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2010-04-23(金)

泣けるほどおもしろすぎるネット小説を読んだので熱烈推薦するよ。


「『あの丘の向こうに何があるんだろう?』って思ったことはないかい? 『この船の向かう先には何があるんだろう?』ってワクワクした覚えは?」

■熱烈推薦開始。

 あなたはふだん読書をするほうだろうか。特に小説や漫画などは読まれるだろうか。もしもそうなら、きっとこういう経験をしたことがあるはずだ。

 ある日、何気なく手に取った本を、たいして期待もせず、ぱらぱらとめくりはじめる。あなたにとって読書は日常の習慣で、何も特別なことではないから、新作には特別期待しない癖がついているのだ。

 ましてその作家はしらない名前、ほんの気まぐれで読んでみる気になっただけ。数時間を切り取ってくれれば儲け物、あなたはそれくらいに思っている。

 ところが、一行、二行と読み進めていくうちに、次第に違和感を感じはじめる。長年にわたって培われたあなたの鋭い直感がこう囁くのだ。これは、と、ひょっとしたら、と。

 そして数頁、あるいは数十頁をめくった時点で、あなたは遂に確信する。この作品は「違う」。じぶんの本棚にならぶほかの99%の本とは決定的に異なる種類の代物だ、と。あなたは舌なめずりしながら呟くだろう。こいつは、凄いぞ。

 読書人生の豊かさとは、幾度そういう経験を経ているかによって測ることができる。そして、そういった信じられないような奇跡の出逢いこそ、読書という行為の本質的な魅力であるといえる。そういうった出逢いはあまりにも希少で、めったにあるものではなく、それ故にダイヤモンドの価値を持っているのである。

 前置きが長くなったが、今回、ぼくが推薦する小説もそういう経緯を経て読んだものだ。ただし、これはペーパーメディアの作品ではない。ネットの片隅で書かれたネット小説である。

 発表されてからしばらく経つから既にしっているひとはしっているだろうし、あるいはネット小説界隈では有名な作品なのかもしれない(ぼくはその方面にはくわしくないのでなんともいえない)。

 しかし、それでもなお、まだまだこの作品がその価値にふさわしい声望を得ているとは思えない。あきらかにこれはもっと広く読まれるべきだ。そう確信しているから、ぼくはこれからこの作品を熱烈に推薦しようと思う。このブログは元々そういう使い方をするためにあるのだ。

■『十二国記』や『銀英伝』に比肩。

 その小説、「魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」」は先日、Twitterで紹介されているものを見つけて読みはじめたのだけれど、一読、魅了された。

 元々は2ちゃんねるに発表されたものであるようだが、まとめサイトがあるので、そちらで読むといいと思う。

http://maouyusya2828.web.fc2.com/index.html

 文庫数冊分の分量があるが、きわめて読みやすい文体で書かれているので、読み進めるのに苦労はしないだろう。約束しよう。読み終えた暁には、きっとかけた労力に見合うだけの感動を手に入れることができる、と。

 オリジナルな世界や詳細な描写、巧みな文章こそ欠けているものの、大河小説としての構成の妙は、たとえば『十二国記』や『銀河英雄伝説』といったペーパーメディアの最高傑作群に比肩する。

 だから、ぜひ、ぼくを信じて読んでみてほしい。1スレッド目の前半を読んだだけでも、この破格の物語のおもしろさの一端はわかるはずだ。

 さて、本作は、タイトルからわかるように、『ドラゴンクエスト』の世界観をベースにしたある種の二次創作小説である。しかし、『ドラクエ』と接続しているのは「魔王」「勇者」といった固有名詞と、後半であきらかになるある設定くらいのもので、基本的にはオリジナルの世界と人物と物語を描いた作品だといえる。

 少なくとも『ドラクエ』をしらなければ理解できないなどということは全くない。『ドラクエ』を未経験の方も安心して読んでいってほしい。

 しかし、少しでも『ドラクエ』をしっているひとならば、作者が巧妙にその構造を換骨奪胎していることがわかり、さらに楽しめることだろう。

 冒頭からして痺れる。物語は、魔界を統べる魔王が「彼女」を打倒するためにやって来た勇者に誘惑を仕掛けるところから始まる。魔王はいう。「この我のものとなれ、勇者よ」。勇者は答える。「断る!」。

■勧善懲悪を超えていく。

 これはもちろん、『ドラゴンクエスト』のクライマックスでの有名なやり取りのパロディだ。つまり、この物語はひとつの物語の結末から始まっているのだ。

 しかし、ここから物語は『ドラクエ』とは全く正反対の方向へと進んでいく。お前は悪だ、と告げる勇者に対し、女性魔王はいうのだ。「人間が魔族を殺していないとでも? 魔族は悪で人間が善だって誰が決めたんだ?」。

