いつともなくどこへともなく

2001年から続けている、生と死と言葉とのかかわりについて考えたことの備忘録です。

「途中」としての生と言葉

「途中」ということについて考えよう。

われわれは途中という状態にいることが非常に多い、というか、途中が全て、とも言い得る。

 

たとえば、通勤の途中であるとか、プロジェクトの途中であるとか、休暇の途中であるとかだ。そもそも人生やら生活やらに関する事柄は、全て生まれてから死ぬまでの途中で起こる。

 

また、途中という意味は、時間に限った話ではない。空間においても、われわれは途中、つまり中間的な場所にいることが多い。関東地方に住んでいれば東日本と西日本の中間、日本という意味で言えば中国と米国の(かなり中国寄りの)中間、という具合だ。

 

時間と空間を組み合わせれば、「移動」ということになる。移動の途中、と考えると、抽象的に言えば方向、あるいはベクトルということだろうし、われわれの人生に即して言えば、現在というものは広い意味では常に「旅の途中」だ、といったところか。

 

旅には自宅なりなんなりの出発点があり、訪問先があり、観光やレジャー、あるいは巡礼といった目的がある。そして最後にはまた出発点に戻ってループをかたちづくる。

 

ただしここまで出発、目的、目的地、帰着地などとキレイに要件が揃っているのは旅、というよりはむしろ旅行の場合だろう。より一般的、というかより根源的な意味合いで旅、という時には、芭蕉ではないが「百代の過客」として、まるで他人に「旅人」というレッテルを貼られていることによって辛うじて「誰か」であるような、なんとも定まりのない状態で移動しているのが旅というものではないかと思う。

 

旅とは、このような定まりのない、常に途中であるような旅のことを指しているはずだ。だとすると「途中」は、多種多様な旅、あるいは人生にまつわる事柄の宝庫である。


逆に途中でないもの、つまりは旅の始点、もしくは終点には、それらが旅そのものの枠組を規定しているという重要度に比べて、人を唖然とさせてしまうほど極端に内容が乏しい。さらに言えば、内容そのものが欠如している。人は自らが生まれ出ることそのもの、死ぬことそのものについて、本来、語るべきものを持たないのだ。

 

一人の人間を思い浮かべた時に、「自らが生まれ出ることそのもの、死ぬことそのものについて、本来、語るべきことはない」と言われたら、多くの人は「理屈を言えばそれはそうだろう」ぐらいに受け流すだけだろう。しかしそれが世界そのもの、社会そのもの、歴史そのものの話に置き換えると、その始まりや終末について語ることをそう易々と受け流してもらうことはできない。「宇宙の起源」「日本の起源」「人間の終焉」「歴史の終わり」などという話題は、時に宗教において、時に科学において、時に政治において大問題となりうるし、実際に「宗教論争」紛いの大きな議論を引き起こしてきた。あたかも始まりと終わりが間に横たわる「途中」の全てを決しているかのように、我々が本来語り得ない始点と終点を巡って限りない冗舌が繰り返されていく。

 

始点と終点、つまり「われわれがどこから来てどこへ行くのか」という根源的にして哲学的な問いは、語り得ないというだけでなく、生のほとんど全てを「途中」の状態で過ごすわれわれ自身にとって、実際にはほとんど無関係な問題なのではないか。

 

「途中」を生きるために役立つ知恵、「途中」を生きるわれわれを勇気付けてくれるものをこそ求めるべきなのだ。しかし言葉、思想、あるいはもっと広く、書かれたものの中に、途中について教えてくれるものは少ない。

 

それはなぜなのか。


知恵が、記号である言葉で語られ、書かれる限り、生きて動く「途中」は捉えられない。確かに言葉は、無の中に投げられたサイコロのように全ての始まりであろうとする。あるいはまた、事物を「語り尽くす」ことで、まるで不定形の煙として立ち上ろうとする事物に蓋をするように、終わりであろうとする。しかし始まりと終わりとで区切ることで事物を汲み尽くそうとすることは言葉を話す者同士で了解された言葉の見せかけの振る舞いに過ぎず、「途中」はあたかも言葉の不可視な背景ででもあるかのように、語り得ぬものとして漂い続ける。


