国の若者たちは、動漫人気と反日感情をどのようにして並存させているのだろうか。

 本書のクライマックスで整然と語られるこの部分は、並の中国論が歯が立たないような迫力に満ち、しかも説得力がある。ここで詳しく書くことはしないので、ぜひ、自分で読んでたしかめてほしい。

 著者はこの分野にかんしては「素人」なので、熱烈なアニメ、マンガファンにとってはツッコミどころが見当たるかもしれないが、サブカル好きにとっても、現代中国に関心があるひとにとっても、まず必読の名著である。

 本書の冒頭部分はネットでも読める。ぜひ一読してみてほしい。おどろくべき異世界がそこに広がっている。しかし、いっぺん見てみたいなあ。コスプレカーニバル。