玉城和美の描き絵空間

琳派の元禄文化「かきえ」を令和へ繋ぐ絵師の活動日誌

はじめての女川①





4時半起床で7時間の旅。意外にあっという間だったが、大きなスーツケースに寄贈する額をくくりつけ、お土産の入った肩掛けに、手持ち品を入れたブドウのバックという大荷物での4回乗り換えは、なかなかスリリングだった。のぞみ、はやぶさ共に満席。東京も仙台も夏休みでごったがえしている。構内のエレベーターを探し回って上がったり降りたり次のホームへ・・15分で無事にたどりつくには予約車両の選び方にもテクニックがいるのだと知った。これで到着10分前から立ち並んで降車を待っているビジネスマン方の理由も納得。
今回のルートはJR東日本のオペレーターのお兄さんと相談して決めた。仙台から石巻へ向かう快速特急は、本数が少なく連絡が悪い。東北本線各停で古牛田(こごた)で乗り換え、石巻経由で女川へ二時間半かけて向かう。覚悟の選択だったが、「地元の人間はそんな遠回りはしない。仙台から高速バスで女川へ向かうほうが・・・」と隣り合わせた、石巻へ里帰り途中のお姉さんに心配をかけた。
だが、いざ乗ってしまえば、「京都ー女川」という途方もない乗車券をみた運転手さんに「ご苦労様です。」と敬礼で歓迎され、ワンシート独占、ゆったりと座って部活帰りの学生さん達とのんびり、これもまた貴重な体験であった。最後は二両連結のワンマンカー、しかも単線。見渡す限り田んぼと山とギラギラの熱い日差し。トンネルを抜けると、いきなり海が見えた。美しい入り江、漁港湾だ。まさか、ここに・・・ビルの壁のような津波が寄せて一気に地球の裏側まで返し、続いて何度も押し寄せ、右から左からぶつかり合って渦を巻き、まるで竜巻のように低い方へ低い方へと丸ごとプカプカ流れていく・・・聞かなければ、誰が想像できよう。それくらい女川の瓦礫は消えメイン道路は美しく戻って海は穏やかだった。

はじめての女川②






女川駅では、約束通り「赤カブじいさん」こと鈴木さん、「マコちゃん」こと鈴木さんの奥さんの妹さんが、笑顔で待っていてくださった。目があったとき、ほっと安堵して嬉しかった。「せっかく来たのだから」と津波の爪痕を残す医療センターに案内してくださった。チリ津波に被災しているので、病院は「不必要では?」と思うくらい盛り土して高台に建てられていたが、5年前の津波では、一階部分は水没、カルテも全て流された。まさに町民の想定外だったのだ。
電車で行くとよくわかるが、女川は海岸線に沿って線路と国道が並んでいて、民家のすぐそばを走っている。歩いて10分程で上がれそうな山もすぐそばにあって、海と山の間の際に、役所、病院、商店、民家が立ち並ぶ、三陸独特の海沿いの町だ。
鈴木さんの流された自宅と美容室は、役所の上に位置し駅にも近く、生活にも商売にも一等地だった。今は、一括整地されていて帰ることは許されない。これからは町の防波堤の役目を担っていくことになるのだろうか。
そこから車で5分くらいの高台にある新居は、もともと娘さん夫妻のお宅があった40坪の敷地にあった。娘さんの家は、お風呂が壊れた程度で津波でも流されなかったが、4月7日の余震で全壊した。鈴木さんが一人で、体育館の避難所から毎日通って、せめてお風呂だけでも家族が気がねなく使えるように、セメントで修理したが、そのお風呂に入ることは一度も叶わなかった。全壊の直後、馴染みの棟梁に、「いつか必ず、ここに建て直すからお願いするよ」と二軒分の材料確保を懇願、二年後に仲良く二軒並んで再建された。
現在のご自宅は、海風の通るバリアフリーの明るい木造住宅。ガレージに着くと奥さんが出迎えてくださり、お玄関で「赤カブ」と再会。
漆塗りの宝箱にブドウを描いた作品と、京都のお菓子を包んで持参したバンダナをお土産に渡すとじっくりと見てくださって「似たようなのを持ってたけど、全部なにもかも流されちゃったね・・・お昼、まだでしょう?」と出してくださったお稲荷さんとキュウリのカラシ浅漬けを頂きながら、「車があっておじいちゃんがいてくれたから、一家4人の命を救われたのよ・・・」と、三人が次々とわき出るように話し始められた。もしも、震災が前日だったら、同じ二時半頃に鈴木さんご夫妻は車で買い出しに出ておられたので、マコちゃんと当時は存命だった足の不自由なおかあさまは、「津波が来ます」の町内放送を聞いても、半時間ではとうてい逃げることができなかったそうだ。
現金、衣服、食べ物、家財道具、愛着のある思い出、家とガレージ、美しい庭、マコ美容室。きれいさっぱり全部、一瞬で引き波にもっていかれた。ちなみに、命を救った記念すべき愛車は、80才になる今月一杯で免許返上で廃車される。鈴木さんは、若い頃に肺癌を患い、事故で脛椎をやられ、震災も含めて何度も生き抜かれてこられたという。好奇心と素早い選択、そして、すごいパワーを感じた。すぐ届くところに、それぞれの薬が入った名前付きの刺し子ポーチが三個、仲良く並んでかかっていた。

