梶ピエールの備忘録。 RSSフィード

2017-09-11

[][]「私には敵はいない」と語った劉暁波は、「私利私欲」を捨てた人だったのか、それとも「私利私欲」を貫いた人だったのか

 今年7月に劉暁波が多臓器不全で亡くなった後は、日本でも数多くの追悼文や、中国共産党を非難する文章が書かれた。一方で、劉の死については、SNS上も含め、それについて積極的に語ろうとする者と決して語らない者がはっきりと別れるという意味では、中国に関心を持つものにとってもある種の「分断」をもたらすものだった。私は、劉暁波の問題について、そのような「分断」を含め、表立っては語られることがない、いわば「隠された」問題の方が実は重要である、という漠然とした思いを抱いていた。ただ、どのようにしてその問題について語ればよいのか、言葉を探しあぐねてきた。

 そんな中、たまたま目にした『週刊読書人』に掲載された「劉暁波の死をきっかけに」と題された羽根次郎氏の一文は、上に述べたような「隠れた問題」を明るみに出すという点では格好のテキストだった。発表後、それほど話題になっているとは言えないテキストだが、あえてここでとりあげてみたい。

「劉暁波の死をきっかけに」

さて、この記事だが、その内容はともかく、プロが書いた文章としては突っ込みどころがたくさんある。例えば、以下のような一節。

「〇八憲章」の発表当時、中国の人文の広さと深みに魅せられた私は研究者としての永住も検討していた。実感としては、反体制の言論は確かに厳しく取り締まられるのだが、民主をめぐる言論までもが取り締まられるという危機感はなかった。それは私の甘さだったのかもしれない。

だが、その甘さにも背景というものがある。物価の高騰だ。研究者といえども、相当の経済環境に恵まれていない限りは現実の経済に超然とはしえず、私にとって中国で研究を続けるにも値上がりを続ける物価についていくだけで精一杯であった。それに連動する経済格差の拡大、これこそが大きな問題であり、それゆえ甘さは甘さとして残ったのだろう。

この部分正直なところ、一読したところ、よく文意が取れなかった。a.自分には、民主をめぐる言論までもが取り締まられるという危機感はなかったが、実際はそれらの言説も取り締まられた。つまり「甘かった」。b. 当時は、物価の安さゆえに永住すればそれなりにゆとりのある暮らしができると思ったが、物価の高騰によりその見込みが外れてしまった。最初の見込みは「甘かった」。ということだろうか。

 a.とb. がどのように関係づけられ、「それゆえ甘さは甘さとして残ったのだろう」という結論に至るのか、またこの結論で著者は何を言おうとしているのか、そのロジックが非常にわかりにくい文章となっている。

 ただ、テレビ、新聞、雑誌を問わず、劉暁波にとっての民主主義が頑ななまでに向米一辺倒であったことを報じるものはいない。残業代ゼロ法案に反対しつつ劉暁波を祭り上げる新聞社は、「〇八憲章」では土地私有制導入や民間への金融規制緩和が強調された一方で、労働者の権利に触れられなかったことをまさか知らないとでも言うのか。そして、アフガンとイラクへの侵略戦争を無邪気なまでに全面支持したことを「黒歴史」にしてまで全面評価を装いたいのはなぜか。毛沢東ですら「功績七割、誤り三割」だったのに、だ。

 

ここでの劉暁波批判の根拠は、私的財産の保護を労働者の権利保護よりも優先させているではないか、というものである。しかし、「〇八憲章」において私的財産の保護が農村と都市の二元構造的な差別を解消するという目的の下で謳われているということを踏まえれば、このような論難はフェアなものとは言えないだろう。また、これまでも労働者の権利保護に地道に取り組んできたのは決して新左派のインテリではなく、リベラル派に近い弁護士やNGOだ、ということを羽根氏はどう考えるのだろうか(詳しくは石井知章「習近平時代の労使関係−「体制内」労働組合と「体制外」労働NGOとの間」、石井・緒形編『中国リベラリズムの政治空間 (アジア遊学 193)』勉誠出版など参照)・・など、この文章には事実認識の点で多くの突込みどころがある。ただ、ここではこれ以上の粗さがしはしないことにする。

