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2012-03-08(木)

南京事件否認論の恐怖。


 前回のメールマガジンで南京事件否認論について書いたところ、感想のメールをいただきました。南京事件の実在に対して否定的なご意見でした。私信であり、ちょっと公開して良いものかどうかわからないので、引用は控えますが、要点は「南京事件は一次資料が少ないから信用できない」ということだと思います。

 ぼくは南京事件について議論するつもりはありませんが、以下、簡単にこれに反論してみたいと思います。というかまあね、南京事件を証明する一次資料は普通にあるよ、って話なんですが。

 たとえば、ぼくの手元にある『南京事件資料集』。二冊組の分厚い本なのですが、ここに収録されているのはほとんどが南京事件の一次資料です。「1 アメリカ関係資料編」、「2 中国関係資料編」と分かれていますが、いずれにしろ南京事件の実在を示していることに変わりはありません。

 というか、この資料集を読んでいると「実在したか、しないか」などというレベルで議論することがばかばかしくなってくる。無慮1000ページに及ぶ資料があって、それらが皆、南京事件の実在を前提にして書かれているのですから。

 これらがすべて嘘、ないし捏造でない限り、南京事件の存在は否定できないということになるのです。ほかにも南京事件の資料集はあって、重要なところでは『南京戦史』、『南京戦史資料集』があるのですが、これは非売品で、ぼくは持っていません。

 本当は読んでいなければいけないのだけれど、古本屋でも万円単位で売られているので、なかなか手がでないのです。すいません。この資料集には日本の軍人たちの日記などが収録されているそうです。

 それ以外の資料というと、ラーベの日記、ミニー・ヴォートリンの日記などが有名ですが、そのほかにも資料はあって、たとえば『ドイツ外交官の見た南京事件』には南京事件に直面した外国人たちの苦悩の日々が率直に綴られています。

資料 ドイツ外交官の見た南京事件

資料 ドイツ外交官の見た南京事件

 有名な話ですが、南京事件当時、南京にいたのは日本人と中国人だけではなく、何十名かの外国人が残っていました。かれらは南京に残された中国人を守るため偉大な仕事をなしとげるのですが、その外国人たちがのこした記録がこれです。

 というわけで、「アウシュヴィッツは一次資料がたくさん残されているから本当だが、南京事件は資料が少ないから疑わしい」などということはとても言えないのです。

 この文章を読んでもまだ疑わしいと思うひとは、『ドイツ外交官の見た南京事件』を読んでみればいいのです。べつだん、歴史の玄人でなくても、南京事件を否定することはできなくなるでしょう。

 さらに『南京事件の日々 ミニー・ヴォートリンの日記』あたりを読むと、南京で当時、どれほどの強姦事件が起きていたかの一端を知ることができます。楽しい読書とはいえませんが、人間が獣と化した姿を見ることはできます。

 ちなみに上記の『ドイツ外交官の見た南京事件』に付いているレビューコメントはこんな感じ。

 非常に落ち着いた筆致で事態の推移を記しており、中国がでっち上げているような40万人が殺されたような雰囲気は全く感じられない。逃げずにおとなしく殺されるほど、中国人は愚かなのかと問いたいところだ。本書から察するに、犠牲者の数は、数万人レベルだろう。歴史を平気で捏造し、被害者意識をプロパガンダで創りだしている国に未来は無い。

 恐ろしいことに「数万人レベル」の虐殺があったことを事実として認めながら開き直っている。「逃げずにおとなしく殺されるほど、中国人は愚かなのか」などといっているけれど、いったいどこに逃げれば良かったのやら。

 中国の「犠牲者30万人説」に問題があることはたしかだけれど、しかしだからといって「ほんの4、5万人しか殺されていないのに30万人殺されたというなんてウソつき!」などと叫ぶことは理性のある人なら普通しないでしょう。数万人でも十分大虐殺と呼ぶべきなのだから。

