学校公開参観記④

休日ごとの更新になってます。
今回はもっさんです。
もっさんは、前任校の時代から参観に来てくれている(今から8年前から、その時はまだ大学生)貴重なフィードバッカーです。
ありがとうございます。

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今日は参観させてくれてありがとうございました。
保護者ではないため、内心ヒヤヒヤしていて、最初の30分くらいはちゃんと頭が動いていなかった(笑)
あと、用事があって、4時間目は最初のところしか見ることができませんでした。ごめんなさい。
それではフィードバック&質問いきます。
主に作家の時間に関して。



1
まず、とにかく静かで落ち着いていることに驚きです。
「静かにする」ではなくて、「静かが当たり前」でもない。
生まれたころから、こういう空間で育ってきたような、そんな自然体な落ち着き。頑張って静かにしていない。ここがすごかった。
騒がしくなる…これってどういうことでしょうね。荒れていなくたってにぎやかなクラスはある。いわゆる「学び合い」は、結構さわがしくなりがち。
うちのクラスは自己主張がとても多い。言いたい子がたくさん集まったのもあるけど。だから、少し静かにできても、活動の終わりが見えるとやかましい(笑)行動の切り替えが起こると毎度毎度大変な騒ぎに。休み時間にあると大爆発してちょーうるさい(笑)給食もすごい。まぁ、40人いるせいもあるけど…。

でもね、うちのクラスで自立型の算数をやってみて、少しその落ち着いた姿が見えてきたように思います。自立型で初めてから、2単元目でも自然に静かな、落ち着きのある時間帯ができ始めてきた。集中しているのかな?自己主張をする必要がなくなったのかな?新しい学びに興味関心でくいついていた時期を通り越したのかな?彼らのなかに何が起こったのかな。


↑自然と自分自身(のクラス)をふりかえることになってしまいました。
KAIはこの空気感をどうやって作りだしたのですか?
もし「おれは作ってない」というのであれば、何が子どもたちをそうさせているのだと思いますか?
ハード面。
環境的要因。
子どもの特性。
KAIの関わり。
いったい何が?



2
先ほどのつながるところですが、僕にはみんながどうして話を聞けているのか分からなかった。そしてびっくり。というのも、子どもたちが席に着いた状態でKAIが話し始めたとき、KAIのほうを向いていない子がたくさんいました。でもね、まるでうさぎが音のするほうに耳を立てているように、聞き耳立てていたのがよく分かった。全然違う方向を向いているのに、意識がKAIのほうにあった。そして、話が終わった後、すぐに聞いた内容に即した行動をしていました。これすごくびっくり。どうしてみんなそんなことができるの?どうして別の方向を向いているのに、みんなしっかり話を聞けているの?(特に算数の時に感じました)


一般的には…子どもたちがよく話を聞いていないとなると、まず体ごと先生を向くことを覚えさせると思います。なぜなら、別のところに興味が向いている状態だと、そこに意識が集中して、先生の話が聞こえなくなってしまうから。
でも、KAIのクラスのあの姿を見ると、「先生のほう向きなさい」って指導は何なのだろう?と思わされてしまいました。
う〜ん。話を聞くって、別のことしながらできるのか?「別のことしているから聞いていない」という論理はおかしいのか?
う〜ん。



3
共有の時間の後にさらに5分間書く時間があった。
これはいつもやっていますか?
共有で学んだことを少しでも形にしたり、自分のなかに落とし込んだりする時間ができてたので、いいなって思いました。



あと、疑問と感想連発します。
・KAIの声がめっちゃ小さい!カンファランスで何をしゃべっているか分からなかった(笑)
・今年は掲示が少ないように思いました。何か理由が?意図が?
・KAIは、なぜ物語を書く必要があると思いますか?
・作家ノートって、縦書きではなく横書きを使っている理由は?
・付箋でフィードバック。これを先生が普段のカンファランスでやっていれば、子どもたちも先生の姿を真似て友達にカンファランス(ピア)できるようになるなぁと思いました。付箋を使ってね。



算数のその後の展開が見れなかったのがとても悔しかったです。
短いけど、まとまっていないけど、早めにフィードバックしたいと思いましたので、以上です。
空気感そのものを体感することができたので、今回もたくさんの学びました。
そして、KAIって、普段僕らと接する姿がそのまま子どもと接する姿ですね。あったかいね(^ ^)
授業を快く見させていただき、本当にありがとうございました。
次回は湘南PACEで!
よろしく!