 むしろここで注目したいのは、この羽根氏の文章は、劉暁波の言説および「〇八憲章」への中国の(新)左派の批判のエッセンス、さらには、その背景にある、中国の伝統的な価値観を比較的ストレートに反映したものである、という点だ。

 端的に言うなら、ここに見られるのは、「零八憲章」では土地などの生産財の私有制を徹底しようとしており、従って中国の資本主義化への道を開くもので、体制転換をたくらむ新自由主義の先兵である、というロジックである。ここには、拙著『日本と中国、「脱近代」の誘惑 ――アジア的なものを再考する (homo viator)』で指摘したような、公私の区別を正邪といった価値判断と重ね合わせる、儒教に代表される中国思想の価値観が色濃く反映されている。そこでは、「公」的な振る舞いとは、利益を社会全体で分け合う=道徳的に良いことであり、「私」的な振る舞いとは利益を独り占めする=道徳的によくないことだ、とされる。つまり、劉暁波は土地の「公有制」をやめて「私有制」にしようと主張している点で、「私利私欲」を「公」に優先させようという「邪(よこしまな)」な思想の持主であり、だから批判されなければならないというわけだ。

 しかし、一方で、劉暁波は長期間獄中につながれるという危険を冒しても亡命という選択肢を選ばず、国内に残って言論活動を続け中国の民主化を訴えた、つまり「私利私欲から最も遠い」思想家だ、というイメージが一方ではある。果たして、劉暁波という人は「私利私欲」を捨てた人だったのか、それとも「私利私欲」に固執した人物だったのか。

 ここで、よく知られることになった劉暁波の最終陳述「私には敵はいない ー私の最後の陳述ー」 をもう一度検討してみることにしよう(日本語訳は『劉暁波文集:最後の審判を生き延びて』を元に若干の改変を加えている)。

 私はそれでも、私の自由をはく奪したこの政権に対して、私が20年前に発表した「6.2ハンスト宣言」の中で表明して守り続けている「私には敵はいない、また憎しみもない」という信念を依然として語りたい。私を監視し、逮捕し、尋問したすべての警察官、私を起訴した検察官、私に判決を下した裁判官も、いずれも私の敵ではない。私は、あなたたちによる監視、逮捕、起訴、判決を受け入れることはできないが、現在、検察側を代表して私を起訴している検察官のお二方を含めて、その職業と人格を尊重している。12月3日のお二方の取り調べの中で、私はあなた方からの尊重と誠意を感じることができた。

 さて、最終陳述という公的な場を借りて、劉はなぜこのようなことを述べたのか。述べなくてはならなかったのか。

 ここで語られているのは、まずなによりも中国社会における「公」的領域と「私」的領域の峻別の必要性に対する切実な思いである、というのが私の考えである。そしてそれは、あくまでも中国における歴史的な文脈を踏まえた主張となっている。「公」的な職務についてそれなりの社会的地位を得ることで「統治」の一端を担っていた人物が、権力の交代、あるいは権力者の意向の変化などによって状況が変わった時に、それまで「統治」される側だった人々の「私」的な恨みを向けられ制裁(私刑)を受ける、という状況は、これまでの中国社会ではありふれたものだった。そしてそれは時に暴力の行使を伴い、現在に至る党の専制的支配を正当化してきた。その連鎖から逃れるためには「公」的領域と「私」的領域の混同にピリオドを打ち、後者の基礎の上に前者を打ち建てねばならない。

 だからこそ、「公」的な職務から劉を拘束し取り調べる警察官も、起訴する検察官も、判決を言い渡す裁判官も、その「監視、逮捕、起訴、判決について受け入れることはできない」ものの、かといって、そこに「私」的な恨みを投げかけることはできない。それをしてしまえば「公」的領域と「私」的領域が混同されてきたこれまでの歴史の繰り返しになる。劉がここで言おうとしたことはそういうことなのではないだろうか。

