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Something Orange このページをアンテナに追加

2009-06-09(火)

ノブレス・オブリージュの時代。


 先日のラジオで『Landreaall』を取り上げた。

Landreaall (14) (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)

Landreaall (14) (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)

 この作品は、数十年前に王を失い、いまは議会により運営されているアトルニア王国を舞台にしている。

 主人公のDXはアトルニアの王族で、いつか王になるかもしれない青年である。しかし、DX本人にその意思はなく、本当にかれが王位に就く日が来るのかどうかは定かではない。

 DXはひとりの若者としてアカデミーに通い、人脈を広げながら成長していく。そのあいだにアトルニアの国家としての問題点が明らかになり、いつの日か王となったDXが改革を成し遂げるのではないか、という期待を感じさせる。

 で、おもしろいのは、その社会の変革が、単純に王制から民主制へ、差別的な社会から平等な社会へ、という流れでは描かれていないこと。

 アトルニア王国はたしかに階級性に支配された、ぼくたちの目から見れば旧弊な王国であるが、しかし、よく見て行くとその階級性の長所が見えてくるのだ。

 一例を挙げるなら、王国を支える騎士たちの格好よさ。たとえばカイルという青年は、ノブレス・オブリージュ(高貴なる義務。特権的な地位にある人間はその地位にふさわしい義務を負う、という考え方)の権化のような性格で、アカデミーが怪物に襲われたとき、率先して最前線に立つ。

 このノブレス・オブリージュという考え方は、当然ながら、「平等」観念には反する。あらゆる人が平等な権利と義務をもつ、という思想とは相容れない。

 しかし、じっさいにこの作品のなかで騎士道は非常に格好よく描かれている。それを見ていると、単純な「平等」がよいこととは思えなくなってくるほどである。

 このノブレス・オブリージュの肯定は、ひとつ『Landreaall』だけの話ではなく、最近のエンターテインメントにしばしば見られることではないか、という気もする。

 たとえば、アニメ『東のエデン』では、まさにこの言葉が決め台詞として使用されている。

 その背景にあるものは、やはり、社会の変容であるのだろう。日本という国は、戦後、一億総横並びを是としてきた感がある。出る杭は徹底して打ち、抜きん出ようとする者はひきずりおろす、そういうところが、この国にはたしかにあった。

 しかし、ここに来て、それでは巧く行かないのではないか、という価値観がかえりみられる余地が出てきた、ということではないか。

 平等万歳、民主主義万歳、のアンチテーゼとしてのノブレス・オブリージュ賛歌が、ある程度の説得力をもって提示されうる時代がやって来た、ということなのかもしれない。

 そういう意味で、『Landreaall』が、あるいは『東のエデン』が、これからどういう方向に進むのか注目である。

 ぼくたちの社会が救世主を渇望していることはたしかだろう。それはあるいは独裁を待望するような危険思想であるかもしれないが、そうでもなければどうにもならないという空気があることもたしかなのである。

 『東のエデン』って、そういう話だよね。たぶん。