相変わらずな無責任体質と「ゆとり教育の見直し」

【コラム・断】「ゆとり教育」生んだ偽エリート

 文科省周辺でも「ゆとり教育」の見直しが進んでいます。遅きに失したわけで、明らかに失政だったと認めているのに、しかしここでもまた、誰もその責任をとっていない。

 大月氏はこうおっしゃる。しかし,その同じ無責任体質によって「ゆとり教育の見直し」なるものが行われようとしているのだが,それはどう考えるのか。
 何度も書いているように「ゆとり教育」も「ゆとり教育の見直し」も根っこは同じ無責任な教育行政にある。「ゆとり教育の見直し」なるものが「ゆとり教育」の反省の結果であると考えられているが,見直しを進めている彼らは,「ゆとり教育」についてどのような検証を行ったのか。何が問題なのかいつどこで明らかにしたのか。「ゆとり教育の見直し」は「ゆとり教育」の反省の結果ではなく,責任逃れのための方便に過ぎない。そういうものを批判しないで「ゆとり教育」を推進した者の責任を問うても意味がない。