逆に、「始まりとして途中を生み出し終わりとして途中を終わらせる以外の方法で、途中について語り得ない始点、あるいは終点」こそが、言葉の本性とも言い得る。事物はもちろん、言葉に先立つ。言葉がどんなに事物の起源として、また事物の終点として振る舞おうとも、それは擬態に過ぎない。それでもこの擬態こそが言葉の本体であり、この擬態の網の目によって、多様な言葉の現実が形作られている。つまり言葉自身もまた「途中」を生きている。


ここに本質的な逆転がある。この言葉の現実こそ言葉の現在であり「途中」なのだ。名指すものとしての言葉は「途中」について語り得ないが、「途中」あるいは生をとりのがすことで言葉自身が生き始めるのだ。


言葉がしばしば、途中としてしかありえないわれわれの生に対して、いわば「死んだ言葉」として虚しく響くにも関わらず、それでもしばしば我々が言葉の魅惑に惹きつけられるのは、言葉もまた言葉の生の、捉えがたい「途中」を生きているからかもしれない。












 

脳のリハビリ

「この前」書いたと思っていた前回のブログエントリーが5年前のものだと気づいて、少々愕然とした。毎日とか毎週ではないにせよブログを長期にわたって書かないというのは、わたしのようなタイプの、考えてばかりで行動があとになるタイプの人間にとっては「脳の仮死状態」に近い。リハビリが必要だ。

空白期間の脳みそをアップデートするにあたり、この5年間にわたしが新しく知ることになった、本ブログのテーマ(そんなものがあったのか、という話はさておき)にかかわる事項を思いつくままピックアップしよう。

1.シンギュラリティ云々の話
つい先日、フーコーの『性の歴史』最終巻が出版される、というニュースが日本でも報じられて(http://www.afpbb.com/articles/-/3161404)「へー」と思ったということもあってまず思い当たった。

「人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明に過ぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ・・・賭けてもいい、人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろうと」(「言葉と物」第10章末尾、渡辺・佐々木訳)

深層学習やらビッグデータやらを応用した人工知能により、さっそくそういう時期が訪れたのか、という単純な驚きがある。世間的には驚くのが10年くらい遅かっただろ、と突っ込まれそうだが。

機械の能力が人間を追い越すというのは確かに脅威だろうが、人間が二次的な存在となったときに世界がどのように見えるのか、と思い巡らすことは意義のないことではないだろう。

2.「人間原理」の話
その反対、ということもないだろうが、理論物理学というか宇宙論の話として、「観測する人間がいなければ現在の宇宙は存在しない」などということが、まことしやかに言われている。さらに踏み込んで、キリスト教的な「インテリジェントデザイン」論とは別に、宇宙のインフレーション理論のいうように宇宙は作成可能と考えると、現宇宙のような、いわば「出来すぎた宇宙」は、他の宇宙に住む宇宙人が数学的にデザインしたと考えたほうが理にかなっている、というようなことを科学者がマジメに語っていたりするのはおもしろい。
「宇宙人からのメッセージ」的なトンデモ系のあれやこれやの言説は、意外に核心を衝いていたということかもしれない。

