良い、さよならを。

目の前にあるものが大事であればあるほど、言えなくなってしまう。
何か言おうとするのだけれど、とてつもなく陳腐になりそうで、尻込みしてしまう。
大事なことだからこそ、自分の言葉で台無しにしたくなくて、そんなときは黙って笑うしかない。

そんなこんなで、あれこれ先延ばしにしたり、飲み込んだりしてしまいがちだけど
でも、そのときに、言わなければ意味のない言葉がある。
だから、何とかしてその言葉を探してみよう。

長い間仲良くしていた友達が、遠くへ引っ越していく。
彼女はとても素敵な人で、たくさんの刺激をもらったし、新しい発見もたくさんあった。
私は彼女に釣り合う友達でいたくて、背伸びをしていたかもな、とも思う。
それは私の悪い癖で、本当はもっと本音をぶっちゃけても受け止めてくれたのかもしれない。

ともかく、一緒に過ごした時間はすごく楽しくて、密度が濃くて、まったりしてて。大切だった。

もちろんこれからも楽しい時間は過ごす機会はあるだろうけど、たぶんその時間はもう無限ではないはず。
だからやっぱり、これは一つの岐路であり、「今までと何も変わらない」と流してしまうわけにはいかないだろう。とても寂しいけれど。

彼女に送る言葉を、ずっと探していた。

私は別れは、「大したことではない」と笑ってしまいたい。
実はすっごく大したことなのだけれど、だからこそ、さらりと受け流していきたい。
人生は思うよりもずっと長く、大変で、いろんなことが起こるし、それが当たり前だから、
重く受け止めずに、タフに行きたいのだ。

いつか死ぬことが自然なことだとしたら、生きるうえで出会うことも、別れることも自然なことだ。

だから、何事もないかのように、あなたを見送りたいのです。
そして次に会うとににも、何事もなく、本の話をしたいです。

出会いに心から感謝を。

Good-bye!

偽らない心のままで偽る

「金のため」「将来の計画のため」「世間体のため」という動機が、偽りでつまらないというのも偏見でしょう。

と、いうか、欲望の質は、両者同じことだ。結局は「自分のしたいようにする」というだけのことなのだから。

実際問題、「私は自分にウソをつかない」と、言い切る人間ほどウソをついている。
もしくは、まったく自分を客観的に見ることができていないだけだ。

人生をまっとうに生きようとすればするほど、そんなことが言えるわけがないと思う。
自分にも、他人にもね。

だから、誰かが自分で選んだものには、ほかの誰も口を出す必要がないし、笑顔の裏の意味など、知る必要もないと思う。相手から、助けを求めてくる時以外は。

それでも口を出したい、知りたいと思うのならそれも良いけれど、それは自分勝手な己の欲望であって、相手のためなどではないと自覚するべきだ。


要するに、「平凡な幸せがほしい」「安定がほしい」という動機で、あれこれ我慢したり、不自然なまでにぶりっこしたりする人がいたとして、それのどこが「自分を偽っているというのだ」、ということで。

うまく言えないけど、自分のドラマと他人のドラマを混同しちゃいけないと思う。

今、目の前にないこと

自分が集中力のない人間だということ。は、実は前から気付いていたけど。特に、一つの作業に集中するのが苦手だ。何か作業をするときでも、常にいろんなものと同時進行で進めるほうがうまくいく。気が散ることを気に病むくらいなら、最初から散ることを前提にしていればいいのだ。そうすれば、少しずつでも全体が進行する。

「今、やってることと別のこと」に、常に意識は奪われ続ける。友人にメールを書きながら、別の案件が気になったり、明日納期のライティングをしながら、ブログを急に書きたくなったり。今日のタイトルも、ほかのことを書こうとして思いついたこと。

ちょっとずつちょっとずつ、つまみ食いをしながら、くるくるといつまでもまわっている。それでも、時々長いこと留まることもあったりして、少しづつ何かを片付けていく。それが最近のお気に入り。他人からは、ダラダラしているようにしか見えないかもしれないけど、ちゃんとそれでうまくいくんだから別にいいでしょう。

自分に合ったやり方というのは大事だなぁと最近改めて思う。
自分の性質を変えるのは不可能に近いくらい難しい。個人的には。

馬鹿にされて、笑っててもいいけど、納得してはいけない

久々に、「自分とうまくやる方法」カテの記事を。

このカテゴリーを選んで読む人なら、心当たりがあると思うので、そうでない人は読み流してください。


まず最初に言っておくと、自尊心が高いことは悪いことではないと思う。
むしろ、「誰であっても自分に対して馬鹿にした態度を取ることは許せない」くらいに思っていていい。

ただ、自尊心のせいで動けなくなるのはいけない。
「傷つきたくない」という理由で、何も言えなくなったり、答えを避けたりするのはつまらない。

あなたの自尊心は、そんなところにあるのではない。
ベストを尽くして、言うべきことをきちんと言って、それでも馬鹿にされたら、それは相手が悪いのだ。やるべきことをやって馬鹿にされたら、堂々としていればいい。笑われても、何もあなた自身が損なわれることはない。
正々堂々、誠意をもって対応を、馬鹿にされたのなら、その相手とは速攻縁を切るべきだ。たぶん、その後後悔することはないと思う。