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ありがとうございました。
いくつかの補足と、質問への回答です。

「最初の30分くらいはちゃんと頭が動いていなかった」
はい、確かにそう見えました。視線が宙を浮いてたよ(笑)大丈夫か!って思ってました。


「この空気感をどうやってつくり出したか」
まずは、この日が参観日だったということ。いつもはこんなに落ち着いてはいません。まあ、そんなにひどくはないし、今ままでの経験からすれば、ダントツに落ち着いている穏やかなクラスだと思います。
なんでこうなったんでしょう。。。やっぱり、学ぶことに集中できているんじゃないでしょうか。それは低学年という子どもの特性もありますし、教室の中のいろんな環境的、ハードの要因もあるでしょう。私のかかわりは、高学年の頃に比べてかなり余裕があると思います。低学年は時間的余裕がありすぎるので、いつでもゆったりとしていられます。「まあ、ゆっくりやってごらん」って感じで関わることができるのは大きいと思います。高学年担任の忙しさは半端ないですから。みなさん、職場の高学年担当の先生方をしっかり慰労してあげましょう。


「どうして話を聞けているのかが分からない」
これは前にも書きましたが、全員が聞く姿勢をとってから話し始めても、そうでなくても、聞けない子は聞けない(笑)ならば、さっさと話し始めていったほうが、ちゃんと察知して聞こうという態度をとっている子もイライラすることなく、先生もなかなか全員がそろわずにイライラして怒声を出すこともなく、なんとなく穏やかに切り替えが行われる、そんなことを繰り返していると、先生、または友達が話し始めると、自然と聞くようになる、姿勢はむちゃくちゃでも。。。って感じでしょうか。それでも聞けない子は聞けない。聞けない子もいつも同じではなく、時と場合によって違う。ピシッと聞いているようでいて実はよく分かっていないこともある。だらーんとしていてもよく分かっていることもある。みんなそれぞれの特性とペースがあるんだよ。たぶん。(笑)



「共有の時間の後」
あれは時間の読み間違い。でも、あれはいい感じだった。なので、あれからは、ちょっと時間を残して作家の椅子をするようにしています。


「声がちっちゃい」
カンファランスの時はあれくらいです。子どもには小さな声でといっているので。
小さい声のほうが、大切にしているよって伝わるんじゃないでしょうか。



掲示が少ない」
単なる怠慢です。嘘
今までの高学年の教室は、全部子どもたちがボランティアサービスでやってたからじゃなでしょうか。私はあまり掲示しないほうだと思います。学習したことをよく掲示する方がいますが、子ども、ほとんど見てないよ(笑) 国語の(研究)授業で、今までのか解釈した文を拡大コピーして教室の四辺にぶら下げている人いますが、あれ、居住空間としては非常に息苦しい…(笑) あれで、子どもたちがめっちゃ学べるようになるとおもってるんでしょうか? うんざりする子どもが大半だと思うんですが…。学級通信や学年便り、学校便り、中には保健便りとか図書室便りとかすごくきれいにレイアウトして教室掲示しているクラスありますが、たぶん、子どもはまったく見てません。いずれも教師の自己満足。子どもが見ているのは、献立表だけでしょう(笑)



「物語を書く必要」
書く必要があるとはまったく思っていません。書くジャンルはなんでもいいと思います。自分の思いやメッセージが届けたい人に届くならば、物語だろうが生活文だろうが、詩だろうが、俳句だろうが、絵本だろうが、新聞だろうがなんでもいいと思います。


「横書きノート」
3冊100円のノートが横罫線のノートしかないからです。以前中学年で実践していたときに、詩を書く時にノートを横向きにして縦書きにして書いている子がいました。縦書きで書いている子は今までその子だけですね。子どものノートって、横書きがほとんどじゃない? 縦書き自体が特殊でしょ?一般社会でも。国語教育の方からするといかがなものか、と思われるんでしょうが(前に私も言われたことがあります)、うーん、どうなんでしょうか。あまりこだわったことはありません。冒頭のことが一番の理由です。



「付箋のフィードバック」
これも前に書いたかな。付箋は耐久性がない…そのうち落っこちちゃう。だから普段のカンファランスの時は、直接ノートに書き込んでいます。高学年の時は、自分でおしゃれな付箋を用意して書いている子もいました。それはそれでおもしろい。



以上、思いのままに…
また遊びに来てね😄