 この言葉に勇者は沈黙するしかない。そして、魔王はあくまでも誘惑をはねのける勇者に対し、「自分自身」を差し出すことで、勇者の協力を獲得する。

 こうして魔王は勇者のものとなり、魔王は勇者のものとなる。この神聖な「契約」が、この物語のすべての基板とり、物語世界にさまざまな影響を波及させていくことになる。

 ここを読んだだけでも、勘のいい読者なら、作者が『ドラクエ』的な勧善懲悪の価値観を転倒させようとしていることに気づくだろう。そして、あるいは失望するかもしれない。なんだ、よくある勧善懲悪の善悪を逆転させたパターンか、と。

 違う。この物語の射程はそこにとどまるものではない。単純に『ドラクエ』的な勧善懲悪を逆転させただけの作品ならいくらでもある。この作品がすごいのは、そもそも正義とは何で、邪悪とは何か、その概念を根本から問いなおしているところにある。

 そしてまた、物語を通して戦争と平和、豊かさと貧しさ、愛情と契約といったさまざまな対立概念は解体されていく。そう、この二元論的に対立しているように見える概念の解体と再構築こそ、この物語を一貫しているテーマである。

 このテーマは勇者と魔王という対立軸の解体から始まり、物語のあらゆる局面に発見することができる。しかし、まあ、先走りすぎることはよそう。この「ドラクエSS」がすごいのは、何も高尚なテーマを語っているからではない。一本のエンターテインメントとして、ひたすらにおもしろいからである。

 この物語の構成はおよそ娯楽小説としての最高水準にある。もちろん、克明な描写はそこにはない。いわば、小説としての肉付きはない。しかし、その骨格はきわめて堅牢なものである。2ちゃんねるに即興で書かれていったものだとは信じられないくらい、丁寧に構成された物語だといえる。

 少なくとも一般のアマチュア小説のレベルからはあきらかに逸脱している。とにかく無駄がない。ひとつひとつのエピソードが意外なかたちで絡み合いながら話を進めていくさまは、群像劇のお手本を見るようである。

■地道な革命のプロセス。

 さて、ただふたり、世界を変えることを誓い合った勇者と魔王はまさに意外なところから改革の口火を切る。食料革命や医療革命である。馬鈴薯(じゃがいも)や種痘を普及させることによって、飢餓と天然痘という人間世界に蔓延る残酷を解決しようと試みるのだ。

 気が遠くなるような壮大遠大なプロジェクト。しかし、期限はわずか数年、そのあいだに世界を変えることができなければ、この世界は滅亡へとひた走ることになる。

 そしてまた、魔王と勇者が協力しているという事実は秘密にしなければならない。強烈なサスペンスで物語は進んでいく。

 人類史を圧縮したかのようなその展開の興趣は、たとえば『シヴィライゼーション』のようなシミュレーションゲームのおもしろさに近いだろう。

 しかしまた、正義を掲げる勇者と邪悪を束ねる魔王、いかに世界に冠絶するふたりといえども、ただふたりだけで世界を変えることはできない。かれらにできることは「種をまく」ことである。

 人間界と、そして魔界に人材の種をまき、それが発芽し花開き実をつけるのを待つ。ただそれだけがこの世界を救うための希望なのだ。

 したがって、この物語は『ドラゴンクエスト』的なシンプルなヒロイズムの物語ではなく、無数の人びとのひとつひとつは小さな、しかし懸命な努力と献身を描く群像劇となる。

 群像劇はおもしろい。これは事実だが、それは物語が緻密に繊細に構成されていればの話である。無数の視点人物を配して次々に視点移動しながら話を語っていくやり方は、一歩間違えれば物語に停滞と崩壊をもたらすだろう。

 しかし、ふしぎとこの作者はその一歩を間違えない。かれは(かれ、だと思うのだが)あぶみひとつでロデオをこなす名騎手さながら、物語という奔馬を御してのける。

 そこで登場するのが各国の王侯たちや、農奴の姉妹、「師弟」と呼ばれる新たな登場人物たちである。いいわすれていたが、この物語では登場人物は固有名を持たない。ただ「魔王」とか「青年商人」、「奏楽師弟」などと呼ばれるばかりである。

 しかし、物語を経るほどに、それらの「名前」が輝くばかりの魅力で読むものを圧倒しはじめる。

■キャラクター小説として珠玉。

 そう、単なるキャラクター小説として読んでもこの作品は珠玉である。強大な力を持ちつつも破壊と殺戮に特化した己に悩む勇者、経済学の泰斗でありながら一歩経済を離れるとひとりでは何もできない魔王、このふたりを初めとして、多彩な人材が物語を彩っている。