はじめての女川③




女川えくぼハウスは、神戸東プチソロミストから贈られたトレーラーハウスを活用した、被災女性のための居場所。手芸やお花、お茶などのお稽古などに使われ、100円でお茶とお喋りを楽しむこともできる。運営されている遠藤優美子さんは、やはり「赤カブ」がご縁で、私のチャリティ活動の窓口となって協力してくださっている方だ。メールと手紙、電話で5年のお付き合い。ようやく出会えた「初めまして」のご対面は、チームメイトに会ったような熱いものを感じた。
午前中は、11月1日開催の個展で販売するコラボチャリティ作品「箱ティッシュカバー」を共同制作させてもらった。手芸の先生から、最高齢91才のおばあちゃんまで、針に不馴れな方も含めて10人程集まってくださった。取り出し口に、東北の刺し子をイメージしたステッチと便利に使えるフック。トルコブルー、ピンク、ラベンダーなどタマキカラーで振り染めした布の美しさを生かしたシンプルデザインで、誰にでも簡単に縫えるように工夫した。
熱心に作ってくださったあとは、遠藤さんと手芸担当の阿部さん持ち寄りの、温かいお心尽くしのランチ。餅米のご飯、新鮮タコ、えくぼ畑の枝豆と青紫蘇。どれも美味しくて癒され、逆に私の方が元気を頂いた。

