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2008-12-22(月)

漫画と漫才の共通点。あるいは漫画における「点」と「線」。


現代の週刊連載の読者ってのは、どうも「我慢がきかない」ようなんですね。いや、週刊連載レベルには、常にこの読者の「我慢のきかなさ」ってのは、前提にあるんだろうけれども、ここ10年くらいは、その度合いは加速度的に早くなっている気がします。えっと、それは、たぶん漫画などエンターテイメントの市場が成熟しているので、かなりの消費者が物語の類型にかなり慣れ切っている・・・つまり、あるエピソードを書いた瞬間に、その帰結まで予測してしまうというリテラシーの高い消費者が多いが故に、そうでなくても週刊レベルで読者をあおりたてなければいけない週刊連載システムに、かなりの強い圧迫が加わっているんじゃーないかと思うんですよ。同様のもので、僕はつい最近終わったアニメーションの『コードギアス反逆のルルーシュ』を思い出さずにはいられません。あれもそういったジェットコースター感覚を感じずにはいられませんでした。

 ペトロニウスさんによる、『魔法先生ネギま!』の解説。

魔法先生ネギま!(24) (講談社コミックス)

魔法先生ネギま!(24) (講談社コミックス)

 この、「現代の読者は我慢ができなくなってきている」という指摘は重要だと思います。

 もちろん、「最近の読者はじっくり我慢して読む能力がない。けしからん」という意味ではありません。

 現代社会は以前に比べて娯楽が豊富になってきており、我慢して一つの作品につきあう必要はなくなってきている、ということ。

 加えて、現代の読者はリテラシーが高く、あるエピソードの発端を見ただけでその結末まで予想できてしまう、そのために、なまじの展開では満足しなくなってきつつあるのではないか、ということでもあります。

 そういう時代に適応した作品が『ネギま!』であり、『コードギアス』であるということになりますね。

MUTUALITY:CLAMP works in CODE GEASS

MUTUALITY:CLAMP works in CODE GEASS

 両作品に共通する特徴は情報密度の濃さであり、展開速度の速さです。「密度」と「速度」、このふたつは現代エンターテインメントを語る際の重要なキーワードだといえるでしょう。

 さて、ここでこんな記事を参考にもってきてみましょう。

 現代の漫才は、「M-1グランプリ」の歴史とともに急激に進化を遂げてきた。そして2008年の今、漫才を演じる上で無視することのできない2つの大きな流れがある。それは、「手数重視」と「スピード勝負」だ。

 「手数重視」とは、要するに「ボケの数が多い漫才が有利」ということ。4分という短いネタ時間の中に笑いどころを極限まで多く詰め込む、というのは最近のM-1で勝ち抜くための基本戦略となりつつある。

(中略)

 もう1つの「スピード勝負」とは、単純に言えば、スピード感のあるネタが高く評価されやすい、ということだ。もちろん、本来ならテンポが速いか遅いかだけで漫才に優劣をつけることはできない。ただ、緊張感で張り詰めた独特の雰囲気のもとで行われるM-1決勝で結果を残すためには、ある程度速いテンポの漫才で客席の空気をつかむことは不可欠になっている。おぎやはぎやPOISON GIRL BANDのゆったりした漫才では、今のM-1を制するのは難しい。

 M−1を題材にした現代漫才の解説なのですが、漫画やアニメの話と共通するものがあるように思います。

 ここで「手数」と「スピード感」と呼ばれているものは、ぼくがいうところの「密度」と「速度」に相当するのではないでしょうか。

 現代漫才は1分間により多くのネタを詰め込もうとし、現代漫画は1ページにより多くの情報を詰め込もうとする、といったら、単純すぎる解釈になってしまうかな。

 漫才にはくわしくないからあまり断定的なことは書けないのですが、漫才でも漫画でもより高速かつ高密度な作品が求められている、という程度のことはいえそうに思います。

 ただ、漫才はどうか知りませんが、漫画はただ高速で高密度であれば良いというものではありません。物語という要素が介在するからです。

 いくら膨大なキャラクタやエピソードがハイスピードで展開しても、それだけでは物語にはならない。

 仮にキャラクタやエピソードが「点」だとすると、物語とは、それらの「点」を結び付けた「線」ということになるでしょう。

 そして、「点」としてのおもしろさと、「線」としてのおもしろさは、時にバッティングするようです。

 その「点」と「線」の狭間でゆらゆらしているのが、『魔法先生ネギま!』ということになるでしょう。

 どういうことか? 一番わかりやすいのは、キャラ萌え的な要素と物語進行的な要素がぶつかりあう、ということですね。

 『ネギま!』という作品が、そのいかにも萌え漫画然とした見かけとは裏腹に、「失われた父親の背中を追いかける」という骨太な構造をもっていることはいまさらいうまでもありません。

 だから、ぼくやペトロニウスさんのような物語を愛する読者は、この作品に「「線」としてのおもしろさ」=「古典的な骨太の物語」を求めずにはいられません。

 しかし、もう一方に「「点」としてのおもしろさ」=「キャラクタやエピソードの魅力」を求める読者もいるわけです。というか、市場全体としてはそういう読者のほうが多いかもしれない。

 『ネギま!』は、この両方の読者に配慮しながら進んでいく漫画なんですね。

 この作品は、少し「線」を語りすぎたかな、と思うと、ふたたび「点」のほうに揺り戻される、ということをくり返しながら進んでいく。

 一気に物語が進んだかと思うと、キャラ単位のラブコメエピソードが挟まれたりするのは、そういうことです。『HUNTER×HUNTER』みたいに一挙に行き着くところまで行ったりはしない。

HUNTER X HUNTER26 (ジャンプ・コミックス)

HUNTER X HUNTER26 (ジャンプ・コミックス)

 悪くいえば八方美人でどっちつかずということになりますが、良くいえば絶妙なバランス感覚です。既刊24巻にわたってこの綱渡りを続けてきたという事実は驚異的としかいいようがありません。

 ペトロニウスさんが、

この『ネギま』は、これまでの赤松作品の『ラブひな』のような一話完結のラブコメディーではなく、明確なドラマツゥルギーの柱をもった、つまり、全体に流れる骨太の構造をもった作品です。僕は、この作品の大きな柱を、天才富樫義博さんの『ハンター×ハンター』と全く同じ、「幻の父性を追う」というドラマツゥルギーをその根幹に置き、それを、30名の女の子のクラスメイトという箱庭的な永遠の日常(萌えとラブコメディー)というカバーで装飾した物語だ、と思うんですよね。

 というのはそういうことでしょう。

 週刊連載という形式だと、どうしても「点」の魅力なしには話が進まないところがあるように思います。いくら遠大な伏線を張ったところで連載が打ち切られてしまえばそこで終わりですから。

 しかし、読者も決してばかではないので、ただ「点」を羅列するだけの漫画では長いあいだ惹きつけることはできない。『ネギま!』はその狭間で苦悩する作品です。

 「速度」と「密度」を重視し、より「点」としての魅力を追求しながら、あくまでもそれを「線」として結び合わせていく、『ネギま!』は、そんな、構想そのものが実験的ともいえるような、カッティング・エッジの一作だと思います。