 なかでも、魔王から直々に教育を受けた「弟子」たちの魅力は格別だ。貴族師弟、商人師弟、軍人師弟――かれらは初め、どこにでもいる平凡な少年たちに過ぎない。

 しかし、魔王というその時代最高のインテリジェンスにふれることで、覚醒し、じぶんの使命を自覚していく。魔王がまいた種であるかれらは、それぞれに見事な花を咲かせるのである。

 かつて農奴であったメイド姉が、その天才的な頭脳を活かし、世界の命運を担うプレイヤーのひとりにまで成長していくプロセスなどはほとんど感涙を禁じえないほど。

 だから、この小説は、一面、正しい意味でのビルドゥングス・ロマン、教養小説としての顔も持っているといえる。

 それら無数の人物を巻き込みながら、波乱万丈、一読巻をおくことあたわざる破格のおもしろさで物語は進んでいく。一本のライトノベルとして読んでも、まず失望することはないだろう。

 だがまた、同時に、本作の射程はそこにとどまるものではない。この作品は単なる一本の格別におもしろい娯楽小説、というのですらないのだ。

 いずみのさん(id:izumino)の言葉を借りるなら、これは読むものの人生を変えるほどの作品である。なぜ、それほどまでにひとのモチベーションを喚起する力を持っているのか。それは、この小説が「理想の感染」の物語だからだろう。

 始まりは魔王、世界の果ての図書館にこもり、ひとり研究にいそしむ女性が「丘の向こうを見たい」と夢を抱くところから始まる。その夢、理想は、さいしょに勇者へと「感染」し、ひとりはふたりになる。

 そして、そこからすべては始まる。かれらの掲げる理想は、次第に周囲の人びとに「感染」していくことになる。メイド姉妹、三人の「師弟」たち、そして青年商人、冬寂王、かれらは時代の限界を超え、経済を発展させ、文明を進歩させていく。そう、これは「感染」の物語だ。

 魔王――その戦乱の暗黒時代にただひとり、進歩という名の夢を見た女性の言葉が、ゆっくりと、次第に、世界に広がっていき、遂には世界を変える、そういう物語だ。

■圧縮された人類史を読みすすめるスリル。

 この小説を読みすすめるものは、そのうちに、教科書で一応しってはいるそれぞれの技術が、人類の歴史にとってどれほど革新的な意味を持っていたのか、実感をもってしることになるだろう。

 ジャガイモがどれほど多くの生命を救ってきたのか、種痘がどれほど偉大な技術なのか、あるいは民主主義や憲法がどれほど重い存在であるのか、歴史教科書には無味乾燥な記述として掲載されているそれらの事実が、まさに迫真の実感をもって迫ってくるのである。

 すばらしい。読者は物語のなかに圧縮された人類史を追いかけていくうちに、ぼくたちがあたりまえとして享受しているものの真の偉大さに気づくことになるのである。

 だが、勇者と魔王にのこされた時間はそれほど多くない。魔王の目算によればわずか三年、その時間のうちに新たな解決策を見つけ出すことができなければ、世界は戦争と破綻の方向に向かうことだろう。

 早く世界を進歩させなければ。丘の向こうを見るために。海の彼方を望むために。しかし――しかし、そう、進歩は本当に正しいのだろうか? 変化は本当に美しいのだろうか? 物語は、そこまで問い詰めていく。

 はたしていまのこの世界を維持することは間違えているのか? 本当に新しい世界は希望に満ちているのか? この問いはあまりに重く、厳しい。なぜなら、じっさいに魔王が開発した技術によって巨大な戦争が巻き起こっていくからだ。

 そしてまたぼくたちは血と混乱に満ちた二十世紀をしっている。奇形的に発達した兵器が幾千万の人びとを殺した歴史を憶えている。だから、単純に進歩を礼賛することはできないだろう。

 だが、それでもなお、そこに、留められない想いがある。血が河をなし、屍が山を形づくるとも、止められない想い。ひと目あしたを見たいという願い。そして人びとはあしたのためにそれぞれの戦場でたたかう。

■ひとにはそれぞれの戦場がある。

 この小説が傑出しているのは、たたかうべき戦場はそのひとによって違うということを克明に描き出している点にある。この小説では、ひとりひとりが異なる役目を背負っていることが、実に緻密に描写されている。

 魔王には魔王にしかできない役目があり、勇者には勇者にしかなしえないことがある。そこまでならほかの作家でも描きえたかもしれない。しかし、この作品では、音楽や商業や医療や土木工事が歴史にいかに大きなインパクトを与えるか、そのことも戦争と並行して描かれるのだ。