これは別に、慰めでもなんでもなく、本当にそうなので、安心して自分を信じてもいいです。根拠は何かとか、お前は何様だとか言われたら、何も言い返すことはないので、信じられないなら、それはそれでいいです。

ただ一つ言えるのは、自尊心は今すぐに持てるものであって、誰がアドバイスしようがしまいが、実際何も変わらないことなのです。

馬鹿にされたと感じて、いちいち抗議したり怒るのもいいけど、特に相手にせず笑っているのも一つの手です。ていうか、まあ、こんな世間をわたっていこうと思ったら、いちいち相手するのも疲れるので、笑ってやり過ごすのが正解でしょう。

でも、笑っていても全然いいけど、納得してしまっては絶対ダメだと思う。

虐げられて、不当な扱いをされたら、絶対納得してはダメだ。
「自分が悪いからこうなるんだ」とかは、思いがちかもしれないけど、違う。
どんなにあなたが悪かったとして、不当に扱われる理由にはならない。いや、そういうこともあるかもしれない。本当に自業自得の場合は仕方がないとしよう。でも、自分が受けたダメージと比べたら、まったく釣り合わない扱いをされた場合は、全身全霊でその人の行動、言葉のすべてを拒否するべきだ。

たとえ、表面的には笑って受け流していたとしても、精神まで屈してはいけない。
馬鹿にされたこと、不当な扱いをされたことを、あなた自身が正当に受け止めてしまってはどうしようもないではないか。

これって当たり前のことなんですが、当たり前だと気付けなかった人もいるはずです。かなり昔の自分がそうだから。

こんな駄文が何の役に立つやらわかりませんが、私自身にはもう必要なくなった言葉を、誰かが読むかもしれないので、ここに残しておきます。

それでも村上春樹がダメな人へ

村上春樹ってダメ」という人に対して、
村上春樹の良さを伝えるのは案外難しいです。
他の作家だったら、弁護したり反論したりできるのですが、村上春樹の場合は難しい。

ていうか、村上春樹の場合、好き嫌いというよりも「縁があるかないか」と言ったほうがいい気もします。

「縁がある人には徹底的にある」「縁がない人には徹底的にない」
そんな作家なのかもしれません。

だから「縁がない」人はたぶん人生において村上春樹を必要としない人なわけで、そのまま知らなくてもまったく問題はないわけなのだけど……。ファンとしてはそれでも世の中に蔓延する誤解だけは否定しておきたいというか……。まあ、自分の気を晴らすためだけになんですが。


まず一つ

村上春樹の書く話において、確かに「苦労しないでなぜか女の子にもてる」主人公はよく出てきますが、そしてそいつが時にキモいセリフを言ったりするのも事実ですが、それだけが彼のストーリーの要ではありません。


……まず一つとか言ったけど、まあ、これだけに絞ってもいいくらいだな。くれぐれも村上春樹文体のコピペだけ見て、嫌いにならないであげて。その通りのものは出てくるけれども。それはただ話の一部であって、話の本質そのものではないのです。


●そういう感情移入の難しい主人公を通してこそ、本当の「孤独」を描こうとしているのです。

実際、村上春樹の話に出てくる主人公の思考回路というのは、時に不可解で、謎です。でも、だからこそ、あり得ないような不思議でシュールなストーリーを進めることができるわけです。

ていうかですね、フィクションだから、「いけすかない奴」が主役でもいいわけです。それすら虚構の世界の一部なんです。

主人公だからって、常に「まっすぐで純情で、恋愛には不器用で、常識的な考えの持ち主」でなけりゃならないってわけでもないでしょう。

●「ノルウェイの森」しか読んでない人は、「羊たちの冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」を読んでみてください。青春小説と恋愛小説が嫌いな人には、特におすすめです。

うん、まぁ……こんなところですね……。


あ、基本的にこれらの弁護は、「キモい主人公」が嫌いだという人だけに言いたいだけです。

「話が奇想天外過ぎてついていけない」「意味不明だから嫌い」「感情移入不可能」という人に対しては、ある意味まったくその通りだったりするので、特に異論はありません。


まーねー。確かにキモいんだけどねー。

●最後に「ダンスダンスダンス」のあらすじ

フリーライターである「僕」は、妻と離婚したあと、幾人かの恋人と付き合ったが、空虚な心を埋めることができない。「こんなことがずっと続くのか」と絶望していた時、夢を見る。何年か前に、短い時間かかわりのあった女と、北海道のホテル「いるかホテル」の夢。

夢から受けた啓示で、「僕」は北海道に向かう。今の自分を捨て、生きた、血の通った人生を求めるために。

「いるかホテル」を目指して旅を始めた「僕」は様々なトラブルや出会いに遭遇する。これまで止まっていたときが動きだすように、新たな「運命」が動き始める。狂った時計のようにめまぐるしく。
僕は、運命の導くままに「踊る」が、はたしてその行き着く先はどこなのか。誰が死んでも、誰が不幸になっても「踊る」ことは途中でやめられず、「僕」はどんどん深みにはまっていく。行く先々で姿を見失う彼女は、本当は誰なのか。


ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)