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2011-03-25(金)

『3月のライオン』は現実をなぞるのか。

 ひぐちアサ『おおきく振りかぶって』の最新刊が出た。じつは連載は既に休止期間に入っているのだが、原稿のストックが数巻ぶんはあるはずなので、単行本はこれからも刊行されつづけるだろう。

おおきく振りかぶって(16) (アフタヌーンKC)

おおきく振りかぶって(16) (アフタヌーンKC)

 連載をリアルタイムに追いかけている人間からすると、単行本は「あれ、まだここだったのか」と当惑させられるほど昔の物語を描いているので、単行本が連載に追いつくまでには、まだしばらくかかると思う。ひょっとして、単行本の刊行が遅れていたのは連載を休むときのためだったのだろうか。うーむ。

 さて、この巻では物語は主人公の三橋たちが敗れたあとの甲子園予選を追いかけている。これがまた、長いんだよなあ。正直、ぼくとしてはこのエピソードはもっとばっさり削ってほしかった。

 仮に三橋たちが甲子園で優勝するとすると、そこにいたるまであと何十巻、何十年かかるかわからない。大げさではなく、100巻かかるかもしれない。それはね、ちょっとね、いくらなんでもね、勘弁してほしいところ。

 あたりまえだが、どんな漫画も、起こったことすべてを順番に描いていくわけではない。作家はその作品のコンセプトに基づき、必要なものだけを描き、必要ないものを切り捨てる。「エピソードの伐採」である。

 で、この漫画のコンセプトは、やはり三橋の成長物語だと思うのだ。『おお振り』は三橋が活躍しているときがいちばんおもしろい。じっさい、このあと三橋がふたたび活躍しだすと、またテンションが上がってくるのである。

 ぼくとしては、むやみと群像劇にして展開を遅らせることはやめてほしいのだが――どうなんだろうなあ。そこらへん、どう考えているんだろ。

 ふと思う。ひとつの連載があまりに長く続くと、その執筆行為は作家にとって「日常」、「お仕事」になり、それを終わらせるというイメージが浮かびづらくなるのではないか。いやまあ、漫画家やったことないので、想像だけれど。

 『おお振り』はたしかに十分におもしろい漫画だが、正直にいってしまえば、初期展開の神がかり的なおもしろさは既にないと思う。今後の展開には、期待とともに、不安ものこる。

 さて、その一方でよりコンセプトに忠実に見えるのが、羽海野チカ『3月のライオン』である。

3月のライオン (1) (ジェッツコミックス)

3月のライオン (1) (ジェッツコミックス)

 『おお振り』と『3月のライオン』に直接の関係はないが、ぼくの目には、この両作品はいかにも対照的に見える。なかなか話が進まない『おお振り』に対し、『3月のライオン』は、少しずつ、しかし着実に進んでいく。その展開には、実に無駄がない。スマートで、スタイリッシュだ。

 今週号の『ヤングアニマル』における展開には、唸らされた読者も多いだろう。ついに、と。物語のなかで、時計は着々と針を刻む。その動きは決してとまることがない。その着実さこそが、ひとを魅了する。

 『3月のライオン』の二階堂のモデルになっているのは、故村山聖九段だと思われる。20代で夭折したこの病弱の棋士については、名著『聖の青春』にくわしい。

聖の青春 (講談社文庫)

聖の青春 (講談社文庫)

 ぼくがいままで読んだ本のなかでも一、二を争う泣かせる内容なので、オススメである。

 『3月のライオン』の二階堂が村山と同じ運命をたどるかどうかについてはまだわからないわけだが、可能性としてはありえることだと思う。愛すべきキャラクターをもつこの棋士を、ぼくはもう親しい友人のように思っている。ぜひ、その運命を全うしてもらいたいものだ。それが、どんな苦難の道であるとしても。