 一方、現代中国の社会では、羽根氏も指摘する格差の拡大や、大気汚染などの公害や役人の汚職の蔓延、といった現象について、人々が「私利私欲」を追求しすぎ、「公」的なものをないがしにしたろ結果だ、という指摘がしばしばなされる。現代中国社会ではむしろ「私利私欲」が最高の価値にまで祭り上げられているようにも思われる。むしろそこに「公共性」のタガをはめるために「党国家」は積極的な介入を行っているのだ、とみることもできる。習近平政権による反腐敗キャンペーンはその象徴ともいえる現象だろう。これらのキャンペーンがその苛烈さにもかかわらず広く人々の支持を得ているのは、現在のような「私利私欲」の横行する社会において何らかの「公共性」を実現するためには、党の権力に頼らざるを得ない、と考える人々がほとんどだからではないだろうか。

 しかし、「公共性」の欠如を憂うあまり「私利私欲」を否定する行為が行き過ぎると、その行きつく先は文革期のような「私」的領域が社会から追放されたディストピアの再来である。文革期に限らず、共産党政権の下では、「公」的な利益を「私」的な利益に優先させるという名目の下に、数多くの暴力が振るわれてきた。したがって、〇八憲章のようなリベラル思想に立って社会を変革しようとするならば、その前提として私有財産権の不可侵性の主張をはじめ、「私利私欲」をひとまず肯定することが必要となる。これが劉暁波のみならず、「零八憲章」に賛同を示したリベラル派知識人の最大公約数的な考え方だといっていいだろう。

 しかしそこで、そのようなリベラリズムは、一つの難問に直面することになる。つまり、現在のような、広範な大衆によって「私利私欲」が最高の価値にまで祭り上げられ、その結果様々な矛盾が生じているような状況においてなお、「私利私欲」の追求を肯定し続けるべきなのか、という問題である。そもそも、現実問題として「私利私欲」の横行が党国家による専制政治を必然的に招いてしまうのであれば、それを批判しようとする限り、民衆による「私利私欲」の追求を手放しで肯定することはできないのではないか?

 ここから、リベラリズムにコミットする立場の中でも、党国家の専制的支配のもとで人々が盲目的に利益の追求に走ることには批判的な目を向けざるを得ない、という立場と、あくまでも民衆の私利私欲の追求を肯定する立場を貫くという立場が分かれることになる。一件、前者の方が妥当な考えのように思えるが、中国の近代化の歴史の中で、私利私欲を追求する民衆を常に「下」にみて、他者化してきた姿勢こそが、これまでリベラルな体制を追求しようとしてきた中国の知識人の無力さをもたらしてきた経緯を踏まえれば、問題はそう簡単でもない。

現在の中国では経済発展やイノベーションなどに体現された「私利私欲」を肯定する立場と人権問題や言論の自由など「公共性」を重視する立場は往々にして矛盾するとみなされがちだ。そのことが冒頭で述べたように、中国研究者やウォッチャーの間にも、表立っては語られないが、ある種深刻な分裂を生んでいる。その背景には以上述べたような中国におけるリベラリズムの「アポリア」が存在する、というのが私の考えである。

 私は必ずしも劉の文章の良い読者ではないが、彼の実際の書いたものを読む限り、中国の経済成長、つまり「私利私欲」の追求に対するその姿勢には明らかに「揺れ」がみられる。例えば『天安門事件から「〇八憲章へ」』に収められた「「一人一言の真実が独裁権力を突き崩す」では、対外開放政策と経済成長によって民間部門の活動範囲が広がったことを肯定的に論じている。しかし、日本語で読めるもう一つの論集『最後の審判を生き延びて』に収録の「中国経済の一人勝ちの裏で」という文章では、中国の経済成長が一部の特権を持つ層にしか利益をもたらさないものであることをが批判的に語られている。ただし、これは経済的利益があくまで社会的特権を持った一部の人々に偏ることを批判したものであり、「私利私欲の追求」そのものを批判したものではないとみることもできるだろう。