 ファンタジー世界に経済の概念を持ち込んだという点で、本作はたとえば『狼と香辛料』に似ているかもしれない。だが、『狼と香辛料』が(近作は読んでいないのでしらないが)、比較的小規模なスケールでの物語を描いているのに対しこの物語は世界規模での経済の発展とさまざまなプレイヤーたちの経済戦を描写している。

 より正確により迅速に先を読んだものが勝利する武器なきたたかい。それは「豊かさ」を、「幸せ」を求めるたたかいである。

 経済と商業とを愛し、どこまでもリアリズムに従って動く青年商人はこの物語を代表するキャラクターの一人といえるだろう。かれはある意味で打算的にしか動かない人物なのだが、まさにそうであるからこそ、その行動は世界をも変えていく。

 あらゆる術策を弄して国家や教会を相手取ったたたかいをくり広げるかれはどこまでもスマートで格好いい。ぼくはあっというまにファンになってしまった。

 そう、この物語には大仰なイデオロギーを掲げる人物はほとんど出てこない。だれもがどこまでも地道に目の前の一歩を踏みしめていくことしか考えていない。おそらくはそれが魔王が「感染」させた思想だからだろう。そして魔王の弟子たちは世界を支える屋台骨にまで成長していくのである。涙を禁じえない。

■おもしろすぎて泣けてくる。

 そう、タイトルにも書いた通り、これは本当に「泣ける」小説だ。読んでいると登場人物たちのあまりの高潔さ、高貴さ、無私の勇気と自己犠牲に涙が出てくるのだ。

 べつだん、だれが死んだとか病になったという話ではないにもかかわらず、ぼくは読みすすめるうちに幾たびも感涙を禁じえなかった。こんなことは、めったにあることではない。たいていの物語の類型には飽き飽きしているぼくなのだ。

 けれど、この物語のなかにある炎は、ぼくの心にも燃え移った。これは、生きていく勇気がわいてくる物語だ。そしてクライマックス、さらに物語は奇跡のような展開を紡いでいく。

 悪夢のように続く戦争のなか、幾人もの人びとがじぶんの役目を果たすことによって、世界を救おうとするのである。ここに、魔王と勇者がまいた種は花開き、いまにも傷つき、たおれようとしているかれらを、世界の恩人を救う。

 メイド姉の知略、青年商人の怜悧、あるいは貴族師弟の瀟洒に軍人師弟の軍略、いずれも印象深い。それぞれ性質が異なる、しかしそれぞれに無二の個性が、この世界を支えているのだ、と本作を読むとわかる気がする。

 ここには、コンプレックスやルサンチマンを持つものはいない。より多くの才能を恵まれて生まれてきたものを妬むものもいない。ただ、だれもがそれぞれの役目を正しく果たそうとして努力しつづけているばかりである。

 ここには人間存在の、この物語の言葉を借りれば「魂をもつもの」の希望がある。人間はなんとすばらしいのだろう。暖かいのだろう。優しいのだろう。読みすすめるうちにそう思わずにはいられなくなっていく。

 もちろん、同時に人間の冷酷さ、愚劣さ、邪悪さもたっぷりと描きこまれてはいる。水は低きに流れる。ひとの心は安易な方向に落ちていく。しかし、それでもなお、そこにはあしたをめざす想いがあり、だからこそ世界は変わっていくのだ。

 傑作だ。本当に本物の傑作だ。読むことの真の喜びに満ちた幸福な読書体験だった。若い頃、『アルスラーン戦記』や『グイン・サーガ』を初めて読んだときに匹敵する、奇跡のような物語体験。

■いいから読め!

 いずみのさん(id:izumino)ではないが、本当に作者は何者なのだろう、と思わずにはいられない。いったい何者が、これほどに楽しく、おもしろく、またふしぎな魅惑に満ちた物語を書きえたというのだろうか、と。

 キャラクターの描写があくまでライトノベルふうなので違和を感じるひともいるかもしれないが、しかしこの作品を読みのがすのは勿体ない。これは、まずめったにない本物の傑作である。お金を払う必要もなく、リンク先に飛ぶだけで読めるのだから、ぜひ一読してみてほしい。

 本当に、この小説の光輝を正しく伝えられないじぶんの言葉の無力さがうらめしいような気分だ。

 そして勇者たちは「丘の向こう」をめざして去っていき、物語は終わる。ぼくは一杯の珈琲を啜りながら、しあわせなため息をつく。なんという物語だったのだろう。

 読み終えて、ふたたびぼくの頬を流れる一条の涙。それは、この物語に出逢えたことに対する感謝の涙だ。在るべきところへと精霊が還り、大陸の上空を不死鳥が飛ぶとき、ぼくもまたその光景を幻視しえたようにすら思えた。

 考えられるかぎり最も美しい結末がここにある。万難を廃して(一難もないと思うが)読むべし。そしてぼくと語り合いましょう。