3.「暴力が支配しない世界」の話
考古学の世界では、先史時代の人間の死因で最多なのは「殺人」だとされている。約200万年の間、人間は「生まれ、生き、そして殺される」存在だったというわけだ。これは、歴史時代となり、殺人による死の割合が減少したことは確実だということでもある。
わたしは自分の子供に「学校で教えない世界史」という授業、というか与太話をたまにしていて、彼らの母親に顰蹙を買っているのだが、そのうちのひとつに「国家が殺し合いをせずに統合されたのはEUが最初」というのがある。かの大前研一先生からの堂々たる孫引きである。「たったこれだけのことに200万プラス1992年かかったわけだ。世の中がマトモになり始めたのはごく最近のことだということになる。だからしっかり勉強して世の中をよくするように努力しなさい」というお説教で話が終わるので、息子たちの反応はすこぶる鈍い。
最近よく聞くのは、「学校の入学試験で単純に成績だけで合格者を決めると女子が多くなりすぎるので、男女の比率をあらかじめ決めておかなければならない場合がある」的な話だ。「女子はまじめ」「女子は教師に比較的従順」などというのは、男子にも同じような性質の子供はいるはずなのでおそらくこうした見方は的外れで、単純に、体格や体力で勝る男子より、女子のほうが読み書きやコミュニケーション能力が高い、ということだろう。これは、暴力が世界に及ぼす相対的な影響が減じていることの、ひとつの表れでもあるように思う。
「200万年の間の変化と個々最近の入試の男女比の問題なんて、時間のスケール的にいって無関係でしょ?」と言われそうだが、そうではない。「暴力」という軸で見たときには、東西冷戦の終結を契機として、この四半世紀の間に「非暴力化」という人類史上の急激な流れが押し寄せている、と見るべきではないだろうか。
そのような「非暴力化」という人類史的な視点から、テロリズムや米露中の軍事的な有り様を捉えなおすべきなのだと思う。

またなにか思いついたら、このアップデートを続けよう。

親愛なるフランスの友へ / 震災当初の草稿から

震災から2年経った。震災直後、外資企業に勤めるわたしは家族とともに東京から大阪、続いて福岡に移動していた。下記はそのころ、フランス語に訳してフランスの新聞に寄稿しようとしていた文章だ。当時、各国が日本産品の禁輸措置、日本からの資金引き揚げなどの兆候を示していると報じられたことを受けて書いた。

翻訳もほぼ終わっていたが結局、出さずじまいだった。理由はおそらく、わたし自身がほどなく東京に帰ることになったからだろう。つまりこのようなものを書いた時点では、心のどこかの、ほんの一部分とはいえ、絶望していた、ということになる。
そして結局、「倫理はさておき、今まで以上に働いて、税金を納めることで復興に関わる」という、甚だ現金だが、シンプルで忘れようのない個人的な方針を立てた。そして事実、この2年、死ぬ気でと言ったら大げさだが、三度の飯を二度、または一度にする勢いで働き、会社全体では200%近い成長をすることができた。

避難生活を送っている人々の数は、2年経ったいまでも30万人以上という。
だから我々も、「まだまだこれから! 増税? ウェルカム!」という気概で前向きに進むしかない。

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親愛なるフランスの友へ

わたしは、フランス系出版社に勤めているという点では多少特殊だが、日本のどこにでもいる編集者のひとりだ。

この度の災厄に瀕し、最悪の事態を想定したフランス本社の特別の配慮により、東京から大阪に、さらに東京から1000km離れた福岡に妻子とともにやってきて、一時的なオフィスを構え、ビジネスにおけるリカバリーを目指して、どうにか働き続けている。「避難」したくてもできない人々が大半なのだから、幸運に感謝しなければならない。
日本社会が生き続けていること、被害を克服できることを内外に証明するために、可能な限りの仕事を続けるしかない。

東京はわたしの、唯一無二の故郷だ。
たくさんの友達、仕事上の仲間が住む懐かしい街。愛と憎しみの対象でもある街……。

危機に瀕した故郷を捨てて見知らぬ土地に移るのは難しい判断だった。
東京に残る者からは、裏切り者との誹りを免れないだろう。
事実、わたしは逡巡した。
すくなくともわたしの理性は、そもそも飛行機に乗るたびにかなりの放射線を浴びても普通に生きているわけだし、チェルノブイリのような原子炉の大爆発が起こらない限り、200km以上離れた東京の大気に、質量の重い放射性同位体が大量に流れ込む事など100%ありえないと考えていた。
しかし妻は違った。8歳と6歳の息子たちを持つ母の一種の本能によって、ぜひ西へ行きたいと言った。
またわたし個人にとっても、実母を30年前に亡くし、長く病気を患っていた父を昨年末に亡くしていた。
つまり、誰の人生の道程にもある、父母への心配という重大な中間地点を、わたしはすでに通り過ぎていた。
結局、会社の指示通り移動を決意した。

