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2007-01-07

教職大学院という顔のない教員の大量生産工場なんていらない

ベテラン教師に学ぶ 教職大学院設置基準

ベテラン教師に学ぶ 教職大学院設置基準|その他教育|教育・福祉|Sankei WEB

 現職教師を高い資質を備えた“プロ教師”に再教育したり、即戦力を備えた新人教師を養成する専門職大学院教職大学院」について、文部科学省が設置基準を策定、教授陣の主力を教壇での豊富な経験を持つベテラン教師とし、修了には小学校での長期実習を義務づけることにした。教職大学院文科省が進める教師の資質向上策の柱で、平成20年度の開校を目指しており、教師の実践的な「教える技量」を強化する方針だ。

 はっきりと言えば、教職大学院なんて必要ない。なぜなら、そういう機能は本来現場が持っていたし、教員養成課程をきちんと改革すればできることだから。

 記事では、

 文科省によると、教職大学院の修業年限は原則2年間で修了には45単位(1単位は45時間)修得することが必要。このうち、10単位以上を小学校に実際に出向いての実習にすることが不可欠としており、大学院側はこのために「連携協力校」となる小学校を確保しなければならない。また、教壇で教員実務を20年以上経験し、「教え方」や「教える技」に精通した「実務家教員」を教授陣の4割以上確保することが必要となっている。

として「教え方」や「教える技」に精通した「実務家教員」を確保しなければならないのだという。教職大学院なんかにそういう人材を縛り付けないで現場でそういう人が若い教員を育てる環境を作ればいい。もともと現場では様々な教員がいて学び合う環境が用意されている。そういうのをなぜ活用しようとしないのだろうか。

 記事では、

 児童生徒の学力が国際的にも高いことで知られるフィンランドでは、教員を大学院修了者に限るなど、教師の質を一定に保つ工夫がされている。

などと書いてあるが、フィンランドで行われていることは、日本で行おうとしていることとは考え方が違う。フィンランドは専門性を日本より重視している。だから、教職大学院などというおかしな発想は出てこない。

 これに比べて日本の教員養成の中心的な役割を担っている大学教育学部には、「実践的な『教え方』などを身につける訓練が軽視されている」といった批判がある。教員の資質に厳しい視線が注がれるなか、同省では質の高い教員養成に向けて見直しを進めていた。

と記事には書いてあるが、教員はこういう記事には怒るべきだと思う。なぜなら、教員が教員であるゆえんは「教え方」や「教える技」にあるという一面的な見方しかされていないからだ。以前、http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20060626/1151306810で書いたが、技術面ばかりを強調するのは間違っている。

 「教職の専門性と教師文化に関する研究日本中国イギリスの3カ国比較」 藤田英典・名越清家・油布佐和子・紅林伸幸・山田真紀・中澤渉 日本教社会学大会発表論文集 55号 2003年 の冒頭部で次のように述べられている。

 この十数年の改革動向は教職に対する偏見と教師に対する不信を前提にしており、非常に皮肉で歪んだものであった。教師の資質向上が重要だと言い続けてきたものの、実際に進められている改革・政策は、業績主義的・管理主義的な教員評価・処遇制度や市場的競争原理を重視した学校評価学校選択制の導入・拡大に象徴されるように、一面的な外在的要因とそれに基づく外発的動機づけを重視するというものである。

 最近の教員に対する政策は、教員の資質向上を言いながら、教員の資質を限定的にしか捉えていない。「資質が高い」という金太郎アメのような教員を大量生産することを目的としている。教職大学院はそういう教員の製造工場に過ぎない。

taketyanntaketyann 2007/01/07 20:02 教職大学院ですか。記事からは具体的にどんな講義(実習)が行われるのかわからないのですが、まさかピアノや水泳の特訓とかするのではないでしょうね…?

この構想、必ずしも悪いところばかりではないと思います。特に長期の教育実習を必修とするところは、しっかりと適性を見極める意味でも重要なポイントでしょう。ただ、kaikaiさんの仰るように、単に「教える技術」が向上すればいいというスタンスであるのなら、教育現場をバカにするな!と言いたいですね。

私も若い頃はどんな授業をすればいいかわからず、本にあるようなすぐれた実践やベテラン教師のやり方を真似たりしたことがありますが、そういった方法は成功したためしがありませんでした。それぞれのクラスの子どもの個性、担任の能力や人格が違うのだから当然ですよね。結局、周囲の状況を見極めながら自分のクラスにマッチしたやり方を探っていくしかないのです。

あるそば打ち職人は、粉の産地や質、当日の天気や湿度などに合わせてやり方を変えるそうですが、授業にもこれと似たところがあります。教職大学院が、自分のやり方が行き詰った時に子どもの実態に合わせて柔軟に授業を展開していく力を、若い人につけていこうというのなら大いに賛成ですが、そうでないのならお決まりの定食しか作れないようなコックを大量に生み出すだけになるでしょう。

それにしても、こんな長期の実習を引き受ける現場も大変でしょうね。まあ、現場というのは猫の手も借りたい所なので、若いアシスタントが増えるという見方もできなくはありません。そうなると今度は逆に、お金をかけずに教職員を増やすための策略か?などと勘繰ってしまいます。「教師の質も高まるし、現場の働き手も増えて一石二鳥だ!」みたいな…。

kaikai00kaikai00 2007/01/09 01:42 taketyannさん、コメントありがとうございます。
佐藤学『教師というアポリア』にあるアメリカの教師教育の改革と比べると、日本の教師教育の改革は瑣末なというか目先の問題を解決するようなものばかりだなと思います。
欧米の改革を礼賛するわけではないのですが、アメリカやイギリスなどでは、きちんと現状を把握しようとするし、議論をしようとしているように思います。そういうことが日本ではほとんど行われないのも大きな違いだなと思います。

ryoryo 2009/03/02 11:19 教職大学院には,高度な資質を持つ教員の養成を目的にしているので,特に,エスカレーター式に学部生から院に上がる人だけを想定しているのではないでしょう。
現場教師の再教育(別にダメ教師の更生という意味ではなく,現場を知った上でのより理論と実践の統合を目指す意味での再教育)も対象に入れてます。
教職大学院に行く人は,若手というよりは,どちらかといえば,中堅以上の教師が多いと考えられます。
また,教師は技術のみではないのはもちろんです。
「技術」をどう捉えるかにもよります。
即物的な「こうすればこうなる」みたいなものだけではなく,
質の高い授業計画力やその実践力,生徒指導力やカウンセリング力も
大きな意味では「技術」です。
そういう意味では,教師はプロだし,資質は常に高めていかなくてはいけません。
現場でそれが機能しているといいますが,20年ほど前ならまだしも,
現在はすでに現場は教師年齢構成もいびつで,かつての機能はないと思います。
また,現場教師だけでの高めあいは有効ですが,限界もあります。
同じ地域の同じ職業の教師文化に根ざす人同士では,見えるものは基本的に同じです。
多角的視点にはなりにくいことが多いでしょう。
そういう意味で,理論的側面から,実践的側面から,多地域,多国籍でなりたつ大学院には,
現場だけでの高めあいと同じものは望めないかもしれませんが,
また違った側面の,多角的なスキルが望める可能性は大いにあるでしょう。
「現場の高めあい」と「教職大学院」を二項対立的に捉えるのではなく,
教師の高めあいの場所が多様になり,選択肢も増えたと捉え,
自分のニーズにあった成長プログラムに参加すればいいのではないでしょうか。

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