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2009-03-09(月)

キャラ萌えは作品をダメにするか?


ペルソナ4

ペルソナ4

 『ペルソナ4』2周目終了しました。

 いや、正確にいうとまだ終わっていないのだけれど、イベントはほとんど見たし、真EDもニコニコで見たし(!)、ここら辺で切り上げてもいいかという気になった。

 本当にすばらしい作品でした。何しろ、「ゲーム性になんて興味ないね。物語さえあれば十分」とうそぶき、エロゲばかりやっていたぼくが、一気に小学生気分に戻ってどはまりしたくらい。

 すでに各所で書かれていますが、この作品の魅力の一はその「擬似高校生生活」の充実ぶりにある。

 物語はなぞめいた能力「ペルソナ」に目ざめた高校生の主人公が、その能力を用いてある殺人事件の犯人を追いかけていくところから始まります。

 この事件の展開もミッシング・リンクもののミステリ仕立てになっていて、非常によくできているのですが、それより何より平凡な日常生活が楽しい。楽しすぎる。

 それを「リア充」と見るかどうかはともかく、ちょっと過去に体験したことのない楽しさです。

 この作品では「コミュ(コミュニティ)」と呼ばれるシステムが採用されていて、事件や戦闘の合間に、友人や知人との人間関係を発展させていくことができます。

 「猫は勘定にいれません」から引用するとこんなシステム。

 このゲームのキモがコミュシステム。これはつまり、特定のキャラクターと時間を過ごすことで親密さが高まっていき、ゲームに有利な様々な効果が得られるというものです。主人公が行動できる時間帯は昼間(放課後)1回、夜1回と限られており、その中でコミュ活動や能力上昇、ダンジョン探索などをこなしていかなければなりません。ちなみに、能力には戦いに必要なものだけでなく、知識、根気、勇気など普段の学校生活に必要なものもあるのがユニークです。コミュによっては特定の条件を満たさないと派生しないものなどもありますし、昼間に会えるコミュ、夜に会えるコミュ、それぞれに会える曜日が決まっているなど複雑なルールがあるので、無駄な行動をしないように慎重に進める必要があります。

 それぞれの「コミュ」にはタロットカードのアルカナの名前が付けられているのですが、ここに登場するキャラクタたちがどいつもこいつも魅力的なんですね。

 その内訳は、冒険を共にする仲間たちを初めとして、いっしょに暮らす家族、アルバイト先で出逢う人々、川原でぼんやりしている老婦人など、多岐にわたります。

 個人的に印象深かったのは熱い(でもちょっとくさい)友情が胸に迫る「魔術師」コミュ、菜々子ちゃん(7歳)がひたすら可愛い「正義」コミュ、家族の絆が感動的な「法王」コミュ、ドラマティックな展開の「塔」コミュ、そして運動部生活が楽しい「剛毅」コミュ辺りでしょうか。

 ひとつひとつの話は他愛ないものも少なくないのですが、その他愛なさがまたいい。ふつうの高校生のふつうの日常、その楽しさがこの作品には一杯に詰まっている。

 物語とは直接関係ないこの日常描写の充実ぶりは、ギャルゲー的といってもいいと思う。

 ただし、一般的なギャルゲーでは基本的に女の子とのコミュニケーションに主眼が置かれるのに対し、このゲームでは老若男女あらゆる人間との関係がクローズアップされる。

 こういうの、好き。大好き。ある意味、究極のキャラゲーですね。

 どのキャラが好きか、とか語りはじめるとまた長くなるんだけれど、個人的にはやっぱり主人公の親友、花村陽介くん(通称ジュネス)ですかね。

 陽気で軽薄、いまふうの若者に見えて、その実、正義を愛する熱血漢。主人公のことを「相棒」と呼び、共に「マヨナカテレビ」を巡る難事件に挑みます。

 ていうか、ジュネスかわいいよ、ジュネス。クラスメイトの千枝(通称チエチャン)とのやり取りはほとんど夫婦漫才としか思えん。

 本編の設定によるとあくまで友だち同士らしいけれど、このふたりがくっついたらものすごいバカップルになる気がする。

 チエチャンは鈍そうだから、もし告白するとしたらジュネスからだよなあ。でも、友だちだと思っていたチエチャンは簡単に受け入れられないだろうから、劇場版『時をかける少女』みたいな話が展開するんだろうなあ。と、妄想は広まります。ジュネスはチエチャンの嫁!

 えっと、何の話だっけ? そうそう、『P4』はキャラゲーだ、という話。

 そういえば、こういう記事を読みました。「萌えブームのおかげでエロゲはダメになった」という、「戯言だけどね」的などうでもいい記事なのですが、「萌え」に対する反感のつよさを感じます。

 この「萌え」が作品をダメにする、あるいはダメにした、という意見はずっとあるわけですが、ぼくははっきりとうそだと思いますね。

 ぼくにいわせればいまはアニメもゲームも漫画もライトノベルもおもしろいし、とても「ダメになった」とはいえないと思うんだけれど。

 ていうか、昔のアニメとかエロゲがそんなにおもしろかったかな? たぶん『同級生』なんていまやったら特におもしろくも何ともないんじゃないかなあ。

 ま、たしかにぼくも業界が「萌え」だけになる状況は好みません。でも、現状そうなっていないし、このぶんなら心配いらないんじゃないかな。

 ていうか、問題は業界が一色に染め上げられてしまって多様性を失うことであって、そうでないかぎり、様々な要素があるほうが好ましいんじゃないか。

 その意味では「萌えが作品をダメにする。萌えオタ死ね」という意見と、「かっこつけた話だのテーマだのいらねえんだよ。しょせんエンタメだろ」という意見は、ある種、似たり寄ったりといえるかも。

 萌えがどうこう、エロがどうこう、カップリングがどうこうという、いってしまえば他愛ないことと、シリアスな物語や、ヘヴィな主題が混ざり合っているものが最高のエンターテインメントだと思うんですよ。

 そもそも、真剣なようでありふざけているようでもあり、他愛ないことと重要なことが一身に共存しているのが人間存在の真実じゃないか。他愛ないことを排除しても、重苦しいことを排除しても、作品は片手落ちになると思う。

 キャラ萌えは作品にふりかけるスパイスの一種だ、と考えてはどうか。それ一種類では単調な味になってしまうけれど、また、それなしで済ませることもできない、そういうもの。

 スパイスはスパイスであって、料理そのものではない。しかし、たくさんのスパイスがあったほうがおいしい料理ができる。そういうふうに考えることが適当なのではないかと思います。