普段と変わらず活気に溢れた大阪の街に降り立ち、子どもたちのひとまずの安全を確保できたと実感できたときには、フランス本社の迅速な決断と配慮への深い感謝を感じ、年甲斐もなく泣かされた。自分の感情のひ弱さを実感させられた瞬間だった。

長らく、フランスはわたしの教科書だった。
15年前、パリでフランス語とフランス文明を、たった1年間だったが、学んだ。
2年間、新聞配達をして貯金した200万円ほどの現金だけを頼りに渡仏したのだ。
どうしてそうまでしてフランスへ行ったのか。
青春時代からいまに至るまで、考える事、書く事をわたしに教えてくれたのは、シャルル・ボードレール、ギュスターブ・フロベールクロード・ベルナールロラン・バルトジョルジュ・バタイユモーリス・ブランショミシェル・フーコージャック・デリダといったフランスの作家や哲学者、科学者たちだった。
日本にも、他の国にもよい著述家はいる。しかし、感情、批判されることへの恐怖や先入観にとらわれることなく、透明な目で真実を見、書くこと、すなわち戦うことをわたしに教えた先人の多くは、彼らのようなフランス人たちだった。

今回の震災につき、もし貴方が英語を解するなら、日本を代表する作家、村上龍氏がNYTに書いた以下の記事をぜひ読んでいただきたい。これは、冷静に情報を分析し伝えようとする日本の科学者や専門家たちに対する信頼を語った文章で、おそらく日本人の多くがいま思っていることを率直に代表しているものだ。
www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17Murakami.html

ただわたしはこの文章の「全てを失った日本」という表現について、フランス流の「脱構築」、つまり感情を取り除いて検討を行いたい。

1. 東北地方全体は、大震災、大津波により、死者は1万人を超えると見積もられる。人的被害、インフラの被害は甚大だが、日本市場におけるこの地方が占める割合は日本全体の数%程度。経済的な打撃は部分的。
2. 東京および関東地方では、停電、余震、情報の混乱、物資の不足、放射能汚染への恐怖により、重大な停滞を強いられている。今後、それらが解消されればほどなく首都機能は回復する。
3. 大阪や、ここ福岡は現在のところ、事故の部分的な影響はあるものの、普段通りに社会が活発に動いている。おそらく中部以西の地域は平常。
4. この震災の影響で、日本全体での経済的な損失は20兆円前後と見積もられている。
5. 生命の危機を冒しながら被災地、原発事故現場で働き続ける自衛隊員、警察官、技術者たちを国民は信頼している。
6. 多くの専門家が、福島原発は構造上、爆発事故に発展する可能性はなく、放射性物質の流出はすでに起こっているが、100km圏外で致死的な汚染が広がる事態は考えられないとしている。ただこれについて、わたしは専門ではないから、それぞれの情報ソースに当たっていただきたい。

以上は、インターネットなどで日本人だけでなく、誰でもがアクセスできる情報だ。これらを要約すると以下のようになる。

「日本はすべてを失ったのではない。各国メディアの映像で伝えられている地獄絵図は深刻な被災状況の報道であって、日本の真の姿ではない。日本社会は深刻な打撃を受けたが、全体から見るとその被害は限定的だ。つまりわれわれはまだ、生きている」

わたしが恐れるのは、世界中の人々が現実の日本から目をそらし、ありもしない幻影に怯えて希望を捨ててしまうこと、「日本は放射能に汚染されて破滅した」ととらえて誤った方向に進んでしまうことだ。可能な限りリスクを回避するのは正しい考え方だが、明白な事実から目を逸らすことはより大きな危機を呼び寄せることにつながる。

福島原発の情報公開に関して、われわれの日本政府と東京電力は迅速とは言えず、全世界に対して多くの心配をかけているのは事実だ。しかし、わたしが親愛なるフランスのみなさんに強くお願いしたいのは、どうか、正しい情報を見つけ、真実を見、真実を愛する「勇気」を失わないでいただきたい、ということだ。