はじめての女川④





午後からは、お手持ちのハンカチやストールに即興で描き絵してプレゼントするパフォーマンス。
中には、知らずに参加してくださった方もいらして、とても残念がられたので、急遽ご着用の白っぽいTシャツやパンツを脱いで描かせてもらうことになった。絵柄は、オーダーと同じように、お一人づつゆっくりお話ししながら好みを聞きしイメージを膨らませる。体型や顔立ち、その方の雰囲気に合わせた鉄線やバラ、椿、えくぼ畑のハーブなどを、下絵なしで目の前で一気に描いていく。しんとしたえくぼハウスの中で、子どものようにキラキラと目を輝かせ、私の手元を見守って待ってくださるのが有り難かった。
「墨だけでも十分いいと思ったけど、やっぱり色が入ると、まるで命が吹き込まれていくみたいだねぇ」「すごいねぇ、世界でひとつだけの一点モノだもの、有り難いねぇ。着るのがもったいないねぇ。でも、来週の集まりでみせびらかしたいねぇ」と、一緒に喜んでくださった。
「誰かの笑顔が見たくて、描き絵で私がやり続けていけることは、やっぱりこれかもしれない。」と、心が洗われる思い。つい、調子に乗ってリクエストに応えているうちに、閉館時間オーバー。焦る私に「明日はハウスはお休みなので、あなたに鍵を預けるわ。このままにして、一旦、宿舎に帰ったら?あなたが大丈夫なら、好きな時間に来て続きを描いたらどう?午後からは私も時間があるので、ゆっくり二人でお茶しましょうよ。」と遠藤さんの計らいで、染料や筆など道具を広げたまま一旦お開きとなった。
肩はパンパン、腕も張ってるなあ、と気づいたのは帰り道。クタクタで徒歩10分、コバルト民宿さんへ戻る。隣は町に一軒のドラッグストアで、持ち込み可能の缶ビールを購入できて便利だ。料理自慢の女将さんが、超笑顔で「お帰りなさい!今日も暑いから大変だったでしょう?毎日偉いねぇ。先にシャワーでさっぱりして、ゆっくりご飯にしてください。いっぱい食べてね。」と海のもの山のもの日替わり五品の大盛りおかずと熱々の白米、東北独特の塩辛いお味噌汁で出迎えてくださった。

はじめての女川⑤




コバルト民宿のお客さんは、ほとんどがブルーカラーの男性。復興土木建築の現場関係者と原発技術者の方々だ。県外出稼ぎ組の社宅のようになっていたり、「高速と油代つかって仙台の自宅と往復するより、お母ちゃんには悪いけど、一泊二食付5400円のここで単身赴任する方が、利口で体も楽だから。」と5連泊赴任も多い。女川の海は美しいが砂浜がなく、サンマ水揚げ量日本三位の漁港なので海水浴はできない。女一人客は珍しいらしく、食堂で目が合うと「観光?」と尋ねられる。「私、絵描きなんです。」学生時代のように、今回は全身描き絵ファッションなので話は早い。京都からチャリティの準備で来ているとわかると「偉いねぇ〜。テレビ局くらい取材に来てもいいんじゃないの?」とか「お姉さんの仕事につながるといいねえ。」と真顔で応援の嵐だ。
全国ネットのマスコミでは上がってこない現地の複雑な話も色々と聞かせてくださった。被災した方々には本当に申し訳ないことだが、低迷する経済事情の中、自治体の復興事業のおかげで倒産寸前だった会社がいくつも助かったという悲しい現実。長年に渡って空振りに終わる津波警報に慣れてしまって、狼少年のように「ああ、またか・・どうせ又こないだろう」と逃げ遅れて被害にあった人も沢山いたこと。役所ごと町全体が流れてしまったため、女川が壊滅状態だということを世間に知らせる術がなく、二日間も陸の孤島になったとき、女川原発はいち早く避難所として活躍したこと。海難探索ヘリに向かって、皆で衣服を振り回して現状を知らせたこと。鈴木さん一家のように、着の身着のまま逃げて助かったものの、水も食べ物も4日間全く手に入らず、車の中でガソリンを節約しながら震えて過ごした人も大勢いたこと。女川から流れた新築の豪邸が流れてトンネルに詰まったおかげで、浦宿は助かったこと。
あと二年で復興住宅も完成し、女川は被災地ではなくなること。6000人に減少した人口、高齢化、昨年の新生児人口はわずか40人で新一年生は30人余りだったこと。もともと高校が石巻にしかなく、女川には若者の就職先もないためにどんどん過疎化が進んでいること。
毎日次々に、様々な立場の方から入ってくる断片的な情報に私の頭は困惑しつつ「これからが本当に大変なんだよ、どうしていく?」と皆が心の中で叫んでいるように感じた。

