梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

映画の英語

 アメリカの映画館に足を運ぶようになってから、その映画が面白いか面白くないか、ということのほかに、「その映画の英語が聞き取れるかどうか」ということが重要なポイントの一つになっている。例えば『ミュンヘン』『SAYURI』は登場人物が(あるいは実際の俳優も)英語のネイティブスピーカーではないという設定なので、これまで観た映画の中では比較的台詞が聞き取りやすいほうだった。もちろん、その「志」の高さには大きな差があって、前者ではユダヤ人がヨーロッパ各地に住むパレスチナ人を探し出して殺す話なので登場人物たちが発音のはっきりした、時にぎこちない英語を話すことは重要な意味を持つし、時には言葉の壁によるディス・コミュニケーションが効果的に描かれるのに対し、後者ではそういった演出上の効果とは全く無関係に、ただ撮るほうにとっても見るほうにとっても「便利」だからという理由でだらしなく英語が使われるだけなのだが(ただ桃井かおりの話す英語が、どう聞いてもわれわれが知っている桃井かおりのしゃべり方以外の何物でもないのは面白かったが)。

続きを読む

『マオ』の注・参考文献について

山形さんの「最近の噂」より。

「マオ」 をさらに見ている。この本の注と参考文献はpdf でネット上においてある。このやりかたを嫌う人もいるけど、完全に割愛する従来の悪習に比べれば格段の進歩だし、各巻の定価が 1,000 円ずつ上がるのとどっちがいい? 特に本書の注は、ほぼすべてが情報の出所の注記で、かなり深い関心のある人以外は見なくてすむ代物ではある。ただし、注の中身はまったく翻訳されていないうえ、せっかくの電子媒体なのに検索も印刷もできないというまぬけなプロテクトがかかっているのにはがっかり。何を心配してるの? 注が出回ろうと印刷されようと、本文の売れ行きには何ら変わらないのに!

 え?印刷・検索できませんでしたか?僕は普通にできましたけど。

 歴史学専攻の人には怒られるだろうけど、注・参考文献の扱いに関してはこうした純粋な学術書ではない本については基本的に山形さんの言うように費用対効果の問題として考えられるのはやむをえないと思う。アメリカのように売れそうだとわかったら自由に価格を下げることが出来る、と言うならまた別だけど。ただし図書館では注・文献をプリントアウトしたものをそろえておいて本体と一緒に貸し出せるようにすべきだろう。
 それより問題はたとえネット上でも公開するならもう少しきちんとした「日本語版の注・参考文献リスト」を作成して欲しいと言うことで、今のままだと注で出てくる人名・地名もほとんどピンインのままだし、専門家以外にはほとんど役に立たないと思う。というか中国語の文献も英語表記のままで載っているので、専門家にとっても役に立たない。資料としての意味を考えれば、中国語の文献はすべて中国語の表記も併記して欲しいところだ。まもなく台湾で中国語版が出版されると言うことなので、それを待ってからでもいいから改善をお願いしたい。そうやってこまめに修正・バージョンアップできることこそダウンロード方式のメリットだと思うので。