 東日本大震災の倍もの死者がひとつの都市で出た、と考えてみればそのむごたらしさがわかると思うのだけれどなあ。

 ぼくはただ数だけ取り上げて五万人だ、いや十万人だ、と議論することにはいいようのないむなしさを感じます。問題は、殺されたひとりひとりに家族があり、夢があり、かけがえのない人生があったことであり、日本軍の兵士たちが非情にそれを奪っていったということなのですから。

 その日本兵たちも、決して生来、悪魔的人格だったということではなく、「戦争」という巨大なシステムのなかで変貌せざるを得なかったのだと考えられます。

 ここまで考えて、ぼくたちはようやく戦争とは何なのだろう、と真剣に考えることができるかもしれません。以上、南京事件の基礎の基礎のお話でした、とさ。

 さて、上記の文章を書いたあと、南京事件についての本を色々読みなおすついでに、『ミニー・ヴォートリンの日記』のAmazonレビューを見ていたら、例によってトンデモない文章を見つけた。

 南京安全区国際委員会の報告書や同委員長ジョン・ラーベの日記などから明らかなように、1937年12月13日の南京陥落前後から、中立のはずの安全区には市民服を着、武器を隠し持った中国軍敗残兵や便衣兵が数万人規模で潜んで敵対・反日宣伝行為に従事していた。

 ヴォートリンはこの点について故意にかどうか、全く触れていないが、当時安全区内に潜んでいた中国将校自身の「夜悪事を働いているのは中国兵」との証言や、女史や国際委員会も認める日本軍の転進による駐屯兵士数の減少、「安全区外には兵士も難民も殆どいない」状況からしても、女史の言うところの「略奪・放火・強姦(殺人は滅多に起こっていない)をしている兵士」とは中国兵である可能性が非常に高い。

 女史が一番心配して解決に奔走していた「拉致された男達」の問題についても、中国軍の『拉夫』(戦場近辺で市民を誘拐し銃をいきなり持たせて兵士に仕立て上げる)の伝統を知っていれば犯人が誰かは自ずと明らかであろう。

 実のところ、実際に女史や他の西洋人達が出会った日本兵や憲兵は、皆揃って「感じの良い」「友好的な」まじめそうな者ばかりであって、悪さをしているところは誰も実際には見ていない。

 ヴォートリンや他の西洋人が「見た」という「事件」は、全てが「中国人に連れられて行ってみるとそこに『被害者』がいた」というヤラセの類であった。

 また本書には、多くの中国人庶民(老百姓)による(日本兵に)略奪品を売る商売が繁盛していること、日本兵が探していたのは素人の女性でなく「花枯娘(娼婦)」であったこと、などなど、むしろ日本軍側の言い分を傍証する記述が多く見られる。

 「客観的」であるが故に「決定的証拠」とされた南京の西洋人達の「目撃証拠」が実は『南京虐殺』の『反証』であるという(『否定派』の研究者がずっと主張してきた)事実を、本書は改めて世に晒した。

 ミニー・ヴォートリン自身は「日本兵による略奪・強姦・殺人」の残虐さを書いているというのに、それはすべて「中国人がやったのだ」というのである!

 じっさいにこの日記を読んでも、事件が「中国兵によるヤラセ」だと考えるような根拠などどこにもないのだが。というか、はっきりと「日本兵がやった」と繰り返し書いてあるのだが。もうここまで来ると、「否認の病」は宗教の次元に到達しているとしかいいようがない。

 「悪さをしているところは誰も実際には見ていない」というが、たとえば本書68ページにははっきりと日本兵が少女を強姦している様子を見たと書かれている。

 それからは、日本兵の一団を追い出してもまた別の一団がいるといった具合で、キャンパスの端から端まで行ったりきたりして午前中が過ぎてしまった。南山にはたしか三回行ったと思う。そのあとキャンパスの裏手まできたとき、教職員宿舎へ行くようにと、取り乱したような声で言われた。その二階に日本兵が上がって行った、という。教職員宿舎二階の五三八号室に行ってみると、その入り口に一人の兵士が立ち、そして、室内ではもう一人の兵士が不運な少女をすでに強姦している最中だった。日本大使館に書いてもらった一筆を見せたことと、わたしが駆けつけたことで、二人は慌てて逃げ出した。

