イエナプラン校教育実習始まった。②

今日は水曜日だったので、午前授業でおしまい。
12時10分に子どもたちは下校しました。
その後先生たちは、「No school」です。
帰っても、仕事しても何してもOKです。
なので、私たちは担任の先生とお話しして13時には学校を出てきました。
あ、今、下で奥さんが帰って来た音がしました。
奥さんも15時半には学校を出たようですね。
日本では水曜日の午後ってたいてい会議じゃないですか?
こっちには、会議というものはたぶんまったくないと思います。(予想)
分掌は、日本並みにあるみたいです。(これは研修所での研修で聞いた)
でも、何か「事」を執り行うまでのプロセスが根本的に日本と違うような気がします。



分掌部会で話し合って、
「◯◯実施計画案」をつくって、
起案して、
管理職から赤入れられて、
訂正して再提出して、
企画会にかけて、
職員会議で周知して、
ようやくGO!
でも、大きな行事はこの後がまたまた大変。
子どもの学習活動が絡むとさらに地獄のように大変。
当日まで役割分担に沿ってタスクを進めていくも、
途中トラブルに何度も見舞われ、
そのたびに緊急の部会を開き、
そうこうしているうちに、いつの間にか「誰か」しか仕事をしておらず、
残業して、
家に帰れず、
土日も来て、
古株に「そうじゃない」とキレられ、
疲れた…と愚痴をこぼしつつも、
当日を迎え、
でも、ちょっと晴れやかで、
やり切った感もあり、
子どもの姿に感動する…
といったところでしょうか。
私は22年間そんな感じでした。
大きな行事ではよく学校に泊まり込みました。
やり過ぎだって分かってても、とめられなかった。


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西東京市の栄小に来てから、すごいやり手の教務主任が、
徹底した行事削減、会議削減、時数管理で、
無駄な仕事、意味のない会議を削りまくり、
ルーティンに落とし込めるところは徹底的に落とし込み、
かなりすっきりした仕事のプロセスになりました。
教育課程上のすべての「事」は、前年度中に起案は通っていたし、
(卒業式までね😄。教務、生活、特活、季節委員会、入対・卒対、学芸・体育・儀式・・・もう、すべての「事」は前年度までに決めていました)
部会は定時(年に3回、長期休業中のみ)、諸委員会はキックオフと緊急時のみ、
企画会で確認はするけど、職員会議では伝達のみ。
「提案通りです」と言うだけ。
とても助かりました。
職員会議は年に3回くらいしかなかったんじゃないでしょうか。
それも長期休み中に。
たぶん、その元教務主任の方もこれを読んでいるだろうと思われるので、
ここでちゃんとお礼を言っておきたいと思います。
ありがとうございました。😄
あ、あと、このお方は、職員朝会と、月曜日の全校朝会をいかにしてぶっつぶすかということを常々考えており、
栄小では、「校長先生のお話」を聞く全校朝会は月に1回程度しかなかったし、
職員朝会は管理職からの話だけっていう日がほとんどでした。
(諸連絡はすべてPC上の掲示板ですませるようになってました。掲示板で載せた事を朝会で復唱すると怒られた。笑)
あ、あと、この方の「習熟度別少人数算数編成」撲滅闘争の話とか、
「反転授業導入」の話とかもとってもおもしろいです。
この話はまた機会がありましたら…




会議がないので、不安だったら、
「準備取り掛かってる?」とか、
「どんな感じ?進んでる?」とか、
FACE TO FACEで、おしゃべりしながら確認し合う事になります。
これは、「根回し」ともいう「事」を運ぶにおいて、日本人がもつ非常に重要かつ有効なスキルです(笑)
互いの関係性が良好であるならば、これはとても安心・信頼の中で仕事が進み、
互いの関係性が不良であるならば、これはとても不安、猜疑、の中で仕事が進み、
立場的には、嫌みなパワハラ的要素を含んでしまうことがあります(笑)
でも、これは、このような状況下においては、こういうことをやりながら職員間の関係性を良好につくっていこうと集団は成長していくもので、はなっからあきらめて、「会議!会議!!」「会議の時間とってよ教務さん!」とか、「会議の時間がないから仕事進められません、無理です」とか、そんな感じになってしまいます。



そこで、「会議ばっかりで自分の時間が取れない」「忙しい!」とお嘆きの先生方は、
いっそ会議を全廃したらどうやって「事」は運ぶんだろうと想像して、
その時にやらなければいけないことを今やってみるといいかもですよ。
そしたら、実際に行われる会議が、無駄なくたぶんすんなり進み、
「これだったら会議いらないんじゃない?」ってなるんじゃないかなぁ。
うちの学校はちょっと荒療治(はなっから会議がない。笑)だったけど、
やっていくうちにいろいろうまく回るようになりました。
(最初は反発あったらしいですが・・・)




