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2009-05-23(土)

『ジョジョ』は衰えたのか?


 荒木飛呂彦『スティール・ボール・ラン』がクライマックスを迎え、いよいよ白熱して来ている。

 莫大な賞金が賭けられた大陸横断レース〈スティール・ボール・ラン〉の裏にかくされた陰謀も明らかとなり、さいごの決戦の時は間近。はたしてジョニィを、ジャイロを待つ運命とは?

 『ジョジョの奇妙な冒険』第一巻から数えると既刊一○○巻近くなるわけだが、荒木の漫画力は一向に衰える気配を見せない。むしろ、連載媒体が月刊誌に移行して以来、絶好調を維持している。

 その緊迫感、その意外性は、歴代『ジョジョ』のなかでもベストではないだろうか。天才だね。そうぼくは思うのだが、過去の『ジョジョ』と比べ、SBRを評価しないひともいるようだ。つい先日も、そういう意見を聴いた。

 なるほど、その言い分もわからないではない。たしかに純粋なバトル漫画としては、第二部、第三部辺りのほうがおもしろいだろう。

 何といっても、ここら辺のバトルはわかりやすい。主人公たちが勝つにせよ、一敗地にまみれるにせよ、その理由は明白だった。

 そこにあったものは、主人公たちの壮絶無比な頭脳戦、いわば「智慧の戦い」であった。

 ところが、第四部、第五部と進むに連れて、戦いは、シンプルな頭脳戦とはいえなくなっていく。主人公たちの〈スタンド〉が象徴する精神力の戦いが「智慧の戦い」に混ざってくるのである。

 これをぼくは「覚悟の戦い」と呼んでいる。「智慧の戦い」がなくなったわけではないが、ただ智慧を巡らすだけでは勝負は決まらない世界へ突入していくのだ。

 そして、第六部、第七部へ入ると、バトルはさらなる進歩を遂げる。主人公たち、敵たちがもつ人生観、その生き様までもがバトルに絡まってくるようになるのである。いわば「哲学の戦い」とでも呼ぶべきだろう。

 その「哲学の戦い」を最も象徴的に表しているのが、対リンゴォ・ロードアゲイン戦だと思う。自ら「男の世界」と名づけた哲学を掲げ、公正なる決闘を挑む男リンゴォに対し、ジャイロやジョニィはそれぞれの人生を賭けて挑んでいく。

 ここにあるものは、もはや、単なる腕力の比べあいでもなければ、純粋な知恵比べでもない。ある人格とべつの人格の全存在的闘争とでもいうべきものである。

 たしかに、この「哲学の戦い」が導入された時点で、そのぶん、「智慧の戦い」のわかりやすさ、カタルシスは薄れたかもしれない。しかし、ぼくはそれを『ジョジョ』の退歩だとは思わない。進歩であると信じる。

 森博嗣が、どこかで、天才の条件とは一箇所に安住しないことである、という意味のことを書いていた。読者がいくらこのままでいてほしいと願っても、絶えず変わっていく。天才とはそういうものだと。

 その意味で、荒木飛呂彦は、紛れもなく天才作家である。「智慧の戦い」から「覚悟の戦い」、そして「哲学の戦い」を含むかたちへと『ジョジョ』のバトルが進歩してきたこと、それこそが荒木の天才の証なのだ。

 荒木飛呂彦はその栄光に満ちた過去をふりかえらない。ただひたすらに、未来へ向けてひた走っていくばかりだ。

ジョジョの奇妙な冒険 (1) (ジャンプ・コミックス)

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