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Something Orange このページをアンテナに追加

2008-04-09(水)

渚のフェイクとすら呼べん代物だ。


 「CLANNAD」を開発したビジュアルアーツやドワンゴなど5社で構成する「ai sp@ce製作委員会」は4月8日、美少女ゲームの主人公と一緒に生活ができるという3D仮想空間「ai sp@ce」(アイスペース)を今夏に公開すると発表した。美少女ゲーム作品の世界観を再現した仮想空間で、お気に入りのキャラクターを育て、一緒に生活できる。

ユーザーは、自分のアバターを作成し、お気に入りの美少女キャラクター「キャラドル」を1人選択。各作品の世界を再現した「島」にログインし、2人で一緒に生活する。家や家具を購入すれば仮想世界で“同居”も可能だ。

 キャラドルにさまざまな衣装を着せたり、モーションを覚えさせたり、ダンスをさせたり――といったことが可能。キャラドルと関係を深めながら自分の好みに育てることができる。キャラドルと会話できる仕組みも備える予定だ。

 おいおいおいおい、これはすごいな。すごいというか何というか、ま、「遂にこういうものが出てきたか」とは思うよね。

 発想的にはMMOが出てきた時点で同時に出てきてもおかしくないものだし、それほど意外性はないけれど、ほんとに作ってしまったのか、と思うと胃が痛い。

 印象としてはこの業界をよく知らないひとが「オタクはこういうの喜ぶだろ」と考えたその空想をそのまま形にしたような代物ですが、ビジュアルアーツやドワンゴなど、オタ業界の有名どころが作っているんですね。

 評判はどうなんだろう。

「ちょびっツ」の世界とか「ルサンチマン(漫画)」の中のネット内世界(アンリアル)を思い浮かべた。

やばい。これはやばい。これは流石に、なんというか閾値を超えちゃってるだろ。桃源郷過ぎるだろ。死後の世界だろ。

アバター(自分の分身)にもれなくキャラクターがくっついてきて、仮想空間で2人暮らしって、鬼だろ。考えたやつ……。

着せ替え要素で子供やらペットやらの服装で競うのと同じ心理状態に追い込んで経済的に搾取し、仮想キャラクターで心理的に依存させるっていう意図なんだろうけど、うまくできすぎてて、何か到達してはいけないものに到達してしまったという感覚がある。ドラッグと変わらんよ……。

 ……けっこう好評?

 ぼくはこんなものじゃ誰の人生も狂わないし、だれも搾取されないほうに賭ける。いくらなんでもオタを甘く見すぎでしょう。

 「2次元美少女と生活できる」といえば一見すごいようだけれど、問題はその「生活」の中身。ただ着せ替え出来るとか連れ歩くことができるというレベルじゃお話にならない。すぐに飽きるでしょ、そんなもの(追記:この箇所については完全にぼくのミスでした。詳しくはコメント欄をご覧ください)。

 もちろん、じっさいのゲームではいろいろと飽きないよう工夫されているのかもしれないけれど、それでも仮想現実ものとしては退屈な代物になると思う。とにかくオタクを、というよりは、「キャラ」というものを甘く見すぎているとは思うのです。

 ただキャラクターデザインだけ用意して、いくつか会話パターンを用意して、着せ替えできるようにすれば魅力的なキャラが出来上がる、と考えることは、これまでのオタク文化に対する侮辱じゃないか。それじゃ巧く行かないから皆いろいろ工夫するわけでしょ?

 いや、さ。マジ顔になっていうんだけれどさ、皆、こういうの欲しいか? ネット上に作られた「渚」と「会話」できて、好き勝手に着せ替えできればそれでいいのか? 渚の顔していれば満足か?

 そうじゃないんじゃね? どれだけ痛いといわれても『CLANNAD』に感動したひとはいっぱいいる。人生が変わったというひとだっている。そういうひとは何に感動したのか? 

 『CLANNAD』の物語に感動したんじゃないの? ひとりの孤独な少年と夢見がちな少女が、出逢い、恋をし、結婚し、子供を作り――そのプロセスに「人生」を見たんじゃないの?

 『CLANNAD』からその物語をはぎ取り、ただキャラクターデザインだけもってきたってそれは『CLANNAD』にはならないと思う。

 でも、とぼくは思う。ひょっとしたら、それで満足だというひともいるのだろうか? ただそれなりにかわいいキャラデだけあって、着せ替えできれば満足だというひとが。

 もしそういうひとがいるのなら、いまの日本はかれにとって天国だよね。だって、そういう水準でいえば、あらゆるオタ趣味を満足させるだけの量の作品があふれているんだから。

 アニメ、ゲーム、漫画、フィギュア、同人誌、その他いろいろ。エロも純愛も、百合もやおいも、つかみ放題とり放題、好きなだけもっていってくれ、と来たもんだ。

 でも、それ「だけ」じゃ満足できないひとのほうが多いと思うけどなあ。だからこそみな傑作を求めるわけで、もし、ただキャラ絵だけで満たされるのなら、そもそも名作だの傑作だのいらないことになってしまう。

 そうじゃないと思う。いくら、ほらかわいいでしょ? 萌えるでしょ? こういうの好きでしょ? といわれても、バックグラウンドのないキャラクターには感情移入できない。

 自分の好きなようにあやつれる電子ペットを求めているわけじゃない。そうじゃなく、たとえ自分の手はとどかないとしても、もっとかわいい、愛らしい、愛しい「キャラ」を求めているのです。

 ぼくは何も萌えを否定しているわけじゃない。そうじゃなくて、そんなの萌えないんじゃね?といいたいだけ。

 あるキャラに萌えるのは、その背負ったものに萌えるのであって、何も背景がないキャラをぽんと用意されても、感情移入しようがないと思うんだけどなあ。「あ、このデザイン、かわいいな」くらいのことは思うにしても。

 「ai sp@ceの話を最初に聞いたとき『萌え要素だけを売りにした仮想空間は成り立つのだろうか』と疑問を感じたが、CLANNADユーザーは『ずっとCLANNADの世界にひたっていたい』と思っている。自分が主人公になってゲームに入れるのは夢のような世界。ai sp@ceで楽しい人生を過ごしてもらえれば」(丘野さん)

 そりゃ、ずっと『CLANNAD』の世界に浸っていたいとは思うよ。『はてしない物語』のバスチアン少年がずっとファンタージエンに住んでいたいと思ったように。永遠に続く物語があればいいと思う。

 でも、それはいまはまだ夢だ。いまの技術ではそこにはたどり着けない。そして、もしたたどり着けたとしたら、それはオタクがどうの萌えがどうのというけちな話ではなくなるでしょう。それこそは人類の夢、遠い遠い蜃気楼の都なのだから。

 いつかは、とは思う。いつかはそこに手が届く日が来るかもしれない。でも、とりあえずこの世界での「渚」はすでに渚じゃない。渚のフェイクとすら呼べん代物だ、といいたい。