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2011-04-01(金)

『修羅の門』のロマン、『範馬刃牙』のリアル。


修羅の門 第弐門(1) (講談社コミックス月刊マガジン)

修羅の門 第弐門(1) (講談社コミックス月刊マガジン)

 90年代、3000万部を売り上げた格闘漫画の金字塔、『修羅の門』の続編、『修羅の門 第二門』第1巻が発売された。十数年ぶりの再開であるが、作中では2年しか経っていない。しかし、その2年のあいだにも様々なところで様々なことが移り変わっている。そこに、かつて最強を謳われた陸奥圓明流の後継者、陸奥九十九が帰ってくるのだ。

 十数年もの長いブランクを経て復活した作品が、果たして、往年の熱を伝えることができるか? 期待と疑問が錯綜するところだが、この第1巻はまず、順当な立ち上がりといっていいと思う。

 続編ブームのご時世である。出版不況といわれるなか、かつて『北斗の拳』や『CITY HUNTER』を初めとして、無数の名作が続編や番外編を発表した。しかし、それらの作品は、多く、以前のオーラを失っていた。その作品を名作たらしめていた何か、時代の息吹とでもいうべきものが、そこからはなくなっていたのだ。

 その一方で、わずかながら成功した作品もある。たとえば樹なつみの『花咲ける青少年 特別編』がそうだし、どうやら、この『修羅の門 第二門』もそうなりそうだ。

 『修羅の門』を読むとき、ぼくが思い浮かべるのは「ロマン」という言葉である。『範馬刃牙』と比べるとよくわかる。同じ格闘漫画でも、『修羅の門』はロマンティックであり、『範馬刃牙』はリアリスティックであると思うのだ。

 いったい、あの『範馬刃牙』のどこがリアリスティックだというのか? べつだん、その内容が現実的だというのではない。ただ、そこで志向されているものは、あくまで現実的な価値だと思うのである。『範馬刃牙』で問われているものは、現実に影響を及ぼす力である。範馬勇次郎が偉大なのは、世界最強のアメリカ軍ですら恐れる力を現実に持っているからなのだ。

 しかし、『修羅の門』では違う。『修羅の門』では、最強の格闘家といえども、人間を超越した力は持っていない。軍隊相手にたたかえるような力はないのだ。それでもなお、かれらは最強を求めて命がけでたたかい、そうして時には非命に倒れる。そこで問題となっているものは、何かかたちのない精神――すなわち、ロマンであるように思う。

 たしかに九十九は最強の座を目指すが、それは、「アメリカ軍にも比肩する力」といった具体的なものではない。あるような、ないような――不確実な蜃気楼を求めてかれらはたたかっている。

 だから、『修羅の門』の各登場人物の力量を、ピラミッド型の表で表すことは困難である。だれが強く、だれが弱いかは必ずしも定かではない。実力的に上位に来るはずの人物であっても、命を賭けてたたかう気概がなければ怖くはないということはいえてしまうのだ。

 かたちのない最強幻想。それを追い求める生き様を、格好いいと思うか、ばかばかしいと思う、それはひとそれぞれではある。あるいは、ばかばかしいと思うひとのほうが多いかも知れないが、ぼくはこのロマンを支持する。

 前作は最終的に九十九がひとを殺してしまうところで終わっていたのだが、今回は果たしてどうなるのか。楽しみに待ちたいと思う。また、長いたたかいが始まる。

 ところで、リアルの力を求め続けた結果、迷路に入ったように見える『範馬刃牙』であるが、いよいよというかようやく、ファイナルバトルが始まるようだ。こちらはこちらで、まあ、一応、楽しみではある。一応ね。