 このひとは、たしかにこの本を読んだはずなのに、どうもこの記述が意味するものが見えないらしいのである。これが「否認」の病なのだ。否認者はどんなに目の前に証拠を突きつけられても事実を否定する。

 べつのレビュアーが「これを読んで、南京では日本軍は虐殺しなかった。強姦は最小限にとどめられた。という見解に依然なるなら、もはや何を読んでもどんな証言を聞いても、その人は虐殺否定の先入観でしか見れないのだと思う。」と書いているが、まさにその通り。

 もはや、かれらに対してはいかなる証拠も、論理も、無意味でしかないだろう。南京事件否認論の不気味さはまさにそこにある。かれらは何がどうしても認めないのだ。まるで「地球は平らだ」と信じて疑わないひとたちのように。信じるのはかってだが、ひとに押し付けるのはやめてほしいものである。


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 付記。

 メールをいただいたので、お返事をここに載せておきます。

 「中国の「犠牲者30万人説」に問題があることはたしかだけれど、しかしだからといって「ほんの4、5万人しか殺されていないのに30万人殺されたというなんてウソつき!」などと叫ぶことは理性のある人なら普通しないでしょう。数万人でも十分大虐殺と呼ぶべきなのだから。」

 とのことですが、申し訳ありませんが、この部分はまったく理解できませんでした。あなたの考える理性ある人間は犠牲者30万人ではなく数万人であると主張することができないのでしょうか。もう少し詳しい説明をお聞きしたいです。

 これについては、「南京事件小さな資料集」さんの話がわかりやすいので、引用させていただきます。

こんな例え話をしましょう。

ある人が、こんなことを言います。

「お前の祖父さんは、俺の祖父さんの家族5人を皆殺しにした。おかげで生き残った俺の親父は、大変な苦労をした」

これに対して、あなただったらこんな風に言い返しますか?

「ウソつくな。殺したのは1人だけだ。このウソつきめ、デタラメ言うな!」

まあ普通は、こうなりませんよね。普通の常識ある会話でしたら、こうなります。

「俺の祖父さんがお前の祖父さんを殺したのは事実だ。これは申し訳なく思う。でも、「5人」というのは間違いだ。それだけはわかってほしい」

でも悲しいことに、この「ウソつくな」が、ネットでの右派のトレンドなんですよね。

中国側は、明らかに数字を誇大に言い立てている。

それに対して、「日本は何も問題行動をしていない」という無茶な主張をする人がいる。

この状況で、私は中国側をまず批判する気にはなれないのです。

お前ら、そんなことを言って恥ずかしくないのか。まず一定の事実があったことは認める。中国側の誇張を批判するのは、それからの話だろ。

まあ逆に、こんな無茶な主張が存在せず、中国側の「誇張」だけが目立つ状況でしたら、私も「中国批判」に動くかもしれません(笑)

 ぼくもほぼ同意見です。中国政府側の誇大とも思われる主張に対し、「いや、30万人も死んでいないはずだ。おそらくこれくらいだろう」と主張し返すのはいい。でも、物には言い方があるだろうということです。少なくともぼくは相手が負った傷の深さを無視して「ウソつき!」とはとても言えません。

 あと、ここでは犠牲者数数万人という数字を採用していますが、ひとによってはもっと大きな数字を採っているひともいます。念のため。この点については専門の学者でも意見が分かれるところなので、ぼくに答えは出せません。ただ、中国の数字が大きすぎるのではないかというところはほぼ意見の一致が出ているところですね。