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Something Orange このページをアンテナに追加

2008-06-23(月)

ゲームはひとを傷つけないか?


 一部で『SWAN SONG』廉価版発売のニュースが話題になっています。その情報によると、定価は5800円、発売日は7月31日とか。

 まだ確定情報とはいえないので、半信半疑(というか三信七疑くらい)ですが、もし事実ならうれしいですね。

 『SWAN SONG』は『らくえん』と並んで、ぼくのエロゲ遍歴のなかでも最高傑作というべき傑作です。一言、美しい。そうとしかいえない作品です。エロゲを称して「美しい」などという言葉を使いたくなったのは、後にも先にもこの作品を措いてありません。

 いったい何がすごいのか? とにかく陰鬱な話なんですよね。序盤こそ文明が崩壊した世界に何とか希望の灯をともそうとする努力が描かれますが、中盤以降は、あたかも人類の歴史をなぞるかのように、争いと、憎しみあいが続く。

 「その時、人は絶望に試される」というキャッチコピーは伊達ではありません。いくら努力してもどうにもならないような圧倒的な「絶望」がひたすらにひとを試す物語です。

 しかし、だからといって絶望そのものの話かというとそうじゃない。むしろ、状況が絶望的であるからこそ、そのなかで際立つ人間性がどこまでも美しく印象にのこる。

 陰惨きわまりない展開のなかに、何か明るいとすらいっていいようなものがあって、それがほのかな、本当にほのかな希望としてかがやくのです。

 これはね、本当にやってもらわないとわからないと思う。エロゲがどうこう、オタクがどうこうという以前に、一篇の物語として、比類がない傑作だといっていいでしょう。

 ただ、ショッキングな物語に耐性がないひとは手を出さない方が良いと思う。終盤は本当に半端じゃなくきびしい展開が続きます。

 それにしても、こういう作品と出あうと、このいやしの時代に、なぜこれほどまでにシリアスでなければならないのか、と思いますね。

 ことフィクションにかんしていえば、いまほど充実している時代はないでしょう。膨大な量のコンテンツが発表されていて、いつでもいくらでも楽しむことができる。

 Amazonとニコニコ動画があるだけでも一生暇つぶしに困る心配はないと思う。そういう意味ではほんとにものすごく贅沢な時代で、10年前と比較すれば比べ物にならないくらいフィクションを巡る環境は良くなったといっていいと思います。

 ただ甘い快楽を求めるだけなら、いくらでも楽しい作品がある。こういう時代に、あえて辛い物語を発表することに意味はあるのか?

 やはりそこは「ある」と答えたい。少なくともぼくにとってはあるんですね。やっぱりぼくは、百の凡作よりもただひとつの傑作を求めているのだし、その「傑作」とは、どうしても暗くきびしいものを孕んでしまうもののようです。

 ただ甘い快楽を追及しただけの作品は、代替が利かない本物のマスターピースにはなりづらい。そう思う。

 秋葉原の殺人事件の容疑者が、「アニメやゲームは自分を傷つけない」という意味の発言をしていると報道されていることが気になっています。

 たしかに世の中には自我を傷つけない、「安全な」作品がたくさん出まわっているかもしれないけれど、しかし、その一方で、現実と同じくらいきびしく、危険に満ちた、それだけに感動的な作品もある、と思うからです。

 アニメが、ゲームがひとを傷つけるとき。そのときこそ、ぼくらはその「傷」を通して、世界の真実と向き合うことが出来る。ぼくはそう思うし、甘い癒しと快楽に浸りながらも、そういう作品も求めている。

 フィクションにはこれだけのことが出来るのだ、とそう誇りたくなるような作品を。