はじめての女川⑥



コバルト民宿で朝5時に朝食、その足でえくぼハウスへ向かうと、畑の紫蘇とハーブが腰の高さにまで生き生きと育ってカボチャやトマトも美味しそうになっている。このままスケッチしたい衝動に刈られるが、昨日のやり残しを完成するため、預かった鍵で開けてとりあえず上がらせてもらう。初訪問を記念して、寄贈させてもらった「一願成就」椿の額絵が朝日に光って見えた。ギリギリまで皆さんへのプレゼントを描きたいが、11時には体育館に仮置きされたままの市役所生涯学習課で「すばらしい女川を創る協議会」の斎藤会長さんとお会いする約束だ。タクシーを予約しておこうと電話して驚いた。なんと、町には5台しかタクシーがなく。午前中はほとんど原発へ向かうという。終日予約不可で、電話した順番に配車されるシステムだ。運が悪ければ一時間以上も待つことに・・・
たまたま忘れ物を取りに来られた手芸担当のスタッフさんに「ちょっと困ったことになった」と告げると、機転を利かせて、隣の家の方がタクシーの運転手さんだからと連絡してくださった。小さい町なので話は早い。私が出戻り制作していることを知ったご近所のメンバーさんが、差し入れを持って作品を乾かすお手伝いに来てくださってとても有り難かった。
浦宿から女川までは一駅、車でわずか5分だが、電車や町民循環バスは一日4本しか走行していない。歩くのは得意だが、国道は狭くトラックの嵐。繰り返される道路工事で歩道はあったりなかったりと不安定。舗装されていない道も多く、自転車も歩行も困難だ。この辺りの交通事情も、他府県からの観光客が伸びない事情のひとつかもしれない。翌日、石巻へ向かう車中の一期一会で「震災ボランティアに入った娘に勧められて足を延ばした」と東京から仙台七夕祭りを見に来られていた女性も「女川駅前モール以外、どこへも行けなかった」と残念がられていた。

はじめての女川⑦





役所では相談役の元校長先生や課長さんまで同席してくださって、町の現状を伺ったり今後の支援活動についてのご相談もできた。「駅前のまちなか交流館で、何かアートサポート活動ができるかもしれない」と車で案内してくださった。復興のシンボルとして何度も報道されている立派な駅前の「シーパルピア女川プロムナード」は異空間でハイカラだった。「スペインタイルの「みなとまちセラミカ工房」へ寄ってからえくぼハウスへ帰ります。」とお礼をいうと、「オーナーの阿部鳴美さんは同窓生だから。」と紹介してくださった。
ビビットな色合いの店内で、私のポートフォリオをお見せすると「いま店をやれているのは、造形大の千住さんから窯を贈られたからなんですよ。」と、思わぬところで繋がって話が弾んだ。
「絵が描ける人がうらやましいわ。私たちはタイル職人としての技術はあるのだけれど、デザインは地元のイラストレーターに頼んだりしているの。」とおっしゃるので、「私の絵でよかったら、コラボさせてください。」ともちかけてみた。「体験制作されてはどうですか?工程がわかったほうがよいと思うので・・」「ニュースで見ました。二枚制作して、そのうち一枚は商店街に飾られると聞いて、最終日に来ようと思ってたんです。」早速、翌日朝九時で予約をいれた。特別なご好意で、店のスタッフさんが近くの保育所にこどもを預けたあと、コバルト民宿まで迎えに来てくださることになった。
店を出たあとも「強運の出会いドラマ」は続く。はるか向こうの交差点で右折しようとするタクシーが、信号待ちをする私を見つけて止まってくれたのだ。急いで乗り込むと、なんと三時間前に、えくぼハウスから体育館へ送ってくださったタクシー運転手さんだった!
「どうでした?」と気遣ってくださるので「まだどうなるかはわからないけれど・・もしかしたら、今度は仕事で来れるかもしれません。」と話すと、「やっぱり頑張ってる人のことは、ちゃんと神様が見てるんだね、良かった〜。」と我が事のように喜んでくださった。よそ者には警戒心を抱くけれど、いったん」心が通じ合えば、とことん親切な東北人の気性に触れられた気がして嬉しかった。

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