実際の例をお話しします😄
「えっ?会議がないの???」って話です。笑
私は栄小で研究主任をやってました。
前任校も、前々任校も研究主任です。
校内研究・研修を司る部署で、栄小では「研究推進委員会」という名前でした。(学校によっては「研究部」と呼ばれているところもありますね)
栄小にやってきて、教育課程の月別予定表を見て、「あれ?」と思ったんです。
ないんですよ、会議が。
教務などの3部会や行事委員会は明記されてるんですが、(これも極端に少ないことに驚いた。あと、学年会って週1で明記されているけど、よーく見てみると、どう考えてもこれどこにも時間がとれないところに書いてある。笑。聞いてみると、「あ、それね、とりあえず形だけ書いてあります」とさらっと言われた)
「研究推進委員会」の会議を開く時間がどこにも設定されていなかった。
これは、3校目にして初の経験!
掛け合いにいくも、「まあ、必要だったら空いている時間に」とか言われてしまった。
まあ、来たばっかりだったのですごすご引き返し、
春休み中だったので緊急に第1回の推進委員会を開いて顔合わせをしました。
ここからが問題。。。さて、どうしよう。
今までのやり方を考え直す必要に迫られました。
年度始めなんで、研究計画を提案しますね。
この研究計画だけは、前年度に起案されていなかった。(これにはちょっとした理由があります。けど割愛)
やったことは、
研究計画の叩き台をつくって、それを掲示板にあげる。
掲示板内で、質問や改善点がある人はコメント欄に書き込む。
よくわかんなかったら直接聞きにいく。
それらをもとにして訂正し、起案する。
起案後訂正したものを掲示板にあげ、部員みんなで確認する。
企画会にかける。
校内研究会にて提案する。
という流れです。
これで、会議レス(笑)
ここからは、校内研究の進め方や内容とも関連するんですが、
これまでの研究推進委員会の役割を考え直しました。
これまでの研究推進委員会では、全職員に「やってもらいたいこと」を決めていました。
研究主題や副主題、仮説、研究内容、研究方法、領域等々、事前にアンケートをとったり、校長先生の意向を聞いたりとかしながら。
計画がスタートしたら、次の校内研究会で何をやるか、何を提案するかを事前に話し合っていました。
これを決める事に「会議」が必要でした。
校内研究会があるたびに、その1週間前くらいに研究推進委員会を開いて、みんなで話し合っていました。年度当初は何回もやってました。
で、これを、やらない。
決めるのは校内研究会であり、研究推進委員会はそこで決めた事をやる部署という役割にする。
なので、上記の研究計画案には、主題も仮説も研究内容も書いてありません。(領域だけは「算数科」と前年度に決められていた)
4月の記念すべき第1回校内研究の内容は…
「理想の校内研究とは?〜どんな校内研究がしたいですか?〜」(ワールドカフェ)
5月の第2回は、
「本校の児童の算数科における教育的課題とは?」(WBM)
です。
こんな感じでみんなで決めていく。
この後は、手法や分科会組織もみんなで考えて、
分科会もその場で決めてそれぞれ入ってもらいました。
事前に研究推進委員会で何かを決めて、それを校内研で職員に提案する、というカタチを捨てました。
ある程度出そろったときに再度私のほうで計画案にまとめました。課題設定の理由は私がこれまでの流れをみて考えて書きました。これは主任の仕事😄
研究指定校だった2年間も基本こんな流れです。
1年目は、研究推進委員会は年度当初と、年度末評価だけだったと思います。
2年目に、急に管理職が不安になったのか、秋頃から毎週木曜日放課後に「調整会」という名の分科会長を集めた会議を開いたのだけが余計でしたが…😔
研究主任をやっているときに、研推委員のT先生がしょっちゅう私のところにやってきて、
「甲斐崎先生、ちょっと今いいですか」と私の横に跪いて話し掛けてきた日々が懐かしい(知っている人にしか分からない話題 笑)



この、「ちょっと今いい?」が大事なんじゃないだろうか。
本校(オランダの)でも、こんな感じなんじゃないのかなぁ。。。
これはあくまでも私の予想なので真に受けないようにしてください。
ちゃんと会議やってるかもしれないし。




(こっからが大事なことの2つめ…。何が1つめか分からなくなってしまった人のために…。一つ目は「事」を進めるにあたってのプロセスの話でした。ここで、無駄をいかにして削り取るかという話でした。で、栄小に来て感じて、やってみた2つ目)
さて、教務主任の先生がやったことは、プロセス上の無駄を徹底的に省くという事でした。
ここから、行き着いた私なりの一つの結論は、
ゴールを身の丈に合ったゴールに設定しましょうよ、ということです。
これは言語化して明確に表明していたわけではないのでしょうが、
私はそう感じました。
まず、「事」を進めるにあたって、
ゴール設定をしますよね。
目標とか、めあてとか、目指す児童像、みたいなものです。
これ、ほんとにちゃんと考えて起案してますかねぇ。
たぶん、ここ数年変わってないんじゃないでしょうか。
まあ、それはそれで問題なんですが、
ここで問題にしたいのはそれじゃなくて、
教師が子どもに求めるゴールです。
運動会や学芸会、音楽会なんかを考えてもらえると分かりやすいと思います。
種目や演目、歌、演奏…これを完璧に演技する、演じる、歌う、演奏する…
これ、かなり無理してません??



