ナボコフは冗談まじりにドストをけなしまくっているが……


ロリータ (新潮文庫)



131 :吾輩は名無しである:2011/02/02(水) 00:39:03 ID:?

ナボコフは冗談まじりにドストをけなしまくっているが、スヴィドリガイロフをはじめとする
ドスト的人物の恩恵をいちばん受けている作家のひとりが、ほかならぬナボコフなんだよなあ。
フィアルタの春の作家とか、ロリータのクィルティとか、アーダのヴァン父とか、ドストなくして創造しえたものだったろうか。ナボコフのするどい批判が向けられるものは、すべて
ナボコフの作品の本質的な欠陥でありながら、作品そのものの骨子になるような要素を含んでいる。
(ステレオタイプな怪物的人物、ご都合主義的なプロット進行、視覚に頼ったあざとい描写)

それらの欠陥は周到なパロディと、テキストの重層的な構築によって完全に補われている(その代表例がアーダだろう)。
そしてドストエフスキー批判は、ナボコフが「講義」という体裁をとってまで片付けておかなければならなかった自己補強の作業のようにも思われるのだ。それにしても、たしか「登場人物が固定的で、物語において
駒の役割しか与えられていない」というのは、ブーメランのようにナボコフにかえってくる批判じゃなかろーか。ナボコフのドスト批判の大枠は、じつは審美的な判断よりも、たんに倫理的な判断に基づくものでしかないのだ(「キリストの垂れ流しは好きではない」という一言以上のものがそこにあるのだろうか?)
 



罪と罰 (上巻) (新潮文庫)
ドストエフスキー
新潮社
売り上げランキング: 5957



【関連記事】


→「本読みのスキャット!」TOPページへ