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Something Orange このページをアンテナに追加

2010-02-25(木)

「オタク」も「一般人」も死んだあとに。


 先日の記事がGIGAZINEに取り上げられて、こんなコメントが付けられていた。

文化、オタクという枠組みでは定義しきれない「名前のない集団」が生まれつつあるのかもしれない

 「名前のない集団」、か。じっさいにそんなものが生まれつつあるのかどうか、それは疑問の多いところだが、少なくとも従来の「オタク」という概念では捉えきれない個人が存在するようになってきていることはたしかだと思う。

 ネットではしばしば「ライトオタク」という言葉が使用されているが、若い層の「オタク」の自意識はより年長の「オタク」たちとは相当異なったものになっているに違いない。

 もちろん、まだまだ偏見もあれば差別も、優越感も劣等感もあるにしろ、上の世代ほど過剰に「オタク」を意識しなくなっていることは事実なのではないか。

 結局、アニメにしろ、漫画にしろ、単なる趣味のひとつにしか過ぎないのである。それを意識しすぎず、素直に楽しむことは健全なことだと思う。その意味では、オタク文化に対して優越感を抱くことも劣等感を感じることも、同じひとつの価値観の鏡像に過ぎない。

 さて、ここでは仮にその「名前のない集団」が生まれつつあると仮定して、それに名前を付けてみることにしよう。「オタク」と「非オタク」の境界線を意識しないということから、「ノーボーダー」というのはどうだろう?

 われながらあまりいいセンスとはいえないが、まあ、より良い名前が出てくるまでの仮のネーミングだと考えてほしい。

 ノーボーダーはもはや従来オタク文化と呼ばれた文化に対し、過剰な思い入れをもたない。劣等感も優越感もあまりない。かれにとってオタク文化とは、ほかの文化と同等の価値と意味をもつひとつの文化であるにすぎない。

 そもそも、ノーボーダーは趣味嗜好によって自分を規定することがないのだ。その文化をおもしろいと感じるうちはそれを楽しむが、そうでなくなったら(内心ざんねんに思いながら)そこから離れる。ノーボーダーにとって、文化とはそれだけのものだ。

 もちろん、ある文化に熱中するノーボーダーの態度が「オタク的」に見えることはあるだろう。しかし、ノーボーダーはその文化、その趣味に「意味」を見いださない。かれにとって、趣味とは「ただ好きなだけ」のものであって、じぶんを定義するための道具ではない。

 ノーボーダーにはじぶんをかっこよく、偉く、賢く見せるために趣味を利用するという意識が希薄なのだ。そしてまた逆に、この趣味は世間の評価が低いからいやだ、という意識もあまりない。

 他人の評価ではなく、どこまでも自分の価値観に従って趣味を選ぶのがノーボーダーなのである。「好きなものは好き」。このシンプルなひと言が最も良くノーボーダーを語っているだろう。

 もちろん、「ノーボーダーなんていってもようするにただのキモオタだろvv」というシニカルな反応は予想できる。しかし、ノーボーダーはこのような反応を気にしない。そういわれたところで、あなたがキモオタと呼びたいなら呼べばいい、としか感じないからだ。

 ノーボーダーはもはや「じぶんはオタクではない」とすらいわないだろう。かれにとって、他人にどう評されるかはどうでもいいことだ。「ノーボーダー」という呼称すら、ノーボーダーにとってはどうでもいい。

 ただ、かれは漠然と「オタク」という言葉に違和感を感じるはずである。なぜなら、かれは「オタク趣味」といわれるジャンルを愛好してはいても、それだけを特別視してはいないからである。だから、もし「オタクでもある」と評されたなら、かれは素直にうなずくに違いない。

 まあ、つまり、ノーボーダーとは「普通の人」である。ただ、いままで「普通」と呼ばれていたひとたちがもっていた偏見や差別心を持ち合わせていないだけのことなのだ。

 そう、いまままで「普通」といわれていたひとたちは、実はある特殊な時代に生まれた特殊な人種だったのではないか、とぼくは思う。ノーボーダーはそういう時代の限界を超えている。かれは本当の意味で「普通」なのだ。

 こんな記事がある。

 自分はこのブログでとあるゲームの二次創作をより多くの人に楽しんでもらうために紹介活動をしている。前回のエントリとかでも思いっきり「好き」を曝け出しちゃってるけど、「でも、例えばそのゲームを知らない人にとって、『一般人』にとって、自分は酷くキモく映ってるんじゃないか」と内心怖いのも事実だ。ナメクジを見るような目で見られているんじゃないかと。何も効果が無いどころか逆効果なんじゃないかと。

 このような心理は理解できる。しかし、ノーボーダーはもはやこのような考え方はしないだろう。じぶんは「一般人」であると考えているからではない。ノーボーダーはもはや「一般人」など存在しえない、バベル崩壊後の世界を生きているからだ。

 「一般人」は既に死んでいる。だれもが共有している趣味、価値観などどこにもない。そのことをノーボーダーは知っている。だから「一般人」がいて、「オタク」がいる、という二極的な世界像をノーボーダーは持っていない。

 かれにとって世界とは、ただ、たがいに異なる価値観をもつ無数の小集団が没交渉に存在する場所である。もっとも、ノーボーダーはその小集団のいずれにも属さない。かれは軽々とその境界線(ボーダー)を超えていくだろう。それがノーボーダーの真骨頂だ。

 というわけで、mixiで「ノーボーダー」コミュを作りました。アニメやゲームは好きだけれど、「オタク」という言葉でじぶんを定義することには違和感がある、という方はお気軽にご参加ください。だれも参加してくれないような気もするけど。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=4863728

 追記。

 敷居さんにDisられたので(涙)、「ノーボーダー」に代わる名称を募集します。いや、ぼくも微妙なネーミングだってことはわかっていたさ! うん、わかっていた。

 「辺境の者」ということで「マージナル」というのも考えたんだけれど、意味がちょっと違うんだよね。「横断するもの」ということで「クロッサー」というのはどうだろう? 微妙? ぼくはどうもこの手のセンスがない。とほほ。