またまた先ほどの教務主任の先生の話。
実はこの先生と私は同じ高学年を組んでいました。
栄小の6年生は伝統的に「七頭舞」を踊っていたんですが、
これがまた超超超…難しい😔
とてもじゃないけど、運動会練習として割り当てられた行事としての練習時間(10時間)で覚える事は無理!
通常の体育の時間の「表現運動」の時間(年で6時間程度)を足しても無理!
総合の時間で。やりくりした4時間を足しても無理!
で、今までどうしてたかというと、
簡単な話、体育の他領域の学習時間を食わせるしかない。
さらに足りなかったら、他の教科の時間を食わせるしかない。(帳簿上は他教科の時間にして)
なので、運動会前の数週間は、「体育」(ほんとは体育の時間じゃないのもあるけど)が毎日あるとか異常な時間割になる。
もしかしたら、表立ってないだけで、未履修とか、時数不足ってことも起こっている可能性がある。
学芸会も、音楽会も似たようなものでしょう。
移動教室とか、特活的な行事も事前準備でいろいろ「何か」を食いつないで成立しているのではないでしょうか。
私はそうでした。



さて、七頭舞。
私たちはどうしたかというと、
というか、この教務主任はどうしたかというと、
まずは、これは「無理」と表明する。
教育課程上の指導時間では、七頭舞を子どもたちに指導する事は「無理」であると主張する。
さらに、七頭舞を指導する教員もいないから「無理」と主張する。
(それまでは七頭舞を指導するために、6年生担任になった教員が自費で保存会の講習に年休を取って通っていた)
なので、演目を変えるべきであると表明する。
でも、管理職は、これは認められないとなる。
栄小の伝統であり、子どもも保護者も期待しているの一点張り。
ならばということでとった策は・・・・・・・・







遡って、5年生の2学期に、休み時間を使って、
6年生(春の運動会で七頭舞を経験済み)に5年生(来年度の春に運動会で七頭舞を踊る)を教えてもらうようにする。
その後、3学期から運動会直前までは自主練、与えられた10時間で全体合わせ練を行い、
結果的に、先生はまったく指導せず、子どもたちだけで七頭舞を演じることができました。
見た目、子どもたちの学び合いで課題達成し、感動しそうですが、
でも、子どもたちは、5年生の2学期から、休み時間をまったく自分の自由にできないという過酷な数ヶ月感を送る事になります。(その後、6年生の2学期の休み時悪も)
さらに、子どもから子どもへの継承なので、だんだんと踊りの質が劣化してきます。
だから私たちは、ずっと、この七頭舞を運動会で踊る事は「無理」だと言い続けました。
管理職はなかなか踏み切れず、何とかあの手この手を尽くしますが、
まったく上手くいかず、
ついに今年度、七頭舞の演目は栄小のプログラムから消えました。
2つ目は「無理な事はしない」ということです。
「今あるこれだけの時間で、今いる目の前の子どもたちにできることはこれかな」
とゴール設定をすることです。




イエナプランの研修所での研修で、
講師の先生が、日本を訪問した時の動画を見せてくれました。
歓迎の歌を歌っている小学生の動画でした。
大きく口を開け、きれいな声で美しく歌っていました。
これが、私たちのゴールです。
でも、その講師の先生はこう言ってました。
「なんでこの子たちは楽しそうじゃないんだい?」
ここからイエナプラン校のゴールが見えてきます。



今日、水曜日の11時半から、「催し」がありました。
全校児童がホールに集まって、各クラスや有志のグループの出し物を見ます。
衝撃的だったのは、その完成度。
すごいんです。もう。
あまりにも残念すぎる合唱だし、ダンスも目も当てられない。
会の進行もグダグダで、司会はたぶん台本ない、アドリブ、
音響トラブルだらけ。笑
たぶん事前の練習、ほとんどしてない。
会自体に計画案もないし、綿密な打ち合わせもたぶんしてない。
進行係の先生も、出し物出したクラスの担任も、
日本だったら「ちょっと後で校長室へ」と校長に言われるレベルです。笑。



でもこれ、何をもって「完成度」を図るかなんですね。
私たちはどうしても合唱やダンスの質、テキパキとした進行、じっくり聞き入る整然とした鑑賞態度云々…ですが、
この時に舞台に登った参加者はだれもにこやかで、晴れやかで、自信に満ち、満面の笑顔でした。
この時に舞台を見ていた聴衆はだれもあたたかで、高揚していて、ノリノリで、満面の笑顔でした。
それを見守る先生たちも。
もう、あの場のエネルギーを、心からみなさんに届けたい。
無理がないんですよね。子どもも,先生も。




なんだか、オランダものことはほとんど報告できませんでしたが、
またまた疲れてきたので本日はここまで!
ではではまた明日!!


本日の内容をまとめると。
何か「事」を執り行うまでのプロセスが根本的に日本と違うような気がします。
ということと、
何か「事」を執り行うときのゴール設定が根本的に日本と違うような気がします。
ということについて書いてみました。
「無駄」と「無理」を省くということ。