真実をありのままに見る勇気。
真実を愛する勇気。
その勇気の大切さをわたしに教えてくれたのは、ほかでもない、あなたがたが大切に育んで来たフランス文明なのだから。

2011年3月18日、福岡にて

「幸福論」の系譜の末尾に付け加える蛇足

「幸せってなんだっけ、なんだっけ?」というバカげたCMソングが以前よくテレビから流れて来て、イライラしたものだ。しかし、古来、「幸せ」とはなにかについて、偉大な哲学者たちがそれぞれ、立派な説を唱えて来たのもまた、事実であるようだ。

いままで、そうした「幸福論の系譜」について調べてみようとすら思ったことがなかった。苦労の多い貧しい人生だ、などと自分では思っていても、その実、幸福に飢えていない、つまりそこそこ恵まれている、ということかもしれない。

いまの時代はウィキペディアという便利なものがある。アテになるのか、その場合の「アテ」とはどのような基準で言われている事なのか、というどうでもいい議論はさておき、ウィキペディアには「幸福論」という項目がある。
これをものすごく乱暴に3つにまとめると以下のようになる。
1.人間として、欲望を満たすだけの快楽より高次の満足をもとめ、それが実現できたときに感じる充足感。自分が約に立つ存在であるという自覚(アリストテレスラッセル)
2.神の愛、永遠を感じること(スピノザカール・ヒルティ
3.万事をあきらめて平静な心の状態を得ること(エピクテトスショーペンハウエル、アラン)

今日、ビジネス的な文脈で言われるのは、1ではないだろうか。曰く、「自分はなにかの役に立っている」という「有用感」が、人に働くモチベーションを与える、と。

わたしは夏休みに旅行に行ったタイのチェンマイのリゾートホテルで、プチブルジョワ的に優雅な朝食をとりながら煙草を吸い、追いつ追われつするつがいの蝶の軽やかな振る舞いを見て、まったく別の事を考えたのだった。
「コイツら、いま、幸せなんだ」
蝶は動物だから、繁殖するために交尾する相手をとらえようとしているのだ、という者もいるかもしれない。
しかし、蝶たちの振る舞いには、愛や性の重さがなかった。

老子は、遊ぶ子供の振る舞いに世界の真理を見たというが、それは(それこそわたしが言うまでもないことだが)慧眼だと思う。おそらく、本当にそんなものなのだろう。

遊ぶ子供。きまぐれ。確率的。目的なし。無軌道。

しかしわれわれは、遊ぶ子供、だけでなく、遊ぶ動物たちの姿から、もう一つ別の旋律を聴き分けるべきなのではないか。
遊んでいる子供は、遊んでいる動物は、そのとき、幸せなのだ。幸福の、本来の意味は、「わけもなく楽しい」ということにあるのではないだろうか。
いや、このような言葉の重さとも縁がないほどに、とらえようもなく軽く、自覚もない、奇跡や偶然のような心のありよう、存在/非存在のありよう、なのではないか。

もうひとつ言えるのは、子供も、蝶も、なにもかんがえていないわけではない、彼らにも知性がある。でもときに、不意に遊びがはじまり、幸福が訪れる。だから、多くの文学がイデオロギーであるかのように異口同音に訴えて来た意思阻喪、エクスタシーを、幸福と混同するのは誤りだということだ。

話は飛躍するが、カフカが、あるいはツェランが許せなかったものとは、ユダヤ的なものから文学を、つまり言葉を操る遊びで「幸せ」を引き出してしまった彼ら自身なのかもしれない、とふと思った。

動物の視線

震災からちょうど5ヶ月たったわけだが、それとはほとんど関係なく、動物、それから創造、ということについて書く。

2年ほど前から、小鳥を飼っている。1羽2000円ほどのセキセイインコの雛を、2人の息子それぞれの所有権を認めつつ買って育てている。
それ以前には、自分に取って動物といえば、まず猫だった。幼少のころから数えれば、何匹の猫を飼い、失って来ただろうか。猫は通常なら10年以上の寿命があるはずなのだから、思えばひどい話である。


