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2009-05-18(月)

いまのライトノベル業界は悪くないと思うよ。


 「ライトノベルに携わる人々は今一度「風と共に去りぬ」を読むといい」を読んだ。

 要約すると、「ライトノベルは読みやすさを重視するあまり、小説本来の魅力である苦みを軽視している。それでは読者に飽きられてしまう。だから、たとえば『風とともに去りぬ』に学んで小説本来の魅力を勉強するべきだ」という内容。

 まず、id:skerenmiが既に書いていることだけれど、「暗さや苦さや重さが作品中で重要な役割を果たすライトノベル」はふつうに存在します。

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない (富士見ミステリー文庫)

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ブライトライツ・ホーリーランド (電撃文庫)

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円環少女 (角川スニーカー文庫)

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 それから、『ゼロの使い魔』の主人公、平賀サイトは必ずしも「読者の写し身」という次元に留まるキャラクタではありません。

 その証拠に、mixiには「平賀サイト」というコミュニティが存在し、三〇〇人以上参加している。そこそこ個性もあれば、人気もあるキャラクタなんですね。

 たしかに、第一巻の時点では没個性な巻き込まれ型キャラクタに見えますが、物語を通して成長し、ヒーローとして覚醒していきます。

 スカーレット・オハラが「最初はいやな奴だけれどだんだん魅力を発揮してくる主人公」だとしたら、サイトは「最初は没個性だけれどだんだん個性を発揮してくる主人公」なのです。

 また、

例えば、物語の冒頭で、主人公はいきなりヒロインであるルイズとキスをする。何の努力もなしに、全くの突然に。そこには、「魔法使いが使い魔と契約する儀式」という一応の名目があるのだけれど、主人公からしてみれば、何の苦労もなしにいきなり快楽にありつける。それは非常にありがたい、また都合の良い話だ。そして確かに入り込みやすく、読みやすい。しかしそれだけに、物足りなさもまた残る。

あるいは、物語の中で主人公は、剣を持つといきなり強くなるのだが、これも理由がない。とにかく異世界に来たとたん、才人は強くなっているのだ。

これは、努力することが嫌いな怠惰な読者にとっては、理想的な展開だろう。ここで例えば「才人は剣道部だった」などという設定が入り込もうものなら、運動をしたこともないような読者は、それだけでもう「才人は自分とは違う」と思い、そこで感情移入することをやめてしまって、それ以上読み進むことの興味も失う。だからライトノベルは、なるべくそういう取りこぼしをしないために、多くの読者が何の疎外感もなしに、なんの障壁もなしに読み進められるよう最大限の注意を払っているのだ。

 という意見は、以前書いた「契約・再契約」の話と直接つながってくる内容なんだけれど、第一巻だけ読んだときご都合主義に感じられる部分は、あとからちゃんとフォローされています。

 ようするに、初めがご都合主義であるぶん、あとから苦労する構造になっているわけです。最初から最後までご都合主義なだけだったらこんなに人気出ていませんよ。

 もちろん、それでもなお、『ゼロの使い魔』が甘めの小説であることは間違いないけれど、前述したように苦めの小説もあるわけです。だから、べつに心配いらない。

 あとはまあ、

 小説に限らずなんでもそうなのだが、本当の面白さや楽しみというのは、苦みや痛みと不可分なものである。コーヒーの本当のおいしさは苦みの中にこそある。小説の面白さは、感情移入しにくい、むしろ嫌悪感さえ抱かされるような、強烈で個性的なキャラクターの中にこそあるのである。

 それなんてハルヒ?

 これでは、早晩飽きられる。早晩見切りをつけられる。早晩「なんだ、小説ってこんなものか」と見限られ、以降、その読者からはライトノベルはおろか、小説そのものを読んでもらえなくなる。

 ぼくはライトノベル読みあさったあげく小説オタクになったんですが……。

 ま、以上はどうでもいい。

 多少なりともライトノベルを読んでいるひとならだれでも一読して思う程度のことに過ぎない。

 ぼくが興味深く思うのは、この意見が、先日話題になったあかほりさとるのライトノベル論とまさに正反対の内容であることです。

 あかほりさとるは「もっと軽くせよ!」といい、id:aurelianoは「もっと重くせよ!」という。いずれが正しく、いずれが誤っているのでしょうか?

 結論からいうと、ぼくには両方とも極論に思える。というか、「小説にはあるべき正しい姿がある」という思想そのものが間違えている気がする。

 小説には「正しい「型」」は存在しないと思う。あらゆることが許されている。

 もちろん、ライトノベルで描ける限界は存在するでしょう。しかし、ライトノベルもまた、その限界の枠内において、多様であることが望ましいのではないでしょうか。

 甘い作品も苦い作品もいいでしょう。重い作品も軽い作品もあるべきでしょう。むしろ、避けるべきなのは、その世界全体がある一色に染まりきってしまうことだと思います。

 そういう意味で、いまのライトノベル業界は悪くないと考えます。奇作珍作のたぐいまで含めると、本当に色々な作品がある。十年前と比べても、多様化はいちじるしいのではないかな。

 それはもちろん、業界全体が大きくなった結果、作家がニッチを求めて変化していった結果ではあるでしょう。しかし、売れ線一色の状況より、よほど良いと思う。

 それから、『ゼロの使い魔』は巻が進むほどおもしろくなるので、早く先の巻を読みましょう。

ゼロの使い魔 (MF文庫J)

ゼロの使い魔 (MF文庫J)