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2008-05-31(土)

『GUNSLINGER GIRLl』は純愛か鬼畜か。


 朝日新聞で『GUNSLINGER GIRL』が取り上げられたそうだ

GUNSLINGER GIRL 1 (電撃コミックス)

GUNSLINGER GIRL 1 (電撃コミックス)

 評者は漫画評論家の藤本由香里。この作品の内実を的確に捉えた、ごくまっとうな書評で、内容的には全く問題がない。

 リンク先記事のブクマでは、「このおどろおどろしい説明」と書かれていたりするけれど、おどろおどろしいのは説明じゃなくて作品ですからね。仕方ないんじゃないかと。

 また、その記事では、このようにも書かれている。

好きな作品が取り上げられるのは嬉しいのですが、
際立ったところのあるアニメやマンガ作品が
何かの拍子に批判の矢面に立たせられるご時勢、
こう目立つことが却って波風を立たせやしないかと
ちょっと心配になります。

 こういいたくなる気持ちはわかるけれど、よく考えてみれば、「何かの拍子に批判の矢面に立たせられること」自体は別に不当なことではない。

 一般に公開され、累計何百万部も売れている作品である以上、何かしらの批判を受けることは仕方ないことだ。もちろん、不当な批判なら問題だが、じっさいにはまだ何もいわれていないのだから、あまり先走るのも良くないと思う。

 それにしても、『GUNSLINGER GIRL』とは微妙な作品である。この作品の微妙さは、物語が複数の「読み」を許すところにある。藤本はこの作品のあらすじをこうまとめている。

 舞台は、近未来のイタリアに設定された「公益法人社会福祉公社」。表向きは政府主催の身体障害者支援事業だが、実態は、なんらかの事情で半死半生の大けがを負った少女たちの身体を機械でおきかえ、テロリストの暗殺など政府の非合法活動に従事させている団体である。少女たちはそれまでの記憶を消され、「条件付け」と呼ばれる洗脳によって、人を殺すことに罪の意識をもたず、男性の担当官に絶対的な忠誠と愛着を持つよう仕向けられている(少女と担当官の間に性的関係はない)。

 「条件付け」と鎮痛のための薬は少女たちの寿命を確実に縮め、ときには記憶障害を引き起こす。しかし少女たちは、人殺しが日常の世界を淡々と生き、彼女たちを教育する担当官との間には人間的な「約束」や交流が生まれたりもする。

 簡潔でよくまとまった内容だが、問題はその「条件付け」の中身がよくわからないところにある。

 いったいどの程度の強制力があるのか? 少女たちの感情はどこまで「条件付け」に汚染されているのか? どこかあいまいなところがのこっている。

 彼女たちは多分に自分の意思をのこしているようでもあるし、完全に「条件付け」に支配されているようでもある。どのようにでも解釈できるのだ。

 したがって、読者もまた好きなように読むことができる。ひとによっては、悪趣味で非道な物語だと思うだろう。また、センチメンタルで感動的な話だと捉えるひともいるだろう。どの「読み」も間違いとはいえない。

 むしろ、そのどちらにも安住せずどこまでも不安定に揺らぎつづけるところに『GUNSLINGER GIRL』という作品の魅力があるといえる。

 もし少女たちの感情がすべて「条件付け」のためで、フラテッロたちとの関係もその結果だとしたら、ひどい話だが、ただのひどい話である。

 もし彼女たちの感情が本物で、フラテッロたちに注ぐ愛情も本物だとしたら、欺瞞的な話だが、よくある欺瞞的な話である。

 『GUNSLINGER GIRL』はそのどちらとも結論を出さない。だからこのブラックなアクション漫画と読むこともできるし、純愛ロリコン漫画と読むこともできる。

 いや、むしろ、鬼畜ロリコン漫画と読むこともできるし、純愛ロリコン漫画と読むこともできる、というべきか。卑怯といえば卑怯だが、巧みといえば巧みである。

 「紙屋研究所」ではこの作品をこう評している。

 任務(テロリストの暴力的絶滅)の性格はまったく問われることなく、任務を果たすことのみが称揚され、愛の代償として表現される――この思想ほど貧困で、また、あやういものはない。

 しかし、その「愛」すらも単なる洗脳の結果に過ぎないとしたら? 「称揚」されているのではなく、皮肉られているに過ぎないとしたら?

 問題は、最終的にどこに落とし込むかだよなあ。いつか棚上げにしつづけた結論を出さなければならないときは来ると思う。この作品の最終的な評価は、最終回まで待たなければならないだろう。