最後に飼ったのは、目白通りの車道でうずくまっていた、手のひらに載るほど小さな、やせ細った子猫を拾い、育てた猫だった。
わたしはこの猫の人柄、というか猫柄を、ほとんど尊敬していた。
猫を飼ったことがある人なら誰でも気づくことであり、ある意味当然のことだが、猫には個体差があり、それぞれの性格、度量、といったものがある。ひどく臆病な者もいれば、気性の荒い者もいる。
この拾い猫は、感情の豊かさもさることながら、寛容さ、といったらいいのか、落ち着きといったらいいのか、些細な事に動じず、それでいて同居している人間の感情を慮る心遣い、というものを心得ていた。

動物を飼う、という行為自体、人間中心的で傲慢な行為である。
震災のおりにも、論争の種になったものだ。
曰く、なぜ豚は殺して喰うのに、犬猫を救おうとするのか、と。
これは、まことに遺憾ながら、正しい考え方だ。
「かわいいから」というのは、理由としてお粗末すぎる。
犬猫に感情があるとすれば、おそらく、牛にも、豚にも、感情があるはずだ。かわいそう、というなら、すべての生きとし生けるものがかわいそうだと言うべきなのだ。
…などと威猛々しく語る資格は、わたしにはないのだろう。

話が脱線してしまった。鳥の話をしよう。
鳥を飼ってみて思うのは、これほど小さな生物にも、感情や知性がある、ということだ。
楽しいときは喜ぶし、機嫌を損ねることもある。
その点では、人間と変わらない。

そしてわたしの家族は、セキセイインコでは飽き足らず、西アフリカ原産のヨウムを飼おうかと数ヶ月前から検討しているのだから度し難い。
ヨウムは鳥類のなかでも特に知能が高く、人間の言語を理解し、よく話すことで知られている。
天才として有名な(という形容は少々ばかげているが)アレックスというヨウムは、死の前日、「You be good. I love you. You’ll be in tomorrow(またね、明日ね、愛してる)」という言葉を飼い主に語ったと伝えられている。
ちなみにヨウムの価格は20万円ほど。子犬より高いので驚く人もあるだろうが、ヨウムはポピュラーな鳥なのでこんな値で取引されているが、

こんなことは、鳥を飼っていない人には、どうでもいい話かもしれないのだが、要するになにを言いたいかというと、言葉を話す、感情をもつ、なにかを創造する…そういう人間を定義づける、人間特有の能力とされてきたことがらは、なにも人間に限ったものではない、ということだ。

終わりであり始まりである死

4日前に、父が死んだ。

病室で、わたしにとっての固有の、唯一無二の存在、唯一無二の肉体、精神、魂、そうしたものが、少なくとも目に見える形では活動しなくなるのを眼前に見た。
医師の指先が父の上下の瞼を開き、手にしたライトで眼球を照らし出した。
わたしは、父の開いた瞳孔を見た。

父のそばにいた姉が後で語った言葉によれば、虫の息だった父の身体につながれた機器が心停止を告げる発信音を上げ、ほんの数分前に控え室に休みに行った父の配偶者(実母は30年前になくなっている)をわたしが呼びに走った1分足らずの間に、容態の悪化後1日かけて徐々に閉じられていった父の瞼が一瞬、大きく見開かれたという。

遺体にとりついた、父の配偶者の痩せこけた背中が震え、皺のよった両手が、父の普段と変わらぬ寝顔を撫でていた。
「息するの、やめちゃったんだ?」
彼女は、何度かそう問いかけていた。

彼女は、10年以上の間、自宅で夫の介護を続けて来た。
日々の絶え間ない注意、努力、労働によって、栄養を与え、病気の感染を防ぎ、具体的に維持し、生かして来た夫の肉体が、10何年かの間、それに向き合って戦い、遠ざけ続けていた状態ーー「問いかけに答えない」状態に陥ったにもかかわらず、その肉体が生きているときと同じようにただ、手のひらでその顔を撫でさすることしかできなかったのだ。

「固有の、唯一無二の存在には、固有の、唯一無二の死が与えられるべきではないのか」
そう問いかけてみても、死は「問いかけに答えない」という否定形の、受動的な、無名の状態でしか現れる事はなかった。