 この点の判断は慎重になされなければならないが、劉暁波その人は、最後まで民衆の「私利私欲」の追求を肯定し、その上に「公共性」を打ち立てる可能性にかけていたのではないだろうか。そのことを象徴するのが「私には敵はいない」という最終陳述だったのではないか。そう考えれば、彼の言説に対する(新)左派の執拗な批判も説明がつく。少なくとも、「〇八憲章」の作成に携わっていた時期において、劉は民営企業の台頭やインターネット世論の高まりなどを通じた、「私利私欲」をベースにした公共性の創出にかなり期待をかけていたのだと思う。

 しかし、正直なところその見通しはかなり甘かったのかもしれない。その後、恐らく彼の予想していなかった方に社会がどんどん変化しつつあるからだ。

 近年の、なかんずく習近平政権に入ってからの中国共産党の統治は、むしろ民衆の「私利私欲」の追求を最大限尊重しつつ、ただし「公」の領域のハンドリングはあくまでも共産党が独占する、という姿勢をますます徹底させているようにみえる。アリババやテンセント、ファーウェイと言った民営企業の台頭、それに自転車や配車アプリなどのシェアリングエコノミーの広がりは、人々の私利私欲を満足させる、つまり功利主義的な価値観を全面的に肯定すると同時に、法やイデオロギーに裏付けられない、テクノロジーに裏付けられたアーキテクチャーによって「環境管理型の統治」の洗練に一役買っている。もちろん、その「環境管理型の統治」には、例えば劉のようなリベラル派知識人による政府批判の言説が、そもそも人々の目に入る前に排除される、というインターネットの言論統制も含まれている。政府によって私利私欲の追求にお墨付きを与えられた民衆は、恐らくそのことに大きな疑問を抱いていない。2010年に投獄された劉にこういった事態を予測できなかったとしても無理はない。

 このようなテクノロジーとアーキテクチャーによって人々の私利私欲の追求が開放されると同時に、巧妙に仕組まれた「統治」が実現した社会においてなお、民衆による「私利私欲」の追求を肯定すべきなのか、それとも批判すべきなのか。批判するとすればどのようなやり方があり得るのか。先ほど述べたような、「私利私欲」をめぐるリベラリズムのジレンマは、形を変えつつより深刻なものになっていると言っていいだろう。この点に関して、私にも何か明確な答えがあるわけではない。ただ、このような問題を考える際に劉は最後まで基本的には「私利私欲」を肯定しようとしており、その上に「公共性」を打ち立てることを目指した思想家だ、ということは、何度でも思い起こすべきではないだろうか。

 おそらく、中国社会をめぐる思想的な対立の軸つまり、「分断」の原因は、社会主義か、資本主義か、というところにはすでにない。

 今後の中国社会では、知識人がどのような議論を展開しようとも、共産党が「表の」支配イデオロギーとして社会主義思想の徹底を打ち出そうとも、「私利私欲」に基づく功利主義的なリベラリズムが人々の「本音」を反映しつつ、いわば「裏の」支配的イデオロギーとなっていくだろう。その上で民衆の野放図な「私利私欲」の追求にタガをはめる「公共性」を党国家が「正義」のイデオロギーとして社会の外部から注入し続ける現状を肯定するのか、それとも劉暁波が目指したようにあくまでも「私利私欲」の基盤の上に公共性の実現を目指すのか、真の思想的な対立はこの点にある。

 後者の立場の困難さは、環境管理型統治の下でどのような「自由」がありうるのか」という、例えば大屋雄裕『自由かさもなくば幸福か』によって問われた問題と基本的には同型のものである。これに、稲葉振一郎によって問われた「よき全体主義」か、「共和主義的リベラリズムか」という問題提起を重ねてもよい。その意味では、劉が答えられなかった問題をどのように考えていくべきか、というのはこの日本社会に住む私たち自身の問題でもある。このように考えて初めて、私たちは冒頭で述べたような「隠された問題」に向き合うことができるのではないだろうか。


最後の審判を生き延びて――劉暁波文集

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