kaiunmanzokuのざれごと、たわごと、綺麗事

2012-07-16

尖閣諸島 大陸の歴代政権(中国)はどう認識していたか

欽定大清一統志(清の乾隆帝勅命で編纂された地理書)の台湾府の説明がなされている巻の文面には台湾の北端が鶏籠城(現在の基隆)であると記されている。尖閣諸島は基隆から、約300キロも離れており、清代から「台湾の一部でない」と認識されていと言うことになる。

おまけに鄭成功がオランダ人を追い出すまで台湾が日本領だったと記している。つまり、明代の台湾先住民の住む「東蕃地」「紅夷地」とされ、中国の統治が及んでいなかったのである。

清朝台湾の北端まで統治できるようになったのは、雍正元年(1723年)に彰化縣と淡水縣が設置されてからである。

欽定大清一統志?卷三百三十五~卷三百三十六

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大清一統志による歴代王朝における台湾

欽定大清一統志?卷三百三十四

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この大清一統志に付属の地図でも尖閣諸島は描かれておらず、東北端は鶏籠城である。

地図で台湾の地図が西半分の沿岸線しかないのは山脈の向こう側である東半分に清の支配権が及ばなかったからだ。赤字のクエスチョンマークは編者の付け加えである。

欽定大清一統志?卷三百三十四

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これが清代の台湾府の地図の拡大。鶏籠城が最北端。

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台湾府誌にもこの考えは引き継がれた。下記の図の左が北である。その下は拡大図。

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鶏籠城を最北端とする考え方は経度緯度で座標軸を捕えるようになっても変化はなかった。台湾の付属島嶼の範囲が緯度、経度で掲載されている 『淡水庁全図』 (1871年:下記図) でも、尖閣諸島は 「その範囲外」 となっている。今度は右方向が北である。下の図はその拡大図。

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上記の中国側の文献から、尖閣諸島は歴史的に一度も中国大陸台湾に成立したいかなる政権によっても、その領土となった事実がないことがわかる。日本政府が1895 (明治28) 年に尖閣諸島に清の支配が及んでいないことを確認した上で、「無主の地」として正式に尖閣諸島を領有したことは、国際法上も極めて妥当であったということになる。

その当時の国際的認識が解るのが次の地図である。

地図はドイツのライプティヒにあるMeyers Konversations-Lexikonが1892年1890年当時の政治勢力図(Political map of Asia in 1890)である。この地図はWikipediaで見ることができる。下は拡大図である。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4f/Asien_Bd1.jpg

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下記はStielers Handatlas 1891 の拡大である。

Stielers Handatlas 1891 - Wikimedia Commons

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ご覧いただければわかる通り、尖閣竹島も日本領として当時のドイツに認識されていたことが解る。おまけに鬱陵島と思しき島も日本領となっている。


その後も1971年まで尖閣諸島を日本領とすることに異議をさしはさむ国はなかったのである。

以下に主な中華民国中華人民共和国の地図を例示していくことにする。

中華民国1945-1953

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中華人民共和国1960年北京地図出版社

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中華民国1965年世界地図集第一冊東亜諸国

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中華民国1970年国民中学地理課教科書

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中華人民共和国1972年北京地図出版社

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中華人民共和国1967年

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中華人民共和国1969年

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中華人民共和国2004年・・・・この地図が尖閣諸島の名前を中国名に変えただけで現在も出回っているらしい。

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上記の裏付けとなる資料は、web上に数えきれないぐらいある。

中国人っていい加減でかわいい(*^_^*)・・・・・例えば下記

中国人ブロッガーが掲載した尖閣中国領の根拠となる地図

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大陸の地図製作業者は良心的なのか、いい加減なのかわからないが、与那国島のすぐ近くに国境線を引く傍若無人さが見受けられるにも拘らず、尖閣諸島を日本領と推測できる位置に国境線を引いている。

本来なら双方の領土の中間国境線を引くのが慣例だろう。

それとも、もともと日本領と分かっていて無理押しをしている中国政府の内内の意向を受けて、わざと日本領と分かる様にしているのだろうか。

地図製作は技術水準の表れでもある。

わたしは、新たな地図を自力で制作できない業者が、過去の地図をそのまま利用して作り直しているから、国境線を引くことができないとみている。はからずも、中国海賊版文化が真実を伝えているのかもしれない。

尖閣が日本領であることを示す旧ソ連の地図や他国の地図もウェブ上で公開されている。中国証拠隠滅を図ることは不可能である。

尖閣諸島歴史認識上も国際法上も日本領である。中国は自国民を欺くのを止めるべきである。

風太風太 2012/09/30 12:59
中国や朝鮮の政治家、学者に歴史資料を提示して議論しても

まったく相手にならないことは、2度に渡る「日韓歴史教育共同研究会」が

空中分解して霧消したことでもお分かりでしょう。

日本の左翼の「反日学者」の皆さんさえ呆れ果てて、逃げ出したんですよ。

日本人は「資料」や「証拠」に基づいて研究しますが、中国や朝鮮の学者は

「初めに結論」「こうあるべきだ妄想」があって、日本側が提示する資料は

すべて拒否するわけです。

そして、必ずこう言ったそうです。。。

「韓国に対する愛情はないのか!!!!!」

彼らの歴史というのは、好ましい妄想フィクションがあって、それを

ノンフィクションに改ざんしたものです。

こういう認識で対処するなら、実証主義が徹底している欧米の学者を

相手にして、それを取り込んで日本の主張を強化していくしかないんです。

風太風太 2012/09/30 13:02 諸君!2006年4月号  韓流「自己絶対正義」の心理構造 
櫻井よしこ 関川夏央 古田博司

69ページ   はじめに「自分が正しい」ありき

古田
日韓歴史共同研究委員会も似てますよ(笑)。
当事者なのであまり詳しくはお話できないのですが、

たとえば意見が対立しますね。日本側の研究者が「資料をご覧になって
ください」と言うと、韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情は無
いのかーっ!」と、怒鳴る(哀)。

関川
「ない!」と答えてはいけないのですか(笑)。

古田
さらに、「資料を見てくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」と
ブツブツ呟いて、再び
「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。

関川
歴史の実証的研究では韓国に勝ち目は無いでしょう。事実よりも自分の
願望というか、
「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。(略)

風太風太 2012/09/30 13:03
はじめに「自分が正しい」ありき

古田
民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに
都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。
当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、
誤読がいっぱい出てくる。

櫻井
それは韓国の歴史研究者ですか。

古田
イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなの
ですね。
李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれですから。要するに
「自分が正しい」ということから全てが始まる。(略)

韓国の独立記念館には
「日帝の拷問道具」として木製の鞭のようなものが展示してある。
その鞭で朝鮮人の体を叩いて拷問した、と。

が、ソウル郊外の民族歴史館(?)にいくとまったく同じものが
「李朝時代に罪人を懲らしめるために使われた道具」として展示されて
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html

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