固有の死ではなく、「死」一般、「喪」一般について語ることは痛ましい。

喪をフランス語ではle deuil、という。語源は、「器具」「仕掛け」「(法学上の)故意」、転じて「策略」「ごまかし」を表すラテン語、dolusだという。le douleur(痛み)と同語源だ。それが10世紀にdol、12世紀に二重母音化によりduel、複数形は無声化によりdueus/deuzという形になり、眼(oeil/yeux)と同様の規則により現在の綴りになったらしい。持ち物を掠め盗られた苦しみ、痛み、ということだろう。
一時期、「対決」を意味するduelと同形となったのは偶然だろうが、しかし、この「一対」というもうひとつの響きから、喪の、二重性について考えたい。

固有の存在を失うと同時に、固有の喪、固有の痛みが始まる。
固有の生は、死ぬことで、固有の喪、固有の「不在」、固有の痛みを生み出すのだ。
死と生、終わりと始まりを表裏のものとし、生と死を貫くこの固有性を、「魂」と呼びたいと思う。
だとすると、「魂」は、生まれようとしている/死なんとしている、という二重のありようを持つことになる。

魂は、永遠に、現れようとする可能性と失われようとする可能性を同時にもつ、つまり不滅であると同時に不在の中でしか触知することのできない、固有のなにかとも言える。

だから人は、かけがえのない唯一無二の魂と向き合うことによってこそ、永遠と死について、なにかを学びうるのだ。

「他者」に、会いに行く

昨年末、米国発の某ビジネス系SNSを経由してヘッドハンターからアプローチがあった。
彼の紹介で、某欧州系グローバル企業の面接を受けるハメとなり、その最終面接があと数日に近づいている。決まれば、3週間の欧州数カ所での研修の後、日本法人での着任、となる。
なんだか、雲をつかむような話だ。

金融関係のビジネスマンにとっては、ごく当たり前のことかもしれないが、旧来的な、因習的な、呪術的な(?)業界にいるものにとって、魑魅魍魎が跳梁跋扈するところのグローバル世界に飛び込むのは、正直、目もくらむほどのリスクを冒す思いだ。もはや転職というのも甚だお恥ずかしい年齢(昭和40年代前半生まれ^^;)だし。

米国系外資系企業につとめていたある知人はつい先日、「明日から来なくていい」と一ヶ月分の給料だけを渡されて叩き出されたという。ましてや、ギリシアの危機に揺れる欧州系企業って、大丈夫なのか?
大前研一先生の「EUは、戦力によらず、話し合いによる規律づくりによって版図を拡大した人類初の試み」(本が手元に見当たらなくてメチャメチャな引用です。あとで直します^^;)というようなご指摘を、まともに受け取って、EUの未来に賭けてしまっている自分って。。。

ちょうど2年前、以前の部署での幹部合宿の際、「世界は変わった。コミュニケーションの形が変わった。ヒエラルキーの時代が終わり、ネットワークの時代になった。社会的なパラダイムシフトに対応できるように、組織を『民主化』すべきだ」と、景気よく一説をぶち上げてから、ほんの2週間後に異動(しかも異動先は白紙^^;)を言い渡された。
いま思うと、ビジネスの場で「民主化」は禁句だよなー。いまさらながらに、自らの浅はかさに閉口せざるを得ない。明らかにやりすぎだ。

そして振り返ると、そのときにもう、自分で「禁断のダイヤル」をグルっと回してしまっていたんだな、と思う。

いま、身の回りで起こりつつ在る変化は、「デジタル化」とかそういう小さい話ではなく、池田信夫先生なんかがおっしゃるように、「地縁的な社会」から「契約社会」への、100年くらいかかるかもしれない、血で血を洗う大激動の、ほんの端緒の部分なのだと思う。その端緒に喜び勇んで、先走って首を突っ込むのは、やはり物好きのやることだ、という気がしてならない。

息子たち、奥さん、「他者」に、「未来」に、なにか大切なものを賭けようとしているアホなとーちゃんを許してください。

ま、落ちたら落ちたで「ほっ」とするのかな、なんて思うのが最悪なんだけど^^;