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2006-11-25

日教組というスケープゴート

 日教組批判があちこちで盛んに行われている。例えば、こんなのこんなの

 日教組スケープゴートになることで、教育の問題が解決し、素晴らしい未来が訪れるというのなら、日教組は喜んでスケープゴートになればいい。

 最近政治家マスコミ、識者は日教組批判を強めている。彼らにはなぜ日教組というスケープゴートが必要なのか。そこに目を向けるべきだ。

 教育基本法の改正にしても、いじめの問題、未履修の問題、やらせの問題。法改正の理由や、要因が把握できていて、それに対してきちんとした対策がたてられるならスケープゴートなんて必要ない。また、国民の支持を得られるという自信があればスケープゴートは必要ない。

 日教組というスケープゴートが必要なのは、自分たちの無為無策を隠蔽し、無為無策にいらだつ国民の不満をそらすためだ。

牧人=司祭権力

政治分析哲学」M・フーコー渡辺守章より引用

 現代の危機と呼ばれるものの特異性をなすのは、現代人が、このような〈牧人=司祭権力〉によって生ずる〈個人〉の問題に、極めて鋭敏に反応するに至っていることにほかならない。

 これらの運動において問題になっているのは、〈隷属状態〉(assujettissement)から脱却すること、すなわち〈牧人=司祭権力〉が〈主観性〉(subjectivite)という形で、個人を彼自身へと強制的に結びつけたあのメカニズムから脱却することなのだ。人間精神的変革が国家の変革の条件なのか結果なのかという古くからの議論についても、そもそも、個人が〈主観性〉〔自己についての自己の意識〕という形で自己と保つ関係は、実は権力の関係ではないのかと問うてみる必要がある。つまりそれは精神道徳の関係ではなく、政治の関係なのであって、すでに触れたような運動l健康にせよ、狂気にせよ、環境にせよlによって、これらの日常的な、しばしば取るに足らぬ〈劇の仕組み〉のなかで問題にされているのは、個人というものを政治的に変えることにほかならない。それは国家の変革を待ってなされる類のことではないのだ。

本当に実態を調査したの?

教員の残業、1日平均2時間 文科省が勤務実態調査

asahi.com: 教員の残業、1日平均2時間 文科省が勤務実態調査??-??教育

 教員給与制度の見直しを進めている文部科学省は24日、40年ぶりに実施した教員の勤務実態調査の暫定的な集計結果を発表した。7月の1日平均の残業時間は、調査対象になった公立小中学校の教員の平均で2時間8分だった。教員の「時間外手当」については現行は一律支給だが、実態調査を踏まえこれをやめるかどうかが焦点となる。

 現場の教員のこういう指摘があるが、こういうのは実態調査と言わないのではないか。

 ちなみに、教職員給与の在り方に関するワーキンググループ委員名簿を見ると、現場の教員や専門家も少ないけど委員に入っている。こういうデタラメな調査はきちんと批判して、再調査をさせるべきだ。

教師論の矛盾

 

日本の教師文化

日本の教師文化

佐藤学「教師文化の構造‐教育実践研究立場から」の冒頭で佐藤氏は次のように述べている。

 一般に語られる教師文化は矛盾に満ちている。人々は、教師の権威的体質を批判しながら、厳格な教育を要求し、教師の偽善的ふるまいを批判しながら、高潔な倫理と私心のない献身性を讃えている。また、教師の学問的意識や教養の不足を嘆く声の一方で、学識よりも人格だという俗論が後を絶たず、教師の保守意識を嘆く声の一方で、政治意識の過剰に対する警告が「中立性」を盾として繰り返される。さらに、教師の同族意識が批判される一方で、職場における連帯の欠如が問題にされ、専門的な知識や技術の不足を嘆く声の一方で、教師は専門家でなく一般人であるべきだという意見が述べられる。これら矛盾に満ちて語られる教師文化の実態と規範をどう理解したらいいのだろうか。

 佐藤氏が指摘しているように、よく語られる教師論は矛盾に満ちている。これは、右派左派かに関係なく共通している。そして、他国でも同じような教師論がある。

 近年、教員の資質を問う声が大きくなってきた。しかし、こういう教師論の矛盾を指摘し、その矛盾を解消しようという動きはほとんど無い。未だに矛盾に満ちた教師論が幅を効かせ、そこから出発する教師の資質向上のための施策も矛盾に満ちたものになっている。

 教師論の矛盾の問題は、長い間放置されてきた。そろそろ、そこに目を向けても良いのではないかと思う。