安易で短絡的な議論に陥らないために

学習意識調査:日本の小学生は中韓より「学ぶ意欲」低い

 日本の小学生は中国や韓国の小学生よりも「学ぶ意欲」が低い−−。財団法人「日本青少年研究所」(千石保理事長、東京都新宿区)の調査で、学習を巡る子供の意識に日中韓で大きな差があることが分かった。近年、日本の子供たちの学力低下が取りざたされているが、中韓両国に比べ「学力」以前の「意欲」の低さが浮き彫りになった形だ。

 同じ調査を日本の高度成長期に行えば、日本の子どもの学ぶ意欲は非常に高かったはずだ。だから、特に中国では日本の高度成長期同様、子どもが学ぶことに強い意欲を持っている。以前、このブログで書いたがインドにおいても同様に子どもの学ぶ意欲は高いし、これから成長をする国では一様に子どもの学ぶ意欲は高い。だから、単純に他国よりも低いから問題だなどという指摘は的外れだ。
 ここで一つだけ書いておきたい。こういう調査結果が出ると、授業が楽しくない、子どもを惹きつける魅力がないからだという指摘が出る。では、子どもにとって楽しい授業をやれば学ぶ意欲が高まるのだろうか。問題はそう単純ではない。
 松下良平「楽しい授業・学校論の系譜学 子ども中心主義的教育理念のアイロニー」『[asin:432625047X:title]』のなかで、楽しい授業・学校論がなぜ必要とされたのかというのを詳述している。そして、松下氏は次のように述べる。

 楽しい授業・学校づくりを行うことの帰結は、しかしながらきわめてアイロニカルである。

と。そして問題点をいくつか挙げている。
 一つ目は、

 (楽しい授業論を提唱した 引用者注)遠山や板倉にとって、文化を本来的なやり方で学ぶことに伴う楽しさと、情報消費社会が供給しようとする娯楽的・享楽的な楽しさは整合するはずのものであったが、実際には、学校の構造的危機の進行と情報消費社会の進展の中では、前者の楽しさは次第にしぼんでいく一方で、後者の楽しさがますます肥大化していった

とし、

 だが、後者の楽しさは、勉強嫌いをなくしたり学習意欲を向上させたりすることにほとんど貢献しそうにない。

とする。そして、そのような楽しさは、

 教師がマーケット・リサーチや新商品開発の担当者よろしく授業の楽しさをたえず更新しつづけない限り、子どもたちの学習からの逃走を防ぎ止めるのはむずかしいであろう。しかも、仮に楽しい授業がうまくいき学習が持続したところで、所詮それは外部の力によって人為的・人工的に操作・統制されているだけであり、その学習意欲はけっして自律的なものではない。つまりその外部的な操作・統制がなくなれば、学習意欲はすぐに減退してしまうのだ。

と述べる。
 二つ目は、

 授業や学校への楽しさの導入は学校の構造的な矛盾や危機の隠蔽であり問題の弥縫策であるから、それは学校改革の手がかりになるかのように見えて、実際には学校の構造的な改革の先送りに手を貸していることになる。

ということ。そして、

 楽しい授業・学校づくりが(顧客満足度を重視する)消費者主権主義の発想からなされ、授業が個人の私的所有欲を満たしてくれる商品となるとき、これまでとは異なって学校と塾の問に区別がつかなくなる。

ということも指摘している。
 三つ目に、

 楽しい授業や学校が、楽しさの提供を通じて合理化を推し進める社会としての情報消費社会の問題点に自覚的でないとき、それは容易に楽しさの装いをもった冷酷な社会への適応を促す装置に転じてしまう。しかもその場合、楽しい合理化の原理に貫かれた教育は効率性・計算可能性・予測可能性を高めようとする観点から学習を制御するために、学習に励むほどに子どもたちからは解釈学的な経験の機会が奪われる。

という問題を指摘し、

 楽しさの享受を通じて子どもたちは自らの感情や主張を抑圧して自我を傷つけるとともに、形式的なコミュニケーション・スキルの習得と引きかえに対話の能力をさらに衰退させてしまうであろう。

と述べている。
 しかし、松下氏は最後に次のように述べている。

 だがけっして誤解してはならないのだが、そのことは断じて「楽しいことよりも苦しいことや辛いことの方が教育的に意義がある」とか「子どもの自由や権利を制限して国家・社会の論理を強調せよ」などと主張することではない。そのような主張は楽しい授業・学校論に対する短絡的で拙劣な反動にすぎず、同一のコインの表と裏の関係にあって楽しい授業・学校論をむしろ補完するものでしかない。「子ども中心vs.社会中心」「楽しいvs.辛い」といった不毛な二項対立を乗り越える教育や学びの理論を構築し、それを基礎にして時代にふさわしい新たな学校の理念を構想すること、これは戦後の教育学が見失ってきた、未だほとんど手つかずの課題なのである。

 子どもたちの意欲の低下を、安易に楽しい授業や楽しい学校で食い止めようとか、意欲を向上させようとするのは止めるべきだ。
 また、問題の本質を見ないまま、子どもの意欲の低さを子どもや学校、教師批判へと転化させることは間違っている。
 子どもの意欲の問題は、このまま放置しておけるような問題ではない。この問題は、「こうやればこうなる」というような処方箋で解決できるものではない。社会状況の変化や学習理論の問題など様々な要因を一つ一つ丁寧に見ながら解決していくべきだ。