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2008-05-25(日)

『らき☆すた』が初心者には高度すぎる理由。


 「オタクになりたい」というひとに何を薦めるべきなのかについて書いた先日の記事のコメントより。

理想としては現在と過去の作品を同時進行に堪能してもらう、というのが良いのでしょうね。
しかしどうしても最初に勧める一手としたら現在進行形の人気作を勧めるのが得策な気がします
これは例えば「らきすた」放映時に「オタクになりたいならじゃあエヴァを見たまえ」と言うというのは…
リアルタイムに体験できるものは周りから得る情報量が後追いより断然多いですし
上の例にならって考えると今すぐらきすたを見ろ!と言いたくなりませんか。

 うん、ぼくも別にオタクの教養として『エヴァ』を見ろとかいうつもりはさらさらないんですけれど、ただ、『らき☆すた』は『らき☆すた』で微妙なんじゃないかなあ。

らき☆すた 1 限定版 [DVD]

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 だって、あれ、オタクの内部からすら「何がおもしろいのかわからん」という声が上がった作品ですよ。「初心者」向けとしてはちょっと高度すぎるのでは。

 何が高度なのかわからないというひとは、この記事を読んでみてください。非オタクのひととオタクのひとのやり取りをまとめた良記事です。

非「『らき☆すた』ねぇ…。」

 私「ん、そのアニメが気になるか?このアニメは去年最も話題になったアニメだな。去年このアニメの舞台になった神社にオタクが大挙して押し寄せたんだ。」

非「あ〜それ聞いたことあるな。これがそのアニメなのか…。」

 私「そうそう。」

非「ふ〜ん、しかし…オタクってのはこんな子供向けアニメ見て何が楽しいんだろうね?」

 私「…は?」

非「いや、これどう見ても子供向けの絵じゃん(笑)」

 私「…。」

 もちろん、じっさいには「大きいお友達向け(笑)」なのだけれど、そのことが全然理解できないというひとの話。

 ぼくはむしろこういう反応が出てくることは当然だと思う。『らき☆すた』は過去十数年のキャラクタ文化の蓄積の上に成り立っている作品なのだから、その歴史を知らないひとが理解できないのは自然なことかと。

 だから、ぼくは「初心者」がいきなり『らき☆すた』から入ることは「微妙」だと思います。

 たしかに『らき☆すた』から入ってこの世界にはまるひともたくさんいるでしょう。ただ、そういうセンスをもっているひとは「オタクになりたいんですけど」なんて尋ねてこないんじゃないかという気が、ぼくにはする。

 そういうひとはかってに目覚めてかってに見てかってに抜け出せなくなるんじゃないかな。

 これ、別に萌え文化だけの話じゃないですよね。ほかのあらゆる文化でも、その作品にいたるまでのプロセスを知らないと面白みが理解できないことはありえる。

 たとえば、例の『オタクはすでに死んでいる』のなかで、岡田斗司夫さんはSFについてこう書いている。

 もちろん、SF作品は生き残っています。今でもあります。SF映画もあるし、SFアニメもあります。
 それどころか日本のSF小説なんて、実はかつて大陸があった頃、いわゆる「黄金期」に比べても、レベルはうんと上がっています。今のほうが面白いと言ってもいいのです。

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

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 しかし、ぼくにいわせれば、その「レベルはうんと上がって」いることこそ、現代SFの問題点の一つなのです。

 いまを去ること数年前、SF業界では、「SFクズ論争」と呼ばれる論争がありました。時は折りしも「SF冬の時代」、もうこうなったら現代SFはすべてクズだ、と考えるべきなのではないか、と一群の批評家たちが言い出したことから始まった論争です。

 ところが、クズなんてとんでもない。現代SFは非常にレベルが高い。ただ、ハイレベルであるからこそ、入りづらいということはあるわけですね。現代SFの多くは、初心者がいきなり入門するには高度になりすぎているのです。

 ミステリだって同じ。高度になればなるほど、初心者が何気なく読んでおもしろがれるものではなくなっていく。玄人向けの凝ったミス・ディレクションを「素人」が喜んでくれるとはかぎらないわけです。

 しかし、それでもなお、作家たちは高みを求め、作品を磨きあげていく。そう、子供の積み木遊びみたいなものです。

 ある作品が別の作品に影響を与える。その作品がまた異なる作品に影響を与える。そして、その作品がまた――こういうことが数十年、数百年にわたって続くと、一見さんお断りの高度な、しかし閉鎖的な文化体系が出来上がります。

 したがって、往々にして文化とは次第に閉鎖的になっていく性質をもつといえる。ぼくには萌え文化もそろそろ一見さんお断りの世界に突入しているように見えます。

 いいかえるなら、それだけ高度になり、おもしろくなったということではある。しかし、そろそろ「積み木崩し」をしないとポピュラリティが維持できないのではないか、と思うわけです。

 オタク層に圧倒的人気を誇る『コードギアス』の視聴率が1%台から上がらないなんて話も、このことと関連しているのかも。『コードギアス』は「わかる」ひとにとってはおもしろい作品ですが、そうでないひとに対する訴求力はそれほどでもないのではないでしょうか。

コードギアス 反逆のルルーシュ R2 volume01 [Blu-ray]

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 たとえば、Nintendo Wiiの発売はゲーム業界にとってその「積み木崩し」にあたるものだったと思います。ゲームマシンとしてはむしろ低性能なWiiだけれど、そこには初心者でもわかるわかりやすいおもしろさがあった。

 こういうものが文化の開放性を維持するためには時々必要になるんじゃないかな。ある文化を維持するためには、個々の作品がハイレベルなだけじゃ足りない。むしろ一種の凡庸さが要求されることもあるのだと思います。